伊予

 いよいよ、伊予に着きました。
 宿とか民宿とかが沢山ありました、内子の町を過ぎて、山道に差しかかる所で日が暮れ掛かって来ました、ふと見ると松野屋と言う政府観光旅館、ばんと、物凄く綺麗、お遍路なんぞの立ち入る所じゃ無い、ところが、その付近には、その旅館しか無い、三キロ山の方へ行ったら宿屋が一軒ある、三キロ、もう夜道を回り道して、また、明日、ここまで戻ってくる、よう、しませんわ。
 「よし、お願いしてみよう」政府観光旅館、玄関が綺麗に掃き清められていますわ、私が、今まで、泊まっている、下駄や靴が散らばっている所と違いますからね。

 「すみません、修行で回っている者ですが、素泊りで、二千円で泊めていただけませんか」「どうぞ」「‥‥‥‥」聞き違えたと思いました、「えっ、泊めていただけるんですか?」「どうぞ、お遍路さん、お腹空いていませんか」「はい、空いています」「何か冷たい御飯でもあるでしょう」‥‥‥‥なんと、暖かい御飯、しかも、サザエの壷焼きまでついているんです、しかも、おひつまで置いて、食べ放題、嬉しいですね、今日び、町中で、腹一杯、飯食べて、嬉しくも何ともありませんが、お腹空き切った所で、こんなに出して貰ってご覧なさい、嬉しいですね。
 しかし、二千円でと、お断わりしたけど、出て来る料理が、良過ぎますわ、聞き違えたかと思って、わざわざ、下まで降りて行って「すいません、二千円で素泊りとお願いしたんですけど」「そうですよ」「でも、あんなご馳走、いただいて良いんですか」「どうぞ、どうぞ、余ったものですけれど」とお神さん、にこっとするんです。
 今まで、食うや食わずに来ているでしょう、何杯、食べたと思いますか‥‥‥‥八杯、食べられますね、今、食べてもげー出ますわ、町中なら。食うや食わずで、そこまで来た訳ですわ。戦後の物の無い時でしたら、御飯に当たったら、殆どの人がはしゃいで、そんな時代でした、腹が空き切って、いただいたら、そんなものです。歩いているから、すぐにお腹が空きます。

 四十五番岩屋寺さん、奥岩屋と言うくらい、山の中で厳しい道でした。四十四番大宝寺さんから山道を下って、雪が降って夕暮れでとても寒い、その中を歩くんです。車ですと、広い道を下から、すっと行きますから、それ程に感じませんが、きつかった所です。
 やっとお寺に辿り着き、すいませんが、泊めていただけませんか、とお頼みしたんですが、うちには、水道も何も無いんじゃ、ここでは泊めんのじゃ、剣もほろろだったんです。そうですか、有難うございます、と、心の中で実は横着な気が起きまして、中を見れば、この坊さん、ストーブ炊いて、暖かく暖かくしているんです、よし、水行じゃ、と思いまして、丁度、その横に岩清水の水たまりがあって、バケツが置いてあるんです、そこの所で、素っ裸になって、もう誰もいませんから、水を三杯から五杯、頭から被ったんです。心経一巻、唱えたら、寒々、その社務所から見ているんです、ストーブに暖まって、ぬくぬくと、で、びっくりしてしまって、私がす裸で、拭いて、衣服をつけていますと、どうぞ、泊まって下さい、と言うことで、ちょっと、ハッタリ利かして、泊めていただきました。

 ここは、本当に、何も無し、布団を貸していただいて、坊さんも、夜は居ないんです、誰も居ない、全く無用心です。おそらくこの日は住職さんが他出されていたと思います。
 お寺さんと言うものは、坊さんも、ちゃんと泊まって、留守番するものだと思います。御本尊さんも大師堂もありますし、万一、不審火でも出たらどうするのかと、思いましたね。今、八十八ケ寺で、毎朝、正味、朝のお勤めしている所、何ケ寺有るかいっぺん、聞いて見たいと思います。と言うのは、後に泊めていただいたお寺で、客僧と言うのが居て、よそから坊さんが来ておって、その坊さんがお経を唱えている、中には、ひどい所では、テープレコーダでやっています。修行していないな、と言うことがありありと見えるんです。町中だったら、なんじゃ、こんな事してんのか、と一つの誹りが入るんですが、山寺では分かりませんわ。

 そこを出て、十夜ケ橋、四国の大州の先に十夜ケ橋と言う所があります、ここが又、有り難い所でして、お大師さまが一夜、泊まって、非常に寒かった、一夜が十夜に当たったと言う所。此はお遍路さんは、杖を突きません。作法は、橋では必ずお杖は突かないで、抱えて渡る。寒い時に、お大師様が橋の下で寝はった。橋の下に、お大師様の寝た姿があります。信仰の厚い方がいつも立派な布団を掛けておりますわ。
 私もここへ泊めていただこうと思いまして、何も無いけど、ここは番外でして、そこのお接待で火の気は無いけど、お大師さんも泊りはったから‥‥‥‥そこへ、若い奥さんが出て来て、泊める施設が無いんですよ、と断られた、あかんと言われて、なにくそ、と前にやった通りにしたのでは、あきません。
 有難うございます、十夜橋には小さい橋があるんです、私は、そこでお大師さんに心経一巻唱えさしていただきました。すがすがしい、気持ちが良い、それぐらい気持ちが進んできます。先ほど話した三原村、それを過ぎて、ああいう人とお会い出来た故だと思います。十夜ケ橋を素足になって、もちろんお杖を抱えて、履物を持って渡らせていただきました。

 そして、道後まで来たんです、道後には私が勤めていた時の所長が居るんです。引退して居られるんです。もしも居られ無いなら、それも運命、試しに十円、電話してみよう、もし居られたら、来いと言われたら泊めていただこう、そう思って、電話したんです、「もしもし○○です」「なに○○、何処から電話している、何、道後に来てる?すぐ来い」訪ねました、早速、道後の、あの坊っちゃんの温泉に連れて行っていただいて、晩は一杯、よばれまして、骨休めさしていただきました。
 この方は、俳句をよくやられる方で、「桃の夕、遍路の道をいそがざる」「青海に遍路のひとり背の真っすぐに」と読んでました。この方の実父は戸谷勝四郎と云われ、あの南方熊楠先生を神島へ案内された方です。
 一杯飲んで歓談してますと、もし、お前が一寺建立する時は、柱の一本でも寄進さして貰う、お前の様にこんなに、立派に廻っているのは、俺も初めて見た、四国へ来て長く居るけど、大体、坊主と言う坊主、ろくな奴がいない、皆、修行していない、修行せずに、世襲制ばかりやって、ぬくぬくしている、あんなのをみると、俺は腹立って仕様がないんじゃ」と言って怒ってました。

 次の日、道後から新居浜、五十三キロ歩いたんです。
 温泉に入ると、足が物凄く浮化します、それまでに何度も、けつまづいて転ぶんですわ、それが痛いんですわ、びっこを引き引き歩きました。そして五十六番泰山寺でもお接待で泊めていただきました、番でお接待して下さるのが皆無と言うのでも無いのです、しかも、そういう坊さんは修行しているとありあり分かる、乞食遍路を泊めてくれると言うお寺は、立派な山門が在って、大勢の人が参詣して、線香の煙が絶えない、と言う所は、絶対、泊めてくれない、鄙びた様な所では、たまには、声をかけてくれます。
 この泰山寺さんでは、お母さんだと思うんですが、急病で、ばたばたしていて、車で運ばねばいけない、難しい状況の中で、私を泊めてくださいました。道を歩いていて、難渋するという事は、やった人間でなければ、分からない、相身互い、行者同志の労わり合い、同病、相哀れむ、とか色んな言葉が在りますけど、自分が苦労している人は必ず他人の苦労が分かるんです。

 で、この泰山寺の若い住職さんは非常に出来た方だと思いました。特に泊めていただいて、まったく放たらかしで寝さしていただくだけでも、有り難いのに、それを気の毒がりまして、たてこんで、何もお接待出来ないと、私にまで、配慮していただいて、布団の上で寝かしていただくと言う有り難い事がありました。
 お山の上にある、難所と言われる所は、全て、役の行者の開基です。修験道の開祖は、厳しい所を番に選ばれます、お大師さんは、役の行者さんの後を慕うたとも言われています。これは、大峰のお山にも奥駈けと言いまして、吉野から熊野へ掛ける、現在のシルクロード、千三百年続いた日本の一番古い道、最高の修行を積んだ行者のみが、渡りきれる、厳しい道、ずっと、途絶えつつ、途切れる事も無く、続いている道、ほんの少数の山伏しか、渡りきって居ない険しい道、この道を開かれた役の行者さんが開基されると言う事はやはり、四国の中でも全て厳しい所です。横峰山、雲辺山、全て役の行者の開基です。

そうして、いよいよ、四国、最大の難所、雪の横峰寺六十番に掛かって来るんですが、ここを、どう打つかが最大の課題です。順序から行きますと、五十八番仙遊寺、五十九番国分寺を打って六十番横峰寺と打つんですが、実は今はその道が車道になっていて、車が多い、そして、舗装道路、これは、歩いて見ると分かりますが、非常に足が痛いんです、地道の方が足には楽です。ここを歩いて行く時は、国分寺から横峰を打つのは、非常にロスが多いんです、この時は私は逆打ちしました。