徳島

 徳島港へ着きました。
 一番の札所霊山寺へ向かいました。四国の地図をご覧になるとお分りの通り、まず、阿波の国、次に土佐の国、伊予、讃岐となっております。阿波の国は発心の道場、やり抜くんだと固める道場、土佐は修行の道場、伊予は菩提、讃岐は涅槃の道場、このようにお大師様が決められました。
 阿波の発心の道場、歩いてつくづく感じました。まず一番の霊山寺へ正月二日、お参りさせていただきましたが、一杯機嫌のおっちゃんが出てきて、はい、お遍路さん、お接待、と五百円くれました。有り難いですよ。ああ、これならお遍路も楽だわいと思いました。この調子だったら、お遍路と言ったら何処でも泊めてくれるもんだと思いました。

 ところがとんでもない、そんな甘いものではありません。やってみれば分かりますが、今日、何処に、見ず知らずの人を泊める人がありますか。絶対に無い事ですよ。今までにお遍路さんが、皆、良い事をしてきたと言うなら分かりますが、なかには物を盗んだり火をつけたり、結構、悪い人も多くいたようです。そんな訳で、お遍路さんと言えども、なかなか泊めてくれる家はありません。とても厳しいものだと、つくづく思い知らされました。
 私は今回のお遍路には、父親が使っていた金剛杖を持って行きました。父親が修験道をやっていまして、この父親の形見の八十年来続いている杖を持って、いわば家宝です。それで霊山寺へ参りまして、白い衣装と笠を買い求めました。ズボンは、以前、柔道をやっていましたのでそれを着ました。私の柔道の師は長井清昭という先生で、柔道の鬼、牛島辰熊先生の直門です。

 そして歩いていますと、犬がよく吠えるんです。それが始めのうちは気になりまして、だんだん慣れてきますと、勝手に吠えておれと気にならなくなりました。「ワン」ばかりで無く「ツウ」と泣け。しかし、土佐、高知県、あそこの犬は凄いのありますね。土佐犬、道の真ん中にどてっと座って動かないんです。小さい犬がワンワン吠えていますが、私は気にもとめずに歩いて行きますと、その犬だけは黙って見ています。近付いて来ると、吠えはしませんが、立ち上がって低く唸り声をあげるんです。気持ちが悪いですよ。仕方がありませんから、南無大師、遍照金剛、なむだいし、へんじょう金剛、十回位唱えて、金剛杖をトンと道へ突きますと、すうっと退いてくれました。有難うございますと心の中で念じておりましたが、噛みついてきませんでした。

 十番切幡寺までは、割合、順調に行けましたが、十一番藤井寺の道はとてもきつい道でした。阿波へ入って、十里十ケ寺と言って、十里の中に十ケ寺が固まってあるんです。これは行きやすいのです。これならまあ行き着けるわいと思いました。最初の寺で五百円貰ったし、十番まで快調、十番は切幡寺。ここの遍路宿で泊まらしていただいたときに、遍路宿のお神さんが「焼山寺ごえは大変よ、阿波でも一番の難所よ」と言われました。私も
山登りでは、かなり自信がありますし、行けるだろうと思っていました。
 私は始め、大阪から来た時、四国には雪は無いもんと思っていました。ところが四国の山は寒いですね。とても寒いです。
 で、十番切幡寺を出て、十一番藤井寺、十二番焼山寺。それで、十番を飛び出したのは、夜中の一時です。真っ暗、人っ子一人いません。時々、車がごおーと通るだけです。まず吉野川を渡って、大きな川です、お遍路さんは、これを二度、三度、渡ります。行ったり来たり渡り直して、とても分かり難い道です。しかも朝早い、真っ暗、道を聞く人も居ません。自分の勘とお杖に導かれて、とても苦労した道でした。
 心細いですよ。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、と必死に唱えながら歩きました。 私は朝、目覚めた時が起きる時と、こう決めているんです。

 平井先生から言われた三つの条件、歩いて行け、冬に行け、金持つな。金は五万円だけ持っていきました。これは平井先生宅で、これならいいだろうと許可を得た額です。
 やっと藤井寺に着いてほっとしました。藤井寺さんで焼山寺へ行く道を聞いたんです。そうすると、歩いて行くなら旧遍路道を行きなさい。ただし、旧遍路道はあまり踏まれていない道で難しい、雪道でもあるし行きにくい道であるが、行きたくば行きなさい、これが遍路にとっては本道である、とお聞きして、それならその道を行こうと決心しました。すると、お寺さんは、三十分程雪道を登ると十センチ位の南無大師遍照金剛と書かれたお札が左にある、それが見えたらまっすぐ登りなさい、若し見つからなかったら思い切って引き返しなさい、万一、迷ったら永久に出られなくなる、と言われ、これは必死になって行くところだと、つくづく感じました。

 で、阿波の国で、一に焼山、二にお鶴、三に大龍、名だたる難所が三つあるんです。その最大の難所、焼山寺ごえ、雪の中で、これはかなりきつい山越えでした。焼山寺へ向かう途中でね、柳水庵と言う所があるんです。その柳水庵まで、登って下って、また登り返しがあるんです、とても厳しい道でした。
 柳水庵へ着いたのは昼の二時位でしたか、そこはお接待、四国ではお布施の事をそう言うんですが、お接待していただける、そこで泊めて貰おうかなと思ったんですが、ま、お茶でも飲んでお餅をいただいてからと、‥‥‥‥その時に「あっ、明日、雪や」ひょっと頭に浮かんだんです。聞こえるでも無く、自然に口に出てくるんです。これから出掛けます、明日、雪です。‥‥‥‥不思議な事です。本当に翌日、大雪になりました。もし、其の日、泊まっていたら、二、三日は降り込められて動きが取れなかったと思います。
 そうして、やっと雪道を踏みしめ、踏みしめ、焼山寺へ辿り着きました。本堂で、般若心経一巻、唱えさしていただきました。それから奥の院へお参りさしていただきました。奥の院には、役の行者、父親が尊敬してたんですが、その役の行者を祭っている奥の院まで、本堂から一キロ位離れているんです。だいたい、十二ケ寺くらい、歩いて来ますと、足が棒のようになって、歩いていてもびっこを引いて歩いているんです。びっこを引き引き、走って歩いたんです。

 十二番焼山寺へ行きますと、泊めてくれないんです、晩で。
 こんな山の奥だし、日は暮れて来るし、泊めて下さいと言ったんですが、最初の中は、かっか、かっかするんですね、何故、泊めてくれないのか、だいたい、オフ・シーズンで、高い山ですから、泊まり客など一人も来ませんわ、たった一人の為に、飯を炊いたり、風呂沸かしたり、あほらしくてできへんと言いますのや。
 シーズン中なら、観光バスが何十台とどんどん乗りつけ、例え一人十円づつ落としたとしても、本堂、大師堂等、いろいろ回ったら、最低一人五十円は下らないと思います。それに儲けるでしょう、お札、お守り、朱印等、考えてみたら何千万と金が入るんですよね。年間にしたら億と下らないでしょう。
 それで、シーズン・オフで、独り歩いて廻っている者に、御飯炊いて風呂沸かして、一人の為にそんな事、出来へんと言う訳なんです。
 そりゃーそうかも知れんが、しかしお大師様が、本来、定めたのはそう言う修行者を泊める為の施設として、お堂を建てたのと違うか。泊める泊めないで大口論、山の中で閉じこめられては大変と私も必死でしたわ。

 その時、お大師様が泊めへんと言うてるんやから、それで善いやないか‥‥‥‥後から声が聞こえて来るんです、誰も居ないのに、はっと、気が付いたんです、間違ってた、自分は全てに有難うございますと、何でもお受けしますと、来たつもりのはずなのに‥‥。 その声に助けられました、すいませんでした、有難うございましたと言って、私は山を下りました。
 で、納経帖、私は持って無いんです。あれは、一回、二百円から三百円かかるんです、ですから、3×八十八で全部頂いたとすると、二万六千四百円かかるんです。私の全行程の予算が五万円、とてもやっていけません。
 私は出掛ける前に般若心経を三十巻書き上げておりました。一ケ寺一ケ寺、般若心経を納めて行きました。そして、般若心経一巻ないし三巻、回向、唱えさせていただきました。ですから私が全部、回ったとしても別に証拠があるわけではないのです。十二月末、年賀状書く末になって般若心経を書き出すんです、それを持って遍路に向かったんですが、遍路宿で泊まった夜も心経を一巻、一巻書き足していったんです。全部で九十巻書きあげました。
(続く)