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怪帝ナポレオンV世 [フランス第二帝政全史](鹿島茂著・講談社)

もう、とにかく面白い!多忙な日が続いて一気に読むことができなかったのですが、寝起きの朝の床
の中、もしくは昼食時に毎日ワクワクしながら読みました。歴史物の読書でこれほど興奮したのは二十
数年前に
海の都の物語[ヴェネチア共和国一千年史]を読んで以来のことです。

私が今までに抱いていたナポレオン3世のイメージというと、この本の帯にも記されているように”アホ
で間抜けな”
”スケベーな”が付け加えられるピエロのような皇帝でしたが、それをこの本の著者は
豊富な資料を駆使してものの見事にくつがえすことに成功しているのです。
この本を読むと、間抜けな面は多少あったかも知れませんがアホな皇帝ということは絶対に無かった
と私も確信しました。
そして同時につくづくマルクス史観の及ぼした罪過というものを実感し、また、ジャーナリストや作家など
のインテリを敵に回すとこうも後々までイメージを貶められてしまう
ものか、ということを痛感したのです。
元々、無能と思い込んでいたときでさえ、あくどいことや残酷なことに手を染めた事がないこの皇帝のこ
とを多少の好感をもっていた私は読後、この皇帝への深い共感、同情、そしてこの皇帝の名誉挽回の
ために自分も一肌脱ぎたい、という思いさえ持つようになったのです。

世界一美しい都といわれる今日のパリの景観はこのナポレオン3世の大改造で実現したのです。
パリの美しいイメージに貢献するシテ島のシンボル的存在のノートルダム寺院は当時極度に過密化した
住宅街に囲まれていた
のを現在の景観に変え、同じくパリの象徴たる凱旋門が建つエトワール広場は
当時、凱旋門のみぽつんと建つ、閑散たる郊外の風景だった
そうですが、ここから放射状の道路が造ら
れたことによってその中のシャンゼリゼ通りがパリ第一級のストリートとなったのもナポレオン3世の大改
造によるものです。
フランスに鉄道が網羅されたのはこの皇帝がロスチャイルドを筆頭とする旧態依然としていた銀行家たち
の猛反対と妨害を押し切って、ベンチャー企業家たちに無担保融資をする金融機関を創設することによっ
て実現したのです。
国内の産業を圧迫するという官民あげての反対を押し切って独断で英仏通商協定を結んで関税を自由貿
易に踏み切ったおかげで、それがやがてはフランスの産業基盤を強くさせ、飛躍的に経済効果を発展さ
せたのです。そして関税に関する条約は他のヨーロッパ諸国にも及んでいき、今で言うEUの前身を造っ
たことになるのです。
若き日から労働者の保護に熱意を抱いていた皇帝は権力を手中にするなり、今の労災保険や失業保険
などのさきがけとなる労働者保護の熱心な施策を次から次へと実施したのですが、これはマルクスの資
本論が世に出る数年も前のこと
なのです。

そしてこの皇帝の生涯の輝かしい面を見るとき、もっとも興味深いのが大事をなす男は女性にもてるという
真実を実感することです。
決してスタイルもよくなく、風貌も叔父の大ナポレオンに比べたらどこか鈍重なのに何故かこの皇帝は女性
にもて、人生の苦難に遭うときいつも女性が彼を助けるのです。極めつきがクーデターを起こして政権を取
ろうとするときにはなはだしい資金不足に悩まされたこの野心家に3人の富豪の女性らが援助の手を差し
伸べます。ポナパルト家の皇女、フランスの侯爵夫人、イギリスの富豪未亡人らが惜しげもなく大枚のお金
を彼のために軍資金として用立てるのです。
カザノバも真っ青な女性遍歴の限りを尽くした男なのに妻の誇り高きスペイン王族出のウージェニー皇后は
夫が地位も名誉も故国も全て失ってイギリスでの亡命生活で衰えていくとき、最後まで彼を見放す事をしま
せんでした。
1873年にナポレオン3世が死去したとき、その葬儀にフランスから駆けつけた帝政関係者は一万人。その
中には88人の労働者代表団がいた
とのこと。

こんな人物を単純に”アホで間抜けでスケベーな”皇帝として決めつけられるものでしょうか。
ヨーロッパの近代史に関心を持つ人にとっては必読の書と言っても過言ではないと思います。
著者の鹿島茂氏の文章は”フランス第二帝政全史”という重厚な内容にも関わらず、フランス文学が専門な
だけに面目躍如たるエスプリに満ちた軽快な筆致で書かれており、それだけでも読書の楽しみを満喫させ
てくれます。