この論議はよいよい会HPの、旧・伝言板で交わされた論議をバックアップしていたのを転載したもの
です。当事者の了解を得ずに転載しておりますので、もしもご自身の発言の削除を希望される方がご
ざいましたら、いつでも削除に応じる用意がございますことをご承知おきください。

リワキーノより (yosinoyama@sakura.com)
01/04/11 午後 7:23:08
吉野山ツアー参加の方へ

今日、吉野タクシーへ予約の電話を入れたところ、吉野は平日の今日も凄い渋滞とのことで、行動予
定を大幅に見なおさなければならなくなりました。

今日も下千本の大駐車場は午前10時のころから満車となり、あふれた車が道路沿いに駐車して渋
滞をひどくしているらしく、その渋滞の列は吉野川を越えているそうです。

今夜、吉野近辺に住む友人達に聞いて、どこまで車で行けるか検討してみますが、場合によっては
奈良市に車を置いていき、電車で吉野入りするかも知れません。
また、タクシーが利用できない場合は、水分神社まで歩いて行くのは時間的に無理かも知れません
ので、割愛する可能性もあることをどうかご承知置き下さい。
炭谷君の報告にもあるように今ちょうど桜は見頃であり、上千本からの眺めは素晴らしいのでとても
残念なのです
が・・・

リワキーノより (yosinoyama@sakura.com)
01/04/11 午後 11:18:01
吉野山ツアー参加の皆様

奈良県在住の何人かの友人と相談した結果、吉野山行きは下記のスケジュールで行いたいと思います。

17日朝、車は奈良ホテルに置いていく。
(奈良ホテルに問い合わせたところ無料で置かせてもらえるとのこと。いいホテルですなぁ〜)

近鉄奈良駅発7:39の電車に乗るため、7時20分に奈良ホテルを出発。
(奈良ホテル名物の朝粥を食べられないかも知れない・・・)

近鉄吉野駅9:30着
(タクシーを頼める可能性を少しでも高めるために早く吉野に到着しておきたい)

タクシーが使えない場合、中千本の桜が見頃かつ、好天だったら上り1時間半の水分神社まで歩く可能性有り。下りは1時間。
(久重山に登ってきたばかりの由紀子さん、毎日小春ちゃんを散歩に連れだしている妹尾君だったら大丈夫ですが、市山さんはどうでしょうか)
炭谷君が、せっかく勧めてくれた西澤屋ですが、タクシーを使えなかったときは鍋料理を突っついている暇は多分なく、昼食は弁当でも買って歩行中に食べることになると思います。
吉野山での時間はアッという間に過ぎ去っていくのです。

近鉄吉野駅発14:47に乗って16:30奈良駅着。
ホテルで車を回収して一路、長岡京市・錦水亭に向かう。
順調にいけば1時間半のドライブですが、思いもかけない渋滞があった場合はぎりぎり、もしくは時間に遅れる可能性もわずか有り。
その場合は先着の皆さん達に先に宴を始めてもらいましょう。
錦水亭さんには迷惑をかけられない。
(錦水亭さんの池田様、見て下さっていますか?)

こういうことでよろしいでしょうか?
なお、奈良の友人達から、「このシーズンに車で奈良を朝出発して吉野山の桜見物をし、夕方までに長岡京市まで行くなんて無茶苦茶や」と言われました。
クソーッ!

西行より (saigyo@yoshino.tour.or.jp)
01/04/12 午前 12:17:07
吉野ツアー参加の皆様へ

当初、皆様を吉野山上千本の水分神社でお待ちしようかと思ひましたが、交通渋滞ゆえ、どこを散策されるか分からぬ由、仕方ありません。山中のどこかでお会いしませう。
その折には、私の次の歌のどれかを諳んじて下され。
忘れていれば、山から降りることは罷りなりませぬ。
私と一緒に吉野の山で暮らしませう。


なにとなくはるになりぬときく日より心にかゝるみよしのゝ山

よしの山やがていでじとおもふ身をはなちりなばと人やまつらん

花をみしむかしの心あらためてよしのゝ里にすまんとぞ思ふ

いざ心花をたづぬといひなしてよし野ゝ おくへふかくいりなん

世をうしとおもひけるにぞなりぬべきよし野のおくへふかくいりなば

リワキーノより (yosinoyama@sakura.com)
01/04/12 午前 1:42:10
西行さま

>当初、皆様を吉野山上千本の水分神社でお待ちしようかと
思ひましたが、交通渋滞ゆえ、どこを散策されるか分から
ぬ由、仕方ありません。山中のどこかでお会いしませう。

勝手な申しようなれど、中千本の勝手神社までお出でくだされ。
そこまでは我ら確実にまかり候らん故に。

>その折には、私の次の歌のどれかを諳んじて下され。
忘れていれば、山から降りることは罷りなりませぬ。

あな、嬉し!
下記の歌は諳んじておりますぞ。

なにとなくはるになりぬときく日より心にかゝるみよしのゝ山

よしの山やがていでじとおもふ身をはなちりなばと人やまつらん

>私と一緒に吉野の山で暮らしませう。

それがかなえば、如何にか嬉しかるらむ。
されど、長岡京に待つはらからへの約をなど違えめやも。

芭蕉より (basho@yoshino.tour.co.jp)
01/04/12 午後 6:55:34
敬愛してやまない西行法師の名前を騙る不届きな輩がいると聞いて、急いで駆けつけて参った。一目見るなり、偽者と判明。齢二十三で出家された西行様が、一緒に吉野山で暮らしませふ、などと女々しい、おっと失礼、最近は言葉に気をつけなければなりませんが、ともかくそんなふやけたことを言われるはずがありません。
それに加えて、取り上げられた歌には桜を詠った西行法師の代表作が入っておらん。たとえば、

誰かまた花をたづねて吉野山苔踏み分けて岩つたふらむ
吉野山雲をはかりに尋ね入りて心にかけし花を見るかな
思ひやる心や花にゆかざらん霞こめたるみ吉野の山
吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき
吉野山花の散りにし木(こ)のもとに留めし心は我を待つらん

などなど『山家集』の代表作が入っていません。

ところで私も貞享五年(今でいう1688年)三月に万菊丸を伴って吉野に入った。懐かしいなあ。
その時つくった句を幾つかご紹介しよう。

酒飲みに語らんかかる滝の花
扇にて酒くむ陰や散る桜
声よくば謡はうものを桜散る
ほろほろと山吹散るか滝の音
さびしさや花のあたりのあすなろう
春雨の木下(こした)につたふ清水哉
花盛り山は日ごろの朝ぼらけ

リワキーノより (aseri@gai.ne.jp)
01/04/12 午後 8:30:14
今芭蕉さま

>誰かまた花をたづねて吉野山苔踏み分けて岩つたふらむ
吉野山雲をはかりに尋ね入りて心にかけし花を見るかな
思ひやる心や花にゆかざらん霞こめたるみ吉野の山
吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき
吉野山花の散りにし木(こ)のもとに留めし心は我を待つ
らん

お見事!
私の知らん歌ばかり

>などなど『山家集』の代表作が入っていません。

『山家集』の代表作なんですか。
誰が決めたと?

西行の吉野山の桜を詠んだ歌なら、新古今集の

吉野山去年(こぞ)の枝折(しお)りの道変へてまだ見ぬかたの花を尋ねむ

も私は非常に好きですがね。

あっ、こんな優雅なことをやっている暇は全然ないのだ。
山伏装束の袴がほころびとるんよー
これから必死に縫わなければならんのです。

三宅島 紫陽花より (ajisai@miyakejima.isl.jp)
01/04/16 午前 11:07:56
伊藤さんという方が、あるMLに寄せられた文章です。
リワキーノ君が、この続きを西行の話と絡めて語ってくれると期待しています。それとも、演歌の世界は駄目ですか?

>「逝く空に桜の花があれば佳(よ)し」
>三波春夫さんの辞世の句。
>郷里の新潟は桜が満開です。
>
>御客様を神様にして、自分は仏様になりましたね。
>享年77歳。
>
>シベリア強制抑留4年を経験し、数多くの歌声を残してく
れました。
>昭和32年♪小皿たたいてチャンチキおけさ・・
>昭和39年♪オリンピックの顔と顔・・(東京オリンピッ
ク)
>昭和45年♪こんにちはこんにちは世界の国から・・(大阪
万博)
>
>どの歌も明るく、人々を励ますような良い歌でした。
>そして幸せに黄泉に旅立たれました。
>
>幸せは、誰かから与えられるものではなく、誰かに与える
もの。
>与えることで自分が感じる、心の豊かさ心の穏やかさが、
>幸せというものかもしれませんね。  合掌

駄才小寒より
01/04/19 午前 12:58:12

リワキーノ君、妹尾君、柴田さん、市山さん

皆さんも無事にお帰りになったようですね。私は17日の夕刻、京都長岡京でお別れしてから、新幹線を乗り継いで10時過ぎに仙台に着きました。

直前になってから急に飛び入りのような形でで吉野行きに参加を申込み、ご迷惑であったかと思いますが、快く同行させて頂き有り難うございました。

たまたま、14、15日に飛騨高山で開かれる高山祭りの見物を兼ねて大学時代の友人達と同窓会を計画していました。ところが17日にこちらで吉野行きが予定されているのを知って、急遽旅行日程を延長して参加申込みをしたという次第です。

大学・高校の同窓会旅行が続いたお陰で、まだ訪れたことのなかった高山だけでなく、吉野や長谷寺まで行けたことは、まことに幸運でした。
しかも、リワキーノ君の案内・解説付きという贅沢この上ない旅で大満足でした。あらためてお礼を申し上げます。

ヒサオーモ・リワキーノより (sankasyuu@benkou.koita.com)
01/04/20 午前 12:59:48
三宅島さん

>伊藤さんという方が、あるMLに寄せられた文章です。
リワキーノ君が、この続きを西行の話と絡めて語ってくれると期待しています。それとも、演歌の世界は駄目ですか?

演歌は嫌いではありません。
ただ、三波春夫さんは趣味ではなく、村田英雄が好きであります。

西行の話と絡めて語って欲しいと仰有いますが、三波春夫さんではとんとコメントが思いつきません。

そこで思い出したのが例の今西行さんのこと。
勝手神社どころか、ご自宅の西行庵まで我々は赴いたのに、お会いできなかったのです。
その約束不履行の埋め合わせに、ここはかの今西行さんにコメントをお願いしたく思います。

西行より (saigyo@yoshino.tour.co.jp)
01/04/21 午前 1:02:40
吉野旅行御一行殿

芭蕉と名乗る変な男に偽者と騒がれたので、しばらく謹慎して
おりました。それゆえ、御一行に遭えなかったことお許しあれ。
さいわい懲罰委員会にもかけられなかったので、本日、久しぶりにここを訪ねてみました。そしたらもう御一行の写真が出ていました。
どのような方がどこを歩かれ、何を食されたか、よく分かりました。
長い道のりを、花の写真と短い解説文で辿られ、見事な吉野案内になっています。感服仕りました。
花といい、往年のいやあの失礼、今でも十分にお美しい婦人方といい、簡潔な説明といい、申し分ありません。よくぞ私の吉野山を訪ね紹介してくれました。有り難き仕合わせ。

私が生きていた頃は四月に入ってもまだ雪が残っておりましたのに、この頃は花が開くのが早く、私の庵の近くでももう散っています。しかし、散りゆく花は美しい。

春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり

ところで御一行は、貫之殿の「人はいさ心もしらずふるさとは」で有名な初瀬のお寺にも詣でられたとか。貫之殿にも美しい歌があります。

さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに波ぞ立ちける

最後に、ヒサオ−モ・リワキーノ殿、私に三波春夫という人の歌謡を批評せよとの御依頼ですが、残念ながら私はこの方のことをよく存じ上げておりません。申し訳ないが、ご期待には応えらそうにありません。今時分のことをもっとよく学んでから、またこちらを訪れます。その時まで。

三宅島 紫陽花より (ajisai@miyakejima.isl.jp)
01/04/21 午前 2:07:16
>「逝く空に桜の花があれば佳(よ)し」
>三波春夫さんの辞世の句。

>私に三波春夫という人の歌謡を批評せよとの御依頼です
>が、残念ながら私はこの方のことをよく存じ上げておりま
>せん。

西行殿、あなたの辞世の句はなかったのですか?

ヒサオーモ・リワキーノより (saigyou@fan.com)
01/04/22 午後 8:49:35
三宅島さん

>西行殿、あなたの辞世の句はなかったのですか?

西行さまが答えて下さらないようですから、私が調べたことを記させていただきます。

下記は白洲正子の「西行」の文章です。

建久元年(1190)2月26日、西行は広川寺において73年の命を終わった。その報に接した都の人々の間には、一大センセーションを巻き起こした。「ねがはくは花の下にて春死なん」と歌った人が、あたかも「そのきさらぎの望月」、釈迦入滅の頃に死んだというので、俊成以下名のある歌人たちはみな感動して、多くの歌を残した。以来、「ねがはくは」の歌が西行の辞世の句となって今に伝わったが、地下の西行は苦笑しているのではあるまいか。

次は辻邦生の「西行花伝」の文章です。

秋の日ざしが広川寺の裏の杉木立を透かして静かに流れこんでくる。
(中略)
師西行は、私を呼んで「湖のあの青いきらめきをとても見過ごすわけにはゆかないな」と囁いた。
「歌でございますね」私はそう言うと、懐から矢立と料紙を取り出して師に渡した。「歌を詠まぬと宣誓したが、どの歌を最後にすると神明に申しあげなかった。今改めてこの歌を最後に、と祈誓しよう」師はそう柔らかな笑顔でつぶやくと、にほてるや なぎたるあさに 見わたせば こぎ行く跡の 浪だにもなし、と書いた。

これらから推察するに、西行は辞世の句を残さなかったようですね。

ヒサオーモ・リワキーノより (saigyou@fan.com)
01/04/22 午後 9:19:11
今西行さま

お見事な文章ですね。
錦水亭でも今西行は誰?今芭蕉は誰なの?と話が賑わいました。
私と由紀子さんは絶対に和尚さんが噛んでいると思ったのですが、ご本人は強く否定。
これだけの風流を解する人は誰なのだろう、と一同興味津々でございました。

>久しぶりにここを訪ねてみました。そしたらもう御一行の写真が出ていました。どのような方がどこを歩かれ、何を食されたか、よく分かりました。長い道のりを、花の写真と短い解説文で辿られ、見事な吉野案内になっています。感服仕りました。

まさに同感です。
饒舌な私でしたらこうはならなかったでしょう。

>花といい、往年の、いやあの失礼、今でも十分にお美しい婦人方といい、簡潔な説明といい、申し分ありません。よくぞ私の吉野山を訪ね紹介してくれました。有り難き仕合わせ。

西行さまもユーモアを解する方と知って嬉しくなりました。
今西行さまのコメントも実に簡潔にして要を得ておられますぞ。

>私が生きていた頃は四月に入ってもまだ雪が残っておりましたのに、この頃は花が開くのが早く、私の庵の近くでももう散っています。しかし、散りゆく花は美しい。

実に詩的な情緒ある文章ですね。

>春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり

私はこの歌の実体験をしました。
いえ、夢ではなく、状況を目の前にしてこの歌を強く実感したことがあるのです。

>ところで御一行は、貫之殿の「人はいさ心もしらずふるさとは」で有名な初瀬のお寺にも詣でられたとか。貫之殿にも美しい歌があります。

この歌は知っておりますが長谷寺に縁のあることは存じませんでした。

>さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに波ぞ立ちける

私、紀貫之の歌で諳んじているのは「秋の月光さやけみもみぢ葉のおつる影さへ見えわたるかな」だけで、あまり知らないのです。
これから学ぶことにいたします。

>最後に、ヒサオ−モ・リワキーノ殿、私に三波春夫という人の歌謡を批評せよとの御依頼ですが、残念ながら私はこの方のことをよく存じ上げておりません。申し訳ないが、ご期待には応えらそうにありません。今時分のことをもっとよく学んでから、またこちらを訪れます。その時まで。

いえいえ、それはおやめになったほうがよろしい。
また、今芭蕉さんからケチつけられるのがオチですぞ。

もしかしたら、今西行さまは修猷館における私らよりはるか年上の大先輩なのではないでしょうか。

三宅島 紫陽花より (ajisai@miyakejima.isl.jp)
01/04/22 午後 10:44:24
惜別の朝(平成13年4月22日)

おじ(母の妹の夫)が、21日の早朝、85歳の天寿を全う
し、他界しました。
小柳君にも相談したのですが、高齢の為、手術は断念して
の自宅療養中でした。
冠状動脈が詰まり、昨年末以来5回の失神を繰り返し、そ
の度に家族と医師の
懸命の蘇生行為で、命を永らえておりましたが、今回は駄
目でした。
長からざる余命とは感じつつも、生きることを切望したお
じは、メモ紙に辞世の句
を残しておりました。

「すてはてて 身はなきものと思えども 雪の降る日は寒
くこそあれ」 (西行)

リワキーノより (hmpiano@d1.dion.ne.jp)
01/04/23 午前 12:00:33
三宅島さん

叔父様のご逝去を慎んでお悔やみ申し上げます。

4月21日の午前2時ころに、西行の辞世の句は?とお尋
ねになった時点で叔父様は既にご逝去なさっておられたの
だろうか、それとも、貴兄は既に覚悟を決めておられたの
だろうか、と貴兄のご発言を改めてしみじみ再読いたしま
した。
1年に一度しか会うことが無かった縁戚でもない老人の死
にも深く心を動かされた繊細な貴兄のこと、叔父様の死は
大きく心に応えられたことと思います。

父母、義兄を失ったときも動揺したことのない図太い私で
すが、たった一人残った親である八日市市の義母のその時
を想像すると、冷静でおれるか、今度は自信がございませ
ん。

叔父様のご冥福を心よりお祈りいたします。

女探偵より (dai6kan@)
01/04/23 午後 9:34:02
ヒサオーモ・リワキーノさん
今西行について閃いたので、あなたのご意見をお聞かせく
ださい。もしかしてさる有名進学校の文芸部部長の方では
ないでしょうか。

ヒサオーモ・リワキーノより (gisinanki@koita.com)
01/04/24 午前 12:31:05
女探偵さん

>今西行について閃いたので、あなたのご意見をお聞かせく
ださい。もしかしてさる有名進学校の文芸部部長の方では
ないでしょうか。

今西行さんは誰か、への貴女の探索努力、とても嬉しく思
います。
しかし、さる有名進学校の文芸部長ではあまりにも漠然と
していて答えづらい面がございます。

貴女のほのめかす有名進学高とは多分、九州福岡の解体移
転の憂き目にあったさる古ぼけた学校(再建寄付金募集〆
切は今月末だったですね。最低一口\10.000、どうしよ
う!)を指されるのであろうとは推察いたしますが、有名
進学高といえば、部外者は関東の麻布高校、関西の灘高校
をイメージすることでしょう。
この点をハッキリさせていただけませんでしょうか。

それと、修猷館文芸部長の名を私は知りませんが、駄才君
が文芸部に所属していたことはよ〜く覚えております。
まさか、ひょっとすると、うんな馬鹿な、しかし、もしか
したら、ウッソー!(疑心暗鬼の腐界に落ち込んで行きそ
う)

駄才君、
貴兄は重大かつ、はた迷惑な濡れ衣を着せられそうな状況
になりつつありますぞ。

興平より (bask@ball)
01/04/24 午前 11:37:36
ヒサオーモ・リワキーノ殿

今西行さんは誰か?で、時間を費やして折られますので、
ここらで、正体を、明かしましょう。

今西行は、何を隠そう、この興平めでございます。

もうこれ以上、詮索なされるな!
『今西行は、興平だったのか?ん〜ん! さもありなん!』

そんな声が、あちこちから聞こえておるような気がする。

                      興平

ヒサオーモ・リワキーノより (saigyou@fan.com)
01/04/24 午後 5:19:02
ユキコさま

>やっと京都ぼけからめざめつつあります。

私は未だに京都ぼけからめざめておりません。
なんせ、関西に居続けているものですから、京都奈良の磁
場の影響が大きいのです。
それと、ユキコさん、イチヤマさんの残して行かれた残り
香がいまだに漂っておりますし。

今回のツアーについてはまたゆっくりお礼、感想を述べた
いと思います。

>それとヒサオーモ・リワキーノの発言で思い出したのです
がニューヨークのカウボーイ様から校舎再建の寄付金お預
かりしております。

寄付金〆切は5月末でした。
そのころまで先延ばしにしようか、と思ったのですが、ゴ
ールデンウイーク明けにまたもや素寒貧になっていたら辛
いので、今日、振り込んじゃいました。
ただし、最低限度額の\10.000ぽっきりです。
財布の中で常時、ショパンの'木枯らし'のエチュードが
鳴り響く私でも僅かと言え、寄付したのですから、リッチ
なよいよい会の皆さんでまだ、銀行に行く暇の無かった方
は5月末までには必ず振り込むことにいたしましょう。

6月1日に、
「とうとう、振り込まなかった人、それはあなたです!」
というメッセージが会員便り欄にバガッと出てきて、ギク
ッとしないためにもね。心臓に悪いです。

ヒサオーモ・リワキーノより (saigyou@fan.com)
01/04/24 午後 5:48:14
興平殿

>今西行は、何を隠そう、この興平めでございます。

ウソだー!
興平ちゃんが日本史に強いことは知っているけれど(そう
言えば'知ったかぶり講座'が長いこと途絶えております
な)、和歌のことに触れたメッセージなんか見た記憶が無
いもの。

>もうこれ以上、詮索なされるな!

いーや、素直に見えるようでしょうが私は実に疑り深いの
です。
貴兄の文体と今いろいろ比較検証しているところでござい
ます。

>『今西行は、興平だったのか?
 ん〜ん! さもありなん!』
そんな声が、あちこちから聞こえておるような気がする。

いくら耳をすましても聞こえてきまっしぇーん!
聞こえるのはパソコンのファンの音のみ。

らんらんより (kiyouto@oudannmaku)
01/04/24 午後 7:54:26
ヒサオーモ・リワキーノさま
先ほどは外出の予定があり慌てて呼び捨てにしておりまし
た。ごめんなさい。

ジャズライブレポート楽しみにしておりますわ。
残り香なんて嬉しがらせの殺し文句もう30年前にお聞きし
たかったですねー。

私も京都ツアーで空っぽになったお財布をみたすべく今日
銀行におもむきまして嬉しい発見をいたしました。
さすがよいよい会のみなさま、会計が遊び呆けて居る間に
もぞくぞくと横断幕資金に入金していただいているので
す。
(よいよい会以外からハチマルさまからもカンパいただい
ております。)

報告いたします。
今までの総額122000円とあいなりました。

興平さん
私もリワキーノさま同様あなたが西行さまだとは納得でき
ません。ほんとに誰なんだろうな???駄才さんのご発言
が欲しいところです。

横断幕の件ですが資金もたっぷりできたことですしそろそ
ろデザインのほう煮詰めていただけませんか?

興平より (bask@ball)
01/04/24 午後 9:50:47
らんらん殿
>興平さん
私もリワキーノさま同様あなたが西行さまだとは納得でき
ません。ほんとに誰なんだろうな???駄才さんのご発言
が欲しいところです。
横断幕の件ですが資金もたっぷりできたことですしそろそ
ろデザインのほう煮詰めていただけませんか?

デザインは、松尾君にちゃんと納期の期限を聞いておりま
すので、間に合わせます。

興平さんは、今、デザインどころではありません。
私が西行であるということを、いかにしたら証明出来るの
かを、考えているのです。

ひそかな興平ファンより (kouhei@fan.club.ne.jp)
01/04/24 午後 10:50:09
興平さま

やはり今西行は興平さまでしたか。この頃
は包丁を筆に替えて、松尾お嬢様の応援
横断幕のデザインに専念されているのかと
思っておりました。それで最近は御出場の
機会が少ないと推し量っておりましたが、
多彩な才能をお持ちのあなたですもの、今
西行などコート中央から正確なロングシュ
ートを放つことに比べれば、たわいもない
ことです。

ただ興平さま、私たちひそかな興平ファン
と致しましては、興平さまが目立とう目立と
うとされるのには、少なからず心苦しく思っ
ておりますこと、くれぐれもお忘れなきよう。

和尚より (syasyari@yoi2.com)
01/04/24 午後 11:03:46
リワキーノ君、いやさキワドイーノ君

やっと、常照皇寺への紀行を書いて送ったところ
です。光厳院を慕うあなたの心根にかなうか
どうか心配です。

ところで、キワドイーノ云々。判りますか?
例の写真ばかりではありませんぞ。
京都の夜。本人も憶えていないかもしれない、
私だけが知っている、あなたの行状。

今度、上洛の機会があったら瓢亭の朝がゆ位
じゃすまんですぞ。正餐の値打ちはあるんじゃ
ないかな?

まぁ、よいよい会員は相身互い、武士の情けじゃ、
許してとらすが、爾今以後娘のことをたねに脅す
分には捨て置かぬゾよ。

ヒサオーモ・リワキーノより (kouhei@fan.betuclub.ne.jp)
01/04/24 午後 11:31:16
ひそかな興平さんファンさん

>ただ興平さま、私たちひそかな興平ファン
と致しましては、興平さまが目立とう目立と
うとされるのには、少なからず心苦しく思っ
ておりますこと、くれぐれもお忘れなきよう。

へー!
目立ちたがり屋はよいよい会広しと言えども私一人だけか
と思ったら興平ちゃんもそうだったのですか?
全〜然知らなかったです。
こりゃ、いいことを聞いた。

ヒサオーモ・キワドイーノより (bibiri@koita.ne.jp)
01/04/24 午後 11:58:41
和尚殿

>やっと、常照皇寺への紀行を書いて送ったところです。光
厳院を慕うあなたの心根にかなうかどうか心配です。

どこに送ったんですか?
次世代、画像、会員便りも見たのだけれど載っておりませ
んぞ。
もしかしたら貴僧、信じがたい偶然が重なって祝賀ムード
に包まれている宮内庁HPに送られたのでは・・・
天皇家は明治帝以来、南朝正統支持ですからね。

その代わり、私のジャズライブレポートがもう会員便りに
掲載されているのを発見しました。
編集長は残業して掲載作業をしてくれたのですね。
深謝!

>ところで、キワドイーノ云々。判りますか?
例の写真ばかりではありませんぞ。
京都の夜。本人も憶えていないかもしれない、私だけが知
っている、あなたの行状。

ええっ!
それは何です?
私がタコ踊りをやりましたか?阿波踊りをやりましたか?
それとも河内音頭を踊ったとか。
まさか、まさか、女湯を覗いたとか、女装したとかという
ことは金輪際無いですよね!

>今度、上洛の機会があったら瓢亭の朝がゆ位じゃすまんで
すぞ。正餐の値打ちはあるんじゃないかな?

あの〜、正餐と言うのはディナーのことですよね?
サービス料、消費税を加算すると万円をくだらないとい
う。(奈良ホテルを思い出す)
私の女友達を紹介するっていうのは如何でしょう。(私は
ポン引きか!)

>まぁ、よいよい会員は相身互い、武士の情けじゃ、許して
とらすが、爾今以後娘のことをたねに脅す分には捨て置か
ぬゾよ。

おお、こわっ!
しかし、武士の情け!いいですねえ、武人肌の僧侶にふさ
わしいお言葉です。
錦水亭で再会したときも「おお、一別以来」という和尚さ
んのご挨拶、実にカッコ良かったなあ。←一生懸命ゴマす
っている

ヒサオーモ・リワキーノより (kinotomonori@fan.com)
01/04/25 午前 12:15:24
ユキコさん

>残り香なんて嬉しがらせの殺し文句もう30年前にお聞きし
たかったですねー。

残り香という言葉は若い女性には似つかわしくありませ
ん。
香水のブランド名をからきし知らない私は具体的な名前を
あげられませんが、毛唐の香水のにおいを振りまいている
女性には使えない表現です。

残り香とは、梅の花、桜の花、馬酔木の花の発散するそこ
はかとない淡い香り、つまり、実際には異常接近しない限
り存在しないかおりではなく、人格、品格からおのずと香
ってくるかおりを指しております。
色をも香をも知る妙齢の女性にこそふさわしい言葉なので
す。

君ならで 誰にか見せん 梅の花 色を香をも 知る人ぞ
知る(紀友則)

西行より (saigyo@yoshino.tour.co.jp)
01/04/25 午後 12:16:48
桜も散り花見の客も途絶えたので、庵に戻ってしばらく静かに暮す
つもりでおりましたが、私のことがまだ口の端にのぼっているやうな
ので、また、のこのこと出て参った。

私の辞世の歌についてヒサオーモ・リワキーノ殿が代って解説して
下さっている。感謝。いかにも

願はくば花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ

は私が死に臨んで詠んだ歌ではありません。
東大寺再建のために東・陸奥へ砂金勧進の旅に出たのは、
私が七十三で死ぬ四年前、平家が壇ノ浦で滅んだ文治元年
の翌年であった。思えばその頃からが私の晩年であったとい
えましょう。そういえば、或る日、比叡山無動寺に慈円を訪ねた
ことがありました。そこからは琵琶湖がよく見えました。慈円の
書き残したものを読むと、私は「今は歌と申すことは思ひ絶えた
れど、結句をばこれにてこそつかまつるべかりけれ」と言って、

にほてるやなぎたる朝に見わたせば漕ぎゆく跡の浪だにもなし

と詠んでいます。慈円はこれに

ほのぼのとあふみの海を漕ぐ舟の跡なきかたにゆく心かな

と返してくれました。

今から思うとあれもこれもすべては夢の中のできごとのやうです。
諸国を旅し、都にも鄙にも山奥にも住みました。そして自分でも
数え切れないくらいの歌を詠みました。有難いことに新古今の
撰者はその中から九十四首も採って下さった。しかし、今からみ
れば、すべては一瞬、瞬く間のできごと、夢の中です。

仏には桜の花をたてまつれわがのちの世を人とぶらはば

三宅島殿、叔父様の御冥福をお祈り申し上げます。

らんらんより (らんらんm@)
01/04/25 午後 8:19:52
西行さま
庵のまわりはもうすっかり葉桜でしょうね。あなたに導か
れて辿った吉野の山道をなつかしくおもいだしておりま
す。あなたさまの生き様についてもう少し知りたくなりま
した。もはやあなたさまがどなたか詮索いたしません。お
勧めの本を教えてはくださいませんか?
リワキーノ様
爽やかな美しい詩のようなレポート拝見いたしました。
おしゃれな会場で都会のジャズライブの感じがいきいきと
伝わってまいりました。
一番印象的だったのは,登場されたみなさんの表情のうつ
くしさです。さまざまな年代の方々の自然できらきら煌く
表情にうたれました。登場された皆さんに対するリワキー
ノ様の愛情も伝わってまいりました。
お嬢さんはお父様似ですね。
上品で清楚です。

ヒサオーモ・リワキーノより (yoiyoikai@kinki.ne.jp)
01/04/25 午後 10:42:07
西行さま、和尚さん、舩津君、らんらんさん

明日の江口君を囲んだ飲み会に集まる仲間へ渡すデジカメ
写真のプリントアウトに専念しております。
他のソフトをすべて閉じてプリントアウトしないとエラー
を起こす、という編集長の助言に忠実に従っているため、
全然、よいよい会HPを見ることも書くこともできませ
ん。

今、一段落着いたところでHPを見ました。
明日は兵庫県小野市(加古川市の北部)という遠隔の地に
仕事に行きますので夜更かしができず、ここで短くコメン
トさせてもらいます。

西行さま

何と格調高く、情緒あふれるコメントでございましょうか。
もし、あなた様の本性が興平殿だったら、私は天を恨みます。
なぜ、天は一人の人間にこのような多彩な才能を与え賜う
のだ、と。

和尚さん

常照皇寺紀行を拝見しました。
素晴らしい!
これはもう紛れもない文芸作品です。
妹尾君、駄才君、ユキコさん、イチヤマさんたちは、吉野
山ではなく和尚さんに着いて行くべきだった、と今ごろ後
悔しているのでは、とチッと焦っております。
秋の季節を待たずに新緑の今、常照皇寺に行きたくなりま
した。
感想はまた後日に。

フナンツ・V.K君

「受難の国東ドイツ」「R氏のこと1」をプリントアウト
しました。明日、小野市の喫茶店で読ませてもらいます。
ツアーボケで貴兄の貴重な文書をなかなか読む暇がなく、
コメントが遅れていること、ご勘弁ください。

らんらんさん

天にも昇るような気持ちにさせられた過分なるお言葉、有
り難うございました。
この貴女の書き込みをプリントアウトして明日会う横田君
に渡します。
一読後、彼も天にも登る心地になることでしょう。
(本当に身体ごと天に昇ってしまわれると困りますが)
娘のことを上品で清楚とは、親馬鹿な私は随喜の涙、涙で
ございます。

上記の皆さんのこの上もなく質の高いカキコを拝見してい
て、我らがよいよい会HPを本当に誇りに思いました。

さあ、これからプリントアウト後半に入らせていただきま
す。

吉野ツアーカンパニーより (saigyo-tanto@yoshino.tour.co.jp)
01/04/26 午後 11:03:36
らんらん様

>あなたさまの生き様についてもう少し知りたくなりま
した。もはやあなたさまがどなたか詮索いたしません。
お勧めの本を教えてはくださいませんか?

西行様は昨日のお昼までこちらの事務所にいらして、
パソコンの前に向って何やら書き込みをしておられまし
たが、午後から庵にお帰りになりました。桜のシーズンも
終ったので、しばらくはこちらには出て来られないと思います。
私どもは、基本的にはアフターサービスはしないことにして
いるのですが、あれだけ吉野を宣伝して下さった皆様のため
に、私ー西行担当ーが今日訪ねて御質問を伝えて、お答えを
頂いてきました。

「もはや詮索されない」こと、有難いとのことです。世阿弥殿も
「秘すれば花、秘せねば花ならず」と言われている通り、
何でも公開すればよいというものでもなかろうと、暗に現代の
風潮を批判されておりました。

「お薦めの本」については、最近の解説書については
ご存知ないようですので、当社が皆様にお薦めしている
本をご紹介致します。いずれも千円未満でお買い求めで
きますし、書店で容易に手に入ると思います。それでは。

高橋英夫著 『西行』岩波新書 277
山本幸一著 『西行の世界』塙新書 53

ヒサオーモ・リワキーノより (sigoto@ningen.ne.jp)
01/04/28 午後 8:36:04
よいよい英国特派員君

ウェールズからの便りを拝見しました。
(貴兄のHPも過去に拝見させていただきまし)

ブタペストからエリザベート皇后の絵葉書を送ってくださ
ったことを思い出し、貴兄の示してくださった好意に改め
てしみじみとした思いになりました。

私、スコットランドについては多少知識もあるのですが、
ウェールズについてはまったくの門外漢です。
ケルト民族の後胤が多く住んでいる地方、プリンス・オ
ブ・ウェールズという英国皇太子の称号にちなむ地方とい
う以外にはほとんど知りません。

地図で調べるとニューポートはウェールズの首府カーディ
フの北東30キロの地点ですね。
そこに貴兄は住まわれているのですか。

掲載された写真、いかにもイングランドの古い家屋といっ
た感じです。
しかも、青空の見えている写真もあるというのに、何とな
く重苦しい暗雲の下に広がる光景、といったところがいか
にも英国的ですね。

鉄道が敷かれなかったから300年前の光景がそのまま残
っている、というのもなかなかに示唆的ですね。
古いものを尊重し、急激な変革を嫌う英国でもこのような
レトロの街を貴重扱いするというところが非常に興味深い
です。

ところで、質問があるのですが、コンウオールというのは
ウェールズには含まれないのでしょうか。
私、若き日(中学から高校時代)にアーサー王伝説に狂っ
た男でして、コンウオールのティンタジャルというアーサ
ー王生誕の地に深い興味を持っているのです。

お暇なおりにお答えいただけたら幸甚です。

あげあし鳥より (poppo@yoiyoi.com)
01/04/29 午前 12:33:58
リワキーノどん


>私、スコットランドについては多少知識もあるので
すが、プリンス・オブ・ウェールズという英国皇太子
の称号にちなむ地方

っちゃ何ですな、話が逆さまでっしょう。

とは、云うたもんの、あたきもよー知らんけん調べて
みたらくさ、

1301年に国王エドワード1世によりこの称号が制定され
て以来、通常、王位継承者にプリンス・オブ・ウェー
ルズ(英国皇太子)の称号が「授けられて」きまし
た。エドワード1世は1277年から1283年までの間、独立
ウェールズの征服を指揮しました。彼はその後、1284
年にウェールズのカーナフォンで生まれた息子、エド
ワードをプリンス・オブ・ウェールズであると宣言し
ました。この称号の継承権は存在せず、君主の随意で
授与されるだけです。現在のプリンス・オブ・ウェー
ルズは、正式に授与されることがなかった数人を含め
て、21番目の継承者です。
チャールズ王子は1969年7月1日にカーナヴォン城で
プリンス・オブ・ウェールズの称号を授与されまし
た。
(http://www.uknow.or.jp/uk_now/what/docs/
ryalfamily.htm#4)

て云うことやけん、ウェールズの地名が先ぃあった
と。

よいよい英国特派員より (yoiyoi@cotswolds)
01/04/29 午前 1:21:00
ヒサオーモ・リワキーノ君
コンウオール地方のティンタジャル城はウエールズではな
く、南イングランドの西端部にあるようですよ。
私も下記 H/P で知りました。
http://www.asahi-net.or.jp/~NW6E-MTMR/arthur/tour.htm

Eguchiより
01/04/29 午後 3:15:12

リワキーノ君

「ハーリー・ポッター」というイギリスの魔法少年成長録
ともいうような世界的なベストセラーの現地を訪ねる
NHKの番組が偶々私が関西出張中にBS2で放映されていて、
そのビデオを家族が撮っていたのを今しがた観たら、
まさしく、コーンウオールのその城を訪ねる映像が
含まれていた。 近いうちにダビングして送る。
期待して待て! 

ヒサオーモ・リワキーノより (sigoto@ningen.ne.jp)
01/04/29 午後 4:35:04
1時間半ほど前に仕事から帰宅しました。
さすがにゴールデンウイークの2日目、背広姿に工具鞄を
持った私の姿は行楽客の中で完全に浮いておりました。
香里園駅に着いたら雨が降っており、私は傘をさして自転
車を押しながら帰ってきたのですが、やはり侘びしいです
ね。平日に遊んだつけがまわってきたことを実感しまし
た。
ま、筍ツアーは忘れがたい思い出になったのだから、いい
けれど。

あげあし鳥さん
>>プリンス・オブ・ウェールズという英国皇太子の称号
にちなむ地方
>っちゃ何ですな、話が逆さまでっしょう。
>て云うことやけん、ウェールズの地名が先ぃあったと。

まことにお恥ずかしい日本語でした。
仰有るとおりです。
プリンス・オブ・ウェールズという英国皇太子の称号は、
この地にちなむ、と書くべきでした。

よいよい英国特派員さん
>コンウオール地方のティンタジャル城はウエールズでは

く、南イングランドの西端部にあるようですよ。
私も下記 H/P で知りました。

早速のお返事を有り難うございました。
お知らせいただいたURLの画像、ああ、35年前にこれ
を見ていたら、という思いが募ってきました。
ティンタジェル城(スペルを見るとティンタジャルじゃな
いようですね)の廃墟とアーサー王と王妃の墓があったと
言われる修道院跡の写真はもの凄く荒涼としていてゾクゾ
クとさせるものがあります。
アーサー王は伝説上の人ですが、ちゃんとこのようにゆか
りの地が指定されているのですね。
アーサー王伝説のHPがあるとは知らなかったです。もっ
とも当然あって然るべきと思うべきでしょうが。
冒頭の英国の地方を色分けした地図は鮮明な色分けで区分
が明確に解りますね。
そうか、英国はスコットランド、北アイルランド、ウェー
ルズ、コンウオール、イングランドと大きく分かれるので
すか。
"South Cadbury"の丘が、アーサー王の宮廷のあったキャ
メロットであったという説は有力。という記事にまたもや
ゾクゾクとしてしまいました。(風邪引かないよう気をつ
けよう・・・)
久しぶりに若き日の憧れを思い起こさせてもらいました。

興平殿
>MR.ヒサオーモ・リワキーノ
この名前が気に入っている様だね?

貴族フナンツ・フォン・シューユーカン殿が名付けてくれ
たヒサオーモ・リワキーノの名も気に入ってはおります
が、和尚さんの紹介してくれた検索エンジンで自分の名前
を検索し、ビビってしまったのです。

>ところで、山城先生にお伝えあれ!
先日、(1ケ月にもならないと思う)、店の閉店時寸前に
ぶらりと店に来て、初めて話をしたが、Eメールが出きる様
になったと言う事で、私のEメールアドレスを書いたもの
を渡して、『帰ったら、必ずメールを入れる』約束をした
が、そのまま連絡ありません。

私に対してもそうです。未だに彼のメールアドレスを知り
ません。
26日に別れるときも約束させたのですが、はてさて実行
してくれることやら・・・
メールの送信の仕方を知らんのとちゃうやろうか。

Eguchi君
>NHKの番組が偶々私が関西出張中にBS2で放映されてい
て、
そのビデオを家族が撮っていたのを今しがた観たら、
まさしく、コーンウオールのその城を訪ねる映像が
含まれていた。

このHPに発言するとなぜか関連の事態が起きることを私
はかねがね不思議に思っているところです。

中世におけるヨーロッパの街路は糞尿だらけだった、と書
いたら翌日に新聞でそのことに触れた「パリ大事典」の紹
介記事が載ったし、光厳院のことを書いたら、和尚さんは
知らずして光厳院が生涯を終えた常照皇寺に行くし、コン
ウオールのティンタジェル城のことに触れたら、早速、N
HL番組で放映された関連の画像を江口君のご家族が録画
しているなど、いずれの事項もそう簡単に話題になる話し
じゃ無いだけにあまりにも確率の低い偶然が重なって気味
が悪いくらいです。
私には予知能力があるのだろうか。修験道もやっているこ
とだし。

> 近いうちにダビングして送る。
期待して待て! 

有り難い!大いに期待しておりますぞ。
しかし、「ハーリーポッター」って今凄く人気があるよう
だけれど、アーサー王伝説にも触れているのですか?
それなら読まなきゃなりませんな。(私、へそ曲がりなの
でベストセラーと聞くと急に読書欲をそがれるのです。一
喜君もそう)

らんらんより (らんらん@)
01/04/29 午後 10:48:58
同士リワキーノさま
私もゴールデンウィークは奈良吉野の穴埋めにせっせ働い
ておりますよ。画像系拝見いたしました。関西のお集まり
なにやらめちゃ楽しそうですね。いくつになっても笑顔が
皆可愛いですね。

花めずる姫より (hana@hana)
01/04/30 午後 12:34:08
和尚さん
お尋ねの花は姫うつぎではないでしょうか(別名うのは
な)

山の花の本によりますと

姫うつぎはなんとなくはなやかなロマンの香りを持ってい
て、ホロホロと散り敷くさまは実に華麗というか賑やかさ
がある。花は散る為にさくなどという当世のプレイボーイ
好みの花とでもいおうか。
とありました。
森の熊さん正解ですか?

ヒサオーモ・リワキーノより (kougonin@fan.ne.jp)
01/05/01 午後 7:43:26
和尚さん

今日、常照皇寺へ行ってきました。
想像以上に素晴らしいところでした。
2時間もの滞在中、光厳院さまをひしひしと身近に感じま
した。
花は・・・さっぱりでした。
しかしそれ故に緑の美しさがことさらに感じられ、光厳院
さまらしい内省的な雰囲気を味あわせてもらったのだと思
います。
本当に心を浄化されました。
和尚さんの紀行文が無かったら多分、こんなに早く光厳院
さまのそばに行けなかったと思います。
有り難うございました。

花咲爺より (hana@sakajiisan.com)
01/05/01 午後 9:18:21
花めづる姫

あの清楚な白い花は、姫が言われるようにヒメウツギで間
違いないでしょうな。
関東以西、四国、九州の産地に生ずる落葉低木。ウノハナ
(宇花、宇能花、
宇能波奈など)として、万葉人にも愛されていたらしい。

五月山(さつきやま)卯の花月夜ほととぎす聞けども飽か
ずまた鳴かぬかも

鶯の通ふ垣根の卯の花の厭(う)きことあれや君が来まさ


らんらんより (らんらん@)
01/05/01 午後 10:12:20
最近のHPは大作揃いで感動感動の嵐です。
編集長の奈良吉野紀行
和尚さんの常照皇寺
リワキーノさんの大峯奥駆け
画像も文章もプロ顔負け
みなさんなみなみならぬ才能をおもちですね。
連休は大人しく家におりますが(雨も降ってることだし)
HPを見ているだけで大旅行した気分です。

花めずる姫より (hana@hana)
01/05/01 午後 10:20:55
花咲爺さん
あなたはなかなかの教養人のようですね。
えびのの熊ちゃんじゃないでしょう。

万葉集はひもといたばかりなので余り詳しくはないのです
が、おおらかで率直なところがぴたっときます。

花咲爺より (hana@sakajiisan.com)
01/05/01 午後 11:41:39
花めづる姫

やはり、細かいことですが、花「めづる」姫で「めずる」
姫ではないでしょうな。文法は得意ではなかったが、未
然形は「愛で」ですから、連体形は「愛づる」の下二段
活用。万葉にも、

黄葉(もみちば)の散らふ山辺ゆ漕ぐ船のにほひに愛でて
出でて来にけり

という歌がありまする。

和尚より (osyou@yoiyi.com)
01/05/02 午前 12:02:04
らんらんさん、花咲爺さん、ありがとう、
gogleで、姫うつぎを検索しましたが、
画像が小さくてもひとつ不納得。
ただ、わたしの思う「卯の花」は、別名「万てい
し」。これとは、まったく別とは思います。

リワキーノくん、花に逢えずに残念でした。
吉野、錦水亭と木の花、人の花に逢えたからもって瞑
すべし。また、来年の楽しみに、、、、。、

明日は、我が家で、物集女の筍を食します。
まだ、席に余裕はあります。誰か来る?

駄才より 
01/05/02 午前 12:53:35
>最近のHPは大作揃いで感動感動の嵐です。
>編集長の奈良吉野紀行
>和尚さんの常照皇寺
>リワキーノさんの大峯奥駆け
>画像も文章もプロ顔負け
>みなさんなみなみならぬ才能をおもちですね。

まったく同感です。それに加えてよいよい英国特派員君のウエールズ便
りも美しい写真紀行です。今日はリワキーノ君の修験道の旅を
ゆっくり読もうと思って、印刷したらなんと11頁にもな
りました。長編力作。
吉野、常照皇寺、修験道の世界、それにウエールズと、
私には未知で無知な世界でしたが、このHPのお陰で視
界が広がりました。感謝。

※初めてこの談義を読まれた皆さん方は、西行や芭蕉、
吉野ツアーカンパニー、花咲爺さん、とはいったい誰だろう、
と興味津津のことと思います。
この談義からだいぶ月日が経ったときに、それが判明したのです。
何と!最後に書き込みをしている駄才小寒さんがその人でした。
この御仁、高校時代に文藝部の部長をやっていたという
文藝趣味の男ですからなるほど、とうなづけるのですが、
それでも私達はまさか、と思ってました。