11/26 2002掲載

ハナパパ(松本一喜)

トルコの旅(2)Part1未だの方はこれが先

イスタンブールでの第一夜はこんなみじめな状態で過ぎました。
スプリングのへたったぼろなベッドで熟睡できない中、翌朝突然の大音響で目がさめました。
時間を見ると5時半少し前、これがかのモスクのミナレット(尖塔)からのお祈りの合図のでした。
旅の途中夕方、夕焼けの空にかすかにひびいてくるこの独特の節のある声は、とても旅情をか
き立てるものでしたが、こんなに真近でやられると、びっくりして一度で目がさめました。
私の泊まった宿はブルーもスクから直線距離にして100メートルも離れていないので当たり前と
いえば当たり前ですが、団体で宿泊した、新市街ではまったく聞こえなかったものですから、、、。
しかし3泊目からは、まったくきにならず7時くらいまではぐっすり寝られるのですから、馴れとは
恐ろしいものです。5時半に起こされて、朝食が始まる8時までは、部屋でぐずぐずしておりましたが、
窓の真下がスルタンアフメッド駅という、トラムバイ(市電みたいなもの)の駅なので窓から首を出し
て、通勤風景を眺めていましたが、知り合いに会うと、握手したり、ハグしたり、日本では見られない
風景で(全部男同士、女性では全く見なかった)、見飽きませんでした。

朝食後、フロントに行って、部屋を変えてくれるように交渉した所、昨日見せてくれたツインの部屋
とは違ったスウィートが空くので部屋の掃除が済んだら其の部屋に同じ料金
(一泊US40ドル)
変えますということで、交渉成立しました。部屋の広さが今までとは1.5倍ぐらいになりもう一つ予
備室みたいなのが引っ付いて、圧迫感から解放されましたので、ホテルの入り口から駅まで20秒
という立地のよさ、従業員のフレンドリーさに考慮して、宿はこのままここにすることにしました。

宿の問題がかたずと、後は少しでもイスタンブールが理解できればと思いガイドブックと地図を片手
にあちらこちら歩き回りました。なにせ目の前がトラムバイの駅ですからまずこれに乗って最寄のバ
スセンターなり汽車の駅なりに行って乗り換えるのが基本でしたが、我々が動き回った範囲では、ト
ラムバイ、バス、汽車ともすべて日本円で
60円でした。
名所旧跡ばかりでいささか飽きてきたので、郊外の新興ショッピングセンターに出かけ(オリエント急
行の終着駅から汽車に乗って)ぶらぶら散策していたらフェリー乗り場があってマルマラ海を横断して
対岸まで(アジア側)まで行くというので乗ってみたらこれが
200円くらい、(距離は博多港から玄界島く
らいかな?)帰りはボスポラス海峡横断の連絡船で
100円、トラムをのぞきバスも汽車も、船もみんな
ボロだけど移動にはなんの差し障りもないし、安上がりで助かりました。

食事に関しては色々種類が豊富で、楽しいんですが何か今ひとつ物足りませんでした。
其の中でこれは美味しいなと思ったのは、マキの釜で焼くピデ(ピザの事、円形ではなく、舟形をして
いる)、このアツアツは美味しかった。一枚
25センチくらいの大きさで200円でした。それと、飲み物は
塩味のヨーグルトドリンクのアイラン、これは旅行中を通して食事の時に飲みつづけましたが、地方に
よって味が違って面白かったし、飲みつけるとなかなか捨てがたいものでした。
これは一杯
70円くらいでした。食事代で一番沢山払ったのが、600円(二人で)。一番安かったのが、
マックのハンバーガーのパンの三倍くらいの大きさのパンにドルネケバブという焼肉をはさんだサンド
イッチの
35(一個)でした。イスタンブールの名誉の為に申し添えますが、大都会ですから(人口1000
万人)美味しいレストランは沢山あるはずですが、ジーンズによれよれのシャツ、スニーカー、姿の旅の
スタイルですから我々には縁がありませんでした。一つ残念だったのは、漁港で採れたての魚介類を
並べている魚屋でこれ、とかあれとか選んで隣で焼いたり、揚げたりして食べさせてくれる所が近くに有
ったらしいのですが、最終日にそれがわかり、行けなかった事です。