11/14 2007掲載

裏磐梯紅葉狩りツアー  その2

 

 

2日目の朝、向瀧旅館の皆さんに見送られ、東山温泉からすぐ近く、会津若松市の中心部にある若松城に

やってきました。

ここは、江戸時代、会津藩松平家の居城ですが、古くは伊達政宗、そして蒲生氏郷が居城でもあったところ。

若松城の別名鶴ヶ城は氏郷の幼名に由来するとか。そして寛永年間に入り、家康の孫、保科正之が会津の国

主となり、以来幕末の松平容保まで徳川一門の松平家が治めたところです。それだけに他の城にはない風格

があります。

 

こちらは三の丸城門からの景色です。 紅葉と石垣、そして堀が見事に調和しています。 土井晩翠作詞、

「荒城の月」の舞台でもあります。 なお、「荒城の月」の作曲は滝廉太郎、こちらは豊後竹田城が舞台とか・・・
















 

こちらが天守閣

 

ここから天守閣に登ります

 

天守閣は現在、江戸時代の規模を再現して五層となっています。蒲生氏郷の時代は七層であったとのこと。 

天守閣からの眺めです。



 

天守閣をバックに記念撮影

 

スマートになったらんらんさん


紅葉の下で

 

こちらは大手門から入ったところ

 

ここからしばらくは、リワキーノさん激撮の会津若松城ハイライトです。































 

若松城を後にした我々は、飯盛山に向いました。飯盛山は彼の白虎隊自刃の地としてあまりにも有名です。

 

慰霊塔に祈りをささげます。

 

このモニュメントは、白虎隊に感激したローマ市がポンペイの遺跡から発掘された3本の柱のうち1本をここ

に寄贈したものとか。このようなものが会津にあるとは知りませんでした。

 

そしてここがまさに白虎隊19名の自刃の地です。 実際は20名が自刃したのですが内一名は一命を取り留め、

昭和の世まで生きています。その孫かひ孫に当たる方が東北大学の医学部教授で駄才先生存じよりの方とか。

 

ここからかなたに鶴ヶ城を望むことができます。白虎隊は周囲の武家屋敷が燃えているのを城が燃えていると間

違えて、城が落ちたと勘違いをして自刃したとのこと・・・地元のガイドさんによれば、見学の中学生は「あのと

き携帯電話があったなら、白虎隊は死なずにすんだ」と言っていたとか・・・




 

こちらが、19名の若者の墓所。 線香の絶えることがないようです。

 

飯盛山の中腹にある面白い建物、「さざえ堂」です。 江戸時代からあります。


中はこのようになっていて、登って下る階段は同じ道ではない。つまり一筆書き

 

飯盛山の次に向ったのは会津塗りの店、ここは老舗「白木屋漆器店」



 

会津の蕎麦で昼食を済ませたあとは、一路、猪苗代湖を経て、裏磐梯高原ホテルへ向います。

 

猪苗代湖畔の白鳥の浜(スワンビーチ)です。






 

そこから見る磐梯山をバックに 

 

裏磐梯高原の模様は次号に・・・