10/28 2003掲載

「山陰旅行 第二部」です。
Part1はこちら
 
森脇久雄
 
朝6時、一人で散歩に出かけました。井づつやの玄関の照明がとても美しいです。
 
井づつやを横の通りから写しました。
 
6時半ころ地下の岩風呂で朝湯に浸かっていると手打ち庵さんが入ってきました。
手打ち庵さんが入っているのはハーブ湯。
 
そしてしばらくしてさすさらさんも入ってきました。
地下といっても外に通じているいわゆる露天風呂です。
 
8時の朝食まで時間がだいぶあるので地下浴場近くの1階のレストルームでくつろぎます。
 
片隅には泊り客が手紙を書いたりするデスクがあり、そばに本箱もあります。
 
本箱があるとつい開けて見たくなる習性の私は中身を調べました。
「クォ・ヴァディス」なんか相当に古い書籍であり、我が父がその全集の一部を持っておりました
ので懐かしく感じました。
 
野の花診療所の徳永進医師の本「死の中の笑み」が置いてあるのは鳥取近くの旅館だから
でしょうが、それでも旅館に死に関する本が置いてあるのはユニークだと思いました。
ここから鳥取まで40数キロの距離です。
 
手打ち庵さんが「見てごらん、この日記」と言って持ってきた宿泊客の書き込みノートです。
 
「達筆だねぇ!」と彼が感嘆しますが、まさに同感。
 
喉の渇きがなかなか止まらないので最上階の温泉ビールはまだサービスしていないかな、と思
って行って見るとサービスコーナーは閉まっておりました。
午後だけのサービスということは知っていたのに、もしや、と思って行ってしまった口卑しいリワキ
ーノでした。
でも屋上からの湯村温泉の朝の光景を写真に撮ることができました。
 
8時の朝食時間が近づいたのでたるみ教授夫妻、および隣の婦人部屋にも声をかけたとこ
ろ、歌華人&らんらんさんらは寝坊してたった今起きたところとか。
仕方ないので私たちだけで朝食を始めることにしました。
 
朝食も豪華なものです。
 


例の如く写真の掲載のみで恐縮ですが、手打ち庵&さすさらさんの感想によれば作り置きの
料理では味わえない美味しさ、とのことです。
湯豆腐の豆腐と出汁の味が特に印象に残る美味でした。
こんな料理を見るとどうしても朝っぱらから酒が欲しくなってきます。
 
いえ、運転する手打ち庵&さすさらさんを除き、きっちりと飲みました。
「私、みんなと旅行するうちに朝からビールを飲む味を覚えてしまったわ」
とらんらんさんの言。
何か、私たちが好ましくない習慣を彼女に教えているみたいです。
 

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食事を終えて出発の準備を済ませた後、フロントに荷物を預けて私たちは中庭の散策に行
って見ましたが、そこは建物の中から見る以上に素晴らしい庭園でした。
起伏があるのと自然のたたずまいが出るようにと上手に剪定がなされており、これ見よがしなと
ころが感じられない雰囲気なのです。
私の趣味を言わせてもらえばプールが無かったらもっと良かっただろうにと言うところですが、そ
れはま、致命的なものではありません。
 
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プールのそばに足湯があり、早速みんな浸かります。
よほど足湯が気に入ったのからんらんさんの嬉しそうな顔が印象的。
 
撮影する私の立場の後ろがフロントのあるロビーです。
 
いよいよ井づつや旅館を出発します。
総支配人が玄関まで送って下さいました。
なかなかにダンディな男性です。
歌華人さんとのやり取りは私たちと同じく同窓生仲間の気安い言葉遣いでした。
 
玄関での記念撮影を私が撮ろうとしたら上品なご婦人が「撮りましょう」と言って撮ってください
ました。
 
ちょっとそこらでは見かけない大変臈たけたご婦人であり、仲居さんたちの長になる女性かな、
と思って写真を撮らせてもらいました。
「高校の同窓会ホームページにここの旅館のことを紹介したいんです」と言うと何か言われました。
「おかめです」と、そう、私にはそのように聴こえたのです。
「え?おかめっていうお名前なのですか?」と私は意外な思いで聞き返すと、
そのご婦人は「まあ、何と面白いことを仰る」と私の胸を叩かんばかりに手を振り、笑いながら
うんと顔を近づけて「ここの女将(おかみ)なのです」と仰るのです。
ヒョエー!
私は失礼を散々お詫びしましたが、この女将さん、ユーモアを解するご婦人のようでして、とて
も悪戯っぽい表情の笑顔で応えてくださいました。
’おかみ’を’おかめ’と聞き間違えるとは調律師として失格だな、と思いながら車に乗り込む
と、先に乗り込んでいて一部始終を見ていたらんらんさんと歌華人さんが尋ねます。
「いったい何をあんなに親しそうに喋っていたの?」」
「リワさんって本当に短時間で女性の心をつかむのが上手ね、と思いながら見ていたのですよ」
そこで一部始終を語ると3人とも大爆笑。
 
湯村温泉を出発してから約小1時間のドライブで砂丘海岸に着きます。
このあたりは砂丘と言っても普通の海岸並みのものですが、日本海の雰囲気がよく出ている
ような感じがしました。
 
らんらんさんが「横一列にならずに、そのままの位置関係で!」と言って撮ってくれた写真です。
 
これは手打ち庵さん撮影のもの。
 
沖合いの島をたるみ教授の望遠で撮るとこんな具合。
 
海もいいのでしょうが、私はやはり山彦。
道路を隔てた背後の樹林に心が惹き付けられます。
 
海岸沿いの林の中のドライブはとても素敵でした。
 
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そして有名な鳥取大砂丘のところにやってきました。
私は初めて見ますが、予想以上に広く、予想をはるかに超える起伏の大きさに驚かされ、魅
了されました。
凧揚げ大会をやってましたが、私の関心は全然そちらには向かず、ただひたすら砂のおりなす
広大な造形美に魅了され続けられたのです。
地形の起伏にこんなに魅了されるのはやはり山好きな資質から来るものでしょうか。
 
何度も来ているたるみ夫人と腰痛の出ている歌華人さんらを除いて、砂丘の一番高いところ
まで行ってみました。
 
一番高いところから海岸を覗き込むとかなりの高度感を感じます。
海岸にいる人間の姿が豆粒のようでしょう?
 
登ってくる労力と時間を考え、さすがに下に下りるのは断念しましたが未練が残りました。
それにしてもこんな大砂丘はどうやってできたのだろうか、どうして鳥取にしか無いのか(浜松に
も中田島砂丘というのがありますが、規模が全然違う)という素朴な疑問が生じ、帰宅してネ
ット検索で調べたところ、下記のような記述がありました。
 
「その成り立ちの歴史は、今から十万年前に遡るといわれています中国山地から流れ出た
千代川が運ぶ砂と日本海の沿岸流が運んだ砂が風と波の力によって集まり、少しずつ、少し
ずつ、気の遠くなるような時間をかけて堆積してできたのです」
 
「鳥取には砂丘しか誇れるものが無いのですよ」と今年8月に郷里の鳥取で亡くなられた我
が尊敬するピアノ教師、名合博子さんの言葉を思い出し、それだけでも他に比類の無い見
事なものです、と心の中でつぶやいたものでした。
 

砂丘公園を出て一路、餘部鉄橋に向かいますが、途中、手打ち庵さんの提案で国道を少
し迂回して浦富海岸を回ることにしたのですが、この選択は大正解でした。
海岸線と同じ高度の道路を走っているときも素晴らしい風景の連続だったのですが、高いとこ
ろに出てからのこの景色!
急ぐ身ではありましたが車を止めてしばし見とれてしまいました。
下記の文章は3年前に家族で城崎に行った帰りに回った丹後半島のレポートの一部です。
場所は違えども、日本海に面する海岸ではどこもでもこのような印象を受ける、という点では
らんらんさんと意見が一致しました。
 
そこで車を降りて空き地を崖そばまで行ってみるとその断崖絶壁の山が海と接している
ころまで見渡せるのです。それは本当に素晴らしい光景でした。
濃い紺碧の海の色とそれよりは薄い青い空の色、そしてその山の樹木の緑と絶壁の茶
色で彩られたその光景は私に胸のうずくような深い感動を与えたのです。
それは熊野の海岸では決して感じたことのない、別個の不思議な感動でして、うまく言
葉で言い表されないのですが、かげりをもったというか、何か悲哀感めいた切なさを感じ
させるもの、晴れやかさとか牧歌的というものからおよそ縁遠い情感、そのようなものを明
るい陽光の下にも関わらず感じさせる光景だったのです。
本籍である島根県で、あるいは若い頃頻繁に出張に行った能登半島で私は今までに
何度も日本海を眺めてきておりますが、このとき初めて、これが日本海の情緒なんだ、と
いうことを強烈に感じたものでした。
 
それにしても山陰地方に住む人たちの気質は何と控えめで奥ゆかしいのだろうか、と思ってし
まいます。
こんな美しい海岸線を持っていたら他の地方だったら「景勝の地、浦富海岸は次の信号を
左折!」とか「山陰の松島、浦富海岸まであと○○キロ!」とか国道沿いにでかでかと標識
を立ててもっと大々的に喧伝するでしょうに、国道からの分岐の交差点には「浦富海岸」とし
か記されていない極普通の標識しか無いのです。
 
浦富海岸沿いの道から再び国道に戻り、後はひたすら今度の旅行の最大の目的地、餘部
に向かいます。(続く