10/9 2002掲載

by haruさん

<アクエリアスの航海 〜夏の扉〜 小川島>

 海の上での”my  favorite things”は、青空、碧い海、心地よい風、ビール、音楽・・・
 こう書くと、どこかの英語の先生は“青空、碧い海、心地よい風などはthingsじゃないです!
 基本が分かっていない人は一からやり直してください!!”
と、厳しい声が聞こえそうですが、
 そこは、まぁ「“目に映った青空”“手のひらにつかんだ風”などは
things」くらいの寛大な気持ちでお願いします。

 なにせ、一からやり直すことが多すぎて、なかなか手がまわりません。

 嫌いなものは雨、雷、稲妻、霧。

夜の雷は本当に怖い。雷が海面に落ちたときは、どんなに遠くても、一瞬ですが海と空が
 見渡す限り明るくなります。島影もなにもなく高いのはヨットのマストだけなので雷が鳴り出したら
 “絶対にマストに落ちる。”という恐怖感にかられます。

 すぐに逃げ込む港はないし、部屋もありません。
 こんなとき、秘密の基地でもあればいいな、と思います。

アクエリアスの、favorite  singerは松田聖子でしょうね。
もちろん、加山雄三とか山下達郎とかサザンとか福山雅治など、たくさんのテープやCDを積んでいますが、
松田聖子の曲、それもデビュー後、4〜5年間の若い時代の曲ばかりです。もっとも、他のメンバーに言わせると

“それは、はるさんだけのこと。ワタシャ、都はるみ”
“ヒカルよ”“あゆよ”かしましい声が聞こえてきそうですが、聖子の明るい声は夏や海に合うと思いますよ。

加山雄三と並んで双璧と思います。ちなみに、年配の漁業関係者には都はるみが人気のような気がします。

「夏の扉」       (松田聖子
 ♪♪
髪を切った私に 違う女(ひと)みたいと
あなたは少し照れたよう 前を歩いてく
奇麗だよとほんとは 言って欲しかった
あなたはいつも ためらいの
ヴェールの向こうね

フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!
夏の扉を開けて 私をどこか連れてって
フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!
夏は扉を開けて 裸の二人包んでくれる

車が通り過ぎて 二人を分けてゆく
あなたは道の向こう側 何か叫んでる
好きだよと言ってるの まさか嘘でしょう
みんなが見てる 目の前で
どうかしているわ

フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!
夏の扉を開けて 私をどこか連れてって

フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!
夏は扉を開けて 裸の二人手招きをする

フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!
夏は扉を開けて 裸の二人包んでくれる

心地よい風を受けてビールを飲みながら船が波を切り分けるザッザーという音、ミュージックのサウンドを
聴きながら3時間もすると小川島に着きます。

この海域はいるかだけでなく鯨もたくさんいました。
 小川島は七ツ釜の北に浮かぶ小さな島。昔から、捕鯨で栄えた島です。
http://www.yobuko.net/kujira/

文中“小川島鯨鯢合戦”という文字がありますが、これは鯨を捕獲する様子を描いた絵巻です。
合戦というからには鯨を捕獲するときは戦場みたいだったのでしょう。
そして、捕獲できたときは、みんなで“エイ、エイ、オー”と、鯨波(とき)の声を上げたのでしょう。
当て字にせよ、鯨波を“とき”と読ませるのが不思議でならなかった。


左の島が小川島。向かっている船は呼子からの連絡船。呼子から約20分。右の島は鷹島という無人島。

右の島が鷹島。中央の岬が七ツ釜。

小川島近景

九州近海の鯨は夏に北氷洋で豊富なエサを食べて体力をつけ、初冬に南下して沖縄近海で出産して子育てをし、
春先に子鯨を連れて再び北氷洋に向かうというサイクルです。
北氷洋では氷の中に豊富な養分があり、温かくなって氷が溶けるとき大量のプランクトンが発生するので、そ
が生物の輪廻の基礎となっているらしいですね。
氷の中の養分は川がもたらす大陸からのもの。何万年も繰り返されてきた大きなサイクルの鎖の輪の、そのうち
の一つが欠けても地球も生物もおかしくなる。
春先と初冬、鯨は必ず九州の近くを通る。江戸時代は船足も遅かったので陸から遠い場所だと鯨のスピードに追
いつけない。
だから、島々で狭くなった海峡を鯨が通るときが捕らえやすかった。そんな条件をそろえた五島の有川、生月島、
呼子・小川島が九州では三大基地でした。

小川島の高台に残されている鯨見張所

窓はスリット状。こうすると長時間、海を見ていても目が疲れないらしい。

鯨見張所案内

昔の鯨見張所

出典はこちら

http://lib1.nippon-foundation.or.jp/1996/0108/contents/025.htm

テレビの取材があっていた。取材を受けているお年よりは若いころ、

ここで鯨を見張っていた。

見張所案内にある“突取法”とは、モリで突いて捕る方法です。
 江戸時代の絵馬などに、よく登場する口や頭部が大きい鯨は背美鯨という種類です。
 この鯨は肉質がいい上に速度が遅く潜水時間も短いので追いかけやすく、しかも死んでからも浮いている
 という特性を持っていたので突いて捕っていました。

 背美鯨は江戸時代から資源が少なくなったらしく、スピードの速い長須鯨などを捕獲の対象とせざるを得な
 くなって、いったん網をかけて鯨の速度を鈍らせてからモリを刺すという網取り法が考案されたそうです。

 捕獲がいちばん簡単だったのは母子連れの鯨。
 子鯨を捕らえて生殺しにしておくと、母鯨はいつまでも逃げようとしないばかりか、自分の体でもって子鯨
 をかばい、モリを一身に受けて死んでいく。
  http://www.cypress.ne.jp/taiji/ezu2.html

 “白鯨”に登場するアメリカ捕鯨の対象は抹香鯨が主体です。抹香鯨は深海まで潜ってエサを採るので深度差対応、
 温度差対応のために体内に優良な抹香鯨油を持っている。
 特に頭部にある脳油は温度変化に対して品質差が少ないので潤滑油として珍重された。
 かといって、日本近海で動きの遅い背美鯨などを捕らないわけでなかったので江戸から明治にかけての資源減少の一
 因にもなったそうです。
 小川島には、昔、よく行きました。
 福岡から近かったせいと、大広間にはミラーボールがあり衣装部屋(いまでいうコスプレルーム)を備えていた民宿
 があったからです。

  宴会は泊まり客、大広間でみんないっしょ。
 食事が済むとコスプレルームで思い思いの衣装に着替えて宴会に参加。
 ドレスあり道中合羽あり三度笠あり・・・・
 まず、民宿のご主人がギター片手にパイプくわえてマドロス姿で登場してからミラーボールが回り始める・・・・
 見知らぬ同士が酒を注ぎあって、いつもいつも盛り上がっていました。

あるときの宴会で、後ろから
“どお?わたし、綺麗?”という声がしたので振り返ってみると赤いチャイナ・ドレスの男がいた。
 口紅ははみ出しているし、白粉は浮いている。すね毛も剃っていない。
 認識が甘いんだよなぁ、オカマとかゲイについて。
 どんなに彼女たちが化粧に情熱と時間をかけているか・・・
 大学のとき同じクラブに、Aという週に2〜3回、新宿のゲイ・バーにバイトに行っているヤツがいた。
 Aはやさ男というふうでもなく、むしろ色は黒い方であったが、それだけに出勤日には部室の片隅で熱心に顔の手入れ
 をして着替えてから部室から出て行っていた。
 さすがに家には内緒にしていたらしい。
 Aの自宅は学校から歩いて15分くらいの至近距離にあったのでコンパで遅くなったときや徹夜麻雀のあとなどには時々、
 泊まりに行っていた。


 あるとき、二晩、徹夜麻雀が続いて、朝、意識朦朧ふらふらになって一緒にAの家に行った。
 起きたときは、もう夕方。
“いけねーぇ、遅刻する!!”僕たちはあわてて飛び起きた。その日はゲイ・バーへの出勤日だったのだ。
 さらにまずいことに化粧道具を入れたバッグを雀荘に置き忘れていた。
 Aはお姉さんの部屋に飛び込んで鏡台に向かった。着替えは近くの部室に置いてある。さらにさらにまずいことに、ドア
 が半開きになっていたので帰宅した父親に見られてしまった。
 日頃から行状にしかめ面をしていたAの父親の怒りは爆発した。
 部屋に入ってきて、“オマエなんか、家から出ていけー!”と、拳をあげた。
 すると、ただならぬ気配を察していた母親が“あなたぁ、いま、この子が出ていったら本当のオカマになってしまいます。
 そんなこと、おっしゃらないで。この子、心はまだキレイなのです。“ と、夫にとりすがった。
 父親は振り上げた拳と怒りの行方の方向が分からずにブルブル震えているし、母親はなきじゃくるし、Aはふてくされている。
 この光景を目のあたりにした僕は、頭のなかで“これが世にいう修羅場なのか。” と、頭のなかでぼんやり考えていた。
 
Aが“一度、来てくれ!”強く勧めるので、その鯨波、いや、ゲイ・バーには、一度、行ったことがある。
紹介されてママと話しているうちに、ママの表情がだんだんと真剣味を帯びてきて、いつしか面接の雰囲気になっていた。
当時、僕が日本橋のラーメン屋で出前のバイトをしていることを聞いたママは、“陽にあたるような仕事をして、どぉ、すんのよ。
日光は大敵よ。ウチにいらっしゃい。
あんた、話がおもしろそうだから、きっと売れっこになるわ。お給料、はずむわよ“
リクルートされかけていることを知って怖くなり、若かった僕はその店には二度と行かなかった。
そんな、昔のことが脳裏をかすめたが小川島の民宿では、どうせ、つかの間の一夜。
僕はチャイナ・ドレスに向かって“綺麗ですよ。”と言ってあげた。これくらいの優しさは生きていく上での潤滑油。
“まぁ、まさかうそでしょう?”
“それに、そのドレスも、とても似合っていますよ”
“まさか・・・うそでしょう?!”そんなやりとりのあと、彼女は“あら、そうかしらねぇ。”
実に嬉しそうに僕とおしゃべりをしていた。
それからは、大広間のみんなにお酌をして廻っては、僕の方を指さして小声で“あちらさんから褒めていただいたのよ。”

翌朝、僕たちは次の島に向かって朝6時の早立ちだった。
民宿の人には“朝、早いから朝食はいりません。”前夜に、にぎりめしだけを用意してもらっていた。他の部屋はぐっすりと寝込ん
でいるので、僕たちは起こさないように静かに身支度を整え、宿をあとにした。

出航準備をして船を出し、港の堤防を回ろうとすると、見たことのあるチャイナ・ドレス。
彼女は朝早くから、着替えて見送りにきてくれたのです。
 そういえば、昨夜、しきりに出航時間を尋ねていたなぁ。
“さようなら さようなら 元気でいてねー”
彼女は、ハンカチを持った手を大きく振っています。
僕は感動しました。
僕たちよりも早くから起きて、僕たちよりも静かに準備をしたのです。
遠くて良くは分かりませんがお化粧も昨夜より上手くなっているはずです。
すね毛だって剃っているに違いありません。
“さようなら さようなら”

僕たちも大きく手を振って、やがて彼女が小さな赤い点になるまでみつめていました。

「好きになった人」 (都はるみ)
♪♪
  さようならさよなら 元気でいてね
     好きな二人は いつでも逢える
     たとえ別れて 暮らしても
     お嫁なんかにゃ 行かないわ
     待って待って
     待っているのよ 独りでいるわ
     さようならさよなら 好きになった人

    さようならさよなら 指切りしてね
    固い約束 忘れはしない
    恋をしたのも 泣いたのも
    そうねあなたと このわたし
     好きで好きで
     好きでいるのよ 愛しているわ
    さようならさよなら 好きになった人

    さようならさよなら 泣いたらだめね
     つらい気持は あなたもおなじ
     ひとり待ってる わたしには
     幸せもって 帰ってね
    早く早く
     早く帰って 笑ってみせて
     さようならさよなら 好きになった人

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・・・・・・・

 そりゃ、そう“お嫁なんかにゃ 行かない”
  だろうな。

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Aは普通の会社に入って、普通の結婚をした。 扉は叩いたが、結局、入っていかなかった。理由は知らない。
僕も学生から社会人になり、人生経験も積んで修羅場の意味が少しずつ分かってきた。

そして、こうも思う。
「親と子は、愛があるから修羅場にはならない。」
「鯨の母子は、愛があるから修羅場になる。」
と。

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