愛の賛歌〜エディット・ピアフ物語

美輪明宏の舞台劇「愛の賛歌〜エディット・ピアフ物語〜」を観ました。
名作の誉れ高い作品だけあって期待どおり素晴らしかったです。作、演出、美術、衣裳も
すべて美輪さんが手がけたと知るとただただ美輪明宏の才能の豊かさ、多様さに感嘆さ
せられます。
美輪明宏
エディット・ピアフはタイトルにもなった彼女の代表的な歌「愛の賛歌」に象徴されるように
まさに歌と愛に献げる人生を貫いた女性と言えるでしょう。その恋の遍歴を知れば知るほ
ど、自由奔放であり、ある意味では不道徳的だったかも知れませんが、その天衣無縫さ
と純粋さに魅了されます。私がかつて記したことのある「不倫について」で好ましく思わな
かった男女の愛とは全然別格のものを感じます。
エディット・ピアフ
その恋多き人生で最も愛した男と彼女自身が言い切った、ボクシングの世界チャンピオ
ン、マルセル・セルダンとのひたむきな純愛は舞台を観ていても涙無しではおられません
でした。
妻も子供もいるマルセルはエディットとの恋を隠さずに公表するのです。
二人の台詞の一つ一つ、それは愛の賛歌の歌詞そのままの台詞なのですが、私は如何
に感動したことでしょうか。舞台劇の醍醐味とでもいう場面の連続でした。
「僕のようなハンサムでもない、金持ちでもない、ただ身体だけが頑丈な男をなぜ君が
愛してくれるのか解らない」というマルセル。
「私の地位、名声にではなく、美人でもセクシーでもない女性の私に惹かれて近づき、愛
してくれた人はあなた以外には誰もいません」というエディットの言葉。
「君は多くの人の心を慰めるため、休ませるために子守歌を歌い続けてきた。しかし君の
ために子守歌を歌ってくれる人はいないのではないか?その役割を僕はしたいのだ」の
マルセルの言葉。
思わずマルセルの胸に顔を埋めて号泣するエディット。
「私はあなたの愛に酬いるためにはあの中天の月をも盗んでくるわ。私はあなたが望む
ならどんな恥ずかしい行為もなんでも人前でやってみせるわ」と言うエディットの愛の言
葉が続いた後にエディットはこう言うのです。
「フランス人が祖国を裏切るということはどういうことかということはよく解るわね?でも私
はあなたの為には祖国も裏切るし、すべての友達も捨てます」
”我が愛しのマリアンヌ”と祖国のことを女性名で呼ぶフランス人ほど祖国を愛し、祖国を
誇りにする民族もいないことを私はよく知ってます。それゆえ、純粋のフランス人であり、
国民的歌手だったエディットのこの言葉は愛の力の底知れぬ強さ、純粋さを表現してい
るように思え、美輪さんのあの独特の声音と相まって身震いのするような感動を受けた
のです。
電子メールも無かった時代、ボクシングの試合のために外国を回るマルセルにエディット
は2日に一度ラブレターを書き続けるのです。そしてマルセルに対する溢れんばかりの愛
をこめて作った歌詞にマルグリット・モノーが作曲したのが「愛の賛歌」でした。それを初
めて発表する演奏会の当日、それを聞くためにニューヨークからやってこようとしたマル
セルは飛行機事故で亡くなります。(事実はこの逆でフランスからニューヨークへマルセ
ルが来るのですが)
その知らせを聞いて衝撃のあまり倒れてしまうエディットですがやがてプロの歌手である
誇りを取り戻し、舞台に出て「愛の賛歌」を歌うのです。
マルセル・セルダン

第二幕はこのシーンで終わりますが、場内騒然とした騒ぎとなり(これはシアター・ドラマ
シティーのことですけれど)もの凄い拍手とブラボーが連発されます。
その後、彼女は酒と麻薬に入り浸りとなって廃人同様となってしまいます。マルセルの生
前、エディットはこうも言っているのです。
「私はたとえあなたが先に死ぬようなことがあっても絶望しません。なぜなら私も必ずい
つかは死ぬのですからどこかであなたを見つけ出し、こんどこそ本当に一緒になれると思
ってますから」
しかしエディットは何度も自殺しようとしたが果たせなかった。それが彼女を絶望へと追い
やったのです。
エディットが自殺しなかったのは歌手として多くの人に慰めを与えている存在であることを
自覚し、自分だけのために命を捨ててはいけないのだ、ということを本能的に感じていた
のだ、とこの美輪さんの作品は解釈しています。
妹分のシモーヌやマネージャーのルイ、愛の賛歌の作曲者マルグリットらの暖かい励まし
や献身的尽力のおかげでやがてエディットは立ち直ってアルコール中毒症も麻薬中毒症
も克服して舞台に復帰するのです。

テオ・サラポ
やがて21歳も年下のギリシャ人青年テオ・サラポと恋に陥り、結婚するのですが、テオを
歌手として一人前に育て上げ、後援することにボロボロの身体を酷使してレッスンをやり
、巡業をやり続けたエディットは1年間の結婚生活を過ごしただけで過労に倒れ、世を去
るのです。
その臨終のシーンでエディットは病床から抜け出してひざまずき、神に祈るのです。
「神さま、私は今まで自分のことで祈ったことは一度もありませんでした。しかし一生に一
度のお願いです。これだけはどうか聞き届けてください。私が死んだあと、テオがどうか
歌手として立派に独り立ちしていけるようご加護をください」
エディットは愛するテオが歌手として今のところ世間で受け入れられているがそれはエデ
ィット・ピアフの親子ほど年の離れた夫であることへの物珍しさからそうなっているだけで
、今のテオの力では自分が死ぬとともに世間から忘れ去られていくだろうと予測したので
した。

このときの美輪さんの血を吐くような祈りの言葉、もう胸が掻きむしられるような悲痛な響
きでして、身震いのするような感動を受けたのです。
若いときはいざ知らず、71歳の美輪さんの唱う歌は必ずしも美しいもののようには響き
続けるわけではありませんでしたが、台詞の言い回し、立ち居振る舞いはもう最高級の
役者のものだと思いました。これは家内も同意見でした。

そんな重体とも知らずに見舞いに来たテオにエディットは最後のレッスンを授けながらい
つのまにかに椅子に深々と座ったまま事切れます。47歳でしたがその身体は80代の人
間のように疲弊しきっていたそうです
そしてフィナーレは燕尾服やロングドレスに身を包んだ出演者たちが舞台真ん中を奥に
してv字上に左右に広がる中に美輪さんとテオ役の木村彰吾さんが登場します。

「テオはエディット・ピアフが死んだあと歌手活動で6年間かけてエディットの残した借金を
全部返済し、その直後に交通事故で世を去りました。死の間際に言い残した言葉は、エ
ディットと一緒に葬ってくれ、というものでした。ここに私は二人のために冥福を祈らせて
もらいます」

これが美輪さんの挨拶でした。
長い上演で疲れましたが、愛というものを深く考えさせられ、特に若きテオの純愛に強烈
な印象を受けました。
親子ほど歳が上の男性を女性が愛することはよくある話しですが、その逆の男性が女性
を、それも普通の男女のように可愛く愛おしく思って愛するというのはやはり稀なことだろ
うと思います。テオ・サラボ(本名はテオファニス・ランブーカス)のような男性がいるという
こと、本当に人間を賛美し、愛を讃歌したくなります。彼がギリシャ人であることも私にとって
は意味深なところがあります。
「愛の賛歌〜エディット・ピアフ物語〜」は私が女性を愛するときこのような愛を貫くことが
できるのだろうか、と我が身を深く顧みることができた作品でした。

「10月14日、ペール・ラシューズ墓地での埋葬式には、ディートリッヒもアメリカから駆け
つけ、モーリス・シュバリエが『偉大で雄々しく、そして小さなピアフよ、安らかに眠れ』と弔
辞を捧げた。集まったファンは10万人。取材に奔走するマスコミともみあい、暴動寸前の
騒ぎまで起こった。現在もその墓に世界中からファンが訪れ、献花の絶えることはない。」

エディット・ピアフの埋葬式について舞台劇のパンフレットにこのように記されてました。
マレーネ・ディートリッヒはエディット・ピアフの心を許しあった親友だったのです。


「一度は観てみるべき舞台だよ」と勧めてくれたEguchi君に感謝しております。