楓花さんと正岡子規

 ”音楽を楽しむ会”の忘年会でエンジェルハープの演奏をして下さった楓花さんのことを
もっと皆さんに知っていただきたいのでここであるエピソードをご紹介したいと思います。
 楓花さんは今年の9月にあるコンクールに出場しました。
 このコンクールの件は、今年11月に楓花さん宅にピアノを調律しに行ったときに聞い
た話ですので細かいところでの正確なデーターは提示できないのですが、おおむねは
下記のような話しなのです。

 まだお母様の容態が悪化する前のお盆過ぎのころ、楓花さんは新聞で正岡子規記念
館主催(NHK松山放送バックアップ)の「子規の短歌に曲を付けるコンクール」の募集広
告を見つけました。
 楓花さんがメロディさえ聞けばすぐに伴奏ができるのと伴奏曲を自由自在に移調して弾
くことができることは去年の忘年会で私も初めて知ったのですが、彼女は即興演奏もで
き、今までにかなりの曲を作ってきているのです。
 そして彼女は正岡子規の短歌が好きで短冊や掛け軸のようなものに筆書きして壁に飾
っているのです。
 彼女は主催者に問い合わせて子規の短歌作品集を送ってもらったところ、彼女の好き
な藤の花を詠った短歌が5つほどあったのです。

瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり
瓶にさす藤の花ぶさ一ふさは かさねし書(ふみ)の上に垂れたり
藤なみの花をし見れば紫の絵の具 取り出で写さんと思ふ
藤なみの花の紫絵にかかば こき紫にかくべかりけり
瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の床に春暮れんとす

 これら5つの短歌のうち3つに楓花さんは作曲をしたのですが、その経緯は彼女のメール
の文章をご覧になって下さい。

5首載っていたので一度自分で紙に書いてみました。
その紙を毎日暇な時に眺めてました。
そのうちに1,2,5つめの3首が映像としてつながって見えてきました。
なんとなく音のイメージも浮かんできました。
それから初めてピアノの前に座り音作りだったと思います。
前にもお話しましたが私は楽譜に書いて作曲していくのではなくいつもピアノを弾きながら・・
遊びながら・・?作曲もどきをするのですが今回は初めて歌詞に音をつけるので五線譜を
楽譜立てにおきました。
メロディー譜だけですが書きました。
日付が8月28日と記してあります。
ピアノに座ってからメロディーはその日すぐに出来た思います。
それから前奏、間奏、後奏等いつもの如くパズルのように思いついたままバラバラに・・あ
ちらさわればこちらが変わりという感じで粘土細工を作る感じかなぁ・・?
いつも気がついたら、あらできたわ!と
ホントにいいかげんなものです。
で、なんとなく仕上がり毎日ちょっとずつ変わりながら一人弾き歌いして楽しんでました。


 ところが、楓花さんはこの時点ではコンクールに応募する気は無かったそうです。
 次のように述べておられます。

まだ応募することなんて考えてなかったです。
まあ録音だけしておこうかなと100円位のカセットテープに録って母に聴いてもらったのが
9月4日です。
もうあまりお話は出来ませんでしたが「いい曲?」の私の問いかけに母は大きくうなづいて
くれました。
次の日の朝,牛乳にひたしたカステラを少し食べてくれたのが最後でそれからほとんど食べ
られなくなりました。
12日の夕方大きなあくびを2回して安らかに息をひきとりました。
ひどい演奏に録音でしたがお通夜、告別式で流して頂けたので母が喜んでくれたと信じた
いです。
葬儀等あわただしい日々でテープの事など忘れてました。


 ところがお兄さんが、せっかく作曲したのだから応募してみては、と強く勧め、お兄さんが
そのテープを投函されたそうです。そうしたら9月末ころ、テープ審査の予選を通過して本
選に彼女の作品が残ったという嬉しい知らせがNHKから届いたのです。
 ところが本選の決戦ライブは松山で行われ、作曲者が自ら出場して演奏しなければなら
ないそうで、新幹線でさえ一人で乗ったことのない楓花さんは飛行機なんかとても乗れま
せん、行ったこともない松山なんてとても行けそうにありません、考えさせて下さい、といっ
たんは電話を切るのです。
 快諾の即答をもらえなかったNHKのスタッフも呆れたでしょうが、楓花さんの周囲の人た
ちの方がもっと呆れ果て、彼女を説得いたします。
 そして彼女がいつも朗読の伴奏を引き受けている朗読家の西野優子さんが、「私が一緒
に行ってあげるから出場しなさい!こんな滅多に無いチャンスをもったいなさすぎる」と強引
に説き伏せて、ついに楓花さんは本選に出場する決心をし、松山に行ったのでした。
 出場者は往復の交通費からホテル代まですべて主催者が持ってくれるのですが、西野
さんの費用は当然、こちら持ちです。
 そして、本選会場に行ってみると、出場者には音楽関係の先生やセミプロの作曲家、グ
ループもおり、楓花さんのように自宅で安物のテープに録音する人もいれば、ちゃんとした
スタジオでCDやMDに録音して送ってくる人もいることを楓花さんは知るのでした。
 本選で楓花さんは自分で歌いながら曲を弾きました。人前で弾くのは場数を踏んでおり
ますから、彼女はきっと落ち着いて演奏できたのだろうと思いきや、そうではなかったよう
でして、これも彼女のメールから引用すると、

 正反対です!!ピアノは何回か舞台は経験していますが生まれて初めての弾き歌いです!
それはドキドキで当日この食いしん坊の私が胃がきりきり痛み胃薬、頭痛薬・・いろんな薬
を飲み続け何ものどに通らず西野さんも呆れておられました。
 で、本番はひどいひどい演奏で声は全然出ないし人前で聴いていただくような歌ではあり
ませんでした。客席でずっと見守って下さっていた西野さんによると演奏が終わるやいなや
私はピアノの前にまだ座っているのに大き〜なため息をついたと大笑いされてしまいました。
 審査員の先生方も「かなり上がってたみたいだねぇ・・」とおっしゃっていた事を次の日NH
Kの方からお聞きしました。


 しかしコンクールの目的は演奏技術ではなく、曲の出来具合が云々されるのです。
 そして最終審査でグランプリは他所のグループに持って行かれましたが、楓花さんは何と
5人しかいない次点の銀賞に輝いたのです。
 市井でひっそりと音楽活動をしている無名のピアノ教師が全国から応募してきた人たちの
中で最終の6人の一人となったのです。
 私はそのお話を聞き終わったとき、涙が出てくるような感動を覚えました。
「これはお母様に長い年月付き添って面倒を見てこられたあなたへの天が与えてくれたご
褒美だと思いますよ」と私が申しますと、楓花さんは「そうかも知れません。私は母がそのよ
うに私にしてくれたと思っております。丁度松山に行けるように見計らったかのように母は
みまかりました」と答えられたのです。 
 私も本当にそのとおりだろう、と思いました。
 楓花さんのお母様は、自分の娘がプロのピアニストになること、プロのピアノ教師になるこ
とを望んだのではなく、ずっとピアノを弾き続けてくれることをのみ望んでいた、ということを
お聞きしております。娘の弾くピアノの演奏に横たわっている床の中から「ブラボー!」という
かけ声をときどきかけてくれていたくらい、娘のピアノ演奏を楽しみにしていたのです。もう
先行き長くないと悟られたとき、ピアノを愛し、音楽を愛し、詩文を愛する娘を思うお母様の
無意識の祈りが天に通じたのではないでしょうか。

西野優子さんのこと
 そして私はここに楓花さんの友人である西野優子さんのこともご紹介しておきたく思います。
 楓花さんは同じメールで次のように記されています。
西野さんがずっと応援後押しして下さいました。テープ審査に通った時も自分の事のように
喜んで下さいました。それに松山に行けたのも西野さんのおかげでとても感謝しています。
 西野さんはプロの朗読家でして、朗読や子どもから社会人にかけて幅広く、朗読の指導
などをなさっており、ひょんなきっかけから楓花さんと知り合って彼女の作曲した曲に魅了
されてからは朗読の伴奏を楓花さんに依頼されるようになったのです。
 私がなぜ西野さんのことをこのように紹介するかと申しますと、実は先月楓花さんのピアノ
を調律したとき、西野さんの朗読のCDを聞かせてもらったのです。その中で楓花さんの作曲、
演奏と西野さんの朗読による二人の協演の素晴らしさに私は深い感銘を受け、これは是非、
今年の”音楽を楽しむ会”の忘年会で二人の協演を修猷館同窓会の皆さんに聞いてほしい
と思いましたので記す次第です。この願望を楓花さんを通じて西野さんに伝えましたところ、
西野さんは喜んで参加してくださるようなご様子でした。
 この件については平岡さんにメールで問い合わせましたところ、大歓迎、というお返事を頂き
今年の忘年会のレポートのようになりました。

 西野さんのプロフィールは彼女のホームページで次のように紹介されております。
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元KRY山口放送アナウンサー
上阪後フリーとなり、CM及民放各局の番組に出演。
OBC「水本貴士のオオサカ1310」「バンザイ歌謡曲」
FM大阪「メッセージフロムJ」ABC「歌謡リクエスト」 KTV「今日の料理」その他多数 
CM、ナレーションの分野でも活躍中。
各市町村広報ビデオ ・ ダスキン、グンゼ、松下電器、関西電力
国税局、毎日新聞、朝日新聞、大阪歯科大ほか各学校案内その他
式典(成人式・敬老式典)、音楽祭等の司会もてがける
国際航路会議、エメックス’90、大阪府民生委員児童委員大会、堺市、守口市等の式典司会、
披露宴、イベント司会多数近年は児童の音声表現指導を手がけ、成人の朗読講師としての
活動にも意欲的に取り組む。
1993年より馬渕教室各校にて7年間にわたり児童音声表現インストラクターのチーフとして
指導に携わり、発表会のプロデュースも手がける。
その他守口市保健所、豊中市教育研究会にて講演並びに教師研究会ワークショップ。
寝屋川市にて成人対象の「朗読クラブことのは」講師として活躍中。