おたのしみください。
2008年 北東北の秋(T) ミュンヘン散策/ヴィクチュアリエン市場 ミュンヘンの住まい Part1 Part2
2007年 M. v. K. と三女の上海旅行 Part2 Part3
M. v. K. と次女のベトナム旅行 Part2 おまけ M.v.K.の韓国ツアーPart1 Part2
Hiko と Maria のスイスの旅 ロシア偵察旅行最終回 モスクワ
ドレスデン外伝&ザクセンの輝き プロイセンの栄光(グロリア)
エルミタージュ美術館 ロシア偵察旅行_1 その2サンクト・ペテルブルグ後編
『闇の奥』の奥 玉垂宮(久留米)の鬼夜 ノイシュヴァンシュタイン城_Part 2
2006年 ノイシュヴァンシュタイン城 ルートヴィヒ イタリア旅行 ミラノ フィレンツェ Part2 Part3
2005年12月 「ペナンの休日」 Part2
2005年11月 伊都の丘病院ご紹介
2005年7月 バーデン・ヴュルテンベルク州の珠玉の諸都市
2005年4月 kuraraのMALTA留学記
2004年12月 クララの見たドイツのお店 <<クリスマス_追加>>
2004年11月 ザクセンのスイス
2004年10月 旧東ドイツの医療制度について 続編
2004年4月 マリアの某旅行社【ミステリーツアー】
2004年1月 クララのクリスマス・マルクトめぐり
2003年12月 クララ・フォン・クーニヒスヴェルトのクリスマス・マルクトめぐり1 Part2
2003年4月 ノーベル化学賞の田中耕一さんがやって来た!
2003年2月 プラハの春を読んでPart1 Part2
2003年1月 ドレスデン_5 ドレスデン 6 ドレスデン 7 ドレスデン 8 ドレスデン 9
20002年12月 <ドレスデン2002_4: R氏の自宅にて>
2002年11月 ドレスデン2002 Part1 Part2 Part3 スパイスブーケ 一貴山共和国
2002年9月 古都ザルツブルク Part2 Part3
2002年8/9月 ミュンヘンPart1 Part2 Part3
2002年8月 Yacht搭乗 ゲルマニア2002
2002年7月 朝倉の蕎麦処
2002年6月 ゲルマニア_2002 ワイマール2002
2002年5月 エルベ河畔のバロック・ドレスデン: R氏の質問
2002年 Mrs.舩津のプラハ・ヴィーンPart1 Part2 Part3 Part4 Part5
2002年3月 吉井のお雛様
2002年1月 mini新年会
2001年12月 情緒豊かな クリスマス
2001年11月 ドイツの秋
2001年11月 南ドイツのバロック協会
2001年10月 バンベルクPart2
2001年10月 ローテンブルグ
2001年9月 バイエルンの青と白
2001年9月 バンベルグ
2001年8月 ヴュルツブルグ
2001年6月 ベネディクト派大修道院
2001年5月 ルーカスクラナッハ
2000年12月 エルベ河畔のバロックドレスデン Part1 Part2
2000年11月 伊万里焼とハプスブルグ
2000年10月 デビュー編
エーリッヒ ケストナー: 僕が幼い少年だった頃 Erich Kaestner: Als ich ein kleiner Junge war(抜粋;舩津訳) 僕の住んでいたドレスデンにはその当時ザクセンの王様がいた.もちろんその当 時彼は自分が最後のザクセン王だということはついぞ思っていなかった.王様は よく気さくに馬車に乗って,時には徒歩で市内を散策した.屋根なし馬車に乗っ た王子や王女が僕たちににっこり微笑んだ.王様も親しげに微笑んだ.僕たちも 笑顔を返した.でも少しだけ,気の毒な気持ちが残った.皆知っていることだっ たが,王の夫人,ザクセン王妃は宮廷ヴァイオリン弾きのイタリア人 シニョー レ トセリ と駆け落ちしていた.だから王様の姿にはどこか滑稽さが漂ってい た。王子,王女には母親がいなかった. クリスマスの前の華やいだ街に王様はしばしばぶらりと現れた.そして ショウ ウインドウ をあちこち特に宛もなく見て回った.それに気がついた人々は「王 様だわ」といって,彼の散策を邪魔しないように気を遣った.仮に王様が空腹を 感じ,大きなハム・ソーセージ屋に入ったとしよう.多分王様は普通の客と同様 「”伝承手造り”熱いの2本,ここで食べる.マスタードたっぷり!」と言うだろう. でっぷり太った売り子のおばさんは膝を折って王様に敬意を払うことはまず ないだろうし,間違っても「陛下,お越しいただくとは、光栄の極みにござりま す」と言うことはあり得ない.せいぜい「パン付き?パンなし」ぐらいの返事だ. それからさらに王様は旧マルクト広場の方へゆっくり回って王宮に戻る.これが 王様のクリスマス前の楽しみだ... |