4/25 2003掲載

ノーベル化学賞の田中耕一さんがやって来た!           神経科医の舩津邦比古

 

 

 日本医学会総会に行き、ノーベル化学賞受賞者田中耕一さんの招待講演「ソフトレザー脱離イオン化の応用」を聴いて参りました。私は大学にいる頃は神経生化学を少しやっておりまして、島津製作所にもお世話になりましたので、この講演だけは是非聴きたかったのです。たぶんこの講演は本学会の目玉、大勢の聴衆で溢れるだろうと予想しましたので、会場のサンパレスには開演の40分前に行きました。それでも既にかなりの人々がいて、ロビーでは「1階にはもう席がありません。皆さん2階3階にお上がりください」と場内整理員が呼びかけていました。でも折角のノーベル賞講演です。こういう時は厚かましく中央の通路をズケズケ最前列まで行ってみるものです。案の定、前のほうには幾つか席が空いていて、運良く演壇間近に席を確保することができました。絶対聴きたい講演の時はいつもこうします。講演が始まるときは立ち見(立ち聴き)客ぎっしりの超満員でした。

 

会場の雰囲気

 座長の杉岡会長に紹介されて田中さんが姿を現すと、場内割れんばかりの拍手です。それに有名人の結婚式でもこれ程まではないでしょう、ものすごいフラッシュの嵐。隣に座っていた若い女性が

「あら、テレビのとおりだわ」とのたまって、彼女も立ち上がってデジカメで田中さんを記念に撮っていました。

簡単に挨拶を済ませ、本題に入りかけた田中さん、とうとう一言、

「えー、私はテレビタレントでも有名人でもありませんので、どうか写真のフラッシュはご勘弁願います。」

 

ここで会場からドッと笑いが起こり、このシーンはその日のテレビニュースでも紹介されました。ナレーションが「田中さんはユーモアを交えて講演しました」と言っていました。もちろんユーモラスな話術でしたが、実際は彼は本気で聴衆にフラッシュをやめてくれるよう、お願いしたようです。

それでもフラッシュの嵐はなかなか収まりません。5分くらいしたところで、再び

「申し訳ありませんが、フラッシュはやめていただけませんでしょうか?目を刺激しますので、、」と、田中さんは請われ、それでどうにかフラッシュは収まりました。どうも私達はマスコミを通じて紹介された、庶民的で気さくな田中さんのイメージに、少しあまえていたようです。

 

 ところで、ここでちょっと呆れる光景がありました。光の嵐が収まったそのときに一人の紳士がカメラ片手に田中さんのすぐ前に歩み寄り、フラッシュをピカリと光らせて悠然と写真を撮ったのです。一瞬場内が凍り付いて、その分田中さんの澄んだ声がよく聞こえたように感じました。その紳士はそのまま近くの関係者席に着座したので、たぶんお偉い方だったのでしょう。思うに、田中さんが2度目フラッシュを自制するようお願いされたとき、この紳士は既にカメラを手に田中さんの方へ向かって歩き始めていて、彼は臨機応変の行動変換ができなかったのかもしれません。

 これは精神機能の老化現象と捉えることが出来ます。とっさの判断が出来ない、柔軟な思考が出来ない、臨機応変の対応が出来ない、一度考えたことを変更することが出来ないなどは精神機能の老化です。

 

誠実で謙虚な人柄

 講演は感激しましたねえ。蛋白質イオン化+イオン飛行距離測定という専門的で難解な内容も、素人向けに分かり易く説明してもらいましたが、それと共に田中さんの科学に向かう姿勢、本質的にあの人は誠実で謙虚な人ですね。創造主が生物の中に造った内的宇宙とか、それを解明しようと人間が築いた科学という手段に対して謙虚です。これだけのことが解った、それ以上のことは解ってないと白黒がはっきりしています。自分はこういう仕事をしてノーベル賞をもらったと胸を張る一方、でもこれは一緒に研究した仲間とのチームワークの賜であり、私たちの仕事の価値を認めて世界中の多くの研究者が自分たちの研究に採り入れてくれたから、自分が賞をもらえたと感謝を忘れません。

 

「単調な測定を何万回やったかわからない。終いには嫌になります。でも、実験が好きだからそれでもやりました」と、子供が日が暮れるのも気付かず遊び続ける、あの心があるようです。そしてノーベル賞に至った研究は、ある単純ミスからスタートしたそうです。ポカがポカに終わらずノーベル賞になったのですよ。

 

tanaka-diploma.jpg
田中さんのノーベル化学賞賞状。ノーベル財団サイトより転載)

 

素人なりに理解したこと

 以下は一度聴いただけの話しですから、かなり間違いがあるかもしれません。その時はご容赦ください。田中さんの仕事は質量分析 Mass Spectrometry といって、タンパク質などの分子量を測定することです。従来の測定法に代わるより簡便で精度の高い質量分析法を確立することは、島津製作所の経営方針でもありました。

 田中さん達の質量分析法は以下の5段階からなるそうです。

(1)試料を準備する

(2)試料をイオン化する

(3)イオン化した試料を真空中を飛行させる

(4)そのイオンを検知する

(5)イオンスペクトルを測定する

この仕事を5人のチームを組んでしたそうです。この5段階のどこがうまくいかなくても、5人の誰が欠けていてもこの研究は成功しなかった。だから彼はチームワークの成果だと強調するのです。彼はそう言って同僚を立てるのですが、それは心からの実感でしょう。聴いていると5人が科学と真剣勝負の対決をした気迫がひしひしと伝わってきます。

 

 従来の方法ではイオン化できるのは分子量1,000程度の小さな物質に限られていたそうです。それが田中さん達が開発した方法では、一挙に分子量10,000位までイオン化出来るようになりました。

 高分子のサンプルをイオン化するには超微細金属粉 UFMP を用いるのが一つの重要な点で、これも田中さん達のアイデアだそうです。UFMP とは直径数ナノメーター(10-9m)の金属粒子です。メタルの種類は聞き漏らしましたが、特殊な合金でしょうか? 別名Japan powder というそうです。多分精製には高度の技術を要し、そこに技術大国日本の名が冠してあるのでしょう。粒子と粒子の間の超微細な間隙はレーザー光線の波長と同じレベルで、光の持つ高エネルギーをすべて閉じこめてしまいます。そのせいか、この金属粉は黒いそうです。これにグリセリンだったかエチレングリコールだったかと蛋白質などの試料を加え、真空中でそれにレーザー光線を当てると蛋白質がイオン化する。イオン化したタンパク質は数ナノ秒(10-9 sec)という一瞬の間宙を飛び、その飛距離を測定することによって、タンパク質の分子量が解る、、と、こんなストーリーだったようです。

数ナノメーター(10-9m) → 数ナノメーター(10のマイナス9乗メーター) 
数ナノ秒(10-9 sec) → 数ナノ秒(10のマイナス9乗秒)

 

 本来このような実験はアセトンを用いるそうですが、田中さんはあるときうっかり間違ってグリセリンを入れたそうです。あーあ、高価な資料がだめになったと嘆いた田中さん、転んでもただでは起きないのか、本当に実験が好きなのか、このミスった資料で実験するとどんな結果が出るだろう、ダメモトで測定してみようとやったのが、大発見となったそうなのです。また当時のイオン飛行時間測定技術は最大解析能が数十ナノ秒で、精度も不十分でしたが、それを自分たちの技術で数ナノ秒に縮め、且つ精度も向上させたと、口調は控えめながらも成果を強調されました。こう書くとドラマティックですが、本当は来る日も来る日も単調な実験に明け暮れる、好きでなかったらストレスの溜まりそうな仕事だったのかもしれません。ノーベル賞受賞に至った研究の基本部分は二十代の時の仕事です。体力も情熱も、そして自然科学への好奇心もきっと旺盛だったことでしょう。

 

企業人としての田中さん

 田中さんは本来化学者ではありませんでした。

「私は大学で電気工学を専攻した者です。その私が化学でこのような栄誉ある賞をいただくとは、思いもよらぬことです。」

これは勿論謙遜から出た言葉でしょうが、事実でもあり、そこに深い感慨が込められているのです。つまり当時化学者の間では分子量1,000以上の高分子物質はイオン化できないというのが常識でした。でも電気畑からやってきて化学には素人だった田中さんは、従来の学説にとらわれず研究を進めたことが幸いして、最終的には分子量30万レベルまで測定することが可能になったと述懐されます。

 

 田中さんはまた、企業に勤める科学者の立場を紹介してくれました。

「純粋に科学の真理を追求する学者ではなく、実用になるものを開発するのが私たちの使命です。だから細かいところでは、厳密さを欠くこともあるかもしれません。私たちの研究はお客様が買ってくれないと日の目を見ません。私は研究室にこもって実験ばかりやっていたわけではないんです。レーザーイオン化法の基礎研究をした後、部所を移って質量分析装置として製品化する仕事に携わりました。製品が出来るとお客様を廻って販売にも携わりました。

 私自身がお客様(多くは大学などの先生ですが)を訪れて何を求めているか要望を聞き、研究所に帰って改良作業に着手する、そのサイクルの繰り返しでした。これは製品開発の上でも、レーザーイオン化法の改良を進めるうえでも非常に貴重な機会だったと思います。そしてそういう私達の仕事を周囲が評価してくれたことが実に嬉しいです。いま日本には私のような企業の研究者が10万人ほどいるでしょう。その人達が私の受賞を我がことのように喜んでくれました。これが嬉しかったです。」

...なるほど、そうでしたか。あらためておめでとうございます。

 

 そしてこうも言っておられます。

「日本の企業は研究、製品開発、営業と組織が別れてしまっていますが、私が出向先で見たイギリスやアメリカの会社は研究者から営業マンまでのスタッフがチームを組み、お客様とも密接に連携を取りながらプロジェクトを進めていました。日本の企業もこういうやり方を取らないと、良いアイデアはいっぱいあるのに、製品化に繋がらず、外国企業に先を越されて悔しい思いをしてしまいます。」

 ご自分でもお客様を廻って製品開発にも力を注がれた田中さんとそのグループ、彼らの技術は 100 アトモル (1 x 10-16 mol) のアンギオテンシン II や、5 フェムトモル (5 x 10-15 mol) のニューロテンシンなど、超微量のペプチド測定を可能にしたのです。

(注: molは化学物質の量を表す単位。ペプチドとは数個〜数十個のアミノ酸で構成される小型の蛋白質。アンギオテンシン、ニューロテンシンは血圧調節作用を持つペプチド)

100 アトモル (1 x 10-16 mol) → 100 アトモル(1 x 10のマイナス16乗 mol)
5 フェムトモル (5 x 10-15 mol) → 5 フェムトモル (5 x 10のマイナス15乗 mol)

 

shimadzu-qit.jpg
田中さん達の研究成果はこのような製品となり、世界中の研究室で用いられた。島津製作所サイトより転載。)

 

科学に対する謙虚な姿勢が好感を持たれる

 田中さん達の研究は初め日本語で発表し、あまり注目を引かなかったそうです。しかしその価値に気づいた内外の人たちに勧められ、それからしばらく経って外国誌に英文で発表したそうです。製品の販売も最初はあまり思わしくなく、アメリカの会社と提携してからようやく売れ始めたということです。田中さんは普段は作業着で仕事をしてありますし、営業で売り込みに行くときも控えめな態度でしょうから、

「あの田中さんがノーベル賞取ったの!?」とびっくり仰天された大学の先生も、たぶんいっぱい居られることでしょう。

 

 彼の話し方には「私は、、」「私が、、」がよく出てきます。そういう主語をはっきりさせた話し方は、日本人にはあまり馴染めない用法です。でも言っていることは分と節度をわきまえたというか、上に述べたように科学的に解っていること、解ってないことをはっきりさせるという論理的思考に基づいています。科学に対する謙虚な姿勢が対人関係でも控えめで気どらない人格となって、好感を持たれるようです。今の日本には「○○させていただきます」調の妙な慇懃さが目立ちますが、そういうのがなく、聴いていて爽やかでした。途中で拍手したくなるほど、私は嬉しかったです。(でも、気が小さい私は手をたたけませんでした)

 

 講演を聴いていて次のような比較が浮かんできました。田中さんの質量分析という仕事はより正確に測定するという、いわば単純な目標です。これは少しでも早く、少しでも遠くという、目標は単純だが、達成のためには並々ならぬ努力が欠かせない、陸上競技や競泳に喩えられないでしょうか?それに対して医学は投げる、打つ、走るなどの基本技能を駆使して戦う野球に喩えられるかもしれません。

 

 田中さんはこの道に入った時から医学に貢献したいと強く希望を抱いていたそうです。ですから日本医学会総会から招待講演の話があったときも、お医者さん達に是非自分の話を聞いてほしいと、喜んで引き受けられたそうです。

 会社は彼のために「田中耕一記念質量分析研究所」を設立して功績に報いてくれました。でも彼はいつまでも第一戦の研究者兼営業マンとして働き、現場を離れた管理職にはなりたくないそうです。そして夢はわずか一滴の血液を用いることによって、そこそこの費用で、お茶でも飲んでいる間に百を超す病気が診断できる装置を開発することだそうです

 
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