3/28 2003掲載

by ハナパパ

 
 ケアンズまねごと留学報告

 

1月16日より2月20日まで約5週間オーストラリアのケアンズで過ごしてきました。
目的は英語の研修、、?それもあるけど海外で暮らすという真似事をしてみたかったからかな?
しかし昨年のトルコ旅行でもう少し英語がしゃべれたらと思ったのは事実です。

何故ケアンズ?答えは簡単、、。一番費用が安く済むから。
インターネットで調べまくって見積もりを取り、そこで決めました。

なぜ今時、、?年をとってくるとやりたいやりたいと思いながら、なかなか腰が上がらなくなって
来ているので、やろうと思った時にすぐ実行に移したかったのと外部環境が無理をすると何とか
なると思ったので、、。

以上のような訳で行って来ました。

編集長より、むこうに愛人でもおるっちゃないや・・・・・
との誤解を受けておりますので、くどくど説明させてもらいました。

準備編

昨年の11月の半ばに行こうと決めて準備にかかりました。
いつ行くかどれくらい行くか結構迷いましたが、延ばせば延ばすほどいけなくなるような気がして
きたので、年明けそうそうと決め、期間は後々の生活に支障をきたさない限度が一ヶ月
+アルフ
ァとしました。
一応行き先はオーストラリアと決めていましたので、それからインターネットで候補地のパース、
ケアンズその他を調べましたが費用の件で、ケアンズに決めました。航空会社は昨年11月から
就航したオーストラリア航空の直行便、7時間強で着きます。学校は三校ほど見積を取り其の中
からえいやっで選びましたがこれはあとで書きますが失敗でした。
ホームステイ先は学校からの紹介。それと斡旋業者のケアンズ支店開設キャンペーンで12月27
日までに4週間以上学校を申し込むと、グリーン島ツアーと、タリー川ラフテイングをプレゼントと言
う事で、業者もここに決めて手続きをとりました。E−メイルで業者との何度かのやり取りが有り送
金して、入学許可と、ホームステイ先の連絡が送られてきていよいよ出発を待つばかりになりました。

実行編

1月16日の当日になり空港まで嫁さんに送ってもらい飛行機に乗り込みましたが団体旅行でほぼ
満席状態、ラッキーな事に横の2席が空いており横になることが出来ましたが、期待と不安でほとん
ど寝付けませんでした。
ケアンズ到着は午前4時25分、食品の材料いくつか持っていましたがインターネットで持ち込める
品物をチェックしていたので正直にかばんを開けて見せて税関をクリアーしました、ゴルフバッグを
抱えてきていた旅行者達の中にはゴルフシューズを見られて、泥が着いていたためそれを洗わされ
て、通関に1時間ちかくかかった連中もいました。オーストラリアとニュージーランドの税関は植物の
種子や土、それと肉や乳製品の持ち込み等にはものすごく厳しいですし、申告をすればダメな物は
廃棄すれば良いだけですが、万が一無申告で見つかろうものなら高額の罰金が課せられますので
今後行かれる方は十分気をつけてください。到着ロビーに出ましたが迎えが来ていません、経験者
である嫁さんからそんな早い時間に着く様だったら迎えに来てない可能性があるよ、と言われてい
ましたのである程度は覚悟していましたので、両替をして椅子に座り待つ事にしました。
とにかく明るくなるまでここにいてそれで来ないようだったら、住所は判っているのでタクシーで行くし
か仕方が無いなと思っていたところへタンクトップに短パン、サンダル履きの小太りのオヤジが入って
きて、MATUMOTOと書いた紙を広げたときには正直ホッとしました。5時30分でした。
早朝のケアンズの町を車でザッと案内されて家に戻り部屋を与えられました。

下宿

6畳位の部屋で真中にセミダブルのベッドが置いてあり、片側にロッカーと小さな勉強机ベッドの横に
サイドテーブルがあって其の上にスタンドと目覚まし、天井にはファンが付いていました。荷物の整理
をして、朝食を食べ(何処に何が入っていて何はどう使うなどの説明を受け、その後帰るまで朝食は
セルフサービス)ていると、出勤する奥さんが起きてきて紹介されましたが、大柄でブロンドの若いとき
は美人だったであろうというような婦人でした。

ご主人の名前はクリス、59歳仕事は観光バスのドライバー、勤務は不定期で早いときは7時に家を出
て5時くらいに帰ってくるときも有れば10時くらいに出て8時くらいに帰ってくるような具合で、日曜も出
勤があり休みも不定期、奥さんの名前はバル(バレリー)歳は?、仕事は郊外のショッピングセンターの
衣料品店の店長、日曜が休み。家はケアンズの郊外の住宅地にあり敷地300坪位、建坪35坪位で3
ベッドルーム、20坪位の天井に電気やファンのついたデッキがあり(ここがオープンリビングダイニング
で食事から何から全部ここでしていました。ずいぶん蚊にも刺されたけど居心地の良い場所でした)道
路に面して100坪位の前庭があり100坪位有る裏庭にはプールもありました。
こういう家庭環境の中、ケアンズの生活が始まりました。

ケアンズのマーケット

学校編

学校

学校はケアンズの中心から少し外れた所にありました。名前をケアンズランゲージセンターと言います。
ビジネス学校と語学学校が一緒になっています。下宿先から、徒歩10分で近くのバス停まで、バスに
乗って30分位。降りて10分位歩いて学校につきます。初日にガイダンスが行われ、簡単なテスト、面
接がありクラス分けがありました。同期の入校は8名、日本人7名、コーリアン1名でした。クラスはレベ
ルによって5クラスに分かれており、多いときで1クラス12名、少ないときで8名でした。初めの1週間は
下から2番目のクラス、其の次の週から上のクラスに上がりました。クラスメートは18歳から25歳まで、
一人で平均年齢を上げていました。日本人では僕の下は28歳、コリアンで29歳、スイス人で31歳が
年長でした。

クラスメート

学校は8時半から始まり、10時に30分休憩、それから12時半まで、ここまでが同じ先生、45分の昼食
の後、3時までが午後の授業ここは午前とは別の先生です。授業は先生が用意してくるプリントを中心に
行われ、宿題もガッポリだされました。また授業中は一切日本語は使えず辞書も英英のみでかなりきつ
かったです。以上が月曜から木曜まで、金曜は午前中の授業が1時まで行われ、その後卒業式(毎週月
曜日に新入生が入ってきて金曜日に何人かが卒業していきました)金曜日は宿題はなし。土日が休みで
す。こんなスケジュ
-ルでしたので月曜から金曜日までは、朝6時起床、食事を自分で作って食べ7時に家
を出て7時15分のバスに乗り、学校に8時に着いて授業を受け、5時前くらいのバスに乗り6時くらいに帰
宅、夕食の後少し休憩して8時半にはシャワーを使って宿題と復習、11時に就寝と言う生活を4週間続け
ました。現役の学生時代にもこんな真面目で健康的な生活はしたこと無いよ、、。福岡に帰ったらまたもと
のグータラ生活にすぐ戻りました。

遊び編

ケアンズは滅茶苦茶田舎です。人口は13万人町の感じはちょうど西新をひき延ばして小奇麗にして所々に
ホテルがある感じです。町にいても1時間もあれば隅々まで見て回れます、と言う事で土日はほとんどツアー
に入ったり、自分で何処かに出かけたりで過ごしました。ケアンズは世界遺産のグレートバリアリーフと熱帯雨
林の観光の基地ですからツアーは山ほど有ります。

キュランダ  熱帯雨林の中にある村行きは列車で行って帰りはロープウエイで帰ってきました。行きの列車
と到着駅が良かったからかなり期待していましたがやたら土産物屋が多いのと、マーケットもたいした事は無
かった。良かったのは、全くの手付かずの熱帯雨林。

キュランダ

ワイルドワールド  動物園、コアラを抱っこして写真が取れるとこ、初めてコアラの実物を見た、やはり可愛い。



ワニと蛇が良く集めてあった。規模が小さいので1時間も有れば十分。


ワイルドワールド

パームコーブビーチ  ケアンズで一番のビーチと言われるだけの事はあった。すごくきれいでおしゃれ、高そう
なホテルがずらっと並んでいる。編集長向き。

IMG_00161.jpg IMG_00181.jpg
パームコーブビーチ

タリー川ラフティング  NZで目茶面白かったので行って来ました。雨が少なく、川の水量が少なかったので途
中やたらとゴムボートが引っかかり今一だったけど、水量が多かったら、面白い川だと思う。

ケープトリュビイリュ-ション  ここは良かった、片道3時間位かかるので日帰りだとゆっくり出来ず、残念でした。
川で泳いでいるワニを見たのもここ、またいく機会があったらホテルも有るそうなので是非泊りがけで行きたいです。

ケープトリブリュ-ション

手付かずの熱帯雨林と人がほとんどいない目茶きれいなビーチしかないけど。

グリーン島  一番メジャーなバリアリーフの島、それなりにきれいではあったけど、やたら人が多かった。
フィジーを経験しているのでべつに、、という感じ。大京(日本の不動産会社)が牛耳っている。

グリーン島

ハンドガンシューティング  学校のすぐ近所にあったので初体験してきました。22口径20発、9ミリ12発、44マグナ
ムを
6発撃って来ました。22と44マグナムは赤外線ポイントがついていたので全弾命中、9ミリは3発外しました。
9
ミリは照星(銃口に付いている凸)と照準(手前についている凹)をきちんと合わせて引き金を引きますが、其のとき
銃握ごと握りこむようにしないとすぐに銃口がぶれます、それも両手でしっかりホールドしていてもそうなりますし、撃っ
た後にはかなりの反動が手首に来ますので、連射なんかしていると当たりっこ有りません。
44マグナムの反動はすご
いです、肘まで来ました。アクション映画での銃撃戦は全部嘘と言うのが良くわかりました、あんなに動き回りながら、
それも片手で、絶対当たりっこないもの。

ハンドガンシューテイング

マリーバ  今回のハイライト、下宿の次女の娘婿が農園をしていたので、頼み込んでレンタカーを借りて行って来まし
た。ケアンズの郊外
70キロメートルの所にあり、(途中長男の家によって家を見せてもらいましたが、敷地約3000坪、
庭にペットの肉牛が
3匹いました)1時間程のドライブでした。自分の農場は小さいから(85Ha,255000坪)と言って、
近くの知り合いのマンゴー農園、バナナ農園、シュガーコーン農園、ピーナッツ農園などにも連れて行ってくれましたが、
スケールの大きさにただただ圧倒されました。シュガーコーン畑は
450000坪、車で畑の周囲を回るのに30分かかりまし
たし、ピーナッツ畑はなんと畑
1枚が240000坪あり、畑の端に立っても反対の端は見えませんでした。大規模の機械化
がなされ、シュガーコーン農場は、兄弟
3人で運営されいるとの事、、。ここのオヤジから、イラク問題について日本はどう
するんだと質問されたのには驚きました。しょっちゅう田舎に行って、農業をやっている人たちと話す事が有るけど、日本
でこんな質問を受ける事などまず考えられないので、、。観光客が訪れてもただ畑だけの何も無い所ですが、オーストラリ
アの農業の一端を見ることが出来、色んな人に合えたのは大収穫でした。
5時間ほど滞在し、途中昼食をご馳走になって、
帰路につきましたが、車は少ないし道は広いし、途中ランナバウトで曲がりそこないましたが、楽しいドライブでした。

IMG_00601.jpg45万坪のシュガーコーン畑
IMG_01031.jpg24万坪のピーナッツ畑
IMG_01041.jpgバナナ畑

卒業旅行編

学校は214日で終わるので其の後、少し旅行をしてみようと最初から5日程余裕を取っていました。具体的には現地で
考えようと思っていましたが、毎日があっという間に過ぎてしまうので、決めて準備するのに、かなりあせりました。エアーズ
ロックに行くか、ブリスベン、ゴールドコーストにいくかでかなり迷いましたが、最終的にオーストラリアの都会を見てみたくて
後者に決め、準備を始めました。時間が無かったのでクラスメートから地球の歩き方を借りて必要な部分をコピーしましたが、
それ以外は全て英語でと言うのを目標にローカルの旅行代理店を回り航空券の予約、宿の予約をして、全て公共交通機関
を使うという
3泊4日旅にしました。

1日目

タクシーで空港へ、初めて乗るバージンエアーでブリスベンへそこから列車でゴールドコーストへ、ホテルに荷物を置いて、
市内観光のバスにのり、土地感をつかんで後はローカルバスで動きました。確かにサーファーズパラダイスの海岸はきれ
いでしたが街には人がごちゃごちゃいて(日本人の多い事)なんでこんな所が良いのか僕には全く理解できませんでした。
夕食が思わぬ失敗から、美味しいものが食べられたのが、楽しい思い出。ホテルは滅茶苦茶ぼろだったけど足の便の良い
所にあったのは救いでした。

ゴールドコースト

2日目

シーワールドに行く予定だったけど、これではただの観光旅行に終わると反省してゴールドコーストの一番南端のクーランガ
ッタという町まで行ってみる事にしました。これは当たり。インフォーメーションセンターに行って行き方を教えてもらい(NZで散
々お世話になったけどここもちゃんと対応してくれた、

クーランガッタ

日本にもこんなのが有れば良いのに)バスに1時間半位乗ってつきました。小さな街できれいな砂浜、真っ青な海をはさんで
かすかに遠くサーファーズパラダイスの高層マンション群が見えました。
2時間ほど食事をしたりぶらついたりで過ごしましたが、
さすがここまで来ると観光客は来ないので日本人はいないなと思っていたら、いました若いのが、相変わらずつるんで。帰りの
バスが街をつっきって北端の方まで行くのでそちらにも行ってみようと思いそのままバスに乗りつづけましたが、途中交通渋滞
が激しくなった為あきらめてホテルに引き返し荷物を取って、列車の駅にバスで向かいました、このバスは住宅地のなかをあち
こち回ってやたら時間がかかり、結局予定していた列車には遅れてしまいましたが、色んな住宅地を見ることが出来ました。家、
公園、運河、全て人工的に作られたものばかり、小奇麗では有るけど全く魅力がありません、歴史が無い所がそのもつ自然を壊
してしまったら一体何が残るのでしょう、、。そんな事を思いながら、ブリスベンに向かいました。

3日目

このホテルは小さいけど清潔で足の便がよく、あたりでした。朝食をホテルで済まして市内観光バスに乗る予定でいたら乗り遅
れてしまい。たまたまのぞいたフェリー乗り場の横から遊覧船が出るところだったので、それに乗リました。

川から眺めるブリスベンの街はとてもきれいで、また川岸に立つ家々は、それぞれ船がつけられるように桟橋を持っていて、うら
やましい限りでした。時間の使い方が悪かったので市内観光を翌日に回して、ナイトツアーに参加しました。これは大当たり、夜の
市内をバスで回り市内の高所に上がって夜警を見ながらコーヒーを飲んで、市内に戻ってフェリーに乗り川からの夜警を見物する
と言う内容でした。これはお薦めです。

IMG_01371.jpgブリスベンの高級住宅
IMG_01391.jpgブリスベン

4日目

朝起きて食事前に通勤風景を見ておこうと思い、市庁舎の前にある公園のベンチで通り過ぎる人たちを眺めていた時、何気なく
ここの人口は
170万人あるけど其の中に誰一人知っている人がいないと思った途端、孤独感が襲ってきました。これは下宿に帰
り着くまで頭の中にのこりました、

ブリスベン市庁舎

昨日できなかった市内観光をして、其の後フェリーに乗って一番川下までくだり、もどる途中でフェリーをおり、街をぶらついて帰り
の飛行機の時間まで過ごしましたが、荷が入りませんでした。ホテルに帰り荷物を受け取って帰りの飛行機に乗ったときには正直
ホットしました。英語だけから来るストレスかと思ったけど、下宿に帰っても日本語を話せるわけでは無し、一体なんなのでしょうか?
初めての経験です。

反省編

学校選びに関しては、現地で見学をしてから選んだ方が良かったと思います。僕の行った学校は、学生の90%が日本人でした、
よその学校の子と知り合う機会があり、そこは日本人が30%位だということでした。やはり日本人が多いと日本語を使う機会が
増えますので、、。ただ学校の紹介でレッドマン家に下宿出来たので、農場見学が出来ましたが、学校が違っていたら、当然下宿
先も変わっていたので、プラスマイナス、ゼロというところでしょうか。

1ヶ月と言うのはあまりに短すぎました。やっと慣れて来たところで帰るわけですから、最低でも6ヶ月くらいは欲しかったです。
ローカルの友達も作る事が出来ませんでした

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