6/6 2005掲載

関西の風景(山の辺の道)・・・byはなパパ&はなママ
 
 新妹尾ホ−ムペ−ジ再開おめでとうございます。
 mitikoさんがいつも云われる通り、私たちもここへの投稿は
 とても楽しみなのです。
 で、今回もよろしくお願いします。
 
 同窓会のウォ−キングクラブでは年に5回ほど歩きます。
 予定は同窓会の新聞にリワさん載っていますよ、見てね。
 今回は皆さんお馴染みの「山の辺の道」、6月4日午前中は好
午後から少し曇ってきました。
 
1. 奈良県の天理市から桜井市にかけて三輪山のふもと、細い道
 では1mくらいのところもあり、テクテク歩きます。
 

2. リ−ダ−のKさんの話では、古代三輪王朝は桜井の方なので、
 そこから外へ抜ける道が山辺、なので今回は桜井から天理へ北
 上します。
  今回の参加者は16人、上は74歳から下は50歳、女性は
 5人。男の最年少は私はなパパでござんした。
 

3. 初瀬川を渡るとすぐ「仏教伝来の地」。百済の聖明王から欽
 明天皇へ釈迦仏と経典が贈られた。538年とも552年とも。
  ここが道のスタ−ト地点です。
 

4. 「つばいち」と読みます。
 北から、難波から、伊勢から物産が運ばれ市がたっていました。
 

5. 「金屋の石仏」。釈迦、弥勒如来2仏がおわします、平安時代
 のものらしい。
 

6. 宮内庁では保存していない風ですが「磯城みずがきの宮跡」。
  三輪王朝、景行天皇の宮跡のようです。
  景行天皇といえば日本武尊の父、遠征譚は日本書紀では天皇が、
 古事記では日本武尊がメインに書かれてる、とはKリ−ダ−のお話。
 

7.8. 「平等寺」。聖徳太子の像があり、ようやくはなママの登場。
  はなママの出身学校の開祖はこの方で、毎朝学校では拝んでおり
 ました。

 

9.10. 「大神神社(おおみわじんじゃ)」、御神体は三輪山。
 崇神天皇から始まる三輪王朝は大和最古の王朝と言えるかもしれ
 せん。神武天皇のあと2代目から9代目までは欠史8代と云い、同じ
 ハツクニシラススメラミコトの名から神武は崇神の投影だとも云わ
 れ崇神が初代天皇との説があります。
  この説に反して、鳥越憲三郎氏「神々と天皇の間」?だったか、
 神武は九州宮崎から東征したのではなく、葛城山から降りてきたの
 だ、という欠史8代の御陵や関連の地名を調べた本があります。

  

11. 香久山、耳成山、畝傍山の大和三山の右手に大神神社の鳥居
 見えますね。
 

12. ここからご神体の山に入ります、途中までしか行けない。
 

13. 池の向こうにみえる古墳は、あれが「箸墓」。
  はなママに「誰のお墓?」と聞くと「ヤマトトトット?」??
 「ヤマトトトビモモソ姫」。4世紀頃の墓でしょうか、三輪山の
 巫女なのでしょうが、もう少し遡りそう、ということで「卑弥呼」
 の墓、邪馬台国大和説の根拠にもされています。
 内田康夫氏著浅見光彦シリ−ズの「箸墓幻想」は結構いいですよ。
 

14.15. 道の所どころに石碑が建っています。
 川端康成の文字、棟方志功の文字それぞれが自筆から取っている
 らしい。

 

16.17. 景行天皇陵、崇神天皇陵。いかにも歴史散歩。

 

18. 「長岳寺(ちょうがくじ)」。桜井駅から約8.4キロ、当初の
 案内ではここで終了、と書いてあったはずで、だからみんなテク
 テクではなく中途で「あ〜ら珍しい花!」「いちごがおいしそう」
 などブラブラ歩いておりまして、もう午後3時。
 

19. では三輪山を眺めてさようなら、といくはずだったのがKリ−
 ダ−作成案内の下の方をよく見ると、「ご希望により終点の天理
 駅 まであと約7キロ半歩くこともできます。」などとこっそり。
  げぇ〜っと云いながら誰も中途でやめません。だって県道のバ
 停に行っても、1時間に1本やぞ、と云われるとあとはやけくそで
 歩くよりございませんではないですか。
 

20. 最高齢のA先生は整形外科の名医でいらっしゃる。
  打上げの時、はなママは「膝に水が少したまるんですよ、水抜い
 た方がいいかしら、でもすごく痛いんよねぇ〜。」と云い、
 「そんだけ歩けるんやったら大丈夫、でも僕が水抜くんやったら、
 あれはコツがあるからねぇ、痛くないよ。」「先生本当に大丈夫?
 痛いんちがう。」と失礼なことを云う。
 

21. 漸く終点の「石上神宮」、ここまで13.8キロ、この下天理駅まで
 で16キロ。
 

22. いつものさようならは残念ながらありません。
  あ〜早く打ち上げに行きたい、生ビ−ルが待ってる、いこうぜ〜
 の顔で、ではでは皆さんさようなら。

TopPage