海を目指しました By R-June

01084 海を目指しました 投稿者:R-June  投稿日: 8月 9日(月)18時53分8秒

この週末、えいやっと、ひとり、鹿児島に行って来ました。
今朝、京都に戻ってきたところです。
決断したのが木曜日夜。金曜日のランチタイムで家に戻って準備をして
夕方早退して土曜日仕事を強引に休み、新幹線と特急を乗り継いで、
土曜日2:00amに鹿児島到着です。

鹿児島は5年ぶりです。

5年前の今、私は3ヶ月ほどヨットで鹿児島以南の島々、
沖縄をめぐって旅をしました。
それから陸地に上がり、ばっさりヨットの自分と別れました。

屋久島以北に三島という三つの島があるのはご存じでしょうか。
竹島、黒島、硫黄島 という三つの島々からなります。
鹿児島山川沖から硫黄島までのヨットレースがあるのです。
私が初めてヨットで外洋に出たレースでした。

早朝、かつては毎日通った港そばにある温泉銭湯に行き、
裸体のおばあちゃんの話す鹿児島弁に、5年という年月を越えます。
かすかに硫黄の混じった、しょっぱい熱いお湯を頭から一気にかぶりました。

もちろん急に決めたので、ひとりで連絡船で海を渡ります。
大型船の強引な速さに、とても申し訳ない気持ちになりながら
名前の聞き馴染んだヨットを追い越して硫黄島に到着しました。

名前の通り、硫黄島は硫黄ガスの吹き出す島です。島のすそは硫黄で
海がどっぷりと黄土色になり、黒潮とまじりあったその行く手は
エメラルドグリーンのスカートを纏ったような島です。

降りたってすぐ、島の山上にある岬に足を運びました。
炎天下の日陰をつくるものなど何もない中、
ひとり、独り、もくもくと1時間歩きました。
カネブンがぎらぎらと激しく飛び回るのを、もうろうとして
目のはしで捉えます。
痛ましいほど熱く照り注ぐ太陽の光を、この瞬間は全部私が
受け止めている気がして、逃げずにただ歩きました。
                (長くなりそうなので次回に)

01097 海を目指しました 2 投稿者:R-June  投稿日: 8月10日(火)17時33分25秒

道ばたの色濃い草群が途切れ、突然眼下に海が広がります。
黄土色からエメラルドグリーン、ディープブルーの黒潮がグラデーションとなって、果てない
青海に彩りを
与えています。遠くに見えるのは屋久島。雲をかぶることなく島全景がはっきりと見えるの
は、本当にめず
らしいことでした。手前には密林のような緑が波打ち、その向こうには硫黄ガスをはき出す
黄色い岩山が
そびえます。

時間は13:15。 時計をはずしました。
10kgはあるだろうバッグを道路に降ろし、暑さと爽快さが一緒くたになっためまいに、しば
し全ての動きを
止めて目を閉じました。
1、2、3、4、5秒ゆっくり数えてもう一度目を開けてみます。
光の強さ、緑の強さ、碧の強さ、大地の強さ、すべてが一気に飛び込んできて、たまらなく
嬉しくなりました。
島にいるんだ、私 という実感です。

熱いので座ることもできず、ただ立ったままそこで1時間、白く光るヨットがぽろぽろ港に入
ってくるのを眺めていました。

今回、このミシマカップには40艇あまりの参加がありました。
6:00 amスタートのこのレースは、特に錦江湾の中では風が吹かないことで有名です。今
回もスピンスタートでした。(スピンとは、後ろからの風に使うカラフルなセール。微風の場
合が多く、後ろからの風なので対面風がなく、船上はとても暑い時を過ごすことになります
。常に風を読んで微調整が必要なので手間と技術が要ります)
あまりに進まないレースに、リタイア(エンジンをかけはじめる)したヨットも多かったそうで
す。
港に降りると、5年ぶりに見る顔があります。
以前とてもお世話になったヨットも来ています。
ヨットでは来なかった自分が、よそ者のように感じられて近づけません。
港からすぐのところにある公営のお風呂に逃げ込みました。
汗と一緒に、都会の臭いとかいろんなものを一気に洗い流したくて。
陸地では1秒でも無防備に紫外線にあたることを忌み嫌っている私ですが、今はお風呂
場の鏡に映る生っしろい身体が恥ずかしく思えました。

              (いつ終わるのか、長くなります。次回へ)

01114 海を目指しました 3 投稿者:R-June  投稿日: 8月12日(木)13時35分44秒

浴場にはヨットから降りた人たちがどんどん入ってきます。
今日の昼間、ヨットの上で陽の光をいっぱいあびた小麦色の手足。
でも胸部や臀部はやけに白くて、パンダのようだ と思いつつ
ちょっと滑稽な色合いのその肌がただただ羨ましく、のぼせるまで湯船から眺めます。

そこに「ルリちゃーん、久しぶりねー。元気しとったかねー。
    ちょっとそこで涼んどって。一緒にお祭りいよーよー。」 
5年ぶりに会う友人の声に、一瞬で私はよそ者でなくなります。
あったかいです、人は。 鏡に映った自分の顔に、笑みがありました。

ミシマカップは、三島村の夏祭りに合わせて毎年開催されます。
ヨットを全国から集め、黒島・硫黄島・竹島の島民が総出で祭りを盛り上げるのです。
夜店に花火、抽選会にステージ。今年は全国大会で優勝もしたという
小学生ジャズバンドが来てくれていました。そして何より、ジャンベという
アフリカン楽器の音色がとびきりクールなママディ・ケイタショーがあるのです。
三島の子供たちは「ジャンベ・スクール」をつくってママディさんの指導のもと、
毎年この祭りで「競演」します。なんか、いいでしょう! 
抽選会の一等は、二等三等の電動自転車や液晶テレビを押しのけて、
三島産の牛一頭だったりするところも、なんかいいでしょう!

なんて、なんて、いいんだろう、こんなお祭りは。
来るたびにあたたかいものがぎゅっとこみ上げてくるお祭りです。
濃縮したあたたかいものが、まだ自分の胸の内に前と変わらず確かにあることを
気づかせてくれる、そんなことに感謝します。
祭りが進むにつれて、静かに私も興奮状態になってきました。 泣きそうです。

            (本当に長くなりました。ごめんなさい。次回へ)
01116 海を目指しました 4 投稿者:R-June  投稿日: 8月12日(木)16時02分40秒

1997年の夏、大阪で偶然出会った鹿児島のヨットセーラーに誘われ、
ミシマカップで初めてヨットに乗りました。はじめての世界です。
まるで昔あそんだ「ドラゴンクエスト」のごとく、船で大陸と大陸を渡り動くことが
当たり前の人たち。その肌の灼けすぎ具合に、最初目をまるくしてしまいました。

灼熱の太陽とデッキの輝く白さ、底の見えない素敵に深い青海。
揺れ動くセイルは風の化身。瞬くごとに変化する海のサーフェス。

ぬらりぬらり。さわさわ。かくかく。どぽんどぽん。

波がこんなにいろいろあるなんて!  
大好きな雲のながれを、こんなにも独り占めして眺められるなんて!
まちがいなく、私は海に恋をしました。

私は富山市の新興住宅区域で「今日の立山はきれいだねぇ」と毎日望む育ちをしました。
町内何百人みんなが私の成長を知っていて、私もみんな顔みしりでした。
勝ち気な女の子がとても多い近所で、ケンカと仲直りを日々飽きずに繰り返し、
そのなかでも私は飛び抜けて気が強かったと今聞かされます。
芝庭のある小さな一戸建ての家には、ガーデニングが好きな父が色とりどりのバラを
丹精して植え込み、負けずに母はハナミズキに水仙、ボタンにツツジ、あじさい、
スズラン、金木犀など。そして柿にブラックベリー、枇杷、ブルーベリーがありました。 
決して裕福な家ではありませんが、私が望むかぎりのものはすべてそこにありました。
強情で頑固な父に、同じ事を何度も言う口うるさく涙もろい母、
「もう一回やったら縁切ってやる」と何千回私に言わせたほどからかうことが大好きな姉。
ケンカはもう絶えません。
海に行くといっても石川の海水浴場。川に行くといっても神通川でグミとり。
山といっても立山連峰にトロッコを使ってハイキング程度。
二県またげば、それはもうビッグジャーニーのごとく感じる「一般家庭」です。 
特別、大自然に対して感性豊かに育てられた環境というわけではありませんでした。

ヨット界にはいろんな人がいます。3つに満たないときから船で外洋に出ていた人。
情熱を胸に独りヨットで世界一周を成し遂げた人。島育ちで海の厳しさを
生活のすべてでわかっている人。海にひたむきな探求心をもった学識ある人。
ヨットや海の動きに哲学を見出している人。14のまだ幼い時に海の上で数ヶ月
独りで過ごし、命をかけて海との対話に真正面から向き合った人。 
それを喜びとしている人たち。
その人たちにとっては、それが「当たり前」なのです。

ふつうの陸地、住宅地育ちの私にはその「当たり前のもの」すべてが「とびきりのもの」でした。

わからないから、私はすべてがすごいと思いました。
海が大きいこともすごい。青いこともすごい。風が生まれることもすごい。
太陽が肌を灼くこともすごい。こんなに海が塩辛いことがすごい。
ヨットを操る人がすごい。海に生きる心意気がすごい。
それを感動と言うかはわかりません。でも私は「そこに在るモノ」として
全部受け入れる心境になりました。
「在る」こととは、なんてすごいことなんでしょう。

私は今も昔も、ヨット界の人たちと自分に何か違いがあると思ったことがありません。
それが、前に述べた育ちをしたからこその、私の強みです。
「特別」や「違う」と思うのではなく、ただすごいと思うのです。
海であろうと島であろうと山であろうと、東京であろうと京都であろうと
アリゾナであろうとインディアン居住地区であろうと、
人がそこにいるならば、人に馴染んで大自然(大都会)への扉を開け、
心ふるわせる経験をしたいと私は思うのです。そういう人でいようと思うのです。

海への経験は、私のそういう指針に光を与えてくれました。

     (話がずれています。書いたので載せますが直に消しますね。 次回へ)
編集済
01117 海を目指しました 5 投稿者:R-June  投稿日: 8月12日(木)19時29分41秒

祭りが終わりに近づきました。花火を見上げます。

5年前、3ヶ月もの旅の間乗せていただいたヨットのオーナーと顔を合わせました。
あれ以来ぶりです。
学生から社会人へ。周りからの目が「女の子」から「女性」へと変わっていった、
私が彷徨っていたあの頃。幼いわがままさと傲慢さをぶつけてしまった相手です。

このオーナーへの後悔で、私は5年前、海から離れることにしたのです。
海への想い、島への憧れ、自分の醜さ、彼への怒りと心からの感謝。
すべてが入り交じって、私は海にそんな自分をさらけ出せなくなったのです。
これ以上、もうこれ以上は。。。。
大好きな海だからこそ、大好きな島だからこそ、大好きな人だからこそ
潔癖なまでに自分の醜さを憎み抜きました。そして疲れ果てました。
「果て」をのぞきこんだ、私の大切な大切な精神的経験です。
夜の果ては、朝では決してないのです。
夜の果ては闇でした。
「きれいになったな」

かなわないなぁ、と思いました。 ありがとう、と思いました。
鼻をつんとすることもなく、胸をぎゅっとすることもなく
眼からただ淡泊な水がとめどなく流れ始めました。
ありがとう。
ありがとう。

暗夜に沈む硫黄島の、オレンジ色に照らされた港。
堤防に佇み、海から迫り上る夜風が濡れた顔をなでていきました。
マストに響く金属音が私の鼓膜と胸をふるわせます。
黒とオレンジ色と、そして波の反射光。
星がきれいでした。

私の大切な人たちは、覚えているでしょうか。
7年前の同じ夜、祭りが終わった後に皆で山上の「恋人岬」をめざしました。
たどり着いたかたどり着かなかったか、記憶はおぼろですが、
ごろんと皆で道路に寝ころび見上げた星空は、一粒一粒すべて私に刻まれました。
火照ったコンクリを背中で受け、鹿児島以南の小さな島から宇宙を感じた星夜でした。

                         (次回、終わります)
01121 海を目指しました 6 投稿者:R-June  投稿日: 8月13日(金)11時50分30秒

朝4:40。
三島の空は赤く染まることなく一日を始めました。
透明で澄んだ何ミクロンの光の粒が、硫黄島を、海を、私を包み込みます。
昨夜は意味深な香りを漂わせていた夜風も、今は高貴で清廉さを感じさせる朝風です。

けだるく穏やかで静かな、新しい陽が昇りました。

ひと気のなくなった夜更けに大群で遊びに来ていたカネブンが
朝になったのも気づかず眠りこけて廊下にぼろぼろと散らばっています。
朝風呂一番乗りです。
熱い湯にからだをくぐらせます。爪の先がじんじん真っ白になりました。
蝉がとぎれとぎれに鳴き始め、爪のじんじんとリズムが同調します。
からだを拭いて、大きくひとつ深呼吸をしました。
少し灼けた肌全部を使って、硫黄島の空気を思う存分吸い込みました。

帰りは、誘いをいただいてヨットに乗ることになりました。
出港するときにわき上がる、未知なる行く手へのたまらない興奮。
いつまた会えるともわからないヨット仲間との別れ、そこに感じる熱い絆。
島を離れることになぜか郷愁の思いでいっぱいになる。
切なく熱い、躰がしびれるほど濃縮した、そんな想い。
嬉しいのか泣きたいのか、叫びたいのか眠りたいのか。
感情の波に溺れるままに、心が私を突き動かすのに身を任せました。

5年ぶりのヨットです。
このセイリングが私にとってどれほど大きな意味を持つことでしょう。
5年前に一度会っていただけで名前を覚えていてくださったオーナーに、
クルーに、5年前出会ったすべてのヨットの人たちに、
そして5年分出会ったすべての人たちに
空と海が交差する果てしない光を見つめながら、心の全部で感謝しました。
私がこうしてまた海にたどり着けたのは、みんなががいたからです。
心の在処をまた確認できたのは、海にたどり着いたからです。

「また、おいで」
別れ際のオーナーのこの言葉が嬉しくて。

濃紺の海をのぞき込むと、海の中で揺らめく潮がなびいていました。
地球の、胎動でした。

                        (終わり)