12/10 2004掲載

ハナパパの

ヒマラヤトレッキング報告 Part1

 

1127日に帰国しましたが、まだなんとなく、身体の調子が元に戻っていません。

早くレポートを書かなくてはと思いつつぐずぐずしています。今回の旅は本当にしんどい旅でした。
トレッキングの途中何十回、止めて帰りたいと思ったか知れません。
毎朝歩き始めると、なんでお金を払ってこんな辛い目をせんといかんのかしら?と考えるのが旅の日課でした。
全額旅行代を出してやるといわれてももう二度と行かんぞと思っていましたが、日にちが過ぎて行くと
そんな気持ちもだんだん薄らいできて、今度はアンナプルナに行って見ようかな,などと考え出しています。


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福岡発2030分のANAで関空へ、ここでネパールへ初孫を見せに里帰りをする
ハリ君、美恵子夫妻&メリナちゃんと合流。(美恵子婦人とは十数年らいの知り合いで、ネパール人の
ご主人をもらったということで、ネパールへ旅立つ前に色々教えてもらおうと思い連絡を取ったところ偶然
にも同じ便で里帰りするとの事でした)。
出発までかなり時間があったけど、ネパールの話、トレッキングの話を聞かせてもらいました。


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プーケット、バンコックを経由して、12時半にカトマンズの空港に到着。ほぼ満席状態でほとんど寝られなかった。
ハリ、美恵子夫妻とカトマンズ空港

かわいらしい国際空港だが一歩外に出るとアジア共通のタクシーや宿の客引きがわんさか、、。
トレッキング会社の出迎えをうけ、ハリ夫妻と今夜の夕食の約束をして別れ、ホテルに向かうが第一印象は
汚い、埃っぽい、けたたましい騒音、無茶苦茶な交通ルール。
宿に荷物を置き、早速土地勘を養うためにホテルの近くをぶらぶらしたり、地図を買ったり、お茶を飲んだりして
夕方まで過ごす。ハリ夫妻にホテルまで迎えに来てもらい、夕食はネパール料理のダルバートを食べてみるが
カレー以外はどうも口に合わない。心配になる、、。

ホテルの近所 タメルという地域

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8時発のルクラ行きの飛行機という事で715分に国内線の空港まで送ってもらう。
エアーチケット、空港税、を渡され、ルクラの空港にサロ君というのが迎えるからと彼宛の手紙を渡されて
入り口でバイバイ。中に入るとチェックインカウンターは立食パーティーの屋台みたいなのが航空会社別に
4つくらい並んでいるだけ、その前に荷物がわんさか、人間もわんさか状態。誰が職員かもわからず、聞けば
ここで待てとの事、結局飛行機に乗れたのは
12時前、その間何の説明も無し、一緒に待っていた、旅行
会社の人間や、トレッキングガイドが親切にしてくれたからいいようなものの、大変な初日になりました。
この飛行機で
ルクラまで行きます。ツインオッターというそうです。
機内の様子。18人乗
飛び立って
15分位たったら左手前方にヒマラヤの山並みが見えてきた。

ルクラの空港でサロ君の出迎えを受けてトレッキングが始まりました。
ルクラの空港

今日の行程は2840mのルクラから2610mのパクディンまでのほぼ下りの2時間半位のコース、途中
昼食をとり、4時前位に到着しましたが、日がかげるとかなり寒さを感じました。

今日の道、まだ生活道路。
初日の宿
初日の部屋

(ロッジの部屋は大体こんな感じ)

11月10日

8時に宿を立ち、川沿いの道を上り下りしながら上流に向かいました。途中つり橋が数箇所ありスリル満点です。
このあたりは樹木も多くなんとなく日本の景色と似ています。
国立公園のチェックポストを過ぎると道は急な登りとなり足が進まなくなりました。
国立公園のチェックポスト
こんなつり橋をいくつも渡ります。(結構怖いよ)
牛(ゾッキョといって牛とヤクのハーフ)サンが
来たら待ちます。


今日の泊まりはナムチェ、3440mですので
800mの登りです。3000mを超えるあたりから頭痛がはじまり
高度が上がるにしたがって段々ひどくなりました。長く苦しい登り道を登ってやっとなナムチェに着きましたが
ここが又急な坂にある町でメインストリートがちょうど愛宕神社の階段みたいなとこでした。
ナムチェに到着
ヒマラヤの軽トラ

今日の宿は新築で綺麗なんだけどその坂の左の一番上にあり、疲れた身体には悲しくなりました。
頭痛が取れないけど動いたほうが良いとの事で、少し休憩した後、ほんのわずかな平坦地で行われている
バザールを見に行きました。商売をしている人たちはチベットから荷物を担いで来て、広場に簡易テントを
作って寝泊りしながら一ヶ月位店をやるんだそうです。
これがバザールです。

品物は中国製の衣料品、寝具、靴などが売られていました。谷間の町ですので日がかげると急に寒くなり
急いで宿に戻りました。

 

続く・・・・・

 

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