受付に行ってみるとテーブルの上に3人で熊野旅行したときに大丹倉(おおにぐら)
の上で私が撮影した二人の写真が飾ってあるのです。
「これ私が写したんですよ!ここは熊野の大丹倉という絶壁の上なのです」と受付のお嬢さん
に説明したところ、「カナダの風景かなと思ってました」とこのミホさんの友人は言われました。
待合室ロビーに、ずいぶんお洒落なカップルがいるな、と思ったら、ミホさんの親友のセレン
さんとその夫君でした。
ミホさんがぎっくり腰で伏せてたとき、毎晩仕事が終わってから介添えに来てくれたのが彼女
でした。
トレードマークのターバンで登場できなくて残念(ドレスと合わなかったので)、と来客プロフィ
ール表に記されてました。まさにターバンを被ったらインド人と誰しもが思うでしょう。
私が3年ほど前に京都でお会いした時はこんな感じでした。
撮影を終えて新郎新婦がロビーにやってきました。ミホさんの純白のウエディングドレス姿が
何と美しく清らかなことでしょう。
みんな新郎新婦との記念写真を撮ります。
ハヤトさんの兄妹たちです。(左よりお兄さん、上の妹さん、下の妹さん)
ミホさんの家族たちです。
(左よりお母様、お兄さん、お兄さんの奥様、弟さんの奥様、弟さん)
ハヤトさんの友人たちです。
ミホさんの友人たちです。彼らは全員関西から来てくれたのです。
私も一緒に撮ってもらいました。
午後2時過ぎ、式は始まりました。
人前結婚式ですので牧師も神父も神主もいません。結婚式場がそのまま披露宴の席となります。
二人だけで披露宴会場に登場してきます。
席に着いた二人は大変落ち着いているように見え、堂々としたものでした。
新郎の下の妹さんが花嫁の持つブーケを新郎に渡し、新郎が花嫁に渡します。このときベールを
かぶったまま視線を下に落としながらも姿勢正しくたたずむ花嫁の姿はプリンセスのような優雅
さと高貴さがありました。
(ぎっくり腰で絶対安静中というのが信じられないくらいです)
次には新郎の上の妹さんが指輪交換の指輪の入ったケースを新郎に渡し、新郎新婦の指輪の
交換が行われます。
そして新郎は花嫁のヴェールをあげて愛のキッスをするのです。
思わず身を乗り出して注目するお客様たち・・・
こうして二人は固く固く結ばれて夫婦となったのでした。
この後、新郎側を代表してハヤトさんの友人、新婦側を代表して私、リワキーノがそれぞれ祝辞
を述べました。
私はハヤトさんからリワ家の3つの家訓を是非スピーチの中に入れて欲しいと頼まれておりまし
たので、1、信義を重んじること、2、恥を知ること、3、何事も美意識をもって行動すること、をスピ
ーチの最後に新郎新婦へのはなむけの言葉として述べさせてもらいました。まったくの準備無し
のスピーチでして、ミホさんの音楽や映像やコミックなどにおける趣味のセンスが素晴らしいこと
ばかりを強調して、彼女の人となりの中でも特に私が強調したかったひたむきさ、モラルの潔癖さ、
そして決して弱音を吐かず、愚痴をこぼさないその精神の強靱さを言うのを忘れたのは大失策だ
ったと反省しております。
「でも私たちへの深い思いがひしひしと伝わってきて感動しましたよ」とハヤトさんは言ってくれまし
たが。
宴もたけなわとなって新郎新婦に友人や親戚がお祝いの言葉をかけによってきます。
「リワさん、お酒を飲んでくださってますか?リワさんのために日本酒もちゃんと用意しているので
すよ」とハヤトさんが声をかけてくれます。日本酒党の私のことをよく覚えていてくれるのです。如何
にも男っぽい外観ですが、ハヤトさんは本当にきめの細かい繊細さを持ち合わせた日本男児です。
カナダの侍、とネット上でハンドルネームを名乗ってますが、まさに花も実もあるサムライです。
まだ飲んでなかった私が席に戻るとすぐに日本酒を注文したのは言うまでもありません。
やがてセレンさんのソロ、そして大阪音楽大学時代の友人二人のデュエットの歌が披露されました
が、いずれも素晴らしいものでした。なにしろ、3人ともプロの歌手なのですから。
新郎の親族席の皆さんも至極満足そうに見守っております。
左側の目眼をかけられたご婦人がハヤトさんの御祖母様、隣がお母様、そしてお父様と続きます。
歌の披露の後には司会者の思いつくままの指名のもとにお客や家族のスピーチが続きました。
その中でミホさんの幼少時代を知る方の、ミホさんが3歳のころから、何でも自分のことは自分で
やり、一人で待つように言われると何時間も黙々と同じ場所で待ち続けていたこと、そしてとても
無表情な子だったことを披瀝されたのには驚きと共に、今のミホさんの気丈さ、芯の強さが幼少の
ころからのものであることへの納得感を感じたものでした。
ハヤトさんの上の妹さんがスピーチを求められて「悲しい気持ちもありますけれど、兄の幸せを喜
んでます」という答えられたのには、たいへん仲のよい家族であると聞いていたハヤトさんのお家
の雰囲気が忍ばれました。
いつのまにかにミホさんは薄手の上っ張りを羽織ってましたが、これがまたとても優雅。
常に毅然とした姿勢で通していた新婦でしたが、さすがに立ったり座ったりするときには介添えを
必要としました。
一昨日まではまともに歩行できなかったのですからね。
新郎の優しく支える仕草が素敵でした。
新郎新婦の両親への花束贈呈です。
立っているのが精一杯でお辞儀は無理なのです、と式の始まる前にミホさんは言っていたのです
が、このようにキチッとお辞儀ができたのです。凄い精神力!
そして親族を代表して新郎のお父様の挨拶となるのですが、これがまた実に素晴らしかったのです。
お父様は開口いきなり流ちょうな英語で新婦の親族席に向かって語りかけるのです。
しばらくしてミホさんの弟さんの奥様が嬉しそうにうなずくのに気が付き、私と、事情を知るお客たち
ははたと思い当たったのでした。
弟さんの奥様はタイの人で日本語がまだ十分理解できない状況でこの結婚式に臨んでおり、式
進行の大半が何が語られているのかあまり理解できず、疎外感を感じながら座っていたのではと
推察された新郎のお父様の温かい配慮だったのでした。ごく自然に、しかも微妙なユーモアを漂わ
せる表情とソフトな声のかもしだす雰囲気は実に洗練された素晴らしいものでした。
後で聞くところによるとハヤトさんのお父様は若き日に奥様と共に商社マンとしてアメリカに長いこと
滞在されたとか。
これも後でハヤトさんに聞いたのですが、彼もこの弟嫁への英語での語りかけをやろうと思っていた
のに、父親に先を越されたそうで親子って似るんだな、とつくづく感じたそうです。
おかげでハヤトさんは新郎の挨拶のときに語る言葉を失って弱ったそうでした。
いよいよ披露宴も終わりを迎えました。
新郎新婦が帰って行く来客に次から次へと挨拶している姿をしばらく見守ったあと、私は会場を後
にしました。
何とも言えぬ安堵感と幾ばくかの寂寥感とを感じつつお堀端を歩きながら考えました。
ああ、これが花嫁の父の気持ちに近いのだろな、と。
なにしろ、私はここ7年近く、ミホさんの父親気取りだったのですから。
しかし、私はめそめそとはしません。
「ハヤトさん、ミホさん、本当におめでとう!お幸せに」
と月並みではありますが、真実の言葉を心の中で叫びました。
ハヤトさんは23日にカナダに戻り、ミホさんは12月に日本を発ってハヤトさんの元に行きます。