69年ぶりの宝塚歌劇

9月24日、小田原から役夫人の付き添いでツネさんが関西に来られました。
大病をされて九死に一生を得たことから、身体が元気なうちに念願だった宝塚歌劇観劇を
是非とも実現したい、ということで今回の関西行きが決まったのでした。
新大阪駅までルーメイさんと共に迎えに行き、そのまま車で宝塚歌劇場に直行します。


地下駐車場から上がってきたところは大勢の人だかり。
タカラジェンヌたちが劇場入りするのを楽屋入り口近くのところでファン達が待機しているの
です。
劇場敷地内であちこち記念スナップを撮りますがツネさんは本当に嬉しそうな満面の笑みを
絶やされません。
女学生のころまで芦屋、西宮に住んでおり、そのころにお母様に連れられて宝塚歌劇を何
度も観にいったことから、宝塚をなつかしく感じておられたのでした。元々は関西育ちの女性
だったのです。
言葉は標準語ですが、得も言われぬ上品な語り口は上方仕込みのものなのだろうか、と私
は思いました。
お父様が亡くなられると共に境遇が一変し、それ以来職業婦人として定年まで働き続けられ、
生涯独身を通されたそうです。

歌劇の演目は花組公演のミュージカル・ロマン「ラ・エスペランサ La Esperanza」とレビュー・
ファンタジア「TAKARAZUKA舞夢」

何と言っても良かったのが踊りと男役たちの演技。その中でもトップの春野寿美礼を私は
初めて観たのですが、とにかくカッコ良かった。
「プラハの春」のときもそうでしたが、男役がいいと(それも複数で)舞台が引き締まる感じ
です。
春野寿美礼です。

水夏希は素の風貌からして男役そのままです。実に凛々しい!

女役トップのふづき美世もなかなかの美女です。

花組と言えば、修猷館出身のタカラジェンヌ、初輝よしやさんが所属する組。
しかし、舞台では見極めはつかなかったです。

全体を通じて踊りと音楽がとにかく良かったです。
ツネさんは、観ているうちにご自身が踊り出したくなったと言われ、ルーメイさんは、ある叙情
的な踊りが続いたときに「きれいですねぇ!」と結構大きな嘆声を出す始末。ルーメイさんも
まったく気取りのない天真爛漫な人だな、とこのことき思わされました。
私もその踊りにひどく魅了されていたのでやはり人を感動させる踊りというものは誰もが魅了
されるのだな、と思ったものでした。
ルーメイさんは当初、宝塚歌劇にはそれほど興味はなく、ツネさんへのお付き合いでやって
こられたのですが、予想外に良かったようで、「ただただ、水準の高いのには驚きました。
もっと底の浅いものかと思ってたのですが、まったくの偏見でした。これからも頻繁に観に来
たいと思います」と言って私を喜ばせてくれました。

30分の休憩時間はレストランで昼食。そしてテラスで憩いました。
宝塚歌劇の華麗さ、素晴らしさを4人が口々に言い合う様は、同じ感動を共にする同志的絆
を強くいたします。
「ほんとうにしあわせ!」
ツネさんは何度もおっしゃります。
「最後に宝塚歌劇を見られたのはいつなのですか?」
のルーメイさんの質問に
「昭和10年ですよ。かちかち山のような日本昔話が演目でした」
とツネさんは答えられます。
昭和10年と言ったら、今から69年前!
その当時から大階段があったそうで、そこを降りてくるスターの姿は今でもまぶたに焼き付
いているそうです。

そして公演が終了したのは午後4時過ぎ。
ホール階段で記念撮影をして私たちは宝塚歌劇を後にしました。

新神戸駅近くのホテルにツネさんと役夫人をお送りしたのはもう午後6時近く。
是非夕食を一緒にと仰るツネさんのお申し出を役夫人初め私たちはツネさんの疲れが相当
出ているはずと判断したので固く辞退し、明日もまた一緒に行動するのですから、と言って
帰宅しました。
ルーメイさんを西宮に送って寝屋川の我が家に着いたのは午後8時でした。

翌25日。午前9時半にルーメイさんを迎えに行きます。
阪急西宮北口駅前南側に建つマンション群の中でもひときわ高くそびえるルーメイさんの住
むマンション。
車は我が愛車、カペラ。走行距離10万キロを突破しましたが、走りはすこぶる快調。

芦屋を抜け、神戸市東灘区岡本から国道2号線を抜けて山手の通りを走るとそこはいかにも
神戸らしい洒落た風景の連続でした。画像を紹介できないのが残念。
写真右は新神戸駅近くに建つオリエンタルホテルです。

ツネさん、役夫人が泊まられたホテルピエナ神戸は凄く綺麗なホテルでした。
ロビーで記念撮影。
皆さん、車に乗り込んだところで役夫人が言われます。
「昨夜、ツネさんと私はこれから言うどの料理を食べたでしょう?1 フランス料理、2 中華料理、
3 お好み焼き」
「お好み焼き!」と即座に私が言うと、ズバリ正解!
「どうして解るんです!?」のご婦人達の質問責めに私はただ、直感です、と答えるのみでした。
ホテルでは食事せず、外出して行き当たりばったりに入ったお好み焼き屋のお好み焼きが絶
品だったそうです。
「さすがは関西!」と思われたとか。

今日の最大目的は港町神戸の観光案内では無く、井口堂の瓦煎餅の店にツネさんをご案内
することでした。
ツネさんは井口堂の本店で瓦煎餅を品定めするのが宝塚歌劇を観るのについで最大の楽しみ
ごとだったとか。
ホテルで尋ねておいたおかげで私たちは元町のJRガード下にあるその井口堂の店に行くこと
が出来ました。ラッキーなことにすぐ近くに駐車場も。
ツネさんは井口堂の瓦煎餅を愛好し、贈り物にもよく利用するそうですが、一度、本店でじっくり
選ぶのを夢見ていたそうです。
たっぷり時間をかけてたくさんの煎餅を選び、たくさんの送り主先の伝票を書き、結構大枚の
支払いをされて店を出たのは30分後。私もルーメイさんもその煎餅をプレゼントされました。

もう、これで思い残すことはない、と言われるツネさんをあまり疲れさせないようにするにはドラ
イブが一番、と思って六甲山ドライブウエイにお連れしました。
芦屋から入る芦有(ろゆう)道路を上っていくと奥池の別荘地(写真左)が眼下に見えてきます。
遠くは六甲アイランド。

やがて展望所から東南東の方向が見えます。遠くに生駒山、真ん中あたりに梅田のビル街。
そしてずっと手前左側に丸い形の甲山が見えます。
「まあ、あれが甲山ですって?!」
娘時代によく遊びに行った甲山と解ってツネさんは感激ひとかたならぬ様子でした。

摩耶山まで行く予定だったのですが、意外と時間は早く去っていき、午後3時過ぎの新幹線に
乗るには微妙な時間となってきたので途中で諦めて昼食をとることにし、六甲山上のオリエン
タルホテルに入りました。

昼食後、そのまま六甲口へ下山し、新神戸駅に着いたのは午後2時35分。
午後5時から仕事がある私は駅前で皆さんを降ろし、そこでお別れをしました。
「体調を十分に整えて今度は4月の初舞台生公演を必ず観にきます」
ツネさんのそのお言葉、どうか実現するよう祈りながら、私は神戸の町を車を走らせました。

夕方枚方市で仕事を終えて外に出てきたとき、このような美しい夕焼けが空を覆ってました。
ツネさんの夢がかなったことを祝福するような美しい夕焼けでした。

追記
木村経さんは翌年の2005年1月5日に逝去されました。
宝塚歌劇を観劇された時点で既に膵臓ガンにおかされており、余命幾ばくもないことを鑑みた役ご
夫妻の決断で宝塚歌劇観劇旅行は決行されたのでした。
下記は私の役ご夫妻に送った弔電ですが、私の木村経さんに対する思いのすべてを記しております。

ご逝去の報に接し、心よりご冥福をお祈り申し上げると共に安らかな大往生であったとの知らせに
深く安堵しております。生涯独身で通され、職業婦人として定年まで働きながらも決して恥じらいと
女のたしなみを忘れず、美しい日本語を話され、上品さとたおやかさをいつも漂わせておられたその
存在は多くの女性達に多大なる良い影響を与えてきたことでした。この世を去られても経さんの良
きイメージは私たちの心の中に古き良き日本人としての規範となって残ることを確信しております。