11/13 2002掲載

haruさん

<アクエリアスの航海 〜Memory〜 加唐島>

 

 加唐島(かからしま)は強風のとき避難に適した島である。

島の地形を見たら分かる。北、東、西側を切り立った断崖に囲まれており、東、西の断崖には切れ込み(入り江)がある

(写真1。加唐島空撮)

  我々が寄港するときは港のいちばん西側(左)に停泊する。安心して夜を過ごせる

(写真2。断崖の海岸線)

ほとんどの海岸線は断崖で囲まれている

(写真3。大泊港)

入江の一つ。大泊港。風、波に強い地形が分かる。

(写真4。南側から見た加唐島)

南側から見た加唐島

 玄界灘は一年を通して北風が吹くことが多い。特に冬の北風、北西風は強烈である。このため、玄界の島々の港や集落は島の南側にある。

(写真5.加唐島港)

加唐島港。風よけの柵もある。

(写真6.加唐島町並み)

加唐島の町並み。見える範囲にほとんどの家がある

 

南側の港近くには古代から枯れることのない井戸がある。

また、山々は付近の島々に比べて大きく、高いので遠くから視認しやすい。

朝鮮半島から対馬、壱岐を経由して九州に至る経路で避難するに適した島であり、古代人もこの島影で強風をやり過ごしたことを想像するのは容易である。

船や航海機器、気象状況、海図などが整備されたいまですら荒天時の航海は非常な危険が伴うのであるから、古代の航海はあまたの困難があったことと思われる。

 

写真7.照射灯)

加唐島にある照射灯。灯台ではない。珍しい。

夜、海上の瀬にある白い立柱を山中にある白い建物の中にある強力な光でスポットライトのように照射して瀬の存在を知らせる。白波が立った夜など幻想的な風景となる。

写真8.重なった島々)

重なった島々。遠くから見ると島々は重なって見える。この写真には3つの島が写っている。手前のこんもりした島が松島。その次が加唐島、遠くに薄く見えるのが小川島。

写真の一番左端が加唐島のエヌオ鼻、右端が小川島になる。

航海のとき島々を見分けるのには経験が必要である。特に視界が悪いときは至難である。

 

(写真9.加唐島案内図)

加唐島案内図

(写真10.武寧王説明文)

説明文にある“武寧王”とは、百済の有名な王で百済中興の祖として朝鮮半島ではとても人気があるらしい。

1971年に韓国で武寧王陵が発掘され膨大な金細工など副葬品が出土した。

図書館に“武寧王陵”という発掘の記録誌があったので、借りて読んでみた。

日本書紀によると、武寧王誕生のいきさつは次のとおりらしい。

 

「百済の王が弟を日本に使わそうとした。弟には妻と子供5人がいたが、日本に向かうにあたって、王の妃が欲しいと申し出て、王の許しを得た。しかし、王の妃は、そのとき産月に近かったので、“もし、途中で出産したら母子ともに直ちに帰国せよ。”と言われていた。

船が加唐島(各羅島)についたとき、妃は出産したので母子ともに帰国した。この子供が武寧王である。島で生まれたので嶋王とも斯麻王とも呼ばれた。」

 

 

(写真11.休憩所)

     (写真12.休憩所木札)

道ばたにあった休憩所(木札にそう書いてある)。信じられない! まるで秘密基地。

(写真13.オビヤ浦)

武寧王が生まれたと言われるオビヤ浦。向こうの島は松島。

(写真14.オビヤ浦案内文)

オビヤ浦案内板。この案内板の向こうに井戸がある。

(写真15.エヌオ鼻)

加唐島北端にあるエヌオ鼻。エヌオとは“へその緒”という意味らしい。

加唐島の海岸は、このように切り立っているところが多い。

(写真16.エヌオ鼻 その2)

真上から見たエヌオ鼻

(写真17。エヌオ鼻灯台)

エヌオ鼻灯台。高いところにあるので夜の航海のときは強い味方になる。

 

続く〜