NHK特番に政治家の圧力があったという朝日新聞記事の波紋

2101 朝日新聞の記事 投稿者:駄才小寒  投稿日: 1月16日(日)11時54分38秒

自民党の有力政治家がNHKの番組に圧力をかけたという報道が話題になって
います。発端は1月12日の朝日新聞の記事で、

「(政治家が)放送前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘
 していたことが分かった。NHKはその後、番組内容を変えて放送してい
 た」

と述べ、続いて「今回の事態は、番組編集についての外部からの干渉を排し
た放送法上、問題となる可能性がある」と意見を述べています。この意見は、
翌朝の「社説」でも繰り返されています。

1月13日の記事には、NHKの当時の番組担当デスクが記者会見を行った記事が
出ています。概要は、政治家がNHKの国会担当局長を呼び出し放映中止を求め
たので、放送前日にNHK幹部(担当局長と放送総局長)が二人の政治家を尋ね
内容を変更するから放送させて欲しいと要請したというものです。

これに対して、NHKと政治家はこれを否定しました。政治家の一人は放送前に
面会したことはない。他の一人は放送の前日にNHK幹部と会ったが、それはこ
ちらから呼び出しのではなく、その番組についてもすでに編集は終わっていて
変えるように圧力をかけた事実はないと否定しています。この反論は、14日
の朝日の記事に掲載されています。

事実の問題として明らかにしなければならないのは、大まかにいえば、二点
あります。一つは、NHKの幹部が二人の政治家といつ会ったのか。放映前に
会ったのか否か。第二に、放映前日に一人と会ったのは事実のようですが、
この際に政治家による「圧力」があったために、番組の変更がなされたのか
否か(一部変更があったのは事実)。

この問題は、二人の政治家の政治生命にもかかわるだけに、NHKの担当デスク
の主張をそのまま受け入れるような形で報道し、社説で二人の政治家を厳しく
批判した朝日新聞は、再度調査した上で、「事実」を明らかにする責任があり
ます。そして、もしも報道した「事実」が誤りであったら、二人の政治家と購
読者に謝罪をしなければならない、と私は考えます。皆さんはいかがでしょう。

2102 『プロパガンダ 北朝鮮VS日本 情報戦』 投稿者:怪盗ルパンX・P  
投稿日: 1月16日(日)14時07分15秒

拉致問題の北朝鮮の態度に日本国民は怒りました。

NHK制作"模擬裁判 従軍慰安婦"? 見てないのでコメントの資格は無いのです
がプロパガンダについて話したいのです。作品についてはプロデューサーを中心
に事実を真摯に伝えようとしたと思います。情報を得た政府は放映内容が国益に
反すると判断し、『偏見の無い公平な放映を!』と、圧力をかけたのです。プロデュー
サーも政府もその行動は当然のことと思います。それが何故今 ?

この事件を北朝鮮はプロパガンダに使っているのです。
経済制裁に踏み切ろうとしている日本政府に対して
北朝鮮はプロパガンダを始めたのです。

『君達日本国民は第2次世界大戦で朝鮮人女性を無理やり拉致し従軍慰安婦と
して戦地に送ったではないか。北朝鮮の拉致よりもっと非人道的あ〜る。』

各国が国益のため必死こいています。
国民一人一人もR-June ご紹介の「ある投稿」に見られる様、善い人ばかりです。
北朝鮮のプロパガンダに乗ってはいけません。

007 a・l・n 

2105 Re:朝日新聞の記事 投稿者:Eguchi@Home  投稿日: 1月17日(月)00時05
分20秒

放送の現場に携わったことのある経験から言えば、最初に問題とすべきは、
政治家が現実に圧力をかけたかどうかよりも、局内の上層部が現場に圧力をかけて
一旦完成した作品の再編集を命じたかどうかです。

NHKの広報は「”通常の範囲内”の再編集であり、圧力により再編集をした
訳ではない」としています。(朝日新聞を始めとする新聞記事)

しかし、一旦、外部に発表し、各種番組雑誌にも掲載されている放送時間を
その後に短縮し、放送当日もぎりぎりまで編集をするようなことは、最新状況を
放りこむのが使命のニュース番組ではありえますが、そうでない番組でそのような
ぎりぎり編集をすることは絶対に”異常な状況”であり、断じて”通常の範囲の編集”
ではありません。

その限りにおいて、NHK広報の発表は、NHKの内部において異常な状態が発生したことを
自ら認めている”頭隠して、尻隠さず”の発表です。

今回の場合、最初に朝日新聞が問題とすべきは、そのような異常な番組制作状況で、
「受信料を徴収して経営が安定している報道機関」と言えるのかどうかをまず告発
すべきなのです。

その上で、「いや、それは政治家の圧力に屈した結果」などという釈明があれば、
政治家への追求に転じるというステップを踏むのがまっとうな調査報道の王道なのです。

二人の政治家は「圧力をかけてはいない」と言っていますが、これは表面的にはその
とおりでしょう。大物の政治家は大物の総会屋と同じく、”明確、具体的に”圧力を
かけたりはしません。それが大物の大物たる所以なのです。

その筋の世界でも、大親分は「あいつは最近気にくわない」としか、つぶやきません。
そのつぶやきを忖度してチンピラが勝手に「玉をとって来る」のです。そして、
「私が勝手にやりました」と言うから、大親分を殺人教唆でしょっ引くのは不可能
なのです。

ところで、今回の報道をつぶさに分析すると分かることは、時期と内容には食い違いが
ありますが、放送日前後に「会った」という事実はあったようですね。そして、
チンピラがおそらく忖度して、「玉をとりに走った」のでしょう。

だから、問題とすべきは、報道機関、まして受信料による安定収入がある優越性を
持つNHKが、かかるチンピラレベルの矜持なき報道機関に堕すことの是非を正面から
論じるべきであり、政治家が圧力をかけたか否かという矮小的事実をあげつらう
ことではないのです。

ところで、報道機関に限らず、経営幹部と現場の意見が対立した場合、余程常日頃に
現場を歩いているような幹部でない限り現場に理がある(と、いうよりも常日頃、
現場を歩いている幹部であれば現場との対立関係はまず起きません。)というのは
経営常識です。

諫言をしてくれる部下を持たない社長ほど、可哀想な社長はいません。でも社長は
孤独だから、つい茶坊主が可愛く思えるようになって、道を過つのです。

今回の事件は、昨年の一連の日経新聞の騒動と軌を一にするものであり、おそらく
あの現職部長の反乱が社長退陣のきっかけとなったように、同様な展開が始まる
ことでしょう。

2106 Re: 朝日新聞の記事 その2 投稿者:Eguchi@Home  投稿日: 1月17日(月)
00時51分25秒

ところで、この事件に対する外国人ジャーナリストの生の感想を少し追加します。
(昨年11月に(社)日本外国特派員協会の準会員としての入会が認められたので、
最近、外国人ジャーナリストとの会話のチャンスが出来ました。)

金曜夜に新年パーティがあったので、4〜5名と談笑したのですが、今回の
朝日新聞の報道する政治家の圧力の有無に関しては、全員が「有ったに違いない」と
受け止めていました。「TVニュースで見る否定ぶりが、有ったことを認めてるよ。
本当にやってないなら、あんなにむきになって否定することはないさ。」というのが
一致した理由でした。(映像は言葉で誤魔化しても表情が誤魔化せないので、怖いの
です。)

しかし、圧力をかけることの是非については、「別に問題はない。それが彼らの仕事
だし、与党議員である以上、当然の職務行為だよ。」との感想。

で、「君らのところで同じような圧力があったら、どうする。」と質問したら、
これまた全員が「CEOもCOOも皆、一線を退いてはいても、根はジャーナリスト
だからね。話は聞くけど、フォローはしないと思うよ。話を聞くのは議員という職に
対する敬意・礼儀というものさ。でも、フォローしないのは、ジャーナリストととして
の矜持とジャーナリズムという職務に対する忠義さ。」という回答。

さらに突っ込んで「でも、もしも役員が記事の改変を指示して来たら?」と
聞いてみたら「編集の現場に直接改変を指示して来たら、翌日の新聞には
空白の部分が生じて、翌々日には記者組合がスト決議をして、一週間後には
役員が辞めることになるさ。」「でも、辞めること自体よりも、そんなことで
辞めたら、誰も彼を以後ジャーナリストとして認めないだろう。それが一番の
ペナルティさ」とのこと。

外国特派員協会では、毎日のように昼食会を兼ねた記者会見を持って、時の人を
招待して質疑応答をしていますが、近々、かのNHKのCPをゲスト・スピーカーに
呼ぶようです。日本の記者会見とは違った、絶対になあなあではない質疑応答が
ありますので、その結果、報道に値すると各記者が思えば、日本発の記事になる
ことと思います。(昨年、日経事件のおりも、かの部長がゲストに迎えられて、
その後、Newsweekの記事になったことが、あの社長にとっては大ショックだった
ようで、辞任の引き金になった、という話を日経の知人から聞きました。)

2116 圧力をかけたか否かは矮小的事実? 投稿者:駄才小寒  投稿日: 1月18日
(火)23時50分44秒

怪盗ルパンX・Pさん、Eguchiさん

朝日新聞の記事に端を発した政治家の放送番組に対する圧力の問題は、
今日、朝日が再び一面を使って主張を繰り返したために、まだ続きそう
です。さて、ここでは「圧力」ということに絞って意見を述べてみます。

>情報を得た政府は放映内容が国益に反すると判断し、『偏見の無い
>公平な放映を!』と、圧力をかけたのです。(ルパンさん)

>金曜夜に新年パーティがあったので、4〜5名と談笑したのですが、
>今回の朝日新聞の報道する政治家の圧力の有無に関しては、全員が
>「有ったに違いない」と受け止めていました。(Eguchiさん)

お二人とも政治家による「圧力」があったと信じておられるようですが、
安倍晋三氏はそれを否定しています。朝日は「圧力」があったというこ
とを、NHK幹部からの情報として主張していますが、当のNHKはそ
の幹部は圧力とは感じられなかったと述べていたと、朝日の主張を否定
しています。

このような見方に対して、ルパンさんやEguchiさんは、さほど「圧力」
を問題視されていないように見える。むしろ、Eguchiさんに至っては、

>政治家が圧力をかけたか否かという矮小的事実をあげつらうことではない
>のです。

と政治家の「圧力」などは問題ではないと「良心的民主主義者」が聞けば、
眩暈を起こしそうなことを仰る。

私はお二人が云おうとすることを理解できるつもりです。が、云うまでも
なく、朝日の狙いは、二人の北朝鮮強硬派の政治家がマスコミに「圧力」
をかけたと主張し、それは公共放送法3条の「放送番組は、法律に定める
権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されること
がない」に違反し、さらに憲法第21条1の「集会、結社及び言論、出版
その他一切の表現の自由は、これを保障する」にも違反したと批判する
ことで、二人の政治生命を奪おうとすることにあります。

それゆえ、私は「圧力をかけたか否か」が矮小的事実であることに同意
しながらも、やはり有為な政治家の政治生命がその矮小的事実にかかっ
ている以上、やはり「圧力があったか否か」を検討する必要はあると考
えています。

安倍氏があれほどムキになって「圧力」を否定していたのは、そのよう
な矮小な事実が政治家の政治生命を奪うほどの問題に発展するこの国(哀
しいかな、こういう時は「この国」と言いたくなるのです)の未熟さを
熟知しているからだと私は考えます。

2125 政治的圧力と放送番組 投稿者:Eguchi@Tokyo  投稿日: 1月19日
(水)12時44分26秒

・瑣末ではありますが、まず「”公共”放送法」という法律はない
ので、「放送法」(昭和25年5月3日 法132)に訂正させて下さい。
(一応、法律を生業としているもので・・)

・で、この第三条ですが、有斐閣発行の六法全書では、この条文には
「放送番組編集の自由」と題・見出しがつけられています。

・余談ですが、放送法に限らず、六法全書に搭載されている法律条文の
”題:見出し”は、すべて発行元である各出版社の責任において便宜的に
付加されたもので、本来の法律条文自体(分かりやすく言うと、官報に
記載されたもの)には、この類の題:見出しはついてません。

・で、この第三条「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、
何人からも干渉され、又は規律されることがない」ですが、この条文の趣旨は
分かりやすく言えば、「”放送局”は法律の定める権限による干渉または規律には
従いなさい。でも、それ以外には従う必要はないですよ。」ということなのです。

・決して「”放送局以外の者・団体”が、放送番組に対する要望を出来るのは、
、法律に基づく場合でなければならない。」という意味ではありません。

・だから、二人の政治家が圧力をかけたかどうかは大した問題ではなく、NHKが
上記の条文の趣旨を自ら否定・放棄したと思える事象を追求・検証する方が大事
なのです。告発したCPもそこを問題としていました。(会見の模様の民放TV中継)

・二人の政治家が有為な政治家かどうかについての判断は分かれるところです
が、この二人の弁明はかなり頂けないというのが私の感想です。堂々と
「私は国益に反すると考えて話をしました。信条に従って行動するのが政治家
としての責務と思います。この意見を取り入れるかどうかはNHKが決定する
問題であることは当然であり、私の要望をNHKが自主的に判断されたものと
理解しています。」と言えばよいのです。

・それを「会ったけど、そんな話はしていない。NHK予算の話でした。」とか
「会ったけど、放送後」だとかの釈明で、それこそ、話を矮小化して目先を
かわそうとする様子をみてると、”政治生命”を失ってもらっても別に構わないと
思いたくなります。

・ところで”政治生命の喪失”っていうものは有権者に見放されたときに
始めて生じるもので、前述のとおり、堂々としてたほうが彼を支持する有権者は
増えると思うのは私だけ? 私は、安部氏が「未熟さを熟知している」とは思えず、
あれほどムキになってるところが安部氏の政治家としての”未熟”さを露呈している
と感じています。

2126 (社)日本外国特派員協会 投稿者:Eguchi@Tokyo  投稿日: 1月19日
(水)13時13分29秒

>それにしてもEguchi君、
>>(昨年11月に(社)日本外国特派員協会の準会員としての入会が認められたので、
>>最近、外国人ジャーナリストとの会話のチャンスが出来ました。)
>とは凄いですね。
>どのような資格をとると準会員として認められるのですか?

この俗に「外人記者クラブ」と言われる会員は正会員と準会員に分かれます。

正会員は、日本以外の国のメディアの日本駐在特派員(国籍を問わない)及び
外国に駐在したことのある日本のメディアに所属する新聞記者/放送記者。

準会員は、上記の正会員の2名の推薦があり、協会が認める者。
(内規によれば、正会員は推薦にあたり、会員に相応しいと判断した者のみを
推薦すること、ということになっています。)

「協会が認める」というのは、具体的には資格審査委員会というのが判断する
のですが、過去・現在のメディアとの関わりや、申込みにあたり提出する
キャリア・シートなど(申込書・付属書類は英文)を参考にするそうですが、
過去に拒否された例はないそうです。(正会員が責任持って推薦するので)

東京・JR有楽町駅前、徒歩1分。ダイニング・ルーム、食事も出来るBARがあり、
会員用図書室(実はこれが使いたかった。)があり、ほぼ毎日、ゲストを
呼んでの昼食会(記者会見を兼ねる)があり、年末年始以外はCLOSEなし、
ということで便利です。 帝劇も近いので、上京のおりに時間作って
くれれば案内しますよ。(>>皆様)

2127 外国人ジャーナリストから見た日本のマスコミ 投稿者:Eguchi@Tokyo  
投稿日: 1月19日(水)17時15分35秒

「週刊現代」の定期連載コラムのひとつに「週刊メディア通信簿」という
1ページ・コラムがあるのですが、その執筆陣の一人に今週発売の号(1月29日号)
より、ビジネス経済誌「フォーブス」のアジア太平洋支局長である フルフォード氏が
加わりました。 この一部を以下に紹介します。 全文をお読みになりたい方は
購入されるなり、病院の待合室などで、ご覧下さい。 なお、ご存知とは思いますが
この「フォーブス」は「エコノミスト」と並ぶ一流ビジネス経済誌であり、同氏は
一流のジャーナリストです。また、雑誌の制作体制からみて、この原稿は昨年末、
すなわち、今回の騒動前に書かれたものです。(以下、引用:・・・の部分は省略部分)

”・・・「日本でもっとも信頼出来るメディアはNHK。その次に大手新聞社や、彼らの
持っているテレビ局。夕刊紙や週刊誌は嘘や噂や誤報の固まり。そしていちばん
どうしょうもないのは、いわゆるブラック・ジャーナリストや総会屋」
日本のマスコミの位置付けは、昔からこう言われています。 私も来日当初は、
その序列を鵜呑みにしていました。 しかし20年間、日本で取材活動をし、
真実はその逆だという結論に達しています。いちばん信頼出来る情報源はなんだと
思いますか? 右翼の街宣車です。・・・住専処理の時、大蔵省(現財務省)の
周囲を走っていた街宣車は、どの政治家が大蔵省出身で、暴力団組織や金融業者から、
いくらもらったかまで発表していました。もちろん大手新聞社は、住専問題の内実を
知っていたにもかかわらず、住専がヤクザに大量のお金を貸し付けたことすら、
先頭に立って書くことはしませんでした。・・・週刊誌や夕刊紙は、広告を出している
大手企業に若干甘いですが、基本的に権力と戦う体勢があり、権力からかなりイジメ
られます。 大手新聞社よりもかなり気を付けて記事を書かなければ、必ずと言って
いいほど訴えられます。・・・週刊誌はフリージャーナリストをよく使います。
日本のフリージャーナリストの多くは元大手新聞の記者で、報道の自由が無いことに
嫌気が差し、新聞社の肩書と経済的安定を捨てて、フリーの道を選びます。体制側の
広報マンになるより、不安定な生活を選ぶ日本のヒーローです。 大手新聞社は、
体制の広報紙になりがちです。記事の半分以上は、公的機関の記者クラブへの発表文
そのものです。スポーツや娯楽や他の無難なネタを除く、ほとんどが政府のプロパガンダ
です。あるロシアの外交官が「昔のソ連時代のPravda(共産党中央機関紙)
そっくりだ」と話していました。だから、大手新聞社も、政府や公的機関の発表した
ことについて、事実確認をほとんどしませんし、訂正記事もまず出しません。
ニューヨーク・タイムズですら、ほとんど毎日のように訂正記事を出しているのに
です。 そしてもっとも情けないメディアは、NHKです。正直申し上げて、無意味
なので見るのを止めています。この連載のために見ようと思ってますが、彼らの
報道スタンスを一言で言えば、「臆病」です。 報道の中立性などと言って、反響を
生みそうな話題を避けます。しかも国民の味方ではなく、政府のペットです。・・・
民放もタブーだらけですけれども、親会社の新聞社よりマシです。彼らは田中真紀子氏
や長野県知事の田中康夫氏の言葉を、そのまま直接国民に伝えていますからね。しかし
勇気あるディレクターもいますが、『華氏911』並みに政府を批判することは、
まずあり得ないでしょう。”

2129 放送人の会 という団体の紹介 投稿者:Eguchi@Tokyo  投稿日: 1月19日
(水)17時50分5秒

一口に放送と言っても、報道もあればドラマ・バラエティもあります。
報道もニュースやドキュメントに分かれます。 高みに鎮座して
報道の現場にあれこれ口をだすような放送関係者は会員になれない
(また、そういう人は入ろうとはしないでしょうが)組織で、
放送業界の中では一目おかれている団体に「放送人の会」
(英文名称:Broadcasting Creater's Association)という
任意団体があります。 放送業界の”良心”といった趣きの
会です。 紹介します。 http://www.hosojin.com/index.html

以下は、設立時に名誉会長(元NHK会長)川口幹夫氏が述べた
設立の辞です。

「放送人の会」は、放送の現在と未来を、よりよくしようという人びとの集まりです。
いっぺんに何百万人、何千万人という人びとに訴えることができるのがマスコミですが
、そのなかでも放送は、映像と音声をつかって、もっとも効果 的なコミュニケーション
ができます。そんな大事な放送なのに、ともすれば放送は、その日暮らしの無卓見、
無節操な方向へ流れてゆきます。最大の理由は、視聴率という数字の魔術です。 私たち
放送で育ち、放送を創ってきた者たちは、皆そのことをよく知っています。 けれども
当面の利得にしばられて、ついあらぬ方向へ走ってしまいます。

「放送人の会」は、かつて放送を創ってきた人たち、今、放送を創っている仲間たちが
集まって、何とかわれわれの手で、よりよい放送をめざそうと努力する会です。
もちろん、そんなに簡単によくなる事態ではありません。いろいろな人たちの多様な
知恵を結集しなければなりません。多彩な試みをずっと継続しなければなりません。
放送を愛する皆さん。ぜひ「放送人の会」の旗の下に集まってください。ただいま会員
募集中です。少しでも多くの方の参集をお待ちします。  
(1999年7月 会長メッセージより)    
放送人の会 名誉会長  川口幹夫

2144 Eguchiさんの意見に対して 投稿者:駄才小寒  投稿日: 1月20日(木)01時02
分11秒

Eguchiさん

御指摘有難うございます。示唆に富むご意見です。

>「”放送局”は法律の定める権限による干渉または規律には従いなさい。
>でも、それ以外には従う必要はないですよ。」ということなのです。
>だから、二人の政治家が圧力をかけたかどうかは大した問題ではなく、

放送法3条はそういう意味なのでしょう。しかし、朝日などは、政治家が
放送前に番組が偏っていると述べただけでも、表現の自由の抑圧だと主張
しているように見えます。これはおかしい。

放送法の第3条の2には、「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に
当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない」として、
1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
2.政治的に公平であること。
3.報道は事実をまげないですること。
4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点
  を明らかにすること。
という条項があります。安倍氏のNHKへの意見はこの2と4に基づくものだ
と思います。政治家は国民の代表者です。国民を代表して、NHKが偏った番
組を放送しようとしている時に(放送法が定めるように)「公平に」と述べ
ていけないのかと、私などは考えてしまうのですが、どうなのでしょう。

「圧力」とはそういう良識の範囲を超えて、放送すると予算をカットするぞ
というような「脅し」を行う場合でしょう。そのようなことが行われていた
かというと、どうもそうではなさそうです。朝日新聞は、そういう証拠を出
さなければ、「圧力」と主張することはできないのではないかと思います。

>NHKが上記の条文の趣旨を自ら否定・放棄したと思える事象を追求・検証する
>方が大事なのです。告発したCPもそこを問題としていました。

この文章の意味が今ひとつ分らないのですが、これはNHKが政治家の圧力に屈し
て番組を改編したことが問題だと述べられているのでしょうか。政治家は「圧力」
をかけた。しかし、それは問題ではない。問題はNHK(幹部)にある。放送法3条
に守られているにも拘らず、そのような外部の圧力に屈して、現場が製作した番
組を変えてしまった。それが問題だという意味でしょうか。

しかし、放送法には、一方で、「政治的に公平に」「多様な意見を」という
条項もあります。番組を見たNHK幹部が、余りにも偏っている、一方的だと
判断して番組を改編したのはいけないことでしょうか。もしも現場が作った
まま放送したら、放送法3条2に違反するかもしれない。そう判断すれば、
改編するのは、むしろ幹部の役割ではないでしょうか。

長くなりました。二人の政治家の態度については、次の機会に書きます。

2147 放送までの流れ等 投稿者:Eguchi@Tokyo  投稿日: 1月20日(木)10時37分8秒

民放でもNHKでも同様ですが、テレビ番組の現実の放送までには、撮影→編集(粗編集
→本編集→MA(音入れ)→局内試写(制作・編成等関係者)→(スポンサー・代理店
試写:民放のみ)→手直し(必要あれば)→(再試写)→マスターテープ完成→
送出担当へ送付→放送 というのがおおまかな流れです。

普通の番組であれば、NHKも民放も放送当日の1週間前にマスターテープ完成と
いうのが常識です。この流れはドキュメントの場合にも当てはまります。NHK
という局は、民放に比して贅沢な時間と金をかける局で、上記の流れを民放で
一ヶ月で仕上げるところを大体平均して3ヶ月程度の時間をかけるとともに、常時、
数本の企画を同時平行させていますので、万一の制作事故に備えて、ストックを
2〜3本保有しています。

上記の編集の段階で、実体的には、自主規制が行われる仕組みが確立しています。
自主規制の根拠は駄才さんが挙げられた放送法第3条の2です。ただし、もちろん
放送局によってその判断基準には差があります。

今回の問題は、マスターテープ完成後に、自発的にせよ、他律的にせよ、上層部が
改変を突然指示したところに一番の問題があります。 マスターテープ完成までの
過程で、この種の問題ですから、かなりの自主規制はすでに行われていたることは
間違いないでしょう。

仮に現場から一旦完成したとされたマスターについて、もう
少し手直しをしたいという上申があっても、費用の観点から却下するのが上司と
いうもので、その上司のほうから再編集を命じたのは、どう考えても、よほどの
状況に上司が追い込まれたか、トチ狂ったということしか考えられません。

ところで、この第3条の2の2項と4項ですが、まだ試案の段階ですが、この条項を
削除するという検討が自民党内で行われています。どういうことか、と言いますと、
技術の発達で通信と放送が融合し、ストリーミング放送が拡大していく中、ご用達
放送局と揶揄されながらも、NHKはいつもいつも意のままになるわけでないので
”ポチ”放送局を新たに作ろうという計画が浮上しているのですが、その局が実現
した場合に、この2つの項があると番組作成の手かせ足かせになるから、というのが
その理由です。 (野党からのつっこみの根拠に使われるという危惧です。今の
騒ぎを考えると、ほとんどブラック・ジョークのようですが、本当の話です。)

それでも、確かに現行の法律である以上、その2項を根拠にあの二人は要望なり
圧力をかけたので、良いではないか、という議論も有り得ますが、それはかなり
危険な議論です。 「表現の自由」の最大の抑制装置である「検閲」を肯定する
ことに繋がりかねません。

「私は君の意見には反対だ。だが、その反対を表明する君の権利は最大に守る」
といった米国の政治家の言がありました。

自由には責任を伴います。当然です。しかし個別番組毎の責任追及は、発表後に
行われるべきものであり、発表前に行うことは原則として容認してはいけないのです。

放送前、すなわち、本来は局内の人間しか見たことのない時点で、番組内容が番組宣伝
以外の形で局外に流れて、放送前に外部から様々な要求が出ること自体、”公平さ”を
欠くことの証左ではないでしょうか。

2160 順不同ですが、一応コメントを 投稿者:駄才小寒  投稿日: 1月20日(木)
23時51分3秒

>確かに現行の法律である以上、その2項を根拠にあの二人は要望なり
>圧力をかけたので、良いではないか、という議論も有り得ますが、それはかなり
>危険な議論です。「表現の自由」の最大の抑制装置である「検閲」を肯定する
>ことに繋がりかねません。

Eguchiさんは、政治家の圧力があったか否かは矮小的事実であると断定されて
いたのではなかったのでしょうか・・。この文章には正直ビックリしました。

>自由には責任を伴います。当然です。しかし個別番組毎の責任追及は、発表後
>に行われるべきものであり、発表前に行うことは原則として容認してはいけな
>いのです。

「責任追及」が何を意味し、責任追及をするのは「誰」なのか、もう一つはっき
りしませんが、もしもこの文章が「局外者は番組への意見を放送前に行ってはい
けない」という意味であるとしたら、それこそ自由な言論の弾圧になるのではな
いでしょうか。もちろん、放送局が番組の内容を外部に明らかにしなければ、局
外者が意見を表明することは不可能です。

この番組の場合、内容が放送前に外部に洩れて、ずいぶん抗議があったと云われ
ています。Eguchiさんは、このこと自体が問題で「公平さを欠くことの証左」
と述べられています。が、洩らしたのは放送関係者以外にはありえず、批判をし
た人々(政治家も含まれる)には「公平さを欠いた」責任はありません。

>マスターテープ完成後に、自発的にせよ、他律的にせよ、上層部が改変を突然
>指示したところに一番の問題があります。 

小泉首相はこの問題を尋ねられて、言下に「NHKの問題です」と云いました。
要するに番組を制作した現場のスタッフとそれを改編した上司との対立なので
しょう。これは放送局内部の問題ですから私はよく分りませんが、思想と経
営の問題が絡んでいるのでしょう。ただ、組織上、責任は上司が取ることにな
るので、たとえ「マスターテープ完成後」であっても「改編」することはあり
えることではないでしょうか。

2168 我ながら長い! その1 投稿者:Eguchi@Tokyo  投稿日: 1月21日(金)
10時43分14秒

駄才さんのコメントへのコメントです。

>>確かに現行の法律である以上、その2項を根拠にあの二人は要望なり
>>圧力をかけたので、良いではないか、という議論も有り得ますが、それはかなり
>>危険な議論です。「表現の自由」の最大の抑制装置である「検閲」を肯定する
>>ことに繋がりかねません。

>Eguchiさんは、政治家の圧力があったか否かは矮小的事実であると断定されて
>いたのではなかったのでしょうか・・。この文章には正直ビックリしました。

あの二人が圧力をかけたかどうかが矮小的事実という意味は、言った言わぬは
密室内の出来事であり、NHK幹部も言わば「阿吽の呼吸」で意を汲んだのが
容易に想像出来るので、どんなに政治家の二人に取材をしても明らかになるような
事実ではない。

事実であろうがなかろうが、今回の本質的問題点はNHKという言論機関を標榜
している企業体が、自らメディアとしての責任と矜持を放棄するような「自主規制」
(=異常な再編集作業)をした点が、本来的に「表現の自由」という民主主義における
根本原則のひとつを維持する責任をもつべき言論機関として許されるのかという点に
あるととらえているからです。

「危険な議論」というのは、「この2項があるから『公表前であっても』『圧力
的な要望なり意見をするのは当然だ」という類の意見がまかり通るようになり、
「検閲制度の復活」への道筋が出来かねないことへの危惧です。(ただ、この
2項は、与党”ポチ”放送局にとっても両刃の剣になりかねないことが既に
認識されていることは、前に述べました。)

>>自由には責任を伴います。当然です。しかし個別番組毎の責任追及は、発表後
>>に行われるべきものであり、発表前に行うことは原則として容認してはいけな
>>いのです。

>「責任追及」が何を意味し、責任追及をするのは「誰」なのか、もう一つはっき
>りしませんが、もしもこの文章が「局外者は番組への意見を放送前に行ってはい
>けない」という意味であるとしたら、それこそ自由な言論の弾圧になるのではな
>いでしょうか。もちろん、放送局が番組の内容を外部に明らかにしなければ、局
>外者が意見を表明することは不可能です。

「放送番組」であれ「新聞記事」であれ、あるいはその他の「論稿」であれ、
公表されたものに対する責任は公表した者(放送番組の場合は放送局、新聞記事の場合は
新聞社)が負います。責任追及をするのは「誰」か、正確に言うと「責任追及をすることの
出来る資格のある者は誰か」ということであれば、それは視聴者や読者にもその資格が
あり、その番組や記事により具体的損害を直接に蒙った人は司法救済を求める権利
(名誉毀損等)がありますし、政治家が政治の観点から批判・要望をすることも
もちろん許されることです。(その当否の判断は究極的には有権者に委ねられいます。)

>>この番組の場合、内容が放送前に外部に洩れて、ずいぶん抗議があったと云われ
>>ています。Eguchiさんは、このこと自体が問題で「公平さを欠くことの証左」
>>^と述べられています。が、洩らしたのは放送関係者以外にはありえず、批判をし
>た人々(政治家も含まれる)には「公平さを欠いた」責任はありません。

「公平さを欠くことの証左」という意味は、”放送前に”NHKの”幹部”が
与党へ”のみ”番組内容までを”報告”するということが日常的に行われている
状態が「公平さを欠く」という意味です。書き込み不足で駄才さんの誤解を
招いたようです。

2169 我ながら長い! その2 投稿者:Eguchi@Tokyo  投稿日: 1月21日(金)10時
44分58秒

>>マスターテープ完成後に、自発的にせよ、他律的にせよ、上層部が改変を突然
>>指示したところに一番の問題があります。 

>小泉首相はこの問題を尋ねられて、言下に「NHKの問題です」と云いました。
>要するに番組を制作した現場のスタッフとそれを改編した上司との対立なので
>しょう。これは放送局内部の問題ですから私はよく分りませんが、思想と経
>営の問題が絡んでいるのでしょう。ただ、組織上、責任は上司が取ることにな
>るので、たとえ「マスターテープ完成後」であっても「改編」することはあり
>えることではないでしょうか。

小泉首相の「NHKの問題です。」というコメントは、近時では珍しく的を
得た発言でした。(もっとも、コメントの発想の根本が、”わずらわしい政治
問題化はまっぴらごめん、ということがあるのかも知れませんが。)

「改編」が皆無であるとは言いませんが、前にも記したとおり、番組の制作過程に
おいては、企画の段階から完成の段階まで、何度も内部的にはチェックの機会が
あります。特に物議をかもしそうな題材については、そも企画の段階でかなりの
企画が整理されます。さらに取材が終わって編集の段階でも、どの取材の部分を
採用し、どのような構成にするかについても結構チェックが入り、取材を済ませ
ながらも途中で制作中止になる場合もあります。(NHKの場合です。民放は
企画が通って取材に入ると、制作中止になることはまずありません。それまでの
取材費用が無駄になるからです。) 

「”ありうること”ではあっても、”あってはいけないこと”」は、家庭に
おいては”浮気”、放送局にあっては”放送間際の再編集”と例えるのは
不謹慎??

(以下は独り言です。)

今までも同様な「外部の圧力と編集権の関係」といった騒動が結構あったなあ・・・
この種の騒動の歴史を整理すると一本論文が書けるかも・・・ 

分野的には最近流行の「メディア・リテラシー」なる論議の一環として
「メディア論」の観点から整理するか・・・それとも大上段に憲法論における
「表現の自由」の観点から整理するか・・・後者だと先行文献が多そうだから、
緻密な引用整理をしないといけないから前者の方が楽かなあ・・・それとも、
英国か米国での騒動を探し出して、比較メディア論の形にした方が、
”受けが良い”だろうなあ・・・(注:←日本の学者は一部の分野を除いて
「国際人」ではなく、海外の事例に弱いので、この種の海外事例を取り入れた論文は
無批判・盲従的に賞賛する人が多いのです。) 

**注**「盲従的」という表現は、放送禁止用語です。念のため。

2176 当初の問題に戻って 投稿者:駄才小寒  投稿日: 1月21日(金)23時24分3秒

Eguchiさんは、もっぱらNHKの問題を議論されていますが、私が最初に
問題としたのは、二人の政治家の「圧力」を報じた朝日新聞の姿勢でした。
私は朝日は次の二つの事実を明らかにする必要があると述べました。

>一つは、NHKの幹部が二人の政治家といつ会ったのか。放映前に会った
>のか否か。第二に、放映前日に一人と会ったのは事実のようですが、
>この際に政治家による「圧力」があったために、番組の変更がなされた
>のか否か(一部変更があったのは事実)。(1月16日)

その後、NHKが記者会見を開き、朝日の記事は捏造であるとして、厳しく
非難しました。もちろん、二人の政治家も説明と謝罪を要求しました。
しかし、朝日新聞はこれまでのところ何ら客観的な証拠(例えば取材の
際のテープなど)を示さず、もっぱらインタビューに応じたNHK幹部が
そう述べたと繰り返すだけです。

「圧力」があったという記事を書いたのは朝日新聞ですから、それに反
論されたら、朝日はそれを裏付ける証拠を示さなければなりません。
それが出来なければ、そんなあやふやな記事を書くなよ。「天下の公器」
の看板が泣いているぜ、と言いたくなります。

>どんなに政治家の二人に取材をしても明らかになるような事実ではない

とEguchiさんは仰る。そうであるなら、なぜ朝日は自信たっぷりに記事を
書いたのでしょうか。確固たる裏づけや証拠があったはずです。しかし、
今までそれを示せないでいる。それどころか、NHKによれば、朝日新聞は
記事を発表した後、NHKに記事の擦りあわせをしようともちかけたそうで
す。語るに落ちたとはこのことで、朝日は確たる証拠を持っていないので
しょう。そう考えなければ、これまでの朝日の姿勢を説明できません。

Eguchiさんは、NHKと同じ報道機関として朝日の態度はどう評価されますか。

2182 朝日新聞 vs. NHK 投稿者:Eguchi@Home  投稿日: 1月22日(土)10時40分46秒

駄才さん

駄才さんの最新の書き込みに対するコメントをすぐにでも書き込むべきですが、
昨日の午後遅くになって、嘗てかかわりのあった女性が昨年10月7日に44歳の
若さで亡くなっていたことがわかったもので、以後、聊かその事実を受け止めかねて
熟考機能が停止してしまいました。今もBGMに彼女の残したCDをかけています。

恐縮ですが、熟考機能が回復するまで、しばし時間を頂きたく。。。

ただ、今朝の朝日新聞の”見出し”によれば、どうやら朝日新聞 vs. NHKが全面的に
総力戦に入ったようです。(”見出し”は斜めに「見ました」が、記事内容を読む
気力が、朝から失せているのです。)

日本のジャーナリズムの弱点に相互批判をしない、という点があるのですが
(ジャーナリズムに限らないとも思いますが。)”天下の朝日新聞”と”天下の
NHK”が総力戦でガップリ四つに組んで対決するという事態が、本当に生じるので
あれば、ジャーナリズムのみならず、これこそ国益のためには、実に好ましい状況が
生じたと思います。 

この決着がつけば、NHK会長か朝日新聞社長のどちらかが辞することになるでしょうが、
それまでの過程で、言論機関はいかにあるべきか、そして殆ど死語になりかかっている
”言論の府”の在り方について、有権者が主体的に考える良い機会が生じたということ
のように思えます。

なお、”取材源の秘匿”は、ジャーナリズムに携わる者が守るべき種々の基本の
中でも最大のものです。報道の自由を支える基本的要素です。 このことに
ついては、熟考機能が回復しだい、論じてみたいと思います。

2183 やはり反論することにします 投稿者:駄才小寒  投稿日: 1月22日(土)
11時37分21秒

Eguchiさんから「我ながら長い!」コメントを貰いました。NHKの番組制作の
あり方についての意見ですが、それについての私の意見はすでに述べました。
そこで、返答は必要ないかと思いましたが、今朝のテレビでEguchiさんと同様
の意見を何とかという舌足らずのタレントが話していたので、再度Eguchiさん
に反論し、私の考えを述べることにします。

>事実であろうがなかろうが、今回の本質的問題点はNHKという言論機関を標榜
>している企業体が、自らメディアとしての責任と矜持を放棄するような「自主規
>制」(=異常な再編集作業)をした点が、本来的に「表現の自由」という民主主
>義における根本原則のひとつを維持する責任をもつべき言論機関として許される
>のかという点にあるととらえているからです。

Eguchiさんのこのような文章は私の苦手とするところですが、私は政治家が
権力を濫用して、放送法3条に違反するような行為(圧力をかけた)のであ
れば問題だと思いますが、NHK自らが放送法3条2に照らして、現場の制作した
番組を一部手直ししたことのどこがいけないのだろうと思います。

放送局に限らず新聞社でも現場の記者の書いた記事をチェックなしで通すこと
はありえないでしょう。必ずデスクによるチェックが入る。今回のNHKの番組
はきわめて政治色の強い内容でした。それゆえ、NHK幹部が、「公正であるべ
き」「多角的な意見を反映させる」という放送法に従って改編したことは、
上述のデスクによる編集作業と基本的に同じことです。

Eguchiさんは、それを「異常な再編集作業」であったと断定され、「異常」で
ある根拠を普通の番組制作のプロセスとは異なることに置いておられる。しか
し、問題の番組は通常の番組とは違います。先に述べましたが、政治性の高い、
しかも放送法3条2の4がいう「意見の分かれる」内容でした。そのような番組を
放送するに当り、NHKの責任者が十分に慎重になるのは当然のことではないでし
ょうか。

したがって、私はEguchiさんのようにNHK幹部による編集作業を「言論機関とし
て許されない」などという発想はまったく出てきませんでした。仮に言論機関
が放送法に基づいたチェックをしなかったらどういうことになるでしょうか。
公序良俗に反し、虚偽で不公正で一方的な記事が横行することになるでしょう。
(どこかの新聞がそうなっていないことを祈るだけです)

2184 とりあえず・・ 投稿者:Eguchi@Home  投稿日: 1月22日(土)13時42分12秒

熟考せずに直接書き込みますので、少々整理が悪い文章になると思いますが、その点は
ご容赦願います。

まず私が前に述べた部分の一部の表現を恐縮ですが、一箇所訂正させてもらいます。
すなわち 「自主規制」(=異常な再編集作業)を → 「過剰な自主規制」(=異常
な再編集作業) に変更させて下さい。

理由は、NHKの場合、良く考えたら、報道/ドキュメント番組に関しては、常に、何度も
どこの段階でもチェックが入るという自主規制が日常であることを失念していました。

その自主規制の過程を経たものについて再編集が行われたのが問題なのです。

また、その根拠が圧力かどうかは別として、駄才さんが言われているような観点から
の指示かどうかも疑問を持っています。(単なる幹部の自己保身が根拠かも知れません。)

屁理屈という反論も生じるでしょうが、これが仮に俗にいう「右翼的な番組」を
NHKが制作して放送しようとしたときに、放送前に共産党なりの左翼勢力が圧力を
かけたと仮定しましょう。その場合に、その圧力を考慮して、今回なような再編集
作業を現在のNHKがするかどうか? 100%しない、と断言できます。そして、
間違いなく、その時の断りの理由として「表現の自由」を持ち出すでしょう。

結局、「政治的公平」という単語は、融通無碍、都合の良いように使いたい時に
使われる便利な用語ということです。 ですから、現在、自民党はこの単語を
放送法から削ろうとしてるわけです。(ちなみに、この改正には現時点では、
民主党と共産党が賛成しかねるとの動きをみせています。)

ところで、駄才さんが括弧内にかかれた「どこかの新聞」という表現についてですが、
「どこの新聞か分からないけど、新聞には間違いないが・・」という時には、私も
このように書きますが、公器としての新聞のことを論じてるのですから、「朝日新聞」
と書かれて良いのではないのですか? それとも、「読売」「サンケイ」「日経」
等も含む意味での「どこかの新聞」ですか? そうであれば、ゴメンナサイ。

2187 朝日新聞の将来 投稿者:駄才小寒  投稿日: 1月22日(土)23時05分54秒

Eguchiさん、私はNHKの内部問題ー改編が過剰であったかどうかーは、
さほど重要な問題であるとは思っていません。重要な問題は、二人の
政治家が圧力をかけたと報じた朝日の記事が事実であったかどうかと
いうことです。同時に朝日新聞の報道の仕方です。どこかの新聞とい
うのは、言うまでもなく、朝日新聞のことです。杜撰な報道の仕方と
それをチェックできなかった上司、そしてその記事に従って社説を書
いた論説委員。未だに何ら客観的な証拠を示せない新聞の将来は暗澹
たるものです。かねがね朝日に批判的なリワキーノさんは、今回の事
件をどう思っておられますか。

2210 お薦め本 投稿者:Eguchi@Tokyo  投稿日: 1月25日(火)15時14分41秒

書名:『噂の真相』25年戦記  
著者: 岡留安則
出版社:集英社(集英社新書)
定価: 本体700円+税
ISBN: ISBN4-08-720275-5
発行日:2005年1月19日

なぜに、あのように風俗系広告が満載になっていたのか、そして、にもかかわらず
なぜに、月刊総合誌として、「文藝春秋」に互した販売部数を獲得していたのか、など、
の理由がこれを読めば理解できます。

2218 取材源の秘匿とは 投稿者:駄才小寒  投稿日: 1月25日(火)23時57分0秒

>”取材源の秘匿”は、ジャーナリズムに携わる者が守るべき種々の基本の
>中でも最大のものです。報道の自由を支える基本的要素です。 

日曜日、朝のTBSの番組で、出演者の二人が、朝日vsNHKが裁判になっても
「取材源の秘匿」があるから真相は分らないだろうと話していました。私は
これを聞いて不思議な感じがしました。なぜなら、朝日新聞記者からインタ
ビューを受けた当時のNHKの松尾報道総局長(すなわち取材源)はすでに表
に出てきているからです。

「取材源の秘匿」は、取材源を保護するためのものだと理解しています。
しかし、取材源が自ら出てきた場合にはどうなるのか。もう取材源を秘匿する
必要はなくなったのではないだろうか。それゆえ、「取材源の秘匿」があるか
ら真相が分らいと述べている人たちは、何を言っているのだろうか、と私は疑
問に思ったのでした。

この問題は、朝日新聞が持っているとされているテープを出して、インタビュ
ーの内容を明らかにすれば、それでどちらが嘘をついているか、一瞬で明白に
なります。それをしないのは、なぜか。NHK側はテープに取らないことを条件に
インタビューに応じたので、テープがあるとすれば、それは約束違反になると
述べています。

しかし、私たち国民からすると、何が真相かを知りたいと思うし、真相は重大な
ことです。仮にNHK元総局長が嘘をついていれば、安倍晋三氏は「圧力」をかけた
疑いがきわめて強くなります。それは安倍氏の政治家としての将来を危くする事
件に発展します。朝日は当初そう主張したのに、なぜ明らかにしないのだろうか。
それも私には腑に落ちないことです。

国民の知る権利だとか説明責任などというきれいな言葉を朝日新聞は好んで遣い
ます。しかし、今度の事件の朝日は自らが国民の知る権利を無視し、説明責任を
果たしていません。

>このことついては、熟考機能が回復しだい、論じてみたいと思います。

Eguchiさん、ぜひお願いします。

2220 CBSと朝日新聞 投稿者:駄才小寒  投稿日: 1月26日(水)01時05分29秒

昔から、我が国は欧米に遅れているとして、「進歩派知識人」は
我が国を批判をしてきました。朝日新聞は、そういう知識人の活躍
する場を提供すると同時に、自らも反日本的な立場を示してきまし
た。しかし、今回の事件のこれまでの経緯を見るにつけ、朝日は
本当に我が国の「後進性」を批判できるだろうかと思います。

米国では今度の大統領選挙で、ブッシュ大統領の軍歴疑惑報道事件
というものが問題になりました。CBSがブッシュ大統領の軍歴に
重大な疑惑があると大きく報道した問題です。ところが、この証拠
とされる文書が偽物であったことが、いわゆるブログといわれる人
々によって明らかにされました。この結果、CBSは内部で調査委
員会を作り、文書が偽物であったことを認め、これを報道したCB
Sの看板キャスターがテレビで謝罪し、辞めることになりました。
さらにCBSはこれを報道したプロデューサーら4人を解雇すること
にしました。

このCBSの処置と今回の朝日の措置を較べると、やはり日本は
後進国だと慨嘆してしまいます。なぜ、自らで解決しようとせずに、
司法の場に委ねるなどと責任を放棄するのだろうか。NHKはイン
タビューを受けた報道総局長が記者会見に出てきたのに、朝日は
未だに当の記者を表に出していない。他者には透明性や説明責任を
要求するのに、自分はそれを行っていません。

我が国は経済的には大国で日本の企業は海外に進出して存在を
示しています。しかし、政治的にはほとんど世界で存在を示し
得ません。なぜか、と考えると、このあたりにあるのではない
かと思います。今回のCBSの処し方を見ると、やはり米国に
は敵わないと思うのです。