神経科医の舩津邦比古 による

<<ヨーロッパ歴史ロマン>>

10/19 2000

森脇君,先に私はミュージカル「エリザベート」について,「落日のハプスブルク家に燃え上がる壮大な恋の悲劇」と紹介しました.
でもそれは歴史を知っている私たちが後日言えること,当時の人々は国際情勢の緊張が続く中,経済的繁栄を謳歌していました.
欧州の一方の覇者ハプスブルク帝国が消滅するなどあり得ない,あってはならないことでした.
しかし帝国内には10を越す民族が住んでおり,多民族国家を維持するのに帝国が莫大なエネルギーを費やしていたのは事実です.
まずはお待ちかね,エリザベートの肖像からお目にかけます.既にご存じの物でしたらご免なさい.
 
 
これはエリザベートがハプスブルク家に嫁ぐ直前,実家に置き土産としたのでしょう,17歳の時描かれた絵で,ヴィッテルスバッハ家
が所蔵していた物です.後年の肖像にはないキリッとした美しさがあります.後年の肖像はもっと優しい顔をしています.
「美しい.こんな女を妻にしたい.でも,妻にしてしまったら,ひょっとして大変なことになるのではなかろうか,,.」見る男性に
そう思わせそうな肖像画です.実際その通りになってしまった.
この絵の解説にはミュージカル「エリザベート」には描かれなかった,彼女の秘密が明らかにされています.
 
<馬上のエリザベート 解説>
オーストリア皇后エリザベート.民謡が好きでツィター(楽器)マクスルと称された,バイエルン・マックス公の娘「シシー」.
1853年,カール・フォン・ピロティー作.彼女は馬を特に大切に扱うということもなく,皇帝フランツ・ヨーゼフにとっては心晴れるよりも,
むしろ悩みの種であった.そしていとこのルートヴィヒ2世と深い心の交わりを結んだ.二人はシュタルンベルク湖上の小島,
「薔薇之島」で逢瀬を重ねた.ルートヴィヒは皇后を「私の可愛い小鳩よ」と呼び,彼女は王に「鷲のように雄々しいあなた」と賛辞を返した.
 
馬はビクついた表情に見えます.シシーが右手に持った鞭は,馬にとってかなりきついストレスなのかもしれませんね.
背景に描かれている建物はバイエルン・アルプス麓のマックス・ツィター公の居城でしょう.
ミュンヘンやアウグスブルクのような由緒ある町の中には,このようにカジュアルな王侯の館はありませんから.
 
<ちょっと横道>
ツィターとは,映画「第3の男」で有名になった,膝の上で奏でる弦楽器である.カジュアルで時にややもの悲しくもあり,親しみやすい音を出す.
格好の似たものに,弦を木琴のようなばちで叩くハックブラットというのがある.ヴィーンの北西のはずれ,グリンツィングという有名な観光スポットがある.
市電の終点なので,簡単に行ける.ここは地中海に面したモナコから始まるアルプスの東の端,なだらかな丘陵の麓である.
ドナウ河畔でアルプスは雄々しい造山運動のエネルギーを燃えつくし,これから東にはハンガリーまで続く大平原が広がっている.
丘陵は一面ぶどう畑である.グリンツィングではホイリゲ(今年のという意味)ワインを飲ませてくれる.ボージョレ・ヌーボーがガメイを用いた
赤ワインなら,ホイリゲはグリューナー・フェルトリーナーやミュラー・トゥルガウ種を用いた,白のフレッシュ・ワインである.飲むといかにも若々しい.
これをガブ飲みする.ホールの一隅にはギターやツィターを使ったバンドがいて,楽しげなアルプス民謡やもの悲しいジプシー音楽を奏でている.
すぐ近くには聴力障害で人生に絶望したベートーベンが遺書を書いたハイリゲンシュタットがある.
楽聖もこの酒場でホイリゲを飲んだのかと思いを巡らしつつ,ツィターが奏でるジプシー音楽(ツィゴイネル・ワイゼ)に耳を傾ける.
 
 
未来型伝言板で話がこちらに来てしまったので急遽予定を変更し,この城の写真を掲げます.
ドイツロマンチック街道の終点にある,ルートヴィヒ2世が造ったあまりにも有名な幻想の城.現実とは思われぬほどファンタスティックなので,
当世はやりのコンピュータ・グラフィックスかと見まがうが,実際にある風景.後方の湖まではルートヴィヒ2世の所領バイエルンだが,遠景の,
頂に白く雪をかぶるアルプスの山々は,実は隣国オーストリアに属する.

ルートヴィヒは城内の部屋々々をワグナーの歌劇の有名なシーンで飾り,城の最上階に設けた劇場で彼の歌劇を上演させようとした.
ワグナーの歌劇はドイツ民族を陶酔するがごとく賛美するものばかりで,枚挙すれば「ニュルンベルクの名歌手」「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」等がある.
バイエルン王国の財政を破産の危機に追い込むまでに傾倒して造ったこの城であるが,ワグナーは一度たりとてこの城を訪れず,
王自身もこの城に泊まったのはわずか18夜に過ぎなかった.エリザベートがこの城に来たかどうかは,定かではない.

人間嫌いのルートヴィヒは,侍従や衛兵となるべく顔を会わさずに済むよう,様々な工夫を凝らした.
彼の乗った馬車が城に着くとそこに衛兵は居ず,賊が襲ってくることの無いよう前庭前後の門が閉まり,ルートヴィヒは一人そっと館に入る.
彼の食事の間は2階か3階下の厨房の真上にある.皿に盛られた料理は壁の中に設置されたリフトに乗せられて,この部屋へ運ばれる.
一人のはずのルートヴィヒには客がいる.17世紀に生きたルイ14世と,18世紀に生きたマリー・アントワネットである.
ルートヴィヒにしか見えない二人の客を相手に晩餐の話は弾み,尽きることがない,,.彼が使う洗面台には厨房のボイラーで沸かした湯と,
冷たく澄みきったアルプスの雪解け水が引いてある.このような給湯装置は19世紀には希有であった.

(続く)

続編はここから enter