10/24 2003掲載

森脇久雄
 
山陰の旅その一
 
私が餘部鉄橋からの風景画像をHPに載せたことから橋の架け替え論議からテレビドラマ
「夢千代日記」のことなど話題がにぎわい、らんらんさんが「行ってみたい!」と書き込みを
いれたことから、たまたま但馬の中国支部の仲間たちと湯村温泉行きを目論んでいた手
打ち庵さんが、「それじゃ、らんらん&りんりんさんたちも一緒に行きましょう」とこのツアーを
計画したのでした。
 
大阪空港を出発
10月18日、いつもの如く、我が家に寄り道してくれた手打ち庵さんのBMWで大阪空港
にらんらんさんを迎えに行きます。道路が混んでいてらんらんさん到着に間に合わず、ゲー
トをでてくる写真が撮れなかったのは残念。(りんりんさんは急な用事のため不参加となり
ました)
らんらんさんは日程を一週間後と勘違いしていて、11日に手打ち庵さんが「いよいよ来週
ですね」とメールしてきたことでその思い違いに気づき「ギョエー!」(と声を出したかどうかは
不明)とばかり、飛行機のチケットのキャンセルと新たに18日の便を押さえに走ったそうで
す。割安のチケットを求めていたのにキャンセル料が¥8000かかったとか。
しかし、手打ち庵さんはよくもメールしたものでした。
 
朝来のSA
岡山勢(たるみ教授夫妻にさすさらさん)と待ち合わせ場所の播但自動車道・朝来SA
に着きました。一般国道と高速道路の両方が利用できるようになっている綺麗なサービス
エリアです。
 
中国自動車道の宝塚付近が渋滞したため、約束時間に20分ほど遅れたのですが、上
から覗き込むとみんな笑顔で迎えてくれました。
 
たるみ教授夫人はさすさらさんも含めてみんな初対面なのですが、とても気さくな人柄で
すぐに私たちの従来からの仲間のように溶け込んでくださいました。
柳川の出身で先祖代々から柳川に住み着いている家だそうです。柳川というと私は戦国
時代のさわやかな武将立花宗茂のことを連想してしまいますが、宗茂のことはまた別のと
ころで触れましょう。
 
竹田の山城
播但自動車道が終点の和田山に近づいた頃、前方に巨岩がむき出しの山が見えてき、
「おっ、凄い、あの山、頂上の岩がむき出しだよ!」と早速デジカメに収めると「いや、巨岩
じゃない、あれは石垣だよ。確かこの近辺に山城があったように記憶している」と手打ち庵
さんが言います。
そのとおりでして、すぐに「竹田城」の標識が道路沿いに現れました。
 
竹田城の画像(ネットのサイトから画像を借用)
旅行から戻って早速ネット検索で調べたら竹田城のことが載ってました。
室町時代末期に但馬の守護大名、山名氏が出石城の出城として築いたそうです。
関が原の戦後、廃城になったと記されているのでそんな昔に廃城になった山城の石垣が
写真のように見事に残っているのは不思議だと思っって調べたら、昭和の時代になって復
元されたようです。
興味のある方は下記のサイトをご参照のこと。二つ目のサイトは写真がきれいです。
http://www.town.wadayama.hyogo.jp/homepage/takeda/takeda.html
http://www.shirofan.com/shiro/kinki/takeda/takeda.html
 
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出石町に着きました。抜けるように青い青空の下、出石の城下町はより美しく見えます。
 
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出石といえば名物の皿そば。
時刻もちょうど正午前。手打ち庵推薦の「近又」に行きます。
 
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一皿は盛岡のわんこ蕎麦のちょうど倍くらいの量でしょうか。
「そら、食べて!」「がんばって!」「はい、次!」と後ろからけしかけれながらブロイラーのよ
うにただひたすら食べたわんこ蕎麦と違ってここは味わいながらいただきます。
その分、わんこ蕎麦のように量多くは食べられません。
 
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手打ち庵さんが「我々運転手にはどうか遠慮なく」、と言ってくれるので日本酒を頼んだと
ころ、店主がもって来てくれたのが但馬の銘酒「楽々鶴」(ささづると呼びます)。
手打ち庵さんの顔のおかげでお酒は大サービス。
 
で、皆さんの食べた枚数は伝言板に記したとおり、
「らんらん22枚、手打ち庵21枚、たるみ教授&さすさら20枚、リワキーノ12枚、華歌人
&たるみ夫人は内緒」
でした。
 
20枚以上食べた女性はこのように顕彰されます。
どなたか、今度この近又を訪れた方は是非確かめてください、らんらんさんの名があるのを。
 
史料館
昼食を済ませてから出石の町散策に出かけます。この史料館は初めて入りましたが、豪
商の屋敷をそのまま使っているその建物が見事でした。
当主の福富家が引越ししたため、戦後、出石町の所有となって町民の結婚式場などに
使われたということです。
 
一階です。
 
たるみ教授が思索にふけりながら庭を眺めてます。
(いえ、私がそういうポーズをとってくれ、と頼んだのです。やらせです)
 
二階です。
 
柿の枝をくわえたまま散歩する犬に出会いました。出石町らしいのどかな光景です。
 
女性は買い物がお好き。
柳行李の店を見つけたらんらんさんがそこのトランクが大変気に入り、¥25.000だったら買
うのだけれどな(正札は¥30.000)、とつぶやくと、店主はさほど逡巡もせずにその値段で
売ってくれました。
 
私が持つと、「似合っている〜!」とらんらんさんにほめられ、
 
嬉しくなって以後、出石の観光の間、私が持ち歩くことになりました。
「変わった趣味をもった男性ね」
「寅さん気取りなんじゃない?ほら、マドンナらしきのもいるし」
というひそひそ声が聞こえたような聞こえなかったような・・・
宗鏡寺(沢庵寺)です。外から見ただけでした。
 
沢庵寺近くの寺の木像。
らんらんさんにほおずりされて「はて、よわったな・・・」と言いたげな困惑の表情。
 
明治館
「外装の色が悪趣味」と皆もやはり思ったらしいです。
 
出石城
「近又」でゆっくりし過ぎたので出石城の本丸へ行くのは断念。
この手打ち庵ご夫妻の写真(リワ撮影)、なんとも言えないいい雰囲気を出しているでしょ
う?←自画自賛
 
井づつや玄関
2時過ぎに出石町を出発して湯村温泉に着いたのは4時前。
「佳泉郷井づつや」は300年の歴史を持つ旅館です。
予想していたよりも大きく、そして豪華。
 
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チェックインはフロントの前ではなく、係りの者がやってきてここで座ったまま行われます。
とにかく豪勢な内装で、私はこんな温泉旅館に泊まるのは初めて。
歌華人さんの高校時代の同窓生がこの旅館の総支配人をされている関係上、随分割
安で泊めてもらうことができたのですが、そうでなければ私のような庶民が行ける所ではな
いという感じです。
 
1階フロアの通路は全部このような絨毯が敷かれています。
 
皇族方もご利用。天皇陛下ご夫妻は皇太子時代にも来られていました。
今は亡き高松宮殿下の写真も。
 
水琴窟
私たちの客室がある4階のフロアには水琴窟が置いてありました。
壷の底に水を溜め、水滴を落とすとキーンという金属的な音がするのです。
水滴の落ちる度に音程が違うのは波紋の広がりの違いから来るのでしょうか。
 
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休憩をした後、湯村温泉の街中散歩に出かけていきました。
夢千代日記で主人公が歩いたと思われる坂道。
 
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吉永小百合の像のある夢千代日記の広場。
像は等身大だそうで、吉永小百合さんが想像以上に小柄で顔の小さいのにはびっくりし
ました。
後方の一番背の高い建物が「井づつや」です。
 
足湯
川そばにある足湯です。関西の温泉では珍しくもないのですが、らんらんさんは初めてとか。
 
橋の上から写しました。
 
旅館に帰る前に「酒を買っていこう」と酒屋らしきところに入ったらそこは酒蔵資料館でし
た。おじいさんが一人番をしていて日本の酒蔵について懇切丁寧な説明をしてくださった
のですが、たくさんある日本酒の瓶は皆中身は空。もちろん販売もしておりません。
 
さあ、待望の温泉です。
お湯は無色無臭でさらっとした湯質ですが入浴後、肌がすべすべします。
撮影時の桶の使い方を手打ち庵さんが披露。
 
浴場のエントランスは畳敷き。素敵でしょう?
 
もう、満足げなご婦人たちの表情です。
なお、井づつや旅館は温泉が地下と最上階にあり、最上階の方は午後はビールと日本
酒の無料サービスがついており、地下の方はノンアルコール飲料がサービスについてます。
私たちはもちろん最上階の方へ。
 
そして豪勢な宴会が始まります。
宴会場は我々だけが占有するにはもったいないほどの広い広間でして実にゆったりとした
気分になります。こういう広間がいくつもあるようで井づつや旅館の規模の大きさを実感い
たします。
仲居さんに収容人員を尋ねたところ、500人収容できるが接待の関係上350人しかお客
を迎えないそうです。
お膳の上にある赤く丸い器は重箱です。
 
支配人からの差し入れです、
と仲居さんが手にしている酒はなかなかの銘酒でした。この
仲居さんが二日にわたって我々のお世話をしてくれました。
 
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一番苦手な料理の説明は省かせてもらいます。食材に興味のある方は手打ち庵さんか
らんらんさんにお尋ねあれ。(写真は手打ち庵さん撮影)
私の感想は「上品な味、美味しかった」の一言。
 
夫婦は別々に座ろう、とういうことでこのような席次になりました。
 
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ビーフステーキはあまりにもいい匂いに手打ち庵さんも写すのを忘れて先に食べてしまった
ようで、肉は3きれありました。
このあたりになるとかなりお腹が膨れてきているのにこのステーキは美味しかったです。
 
「何て名前なの?」「地元の人?」「舞鶴?舞鶴にはしょっちゅう仕事で行ってた」「何で
舞鶴あたりからこんなところに来たの?」
さすさらさんが仲居さんに矢継ぎ早に質問し、しかもやや強引な誘導尋問に近くなってく
るのでしまいにはみんな大笑い。
「さすが、夜の帝王!」
可愛らしく感じの良い仲居さんでした。
 
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アイスクリームとかフルーツはほとんど食べない私ですが、このデザートは美味しかった。
 
宴会を終えた後、催し場ホールで中国瀋陽の雑技団のショーを見、これが実に素晴らし
かったのですが、撮影は禁止でしたので画像はありません。
3人の中国人のお嬢さんたちの繰り広げる奇術、アクロバット、そして最後のフラフープをい
くつも体で回しながらリズミカルな音楽にあわせて体をスウイングする様は舞踊を見ている
ようで恍惚とした思いにさせられました。
ホテルや旅館のこういったショーをたくさん見てきているさすさらさんが「他とは全然違う見
応えのあるショーだ」と褒めておりました。
 
ただ、残念だったのは私たちの後ろで観ていた若い僧侶たちの一団の騒がしさ。
声高くしゃべるのはまだいいのですが彼らのけたたましい笑い声と激しすぎる拍手には調律
師の耳には耐え難いものがありました。しかもその甲高い笑い声がひどく下品な響きでショ
ーの美しさを損なうのです。
後で部屋に戻ってこの話題が出たとき、「よほど日常の生活で屈折した思いがあるから、
あそこであんなに発散するのだろう」「しかし、よくあんな若い連中がこんな高級な旅館に
泊まれるな」「いや、どこかスポンサーがいて出してくれているのでは」と口々に感想を言い
合ったものでした。
 
ショーの後にもう一度温泉に浸かって来ました。
上がってきたたるみ夫人と歌華人さんを写真に撮ろうとしたらこんなポーズを。
私がやらせたのではないですよ。
たるみ夫人は大変楽しい方でして、「奥様がすぐに打ち解けてくださったので有難かった」と
たるみ教授に言ったら「僕と違って女房は人見知りをしないんだ」と答えてました。
 
部屋での二次会の前にHPに便りを載せようと言うことになって手打ち庵さんが電話線に
PCをつなぎます。
「さあ、どの画像を送ろうか」
 
二次会
たるみ夫人はお疲れが出たのか、入浴後すぐに就寝されたそうです。
お酒は越後の芳香な香りの「呼友」(手打ち庵持参)と仙台のとびきり辛口「雪の松島」
(リワ持参)
らんらんさんはどこに電話しているのでしょうか。
12時前にお開きとなり、たるみ君は奥様の元に、らんらんさんと歌華人さんは隣の部屋
に、そして手打ち庵、さすさら、リワの3人はこの部屋に、とめいめい別れて寝ました。
 
続く・・・