政治家の失言について考えてみる

2007/2/1(木) 午前 6:51 | 日本語エッセー | その他文化活動

暇なので柳沢厚生労働相の「女性は子供を産む機械」発言について考えてみる

パッと考えた所、3つくらいの論点があるような気がする

1・マスコミの報道の仕方
2・言葉とそれが表すものについて
3・民主主義について

とりあえず順番に考えていこう

1・マスコミの報道

大臣の発言はとりあえずこんな感じ

「15から50歳の女性の数は決まっている。生む機械、装置の数は決まっているから、
機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070128-00000005-maip-pol

この発言の主旨は

「女性の数は決まっているので、急に子供が増えることはない。なので、一人の女性が
二人以上の子供を産みやすいような環境を作っていかなくてはいけない」

というような事だと思う、たぶん

「機械」というのは、あくまでも女性を「子供を産む」という行為から見た一つの単位として
考えて、その比喩として使っただけの言葉に過ぎない。もちろん、この比喩は適切じゃな
いと思うんだけど、「比喩として適切ではなかった」というだけで、それ以上の意味合い
はないんだけど、それがマスコミ報道だと「柳沢大臣は『女性は子供を産む機械』と発言
した」という感じになる。前後の文脈が消えて『女性は子供を産む機械』という言葉だけ
を取り出してしまうと、実際の発言と、この言葉との間には、大きな隔たりが出来てしまう

大臣は「女性の数は決まっている」と言った。それだけだ。けれども、この文脈を切り取っ
てしまうと途端に発言が「女性差別」的なものに変わってしまう。

大臣本人が女性差別的な考えを持ってるかどうかというのは、わからない。まあ、戦前
の生まれなんだから、そりゃ多少は古めかしい考えを持ってるだろう。人間は若い時に
身に付けた価値観をなかなか変えたり捨てたりは出来ないからだ。

とはいえ、「女性は子供を産む機械」という言葉だけを取り出してしまうと、そこには急に

女性は子供を産んでお家とお国のために奉仕するべきだ
とか
子供を産まない女性には価値はない
とか
女性は男性と同等ではない
とか

そういう「とっくの昔に否定された(でもたぶん根強く残ってる)価値観を未だに引きずっ
て恥じない人」という推測を、こちら側が勝手に当てはめてしまいがちになるわけだ
何でそういう事が起こってしまうかというと、「一つの言葉が表すものというのは状況によ
って変わるので決して一様ではない」という、言葉の持つ性質があるから。マスコミ報道
は、この言葉の機能を意図的に利用して、ミスリードを誘ってる(ように見える)

ということで、言葉とそれが表すものの間にある揺らぎについて考えてみる

2・言葉とそれが表すものについて

例えば、大臣が

「女性は子供を産むための機械に過ぎないので、人権はない。社会進出などと言わずに
とっとと家庭に入って、家と国家のために子供をたくさん産むべきだ」

と言ったとしよう。

もしこう言ったとするなら、この文脈だと「大臣は『女性は子供を産む機械』と発言した」と
いうマスコミ報道が正しいものになる。多いに叩いていいし、こんな時代錯誤な事を言う
大臣は罷免されるべきで、国会議員である資格はない

んだけど、実際にはそんな事は言ってない。発言の主旨は「女性の数は限られている」
ということ。で、その比喩として「女性を機会に喩えて数えた」というだけのことだ。

「機械」という言葉には、いくつもの意味合いがある。一つの主体としてみた時の「何かを
生み出す装置」という見方や、「自然」としての人間と対になる「人工物」という見方、刺
激に対する反応を起こすもの、あるいは、継続して動作をするもの、自立した判断や決
断が出来ないもの。まあ、いろいろだ

人は会話の中でいろいろな言葉を使うのだけれど、一つ一つの言葉それ自体は、「機械
」という言葉と同じく意味が揺らぐものだ。「金」という言葉を、銀行で使う場合と、政治で
使う場合と、企業が使う場合と、ヤクザが使う場合とでは、たぶんそれぞれ微妙に「金」
の意味が違う。

「博士」という言葉を「知識を身に付けた人」と取るか、「頭でっかちで生活力がない」と
取るか、あるいは「帰国子女」という言葉を「国際的な視野を持つ人」と取るか「自己主
張が強くて協調性に欠ける」と取るか、それぞれの文脈で異なってくる。


「機械」という言葉からは多くの意味合いを推測する事が可能で、逆に言うと、一つの言
葉だけから特定の意味合いを抜き出す事は、ほとんど不可能なわけだ。

でも、例えばそれを「女性は子供を産む機械」という文章の中に組み入れてしまうと、そ
の「機械」という言葉から導き出される意味は、間違いなく「非人間的」で「差別的」な意
味合いを含んでしまう

「女性は子供を産む機械」

という文章と

「女性を子供を産む機械として考えると、その数は限られている」

という文章で考えると、「機械」の意味合いが全く異なることに気付くと思う。後者の文章
には、(喩えとして不適切だとは思うけど)差別的な意味合いはほとんどない。そこから
差別的な意味合いを導き出そうとするなら、それはむしろ邪推というものだ

マスコミの報道の仕方は、この「邪推」を「真意」だと勘違いさせるようなもので、非常に
不公平かつ、不適切なやり方だと思う。マスコミの本来の使命は「情報を正確に伝える
事」だと思うんだけど、少なくとも今回の報道を見る限り、情報を「正確に」伝えているとこ
ろはほとんどない

そんなわけで僕なんかは「何でこんな意味のない騒ぎをするんだろう?ひょっとして同じ
マスコミの『あるある』がやらせだったから、そこから目をそらさせるためのカモフラージュ
か?」なんて邪推をしてしまうわけだ

今の議論からは本題である「少子化をどうすべきか」という問題をほとんど導き出す事は
できない。でも、政治の役割は本当はこっちで、マスコミだって日本は民主主義国家な
んだから、余計な邪推をするんじゃなくて、本題である少子化をどうすればいいかってこ
との議論を喚起するような報道をすればいいのに、そういう事はしない

だからまあ、「やれやれ」って呆れるしかないんだけど、実際民主主義って制度はこんな
程度だよな、なんて事も思うので、「しょうがないよな」なんて事も思うわけだ

ということで、民主主義について

3・民主主義について

この大臣の発言はよろしくない。とりあえずそれは間違いない。「昔の人だからこう考え
てもしゃあないか」と思う一方で、「大臣なんだから発言の一つ一つをしっかり意識すべ
きだ」とも思う。文脈を切り取って揚げ足を取るなんてのは昔っからあるマスコミの常套
手段なんだから、そこらへんには十分気をつけるべきだと思うし

んだけど、柳沢厚生労働相を国会議員として選んだのは、当然ながらその選挙区の有
権者で、その議員を大臣にした安倍内閣を支持してるのは、国民だ。

なので、アホな議員がアホな事を言ったとしたら、その議員を選んだ有権者がその程度
だったわけだし、反省すべきはそういうアホを当選させた選挙区の有権者だ、と思う

こういう本質的な議論が全くなされないという所に、いろんなあれこれの問題があるんだ
と、僕は思うわけだ。

例えば「あるある」が捏造をしたのは悪い事だし、別にそれが許されるわけじゃないんだ
けど、そういう情報を調べもしないで鵜呑みにする視聴者に全く責任がないとも思わな


テレビ番組ってのは視聴率によって作られるわけで、「〜を食べたら痩せる」なんて、ど
う考えても胡散臭い情報が流れてる番組を、たくさんの人が見たからこそ(ついでに、そ
れを信じてスーパーに買いに走った人がたくさんいるような現象が起こってたからこそ)
テレビ番組は捏造をしてでも「視聴者が見たいと思う番組」を作り続けたわけだ


政治家でもマスコミでもどっちでも良いんだけど、そういうものってのは突き詰めて考え
ると、結局は僕ら一般市民の行動に対する「反応」として存在してる。投票しなきゃ議員
にはならないし、テレビをつけてチャンネル合わせなきゃ番組は見られない。

連中は「僕らの行動」の「結果」に過ぎないのであって、もし、その「結果」の内実が悪い
ものだったら、それは「行動」が悪いものだった、そういう事なんじゃないだろうか?

もちろん、失言や捏造を叩くのは簡単だ。連中は良くない事をしたんだから、叩かれるの
もしょうがないかな、という気もする。でも、こちら側に責任が全くないとも、僕は思わな
い。

日本が民主主義国家である以上、政治家の失態の責任は、常に国民の側にある。アホ
な議員は当選させてはいけないし、僕らは政治を常に監視していかなくてはいけない。
これは、国民の義務だ。

でも、そういう意識を持って政治にコミットしてる人というのは、実の所、世の中にほとん
どいない。まず第一に、政治なんてものはあれこれ複雑でよくわからない。そんで、自分
たちの行動(投票)と、具体的な結果(議員の政治活動)との間に、ほとんど致命的とも
言えるくらいの、大きな大きな断絶がある。最後に、僕らは僕らで、自分たちの生活が
忙しくて、そんなものに関わってる暇も時間もない

こういうあれこれの課題を乗り越えるためにしなければいけない事というのはたくさんあ
るんだけど、具体的にそれぞれの個人が出来る事というのは限られている。なので、当
面すべき事はいろんな物事についての意識を高めて、直情的なリアクションを取らずに、
いろんな状況をじっくり判断していくという、地味で時間がかかる事しかないんじゃない
か、と思う

こういう、「粘り強く考えていく事」が、たぶん今の世の中に一番欠けてる事で、僕はここ
んところが一番怖いなと、そんな事を思うわけだ。

http://blogs.yahoo.co.jp/ka_tate/45800568.html