5/11 2007掲載
ドイツ紀行 手打ち庵
其の2−ドレスデン編
ドイツの西の端でベルギーとの国境に近いデュッセルドルフから真東に1時間半プロペラ機で飛んで、
チェコとポーランドとの国境に近いドイツ東の端ドレスデンへやってきました。ここからプラハまで
は約100kmしかありません。車で1時間もあれば行ける距離です。
写真はありませんが、ドレスデン空港は実に近代的です。
ここから旧市街地にあるヒルトンホテルまで電車でも行けるのですが、荷物がありましたのでタクシー
を拾いました。タクシーはもちろんベンツですが、パワーウインドウのないタクシー仕様車です。
学会の会場となるヒルトンホテルは聖母教会フラウエンキルヒェのまん前です。ホテルにチェックイン
して、夕食までの時間、散歩に出かけました。ホテルの玄関を出たところにフラウエンキルヒェが聳え
ています。
広場を半周して見る正面からのフラウエンキルヒェです。前にはマルチン・ルターの銅像が立っています。
ドレスデンの町は第2次世界大戦末期、1945年2月13日/14日の2日間、英米連合軍の空爆で徹底的に破壊さ
れ、ほとんどの建物が廃墟となりました。このフラウエンキルヒェは昨年修復が完成し、このような創建当
時の姿を見ること出来るようになりました。
教会の中でこの黒ずんだ一角がv.Kさん提供の写真にあった、修復以前のフラウエンキルヒェです。
そして、破壊された壁の一部が前の広場にこのように展示されています。左上に貼り付けてある教会の図面の黒
く抜けた部分の壁だったものです。
再びフラウエンキルヒェの全貌と周囲の風景です。
すぐ脇ではまだこのように未修復の建物跡が残されており、現在も修復作業が続いています。作業現場にはこのように
第一次世界大戦以前のドレスデンの写真が掲げられていました。聖母教会の隣の博物館でトーキー映画をやっているよ
うです。
まだ修復されていない建物の一角に、破壊されずに残った女性の像がありました。
ここはフラウエンキルヒェ前のカフェ。比較的寒い夕暮れ時でもこのように外でビールを飲んでいます。ドイツの人は、
あまりつまみを食べずにビールだけを飲むようです。まるで、喫茶店でコーヒーを飲むように・・・
さて、フラウエンキルヒェから再びヒルトンホテルの前を戻り、アウグストゥス・シュトラーセを行くとその左側には、
ザクセン王国を支配した王族の君主たちが描かれた長壁「フェルステンツーク」(君主達の行進)があります。102m
にわたるマイセン磁器タイルに描かれた壁画でそれまでのスグラットフィート画から1906年に転写され今日までそのま
まの姿で残っています。したがって、ここは第2次世界大戦における破壊を逃れているわけです。
その裏側は選帝侯の厩中庭で「ランガーガング」と呼ばれる長い廊下があります。
そして、この厩中庭をエルベ川方面に出たところが、宮殿広場シュロス・プラッツです。
ここから見える塔は宮廷教会ホーフキルヒェです。
塔があまり高いので、一枚の写真に入りきりませんでしたので、塔だけを拡大しました。
この教会の前をぐるっと回って後ろ側の劇場広場テアター・プラッツに出、そこから見たホーフキルヒェです。
なお、右側の塔と建物は宮殿レジデンツシュロスと塔ハウスマンス・トゥルムです。
ここで、後ろを振り返ると、ザクセン王ヨハンの騎馬像を挟んで、オペラ座ゼンパーオパーであります。
音楽の都ドレスデンには、1670年頃には既に、現在とほぼ同じ場所にオペラ座があったそうです。それは、当時アルプス
以北では最初の歌劇場であったそうで、その後火災等で再建された後、やはり1945年の空襲で完全に破壊され、戦後40年
をかけて今日のように再建されました。内装は新しくなりましたが、外見はほぼ忠実に原型どおりに再現したとのことです。
ドレスデン編その2に続く・・・