秋ソナ物語 その2  2009.11.14

今日の秋ソナの舞台は奈良・春日山原生林、柳生の里、京都府・笠置山であります。
集合場所は朝10時に近鉄奈良駅の地上に上がったところ。

 
Y.O嬢さん泊まった日航ホテルの部屋から撮った御堂筋と大丸デパートです。
(以後、Y.O嬢提供の画像も使わせてもらってます)
誤解の無いよう念のために記しますが、ルパンさんはここから1800メートル以上はきっと離れ
ているに違いない別のホテルに宿泊。
15日朝、お二人は難波駅で待ち合わせて近鉄奈良駅を目指したのであります。

きちんと約束時間に集合場所に到着されたお二人を愛車プレマシーに乗せて、春日公園前の
公立駐車場まで行き、そこから私たちの徒歩による春日山原生林の散策が始まったのです。
ここでルパンさんのHP談話室に投稿されたコメントを紹介しましょう。
以後、青文字のコメントはルパンさんのものです。

13日の金曜日そして14日、至福のときを持てました。

文化人の私としては 古都の造形美術とりわけ木造建築の
東大寺、興福寺の五重塔あるいは仏教美術の百済観音等々を
じっくり鑑賞したかったのでありますが、、、。

他の二人、文化芸術にあまり興味がないよーで、仕方なく
"紅葉の大和路"散策となったんであります。

散策とは言え、実際は登山なんであります。
貧血を起こしながら登山してましたんで若草山か春日山かは
定かではありませんが、頂上まで2.9キロもあるんです。



奈良市の都心から徒歩わずか10分のところにこんな原生林の中を走る水流があるのです。
(Y.O嬢提供画像)

角を伐り取られた牡鹿、子連れの母鹿が突然現れます。
いずれも何時襲ってくるかわからないんであります。

私は二人の後に続いて登山します。鹿よけのために二人を
盾にしてる訳ではないのですが、、、。

ずぅーっと先、三茶をかっこつけて歩いていたときのこと、
脇の路地から突然でっかい秋田犬が ぬぅっと、現れたんです。
咄嗟に連れ立って歩いてた女性の後ろに隠れました。

このお話をしたら、リワさんが”国を守る人として情けない。”
と、嘆くのでありますが、脊髄反応と申しますか、反射神経が
脳の反応に勝っていたのです。



春日山原生林の道 いいツーショットでしょう?

森林限界って知ってました?
高度が高くなるに連れ二酸化炭素が少なくなるので
樹木が育たなくなるんであります。たぶん。

奈良公園から原生林登山道に立ち入った辺りはもみじ
の落ち葉で紅く敷き詰められてますが、15分ほど
登ると、落ち葉の区切りが、はっきりします。

ぶなの落ち葉で辺り一面イザベルカラー黄土色に
変身するんであります。更に登ると杉の枯れ葉
に変わっていきます。

Y・O嬢が縄文杉の屋久島について語り始めます。
と、謂っても
"一日がかり11時間の登山で弁当を二食持って行った"
ただそれだけ、何等感動することはありません。

雲が湧いてる中、失念しましたが若草山だか春日山を
登ってますので、自然と天気のお話になり
"お天気おねえさん"の話題になりました。


更に山道を登っていきますが緩やかな傾斜です。
 


三分の一行程登った処で一休み、
リワさんとY・O嬢はクリスタルガイザーを旨そうに
ごっくんごっくん飲んで英気を取り戻します。

貧血しながら登山してる私は、杖代わりにリワさんから
借りた傘しか持っておりません。

するとY・O嬢が一飲みしたクリスタルガイザーを、
黙って私に差し出すんであります!
Y・O嬢が口飲みしたばっかの新鮮なやつです!

受け取った私は、飲んでいいものかどうか躊躇しておりました。
“節度ある行動をとりなさい”と、可愛い女房が長男に説教してた
言葉が脳裏を掠めます。

山道に汗をし、水分補給は当然のこと“節度ある行動”なんであります。
飲もう!と、決心した途端Y・O嬢がクリスタルガイザーを私の手から取り上げ
水色のDバッグに仕舞っちまったんであります。



春日山頂上です。




西の方角で眼下が奈良市街。右遠くが生駒山です。



「春日山の頂上にY.O嬢さんと立つことができてしわよせ、いや、しあわせです」
とルパンさんが言いますが、そのあとに
「二度とここに来ることはないでしょう」
と言われるのです。
「何故?」
と私が尋ねると
「私は一度訪れた場所には再び行かない主義なのです」
と言われ
「リワさん、橿原市はどの方角ですか?」
と尋ねます。
左手の山の稜線から少し離れた遠い地点を指さすと
「我が家に橿原神宮から奉納願いの手紙が来るのですが、私は若い頃、奉納を母親に頼まれ
て一度橿原神宮に言ったことがあり、いい神社だなと思ったのですが二度と来ることはないだ
ろうと思いましたがその後一度も訪れておりません」
と懐かしそうに遠くを見るような目で仰います。
(確かに橿原神宮は春日山頂上からは遠い方向ですが・・・)


頂上をあとにして平坦な道を歩いているとき、ルパンさんが小金井市の小学校でY.O嬢さんと一緒だっ
たときことのことを話題に出します。


話に応ずるY.O嬢さんですが割合からすると遙かにルパンさんの想い出の量が多いようです。

以下は今回初めて公開する私だけが過去に聞いたルパンさんの想い出話です。※はリワ注
(ルパンさんの了解を得てませんのでルパンさんから撤回願いがありましたら即座消去させてもらい
ます)

おかだよしのちゃん は兎に角”格”が違っておりました。2年生の時の給食遅食いが彼女であった
のはこの書き込み(※小春ページの掲示板)で知ることとなったことですが、掃除当番にあたって、
早く掃除を終わらせたいため、皆で早く食えよと急かしても例の如く ”フフフ、、、。”と動ぜず、おか
だよしのちゃんの机も含め、
全部教室の後方へ運んでも塵と机に囲まれ平然と食べ続け、普通ではなかった。

 3年生頃から何をやってもオールマイティ!男も女もクラスの連中、一目も二目もそれこそ正目風
鈴付き置いていた存在の子でした。私は当然のこと畏敬の念で彼女を見ておりました。口では「おい!
おかだ」と呼び捨てにしておりましたが、心の中では「あのぉ おかださん」でした。今でも”おかだよし
のちゃん”ではなく”岡田さん” です。 彼女だけは変わって欲しくないし、実際に変わっておりません。
非常に賢いし、思いやりもあります。

ここでルパンさんとY.O嬢さんが45年の年月を経て再会できたその経緯を簡単にお話いたしま
しょう。

小学校3年生の終わりころ、Y.O嬢さんはお父様の転勤のために九州福岡の地へ引っ越しして
行きました。
お別れの挨拶に訪れて、お母さんに連れられてよしのちゃんが学校から去っていく姿をルパンさ
んは校舎の窓から見送ったそうです。
ルパンさんはその後もずっとY.O嬢さんのことを想い続けながらも防衛大学に入り、自衛官となり
ました。
幹部候補生の彼は若いときから出張があったようで九州出張のとき、博多駅で降りて電話帳で
”おかだよしの”の名で探したりしたそうですが、その当時はお父様が健在でしたから電話帳の
名前は”おかだよしの”で出ているはずがありません。
彼は博多駅から福岡の街並みを見ながら「ここによしのちゃんは住んでいるんだなぁ・・・」と感慨
深げに眺めたそうです。

そして幾星霜たって21世紀を迎えた2002年。
インターネットが普及してからルパンさんは何十度と検索してきたであろう、”おかだよしの”のキ
ーワード(実際は漢字)がこの年にヒットしたのです。
ルパンさんは「感激派党首・森脇久雄氏、来る」という画像付きページ、つまり小春ページの一端に
たどり着いたのです。

これは一貴山の興平氏が私の帰福を歓迎して作ってくれた合成画像でした。
感激派党首・森脇久雄とよしのちゃんは何の関連性があるのだろう?と思ったルパンさんは小春
ページを順繰り追っていくうちについに京都・錦水亭におけるリワキーノとY.O嬢さんのツーショット
の画像を探し当てたのです。

その当時、小春ページでは紹介する人たちを匿名にしていなかったので独身だったY.O嬢さんは
そのまんまフルネームで出ており、それがインターネットでヒットしたのです。
本当に奇遇としか言いようがありません。

ルパンさんは早速掲示板に投稿してき、ルパンさん独特のくせのある文章に魅了された私は即座
に仲間として受け入れたのです。
その後ルパンさんは掲示板を賑わす常連となってくれました。それは私のホームページでも変わり
ません。
そしてこの翌年だったでしょうか、ルパンさんとY.O嬢さんは東京で45年ぶりの再会を果たしました。
そのときはルパンさん以外にルパンさんが探し当てた同窓のクラスメートが3人ほど集まってY.O
嬢さんを迎えたのですが、何と!Y.O嬢さんは他の3人は覚えていたのにルパンさんのことは顔も
名前も覚えていないのです。
それは無いよ!という自嘲気味のルパンさん独特の節回し(♪記号を実に適切に配分した)をもっ
た書き込みほど私の心を打った詩文(まさにエレジーです)はありませんでした。
(その詩文が小春ページへのサイバー攻撃で永久に失われてしまったこと、本当に残念に思います)
結果は如何にと興味津津でルパンさんの帰宅を待っておられたルパンさんの奥様と二人のご子息
は唖然としながらもみんなでルパンさんを一生懸命慰められたとか。
いや〜、いいご家族ですねぇ・・・
しかし、Y.O嬢さんが自分のことを覚えていなかったことくらいで動じるルパンさんではなく、”おかだ
よしの”ちゃんへの敬愛感は微動だにしませんでした。
それほど45年の思いは重いものがあるのです。
その後にルパンさんが私にくださったメールの一節を紹介させてもらいます。

くどいようですが、貴兄並びに編集長(Capt.Senoh)のHPのお陰で岡田さんと会うことが出来た
のです。まるで夢のようでした。
本当に有り難うございました。
今も輝いているんです。
皆大人になってというか、元々そうであったのか解りませんが、昔抱いていた人間像と変わって、
がっかりすることが多々あったため、、、。
いつも笑顔を絶やさず、何事にも真剣に対応し、誰にも優しいし、じえーんじえん昔と変わってな
いのです。
誠、自己中ですが、岡田さん他の人好きになったらあかんと念じ続けておりましたので、いまも
”おかだよしのちゃん”のままでいてくれたこと、嬉しくもあり、何か悪いこと祈っていたような申し
訳ないような気もしているのです。

如何です?怪盗ルパンの純愛。
私が多くの人の心を打った韓流ドラマ「冬のソナタ」に比してこのレポートに「秋ソナ物語」と名付
けたことをご理解いただけたでしょうか。


Y.O嬢さんのおかげで私もルパンさんと生涯の友となることができ、心から有難く思っております。
(続く)