男と女の関係についての私の所見
(茅ヶ崎における「男と女の関係」フォーラムによせて) 1998.03.13 リワキーノ


S.マホさんからいただいたメールに次のような言葉があります。

14日の当日は、もっと個人個人が、「男女関係のこんな点でとまどうことが多い」とか、「こんな役割
分担に縛られている」というような、それぞれの生活での経験をシェアし、それを全体的に眺めてみ
る、というようなことができればいいな、と思っています。もしお忙しいなか文章を書いていただける
のであれば、参考文献を読んでというより、リワキーノさんの経験、または経験に基づく指摘を頂け
れば幸いです。

このようなものでよければ私にも何とか書けそうだと思い、以下、佐藤さんのお言葉にすがって、私
の「男と女の関係について」の特に「女性」への思いを記しました。ただ、時間に迫られて上手い具
合に論理的に書けず、いたずらに長いだけで支離滅裂な面があるかと思いますが、ご容赦ください。

最初にお断りしておきますが、私はもう50年、人生を生きてきているのに、いまだにいたって女性に
ついての確固たる考えというものを持っておりません。ただ、妻と娘、そして二人の姉、という複数の
女性をごく近い身内に持ち、ピアノ調律師という職業柄、接するお客の9割以上が女性で占められて
いるといった、世間一般の男性よりは女性に接する機会が多い中年の男の感じたことを思いつくま
まに記したいと思います。

まず、男らしさ、女らしさの概念についてですが、これは心身の性の違いから由来するもののように
思われ、これが男女関係の平等問題に影響を及ぼすものとは思いません。
精神の活動のなかでも、男女では微妙な違いがあったり、分野によっては向き不向きのものがある
ことも事実だと思われますが、男らしさとか、女らしさという形容も、元々男女の心身の違いを表現し
ているようなもので、これは差異の問題であり、これを口にするからといって差別ではないのではな
いか、と思います。

ただ、一般では男らしさと女らしさの特徴を取り違えているような人達もいることは確かで、たとえば、
勇敢さとか、忠節であるとか、腕力、体力に勝れるとか、有能で指導力に富むとかいった資質は男
にこそふさわしく、このような資質を持つ女性が「女らしくない」「可愛くない」と思いがちな男女が結
構多く存在するようです。
私は、上に挙げた諸資質は、男らしさとか女らしさには何の関係のないものであり、男女に関係なく、
いずれの資質も人間としてあったほうが良いに決まっていると思っております。少なくとも、そんな
資質ゆえに女らしくないとか女性としての魅力に欠けると感じることは絶対にありません。
深窓の令嬢のように内気で異性の前で恥じらうような乙女でありながら、いざというときには勇敢さ
と忠実さ、そして有能さを発揮する女性を私は、現世のなかにも歴史上の中にも多く見つけることが
できます。
私にとってそのような女性は、10代の若い少女であろうと80を過ぎた老婦人であろうと、尊敬し深く
惹かれます。

私は、男性と女性はすべてにおいて平等な資質を持ってこの世に生まれてきたとは決して思いませ
ん。平均的数値でいえば、男のほうが女よりも体力もまさり、身体も大きいし、また、男であったら誰
もが痛感する性への衝動は、女性にくらべて遙かに激烈なものがあり(このことが男にとってどれほ
どハンディを背負わされているかは女性にはなかなか理解できないところがあるのではないでしょう
か)、このことが男女の間において女性をしばしば被害者の立場に陥れるというゆがんだ関係をつく
るのではないか、と思います。

また、慣習的なものから由来するのでしょうが、女性は男と違って、性器の一種といってもよい乳房
というものを持っており、少なくとも文明国(ちょっと抵抗のある言葉ですが)では、女性は人前では
上半身をむき出しにすることはしません。これはちょっと考えると日常的にはしばしば女性にとってハ
ンディになっていることは間違いないでしょう。夏のクソ暑い日に家庭や、ごく親しい仲間内で酒盛り
でもしているとき、あるいは海浜で遊んでいるとき、暑いからと言って男は上半身をすぐに裸になるこ
とができるのに女性はそれができませんね。私ら男性でさえすごく暑いだろうな、と同情してしまいま
す。
また、トイレのことでも、男はいざというときは屋外でも何とか用足すことができるのにくらべて、女性
はまさか、山登りの時とかは別として、そんな真似はとてもできないことでしょう。
ですから、こういった女性ゆえのハンディを背負っている存在に対して、男女平等の考え以前に、女
性を保護する姿勢は絶対に大切だと思います。

これは何も、電車やエレベータに乗るときに女性を優先させるとかいったレディーファーストの精神を
言っているのではありません。あれは西洋流のマナーであり、日本には本来なかったもので、何も
すべて真似する必要は無いと私は思います。むしろ、女性をかよわいもののように決めてかかって
扱う姿勢は私にとっては、欺瞞めいたもののように映ります。
そんなことに気をつかうより、街中、あるいは行楽地、公共施設などの人の多く集まりやすい施設の
公衆トイレをもっと改善したり、妊産婦を公共の場で見かけたら徹底して保護するようなことに力を入
れたら良いのに、と思います。

人が大勢集まるところでのトイレでは、たいてい女性の方は長蛇の列で、私ら男性はそれを横目で
見ながら待つことなく男用に入っていくという状況を多く目撃するように思います。何故、そうなるの
かは私は解らないのですが、ただ、私にはっきり解るのは、現実に同じ生理現象を処理するのに、
女性は列をなして待っているのに、男性は待つことなくすみやかに用を足しているという状況が起き
たとき、そのような不公平な状態を放っておくべきではなく、急遽、いくつかのトイレを臨時女性用に
かえる手を何故打てないのか、ということです。

また、電車の中で、一目見てかなり身重の妊産婦が吊革を握って立っているのに知らぬ顔をする人
達が多いですね。女性のそれも結構中年の方にも素知らぬふりをしている人も見かけるときがあり
ますが、これはやはり恥ずかしいことだと思います。
こんな基本的な面でも女性はまだまだ、不利を強いられているようであり、これらの改善から男女平
等の思想は議論していかなければならないと思います。

そして私は、男性の立場から今の社会を見ていて、女性にはかなり不利な状況がまかり通っている
ことを実感いたします。
男女の別などまったく関係ないことがらで女性が行動し、発言するときに、女性ゆえの偏見を持たれ
ることや、女性ゆえに不利な目にあうことがあまりにも多いように感じます。
職業に就こうとするときに女性ゆえに受ける差別や、職場における差別については、限られた電子
メール作法のなかでは簡単に論じられないところがありますので、ここでは省きますが、14日のフォ
ーラムではどうかおおいに論じ合って下さい。

さて、ここで私の一人の友人のことを紹介して、このとりとめのない私の話を終わりにさせていただき
ます。
S.K氏は、私が組織に嘱託社員として所属していたときの元同僚でして、同じピアノ調律師です。組
織に今吹き荒れるリストラの波が押し寄せてきて、我々嘱託社員にもその強いあおりがきたとき、一
緒に画策し、行動して独立をした仲間です。
私より3才年下ですが、素晴らしく頭の冴えた人でして、私たちの独立が組織の妨害を受けずにパ
ーフェクトにやり遂げられたその大半の功績はこのS.K氏の緻密な頭脳と、組織を恐れさせ得るほ
どの気概によるものと私が信じるほど、有能な男性なのです。
この彼が30を過ぎて結婚した女性は室内インテリアの設計技師で、自分で事務所を持ち、人も雇っ
ているのですが、優秀なゆえ仕事が多忙で、忙しいときは午前様になることもしょっちゅうあるので
す。
そしてS.K氏は、多忙な妻の代わりに、自分が主婦業をすべて引き受けているのです。もちろん、
調律師としての仕事をして立派な収入をあげながらです。
彼のマンションを用があって訪ねていきますと、機能的に作られたダイニング付きリビングルームで
私の応対をしながら、料理の下ごしらえをやり、洗濯機のようすも時折見に行き、リビングとダイニン
グを仕切るカウンター上にあるパソコンと電話を利用して、ときたまかかってくる仕事の電話の対応
をする、といったまさに主婦業と仕事とを両立させてこなしているのです。
また、彼は、男の子が誕生してからは、保育所の送り迎えかはすべて引き受け、子供が小学校に上
がると放課後に留守家庭児童保育に預けならねばならなくなるのですが、少しでも子供と接触する
時間を持とうと思い、奥さんが日曜祝日は定休日なので、自分が日曜、祝日に仕事にでかけるよう
にして月曜日を定休日とし、その日だけは放課後に留守家庭児童保育所には行かせずに家で子供
とすごすのです。

さて、何故この友人の話を長々と記したかと言いますと、私は、この友人の姿勢に、今の日本社会で
欠けている男性の女性に対する思いやりと理解が如実に現れていると思うからです。
まず、S.K氏はこの主婦業を兼ねる生き方を嫌々ではなく、義務として信念を持ってやり続けている
ことです。調律師である自分は朝はゆっくりでき、夕方は早く戻ってこれるのに引き替え、妻は事務
所を経営しているため、いつも最後まで残らなければならず、仕事の追い込みに入ってくると徹夜に
なったり、タクシーでなければ帰宅できないほど深夜の帰宅が続く以上、自分が主婦業を引き受け
るのは当然のことである、と。
また、いい中年の男が、ベランダで洗濯物を干したり、総菜の買い物からゴミ出しまでやっている姿
は同じマンションの口さがない人達の噂の的になっていることは承知しているが、それが男の沽券
に関わることとはまったく思ってもいず、何も恥ずかしいとも思わないこと。
これは、主婦業を男性がやるのは何か男らしさに欠けるというニュアンスを多くの男女が抱いている
のではないかと思われるのですが、S.K氏は親しい私でも時々辟易することがあるくらい性格はか
なりきつい方でして、納得のいかないことに安易な妥協はせず、組織にいる時の会議でも歯に絹着
せずの物言いをし、不当な仕打ちをされると倍返しするくらいの気概があり、風貌はやさ男風ですが
多くの人達に畏怖感を抱かせるほどこわもてのする、いわばひどく男らしいタイプなのです。

組織にいるときに、ある若い女子社員がたいへん仕事をよくやるにもかかわらず、その女性の勝ち
気な性格が災いしてか、男性社員らの評判が良くなく、直属の上司にさえ正当に評価されず、「女の
くせに」とか陰口がたたかれるのに非常に憤りまして、彼自身、その女性の性格をあまり好ましくは
思っていなかったのですが、職業人は仕事で有能なことが評価されるべきであって、性格で云々す
るべきではなく、ましてやその性格が女ゆえに貶めいれるなんて最低だ、と吐き捨てるように公言し
たものでした。

私が、彼の共働きの姿勢に感じ入りながらも、自分ではなかなかその真似ができないことを話すと、
「それは、リワキーノさんが現在の男女不平等の考え方に甘えているのであって、心底女性への思
いやりにかけるからだ」と痛いところをつかれて言葉に詰まったのですが、彼は、女性であろうと男
性であろうと、人間としてまた、社会人としての扱いは平等でなければならず、生じる義務について
も平等に分担しなければならない、という強烈な男女平等論を信念として持っているように思います。

そしてここで注目することは、彼の場合は、女性への深い思いやりと理解を示しますが、人間として
劣る面や甘えた面を見ると、女性といえども関係なしにかなり手厳しく批判することなのです。
男女平等は女性にも厳しいことを強いることも事実で、女性も一社会人として公平に扱われるために
は女性ゆえに持つハンディ以外のところでは対等に義務と責任を負う覚悟は必要かと思います。