新郎の父の弁 by 駄才小寒
今日はもう一つだけここに投稿させて下さい。実は今日は長男の結婚式だったのです。
長男が2年前に就職して東京に行ったときで、私は長男に関しては自分の役割は終った
と思っていました。結婚すると言ったときも、また今回の結婚式についても、私はほと
んど口出しせず、すべて本人に任せてきました。今日の式も仲人はいないためか、最後
の挨拶も当人が行い新郎の父である私は何も言いませんでした。まあ、それもいいかと
思いましたが、私も親ですから感慨がないわけはありません。特に長男の場合、初めて
の子供という以外に、ハミングバードさんと同様に外国で生み育てたという思い出があ
るだけに、感慨が心の中をよぎっていました。
留学してほぼ1年目に子供は生まれました。妻の陣痛が始まった朝、私は妻を病院に連れ
て行き、そのまま大学に行きました。お昼に病院に行っても、まだ生まれる様子はありま
せん。夕方、町のレストランに行き、そこでワインを注文して一人で祝杯をあげました。
そこから歩いて病院に行くと、陣痛が激しくなっていました。看護婦さんが私に陣痛が
来たら背中をさするように命じます。そこで、私は陣痛が来るたびに、背中をさすりました。
私はそのとき初めて陣痛がかくもきびしい痛みを伴うことを知り驚きました。
陣痛の間隔は短くなり、痛みはだんだん激しくなります。朝の3時ごろになりました。
しかし、まだ生まれる気配はありません。私は、ワインが効いてきて、次第に眠くなって
きました。背中をさすりながら、うとうとしてしまいます。ついに、耐え切れなくなり、
ちょっと仮眠をしてくると行って、待合室に行き、ソファに横たわりました。しかし、
ほどなく、看護婦さんに起こされました。生まれていたのです。私が待合室に行って、
ちょっと眠っていた間でした。4月9日午前4時20分でした。
子供と妻は5日間ほど病院にいました。退院をした日、オーストラリアは秋の始まりでした。
薄ら寒い日、1階まで一人の看護婦さんがついて来てくれて、別れるとき、Do
your best
と言ってくれとことが今でも耳に残っています。子供と妻を家に連れて帰ると、私はすぐに
大学に戻りました。その日、ノーベル経済学賞を受賞したイギリスの経済学者がセミナーを
するというので、それをぜひ聴きたいと思ったからでした。セミナーが終わり、急いで家に
戻りました。薄暗い部屋で、子供の泣き声がします。傍で妻が途方にくれています。
病院から戻ってから、子供が泣きつづけて、どうしても泣き止まないというのです。それが
子育ての悪戦苦闘の始まりでした。