今年も蛍祭りのシーズンがやってきました。
一緒する予定だった仲間たちの参加が駄目になり、一人で行くのだったら電車で行って
神奈川から来るシバタ君の車に帰りは乗せてもらったほうが楽だし、彼とも色々話しが
できて楽しいと思い、JRで紀伊田辺まで行くことにしました。

前夜になって熊野修験団仲間でもある大阪のアオヤマさんが一緒に行きたいと電話し
てきたので新大阪駅で待ち合わせることにしました。
良さんの右となりが修験者姿のアオヤマさんです。(一昨年の奥駈の写真)


ところが、18日の昼前に待ち合わせ場所の”くろしお15号”が発着するプラットフォーム
に行ってみると、オアヤマさんは何とスーツ姿ではないですか。

仕事の取引先の商売仲間でもある友人が急に博多から来阪してきたので熊野に行け
なくなったこと、その仲間が珍しい沖縄の焼酎を持参したので、それを急なドタキャンの
お詫び代わりに蛍祭りに持って行って欲しくて、こうしてやってきたとのことなのです。
その律儀さに呆れるとともに感銘も受けました。

新大阪発の南紀方面や関空行きの特急電車は大阪駅で環状線に乗り入れることがで
きないので貨物引っ込み線を利用して大阪駅を迂回して福島駅の先で環状線と合流し
天王寺を目指します。
このことを知らない人は新大阪駅発だから大阪駅を通るはずと思って大阪駅で待って
いて乗り損ねるということがあるので注意が必要です。私も昔あやうくそうなるところで
した。
途中、和歌山から乗ってきた82歳の老婦人の語られるお孫さんの話しがたいへん興味
深く、和歌山から紀伊田辺まではあっという間に着いたような感じでした。
紀伊田辺到着14時15分。
その老婦人と田辺駅で別れて駅前広場に出たらエツ子さんが軽自動車で迎えに来てく
れてます。
途中で酒屋に寄ってもらって土産代わりの日本酒を物色したところ、和歌山の銘酒「黒
牛」を見つけ、ラッキー!とばかり買い求め、あとは一路大塔村の紀州松煙工房を目指
します。
工房に着いてみると堀池さんが一人でビールを飲んでおり、買い出しはもう全部すませ
たそうでついでに温泉にも入ってきたから、私たちにも先に温泉に行ってきたら、と勧め
るのでそれならと二人して乙女の湯に行きます。
乙女の湯は紀州松煙工房からでもまだ車で20分も奥に走り続けなければならない山
奥深いところにありますが、いい湯です。
帰り着いたのは4時半ころ。

5時ころ、山上さんやナカセコさん、カツラさんがやってきます。右端がエツ子さん

川崎からはカズオさん差し入れのサクランボウが届いており、果物をあまり好まない私
がびっくりするほどの美味のサクランボウでした。カズオさんは本当にホンマモンの味を
知ってます。

お天気が良いのと少人数なのでテラスで宴会を始めます。

左から2番目の外国婦人に見覚えがありませんか?


イーデス・ハンソンさんです。作家の宇江敏勝さんがお連れしたのです。
十数年前から同じ中辺路町に住んでおられるとか。
関西弁が売りの外人タレントの先駆けだった女性ですが、有名人っぽいところの全然無
い、上品で控えめで素敵なご婦人です。特に銀髪とお肌の美しいのが印象的で、ヨーロ
ッパのどこかの国の王妃のようなエレガントさを感じました。

宇江敏勝さん


紀州の渓谷はほとんど歩き尽くした沢屋の小板橋さん(真ん中)と新宮山彦ぐるーぷ及び、
熊野修験団サポート隊の重鎮、山上さん(右)
イーデス・ハンソンさんは実際にこの法螺貝を吹かれました。


宇江さんがお連れした”熊野の語り部”さん。


真ん中は紀州松煙工房のオーナーの堀池さん

紀伊田辺駅からの車の中でエツ子さんに聞いた堀池さんとエツ子さんの会話。
堀「リワさんは何人女性を連れてくるのかな?」
エツ「今回は一人で来るんですって」
堀「え?ガールフレンドは現地調達なの?」
エツ子さんは爆笑したとか。
無茶苦茶言ってくれるよ、堀池さんは・・・

10時に神奈川からシバタ君がやってきました。

オートバイで来る予定だったのが、私が電車だと聞いて急遽、車に変えてくれたのです。
いつも頼りになる弟分であり、寡黙なのにみんなの人気者です。

ホタルの乱舞を見学した後、イーデス・ハンソンさんがお帰りです。
みんなで送りましたがとても楽しかった様子だったとか。

私は眠りこけていてホタル見学には行っておりません。
しかし、宴のテラスにも何匹か飛んできましたので私はそれで十分です。

その後はいつものごとくこのように無礼講で大騒ぎ。

酔うとバカ陽気となるエツ子さん。
良さんや小板橋さんのような謹言実直居士までが腹を抱えて笑っている姿が印象的。
写真を撮っていながら、エツ子さんがいったい何のパフォーマンスをしているのか私はと
んと覚えていません。なんせ、私は3度寝て、3度目覚めたそうです。
最後はエツ子さん、カツラさんと3人だけ残って後かたづけも手伝ったとか。
私としては上出来の今年の酔いぶりでした。

翌朝、起きたら宇江さんも山上さんも小板橋さんもカツラさんもみんな去ったあとでした。

残った5人で朝食をいただきます。
堀池さんが炊いてくれた茶粥をアジのひらきと一緒に食べるここの朝食の味は格別です。

11時ころ、紀州松煙工房をあとにして大阪に向かいます。
途中、川湯温泉で入浴し、ここで三重県に帰るナカセコさんと別れます。


川湯の河原の露天風呂。


明日のお昼までに神奈川に帰ればよいシバタ君は車の渋滞を避けるために夜遅く関西
を出発するので、それならKO−BUNさんやW.マリさん、ルーメイさん、佳墨さんなども
誘って夕食を一緒にしようということになり、途中、道中携帯電話で連絡をとったところ、
KO−BUNさんを除く3人からOKの返事。(KO−BUNさんは私が古い携帯電話の番
号にかけたために連絡がとれないまま)
それならいつも単なる飲み会で集まる難波の店にしようということで5時にニューミュン
ヘンでみんなと待ち合わせとなりました。
12時ころに本宮を出発したのにドライブは順調で難波についたのは午後5時ピッタシ!

右から佳墨さん、ルーメイさん。二人とも本来は蛍祭りに一緒に行く予定だったのがご
子息の用事ができて急遽中止となって残念がってただけに、シバタ君とこうして会えたこ
とをとても喜んでました。


酒を飲まないシバタ君が家まで送ってくれるので大船に乗った気分の私は酒の度が過
ぎ、かような視線の定まらないくらいに酔いました。

マリさんの画像は顔がかなり赤くなっていたので省略させてもらいます。

宴は最高に話しがはずんで5時から10時半まで続き、楽しい時を過ごしました。
またの再会を言いながら、ニューミュンヘンの前で私たちは別れました。


私を送って我が家で少しだけ休憩したシバタ君は夜中の12時、神奈川に向かって帰っ
て行きましたが、20日に大磯に着いたのは正午過ぎ。
なぜ、そんなに時間がかかったのかは、彼の送ってくれたメールをご覧になって確かめ
て下さい。
彼のメールの内容がとても素晴らしいので彼の了解を得て、ここに転載させてもらいま
した。
登場人物の実名はすべて仮名に変えました。

【シバタ君のメール】

リワキーノさま
今回も本当にいろいろとお世話になりました。
紀州松煙での集まりもそうでしたが、リワキーノさんが特別に設定してくださったマリさん
、ルーメイさん、佳墨さんとの集まりも最高でした。
(中略)
結局帰り着いたのは昼の12時になってしまいましたが、ひさびさに大チョンボをやって
しまいました。
京都市内の混雑を避けようと京滋バイパスを使ったのですが、単調な高速道路の運転
でやはり睡魔に襲われ鈴鹿の手前で爆睡。気がついたら朝6時でした。十分に睡眠もと
ったし四日市からは高速を使って帰りました。
以前にもお話ししたことがあるかもしれませんが、私は車・バイクなどの運転をしている
時が一番リラックスでき、一種の瞑想状態になっていると思います。だから長距離をぶ
っ続けで運転しても疲れないし、いろいろと想いをめぐらせることができます。(会社でプ
ログラムを組んでいて行き詰っても、必ずといっていいほど帰りの運転中に良いアイデ
アが浮かびます。)
今回も四日市からの高速を運転中に深い瞑想状態になりました。(かといって居眠り運
転しているわけじゃありませんよ。)大塔村での事、帰りの車中でのリワキーノさんと話し
た事、ミツホさんの事、マリさん、ルーメイさんの事、佳墨さんの強い意志についてなど
など、いろいろと考えながらとても充実した時間でした。

話はそれますが、以前よく海に潜っていたときも瞑想感覚になることがありました。
イルカやクジラ、カメや魚と一緒に戯れて泳いでいるととてもリラックスした気分になり、
3、4分潜っていても苦しくならないし、時には水深20mくらいまで苦もなく潜っていけま
す。空気タンクを背負ったスクーバダイビングではなく、マスクとシュノーケルだけの素潜
りですから息を止めているだけなので苦しくなるはずですが不思議です。苦しくないばか
りか、そんな時はイルカ達に意識を集中して泳いではずが考えている事はまったく別の
事ばかりでした。何気なく目に留まった人や風景のことだったり、友人のことだったり、
家族のことだったり、愛する女性のことだったりといった具合です。私が思うにそんな時
は、五感や自分の身体の調子、深層心理からのシグナルにとても敏感に素直に自然に
脳が反応しているんだと思います。普通なら1分も潜っていれば苦しいはず、苦しいんじ
ゃないかな、苦しい気がする、苦しい!と、身体はまだ苦しさを感じていなくても既成概
念から脳が勝手に苦しいと思ってしまうのでしょう。それでは身体と気持ちのバランスが
崩れて変な疲れを感じたり、偏った考え方になってしまいうのではないかと思います。
リワキーノさんも山を歩いていてこんな満ち足りた気分になることがよくあるのではない
でしょうか?

ところが、そこで大チョンボに気付きます。そろそろ浜名湖あたりかと思い、気が付くと
見たことない真新しいトンネルを走っていて、あれっ?ここはどこ?俺はどこを走ってる
んだ!てなことになってしまい、次のインターチェンジの名前を見てビックリ!「多治見」
って書いてあるじゃないですか。なんで岐阜県を北上しているんだ?カーナビを見ると現
在位置は確かに名古屋のはるか北で、カーナビが壊れたか?無意識のうちに中央道
に入ってしまったのか?と、しばらく頭の中が高速回転で今の状況を解析してました。と
いうのは大げさですが、ボーっとしていてインターの名前を全然見ていなかったんだと落
ち込みながら来た道を戻りながら通過したインターの名前を確認していくと、全部ちゃん
と見た記憶があるんです。たとえば、「せと〇〇」というインターでは、瀬戸物の街だな一
昨年の蛍祭りの帰りにバイクで走ったなぁ。とか、「猿投(さなげ)」というインターでは、
猿が何かを投げているところから付いた地名かなとか。いろいろ考えていた覚えがある
んですよ。リワキーノさんの飲んで気憶がないという話といい、記憶って不思議ですね。

結局、四日市から乗った伊勢湾道路はまだ東名高速の豊田までしか出来ていないと思
っていたら、予想外に工事が進んでいて東海北陸道まで繋がっているようでした。(たま
に高速を使うとこういう事がよくあります。)あやうく飛騨か富山まで行ってしまうところで
した。さっきの話からすると、深層心理では富山に行くのを望んでいたのでしょうか?ま
ぁそれはそれで楽しいんですが、気付かずに50km以上も走っていたのにはハッキリ言
ってショックでした。
しかし、それだけ今回の旅はいろいろ深く想う出来事が多かったという事ですね。
最後は東名高速を途中で降りて、緑が濃くなりつつある箱根の峠を越え、水平線が霞
んで空と海が混じりあったような湘南の海を眺めながら我が家に到着。
今回の旅も終わりました。本当に充実した気持ちです。
長くなってしまいましたが、おかげさまでとても楽しい時間を過ごすことができ、また元気
がわいてきました。
次回またお会いする時を楽しみにしています。
シバタ