リワキーノ様 from吉野ツアーカンパニー
残業をして、もうそろそろ帰宅しようと思いましたが、ふと以前私どものツアーをご利用頂いた「よいよい会」の皆様のことが気にかかり、伝言版を開いてみました。そしたら、

>今西行さんは今ごろ吉野山どころか、まだずっと奥の
大峯山上ヶ岳に向かってすたこらさっさと逃げていかれ
てるのではないでしょうか?
>私の厳しい追及に恐れをなして。

という文が目に留まりました。さすが、よいよい会様は勘が鋭くていらっしゃいます。西行さまは確かに今はもう山奥に入られて、私どももお会いすることが叶いません。ただ、以前、朝早く庵の傍の木に籠をぶら下げてサッカーボールを抛り投げておられるのを、誰かが見たという噂が流れたことがあります。
西行さまのことがまだそちらでは話題にのぼっていらっしゃるご様子なので、近況をお知らせ致しました。

リワキーノさま from吉野ツアーカンパニー
いつもご贔屓にして頂いて有り難うございます。
ところで待賢門院璋子さまの璋子の呼び方について、西行さまへお尋ねですが、先にも申し上げましたが、西行さまはすでにご入山され、お答えを頂くわけには参りません。また、たとえ西行さまにお会いする機会があったとしても、待賢門院璋子さまについては何もお話にならないと思います。

しかし、たまたま会社に角田文衛『待賢門院璋子の生涯』朝日選書という本がございまして、それを眺めておりましたら、ちょうどご質問の回答になるかと思われる箇所が見つかりました。差し出がましいとは思いましたが、ご参考までにお知らせ致そうかと、キーボードに触れている次第です。

著者によれば、璋子の璋は圭壁(天子が祭祀の時に用いる玉)のことで、訓読みはタマであるから、「タマコ」と呼ぶのが正しいそうです。平安時代における・・・子型の女性名は、すべて訓読みをしたというのがその根拠のようです。したがって、著者は通常呼ばれているショウシと音読するのは誤りだときっぱりと言い切っています。(選書版あとがきより)。

しかし、私どもには「平安時代における・・・子型の女性名は、すべて訓読みをした」というのが正しいのかどうか確かめられませんでしたので、これ以上の言葉は慎ませて頂きます。それでは、リワキーノさま。夜も更けて参りましたが、あまり深酒をなさらないようお気を付け下さい。いや、これは余計なお世話でございました。

ヒサオーモ・リワキーノ様 from吉野ツアーカンパニー
お久しぶりでございます。お元気でいらっしゃいますか。先日は当社についていろいろとご質問やご批判を賜りまして、有り難うございます。それらすべてにお答えできるかどうか自信はありませんが、お詫びも兼ねてお返事を差し上げる次第です。

>山上ヶ岳の西行さまのところにノートパソコンを置いてきて下さい、と頼んだのだけ
>れど、やってくれたのかしら。

確かに御依頼の通りノート型パソコンを山上ヶ岳に置いて来ました。そして後日確認をするとなくなっておりましたので、私どもは西行さまが持ち去られたと思っておりました。ところが、

>今西行さんは町に戻られているみたいですよ。
>人の望みの喜びよ、と言う多くの人の願望をどこ吹く風とばかり、ゲートボールを
>やっていたなんて、もうガックリくるじゃないですか。

仰せの通り、パソコンを持ち去ったのは西行さまではなく、私どもが時折仕事を依頼する御存知花咲爺さんでした。あの爺さん人は悪くないのですが、御案内の通り軽率なところがありまして、西行さまに倣ったのか、そちら様の伝言板に顔を出して、あることないことあれこれと得意そうにべらべら喋っているようで、私どもは苦々しく思っておりました。ところで、

>いっぱしの旅行会社を名乗るにわか造りの事務所でキーボードを打たれる
>西行法師の像、シャーロック・ホームズ物の「赤髪組合」のシチュエーション
>を連想いたします。

リワキーノ様は私どもの会社と同じように純和風のお方かと思っておりましたら、かのイギリスの名探偵にご言及なさるなんて、なかなか憎い、いえ粋な方でございます。実は、爺さんいつぞやアガサ・クリスティ様と名乗られる女性探偵の方に追求されたことがございまして、あの時はハラハラ致しました。しかし、それは何とか切り抜けたようですが、自分の歳も考えずに次世代型伝言板にまで登場するようになるともういけません。大きな顔をするようになったので、これ以上御迷惑をおかけするといけないと思い、呼び戻していたところでした。
という訳でございますので、

>もう、ばれているのですぞ。貴殿が今西行であることは。

は誤解であります。すべては花咲爺さんがパソコンを持ち出したことからおきた混乱でございます。爺さんも山に戻ると言っているようですから、これ以上、御迷惑をおかけすることはないと信じます。ただ、あの爺さんは根っからの花好きですから、自分の後をどなた様かに委ねていこうと必死になっているようですが、さてどうなることですか、私どもも半ば呆れながら様子を見守っている次第でございます。長々と書きましたが、リワキーノ様これでご満足頂けたでしょうか。

吉野ツアーカンパニーさん from花咲爺さん
いくらお得意様のリワキーノさんに追求されたからといって、何も私がパソコンを持ち去ったとか、西行さまと偽っているとか、べらべら白状することもなかろうに。吉野ツアーカンパニーはそんな薄情な会社であったのか。私だって花見の季節になると老骨鞭打って木によじ登り泣く泣くポチの骨灰まいて、もとい、まくふりをして、あなたの会社に貢献しているではないか。それなのに何ですか、あのリワキーノさんへの諂いは。
折角、よいよい会の皆さんは私のことをほとんど西行さまだと思って下さっていたのに、爺の儚い夢は消えてしまった。爺の夢?それは西行さまや最近の塩爺ブームとやらにあやかってファンを獲得しようなどという矮小で不埒な夢ではござらん。爺の夢は、数々の物語を生み出してきた西行伝説に新たな伝説を付け加えることであった。西行さまが今この世界に、どこからでもいつでも同時に訪れることのできるこの電子世界に、花咲爺として蘇ったと。
しかし、もう何も言いますまい。パソコンはお返ししましょう、いや威張って言うことではありませんが。ポチも待ち草臥れている頃じゃろう。もう本当に帰った方がよさそうです。そしてまた来年の春には花を咲かせに参りましょう。それまでは夢の中で。

花あれば花咲爺も夢に出て 角川春樹 句集『花咲爺』より

ああ、危うく忘れるところであった。一つだけお願いがあります。そちらで誰か花の歌を紹介してくれる人を探して下さらんか。在原興平殿とやらはお絵描きにお忙しそうだし、呼びかけていた天婦羅殿からはなかなか応答がありません。申し訳ありませんが、そちらで探して下さらんか。この際無名の人でもよいではありませんか。差し出がましいようですが、例えば花野歌吉なんかはどうでせうか。