久しぶりの大峯・台高(1)  2006.07.30〜31

娘が休みが急に取れたので家族で避暑に行く事になりました。
我が家が避暑先に考えるのは大峯。家族連れの泊まりとなると行くところは和佐又山ヒュッテ
に決まってます。
早速ヒュッテに電話を入れると30日は大丈夫とのこと。

修験団の先達を引退してからというものの私はすっかり大峯の険しい坂から遠ざかり、昨
年なんかは足を痛めていたこともあったのですが、奥駈サポートに行っても情けないことに
一度も奥駈尾根に登ることなく、KO-BUNさんやシバタさんらに代わりに登ってもらってました。

2005.09.09(和佐又山で)出発前、

大普賢岳から女性陣を連れて降りてきたところ。

しかし今年は絶対に私も奥駈尾根には行かなくては修験団のみんなにも顔を忘れられてしまう
と思い、今回、行者行者還トンネル口から奥駈尾根までのコースを上ることにしたのです。
一昨年にKO-BUNさんと登ったときは極端な体力の衰えを痛感し、急坂とはいえ1時間ほどで
登れるこの登山路を息も絶え絶えで登ったことを記憶しているだけに今回もあまり自信が無かっ
たのですが、とにかく訓練のためと思って家族3人で登って行きました。
弥山登山口

登山路に踏み入れ斜面を登っていくとそこはもうすぐさま修験道の山大峯の雰囲気でした。

奇怪な形をしたヒメシャラ


これでも一応、登山路なのです。S字上に曲がりくねってます。山の初心者だったら恐れをなして引き返すでしょうね。


根っ子のオブジェ展という感じですね。

私はこういう光景を見るとゾクゾクしてくるのです。しかし雨の日にはこういった根っ子は滑りやすく大変歩きにくいのです。

「さすがに、大峯は六甲や私市の山とは違うね!」と娘も自然の素晴らしさに感嘆することしきりでした。

尾根も間近です。そして不思議なことにへっぴり腰で登りだした私ですが、尾根が近づいたところまで来て
も全然しんどさを感じず、一昨年のときは、もうぶっ倒れそうな状態でハァハァ、口で息をしていたのに、鼻
で呼吸をしている始末。どう考えても運動不足なのにこの楽さがまったく不可解でした。

1時間弱で奥駈尾根に到達。

大峯全域が世界文化遺産に登録されてからこんな立派な標識が建ちました。初めて見ます。KO-BUN
さんなんか喜ばないでしょうね。(小さな声で”私も・・・”)

尾根に到着してから5分も経たないうちに弥山からやってきた人が何と奇遇!
新宮山彦ぐるーぷ仲間の榊本さんでした。
12年前の9月の奥駈のときに、折からの炎天下のなかを縦走してきて水不足に苦しめられ、もう一滴の
水も無く、皆が水への飢えに力尽きようとしていた時に、大普賢岳頂上に居合わせた榊本さんが5リットル
の水を提供してくれ、我々熊野修験団は「地獄で仏」の思いをしたその人なのです。彼もそのころ神宮山彦
ぐるーぷへ加入され、それ以来、大峯でのお付き合いをさせてきてもらっていたのですが、私が修験団を引
退し、新宮山彦ぐるーぷの活動からも遠ざかったことからここ4年ほど会っていなかったのですから本当に
驚きました。大峯の名花オオヤマレンゲが弥山頂上ならまだ残っているのではと写真撮影に来た帰りだそ
うです。

私たちは登って来た道を引き返すことを話したら、せっかく奥駈尾根まで来たのだから、しばらく縦走して
一のタオ向こうのトンネル口に降りる道を降りてはとしきりに進めてくれます。
その道は16年前に皇太子殿下にお会いするために老山伏を連れて登った道なのですが、その当時もか
なり荒れていたことと、その後一度も利用したことがないのでためらっていると、「この分岐からの道より
段差は緩やかですよ。しかも昨年歩いたけれどしっかりした道でした。何なら私も同行します」とまで言っ
てくれるのでそれなら、と私たち家族も彼の勧めに従うことにしたのでした。
やはり榊本さんも大峯を深く愛する人間だなと思いました。私はいざ知らず、あまり大峯をよく知らないで
あろう私の家族に少しでも大峯の奥駈尾根の美しさを味わって欲しいという思いがその熱心な勧誘姿に
現れてました。

そして榊本さんのアドバイスに従ったのは大正解でした。
奥駈尾根をしばらく行くと視界が開けてき、北側に稲村ヶ岳からバリゴヤの頭にかけての稜線が見え、

南側には孔雀岳と仏生ヶ岳の山々が見えてきました。いずれも大峯の名ある山々です。

西の弥山の方角だけが雲に覆われ、弥山、八経ヶ岳が見えません。大峯全域が晴れていても弥山だけ
雲の中ということはしょっちゅうあります。

その弥山から北に派生する枝尾根の鉄山尾根。昔、ここから弥山を目指したこともありました。

ホトトギスの花が咲いてました。榊本さんは弥山頂上でもホトトギスを撮影してきたそうですが、こちらの
方が風が吹いてないので条件がいい、と三脚を立てて接写してました。画像はその榊本さんの写したも
のです。写真撮影もセミプロ級の腕前を彼は持っています。

やがて奥駈尾根は北に向かって走ります。のどかで牧歌的な尾根です。

このあたりのブナ林の風景は素晴らしいものがあります。ブナやヒメシャラの疎林帯は大峯の持つ柔と剛
のうち、柔の面を代表する風景と言えるでしょう。

やがて前方から若者の一団がやってきました。礼儀正しく、清々しい感じの若者達です。

先頭の若者の胸の名札に「八戸工業大学」という文字があるので「八戸って青森県の八戸のことですか
?」と尋ねると、ハイ、と彼は答えます。
「東北からはるばる大峯にやってきてくださったとは大感激です。写真を撮らせて下さい」と言って撮りま
した。真ん中の人が先生でお話を聞いてみると、8月に登山の高校生インターハイが大峯で開催されるた
め、下見に来たとのこと。
彼らは八戸工業大学付属高校の山岳部の皆さんでした。
今日日の都会の高校生には無いような素朴さと清純さを感じさせるものがあり、別れた後も何ともいえぬ
爽やかな気分に支配されました。
「みんないい顔をしていたね」と私が言うと、「キリッと引き締まった表情の男前ばかり。白虎隊を連想したわ」
と家内が言い、「お母さん、白虎隊は福島県よ」と娘が笑うと「福島も青森も同じ東北じゃない」と家内も言い
返します。
白虎隊ねぇ・・・家内もなかなか適切な表現をするものだなと感心したものでした。「確かに東北の人たちは
何かあの子たちのような雰囲気を持つ人が多い」と娘も頷きます。
娘には福島県から大阪に就職してきた若者二人を同じ趣味を通じて知っており、また東北の面白高原に行
くとき仙台から利用したローカル線に乗り合わせた乗客を見ていると宮澤賢治の世界にいるかのような気分
になった」と話してました。
とにかく印象深い出会いでした。

道中にヒメシャラの花びらが落ちてました。

「樹上高いところに咲くため、盛りのときにはほとんど見ることのできない花ですね」と榊本さんが言いまし
たが、確かにヒメシャラの花はこのような落下したものしか見られないのです。

一のタワの先にあるトンネル口分岐からの下山路は榊本さんの言ったとおり、段差の大きくない降りやす
い道でした。

所々の急斜面の樹林帯を見下ろしたとき、かすかに16年前に皇太子殿下にお会いするために登ってきた
ときのこの道のイメージが思い出され、一緒に登ってもうこの世にはいない二人の修験者のことが偲ばれ
ました。
下山後、榊本さんのカメラで記念撮影をして彼とは再会を約束して別れました。


(続く)