五十九番国分寺を打って六十一番香園寺を打ち、香園寺で泊めていただいた時に、そこの住職さんから、香園寺から横峰寺へ抜ける山道を教えていただいたんですが、後で分かるんですが、聞いて歩くのと、歩いて、自分の足で迷うのでは、雲泥の差がある、で、山の地図もはっきり書いていただく訳でも無し、大体の目印と言う形で、高い山道は、樵道などが迷路の様に入り組んで、変な道に迷いこんだら帰って来れない、しかも、登山用の支度していない、身一つ、磁石一つ持っていない、山登りの方から見れば裸同然、とても厳しかった。

 香園寺さんの奥の院から山道に掛かる、横峰寺さんを打って、また香園寺さんへ帰る、このコースを選びました。だから日のあるうちに往復しなければいけない、ですから、朝早く抜け出して行ったのを覚えています。
 横峰さんは、戒律の厳しい所です、車で行っても、途中から、険しい山道を歩かされます、上まで車で来た人には、朱印はいたしません、と看板に大きく書いてあります。さすが役の行者開基の寺です、厳しさが残ってます。
 そこの住職さんが、わざわざ出て来てくれまして、この道はとても滑るから、私、車で送ってあげると、車にチェーンを巻き付けて、それで厚意だけいただいて、土下座するばかりに、ご辞退さしていただきました。
 立派な方です、やはり、八十八ケ寺、ぼんくらばかりでは無い、こう言う光っている坊さんも居る、だから、遍路が続いている、泥田の中にこそ、蓮の花が咲くんだと思います、世の中が乱れたり、気持ちが冷たくなったり、人間の皮を被っているだけかいな、と言う人が多ければ多い程、光る人は光る、唯、当たり前に生きているだけで光る。
 世の中は闇だけでは無い、合掌してますと、自分自身が光だと言うことを気づかせてくれます、唯単に物質だけでは無い、エネルギー、光、こういう魂の光、そのようなものが光るように思えてなりません。一目でこれは出来る、と見抜く人は、その人自身が発光体です、だからそう言う人と出会った時はあまり言葉は要らない。
 人間、追い込まれないと、駄目です、追い込まれて、追い込まれて、もうどないするのや、死ぬのじゃないかと、もう死んでも良いと、その瞬間に道が開かれる、大抵の人はそこへ行く迄に難儀やからと、引き帰してしまう、とことん行き着くと、素晴らしい喜びがあるんです。

 それからの道は割に平坦で楽な道が続きました。
 三角寺六十五番、このお寺、ヨガを習ってつくづく感じたんですが、三角、所謂、ピラミッド・パワーです、今は三角寺の池を見た時にありありとその原形が分かった、今ある池は変形しているのでは無いかと思います、しかし、お大師さんが築かれた時の三角は本当のピラミッド・パワーだったと思います、そのパワーの中に大護摩を炊いて、三角寺と言う事を定められた、と思います。

 次が六十六番雲辺寺、伊予から讃岐に掛かる所にあります。この雲辺寺さんの前に椿堂と言う番外があるんです。八十八ケ寺ある中で、大体、立派なお寺ほど冷たい、月に何千万稼いで、一年間、中には億がつく所もあるかもしれん。そんな所は、剣もほろろ、乞食遍路なんか、泊める所は何処も無い。
 番外は良いですね、椿堂も良かったし、その外、鯖大師、お大師さんが、鯖を一杯積んでいる商人に、一匹、所望した所、この鯖は腐っていると断られた、そうか、その鯖は腐ってるか、そうすると、その鯖はパァと、一変に腐ってしまった。そこで、商人はびっくりして、心を入れ替え、お大師さまに、お許しを乞うと、鯖は元通りになった、と言う伝説。
 私は、これは、全くの嘘では無いと思います。どう言うことかと言いますと、そう言う修行をなさった方が発する気、此をヨガの方ではプラナと言いますが、ぱっと発する気、これが、不可能を可能にするエネルギーではないかと思います。私の少ない体験でも、お婆さんが道端でうずくまって、横に手押し車が置いてある、前を通りかかる、アッお婆さんの左足、悪い、何となく、分かる、お婆さんと言って、南無大師遍照金剛、遍照金剛、唱えながら、足をさすってあげる、私なりに気を入れて差し上げる。お婆さん、立ち上がる、「はい直りました、有難うございます」お婆さん、走って家に帰り、すぐ戻って来て、「お大師さん、来て、来て」私はびっくりして、「いえ、そんなん者ではありません」「いえ、いえ、お大師さん、来て」とうとう、昼の御接待、昼御飯を食べさしていただきました。それですから、私達の様な者でも、本当にふっきって、歩いていると、ふっと、浮かんで来るんです。あの、伝説に似たこの話は、私は事実だったと思います。これは、科学を越えた世界です。

 それで、その椿堂に泊めていただいたんです。この椿堂のお住職さんが、また素晴らしい方でした。回られるなら、是非ここへ寄られたら良いと思います。椿堂のここは、お接待で、只で泊めていただいたんです。「すいません、泊めていただけますか」「貴方、ご本尊さんにご挨拶したか」「はい、今から行こうと思います」「うん、泊めて貰えるか、どうか、聞いておいで」「はい」
 その頃になると、ご本尊に、聞くとか、そんな事、当たり前の様になってきているんです。本当に不思議な様でしょう、お大師さんに聞いておいで、はい、‥‥‥‥戻って、ご挨拶すると、茶湧かしてくれて、御飯のご接待、もう一人同宿していた、老人が、お経を唱えたんです、私等の経と違って、陀羅尼、で唱えるんです、こりゃ、偉い人と一緒になったと思いました。お遍路姿のお年寄り、後で聞いたら、六十五才や言ってました。
 偉い人と一緒になったな、こういう人に道を聞こうと思いました。「打つ」とよく遍路では言いますが、昔は木札をお寺に打って回ったから、打つと言われてきたんです。その人は名古屋の方で、バス、電車を乗り継いで来ている方なんです。お経は達者な方なんです、その方の言うのには、「俺は、生涯に雲辺さんは横峰さんと並ぶ難所、ここだけは、自分の足で行きたいと思って居た所なんだが、しかし、わしも、年だてな、行けるかなあ」と言われる。「それだったら、おまかせ下さい、私で良ければ、ご一緒します、明日の日は、幸い、道も乾き切ってるし、行けそうです、ご一緒しますわ」

 それで、その晩に、遍路同士の身の上話になったんです、その名古屋の‥‥鈴木さんと言うのですが、その方の話を聞いて、私は、はっと、私の親父の立場に気づかせていただきました、鈴木さんは、奥さんを亡くされ、後妻さんを貰った、で、前の先妻さんの子供、この子の味方をすれば、嫁が可哀そう、後妻の方の肩を持てば、子供が可哀そう、俺は黙っているしか、無いんじゃ。
 あっ、うちの親父は修験道で修行し、達観していたから、知らん顔してたと思っていたが、違う、どっちの味方についても、成さぬ仲と言うのは辛いんですよ、だから、知って知らん振りしていた。