危機一髪で津波から逃れることのできたR-Juneさんのお姉さん by R-June

26日午前 姉は帰国の便にのるため空港に向かうタクシーの中にいました。
突然タクシーの運転手が海を見たあとに慌てて何か言い始めました。英語がしゃべれない
彼は「逃げろ、逃げろ!」と言っているような気がしました。海を見ると確かになにかおかし
い。そしてトランクにある荷物を取る暇もなく、とにかくパスポートだけ持ってひたすら高台
のほうに走り登りました。そして上から、たった今まで乗っていたその車が濁流に流されて
いるのがみえました。

この旅行は姉にとって「リセット」の旅行で、アーユルベーダという心身浄化の意味が強い
スリランカのエステティックを受けるための2週間の旅行でした。
それが最終日に津波に遭ってしまいました。

幸い、ホテルからまだ5kmのところだったので、チェックアウトしたばかりのそのホテルに歩
いて戻ると、海岸近くにあるホテルは逃げ込んだ人で混乱していました。
こんな状態で部屋がなくて当然です。それでもホテルの人は居場所のない姉に何とか小さ
な部屋を確保してくれて、何ももたない姉に下着を差し入れる心遣いまでしてくれました。
世界各国から来ているそのホテルの客たちは、偶然居合わせた人たちで皆励まし合って
いたと言います。自分は医者だからとスイス人は、見ず知らずの人たちに治療を申し出た
り、姉には精神をリラックスさせるハーブをくれたりしたそうです。姉は姉なりに日本からき
た人たちのため、通訳して世話をしたりしたようです。

それでも、こういう災害時には人のエゴが露わになります。
できるだけ多くの人に寝る場所を提供するため奮闘するホテルに、後からきた日本人ツア
ー客が「俺は金を払ってる客なんだ。値段に見合わないサービスがないのはどういうことな
んだ!!」と部屋の変更をお願いしたホテルに食ってかかり、あげくには見ず知らずの姉
をつかまえてそれを「通訳しろ」などと言ったり(もちろん、姉ははねのけました)。命からが
らパスポートすら持ち出せず逃げた日本人につきそって、惨劇の爪痕のこる道を歩いて日
本大使館に行くと、しばらくろくな食事をしていない人たちの目の前でくばられたお弁当は、
なんと大使館職員のみしか与えられなかったり。

日本政府には大きく失望しました。
私は津波の一報を受けたあとすぐ、日本大使館に連絡をとり現地のホテルや近隣のホテ
ルなど、姉の宿泊場所確保や食事、帰国の方法などあらゆる手をつかってでも手配しよう
としました。民間でヘリコプターを飛ばせる現地企業があるかどうかも調べました。在スリラ
ンカ日本大使館にもメールや電話で連絡をとり、姉の安否状況など伝えました。そして、せ
めて姉の状況確認でホテルに一報を入れて欲しいと懇願しました。
しかし、日本大使館からは全く何も連絡すらありませんでした。
姉にも、私にも。
同じホテルにいたイギリス人には、イギリス大使館からその日中に安否確認の連絡が入り
、すぐに帰国の手順が伝えられ大使館が手配したヘリコプターで空港に行き、大使館が確
保した飛行機の席で帰ったというのに。
同じホテルの他の国々の人たちは、日本は何という国だと憤慨していたと言います。

その場にいる姉が自国に思う恥や憤りは、安易に想像できます。しかし姉はおそらく私と
同じように振る舞ったと思うのです。
不満に思ったりやっかんだり、自分を不幸だと思ったりするのは、今ただでさえ人々の不
安や混乱が渦巻く中で選ぶべき態度ではないですから。

結局は荷物が入っているだろうタクシーを探すのにトゥクトゥク(自転車タクシー)を無料で
ホテルが出してくれて、運良く荷物がみつかり、そして飛行機の手配も土砂で遮断されてい
た空港への道の確認も、すべて周りがしてくださったようです。