秋ソナ物語 その3  2009.11.14

春日山を降りてきた私たちはすぐさま駐車場に行き、車に乗り込みました。
時間的には昼食の時間なのですが、この後、柳生、そして笠置山に行き、夕方には梅田で手打
ち庵さんと飲み会が待っており、車を我が家に置きに行って香里園から電車で大阪に出るとなる
と、そうのんびりしておれず、柳生に行く途中の適当な店で昼食を済まそうということに3人の意
見は一致したのです。
Y.O嬢さんは最初、奈良公園から柳生まで歩くのかと思われたようですが、10何キロの距離があ
り、それは無理な話でした。
例によってルパンさんの独白

場面変わって大和路をぬって柳生の里へ向かう車中、
私は、後部座席で綺麗に晴れた空、里山の紅葉
農家の庭先にたわわに実った柿、 景色を愛でていたんです。

前席ではリワさんとY・O嬢が音楽を語ってるんです。
ウィーンフィルのコンサートマスターが福岡で
演奏するんで聴きに行ったとか 行かなかったとか
私は全然興味がなかったんであまりよく覚えていませんが
入場チケットが5、6万円したとか

演奏するバイオリンニストがインド人で素敵な人だけど
現物を見たら小太りでがっかりした云々、、、
と、Y・O嬢が語るんであります。
リワさんがそれに応答します。
' Y・O嬢は演奏を聴きに行くんじゃなくて
演奏者を見に行くんですか、内面の美より
も 外面(の美)ですか '
私はもちろんY・O嬢派、内面の美学より
外見の美が好きなんであります。

そのうち演奏曲について言い合いが始まったんであります。
ベートベンのバイオリン協奏曲1番だとか、2番だとか
リワさんはベートベンのバイオリン協奏曲は1番しかない
それにポピュラーではないのでその曲じゃないと思う。
するとY・O嬢はブラームスのバイオリン協奏曲1番だったかしら
否、やっぱりベートベンのはずだ

二人とも譲らず誰のバイオリン協奏曲1番か決着が付かず
結局負けず嫌いのY・O嬢、家に帰って調べてメールする。
と、云う事になったんであります。

ランチは柳生への街道沿いにある円成寺(えんじょうじ)側の食堂に入りました。
以前、このお寺に人を案内したとき、入ってそこそこよい味だったのでここに決めていたのです。

そこでルパンさんの独白。

柳生の里ちょっと手前に峠の蕎麦屋があります。
お寺さんの門前蕎麦屋、庭を回って裏手から入ります。
ぷぅ〜んと松茸の香りが漂ってます。
70近い夫婦と手伝いのおばちゃんが切りもみしてるんです。
私はざるの大盛り、リワさんとY・O嬢はお歳のせいか
ちと寒いのであったかモノ 鍋焼きうどんです。
鍋焼きうどんが先に運ばれてきます。
松茸がひとひら入ってるようです。
庭に漂っていた香りはこの鍋焼きうどんの松茸でした。
ざるが遅れて運ばれてきました。
色の黒い田舎蕎麦、蕎麦汁は大分甘め、
可愛いそうな手打ち庵サンヒョク解説のとおりです。
Y・O嬢は前日のワインが残ってるのか四分の一
ほど残してます。
クリスタルガイザーの時みたいに
鍋焼きうどんを差し出されたら躊躇せずに食べよう
と、身構えてたらリワさんが 'さあ 出掛けましょう'
と、席を立ったんであります。
リワさんて、まっこと気の効かない御仁なんであります。


ま、ここまでは良かったのです。許容範囲でした。
そして下記のルパンさんの独白はここでの私の発言を問題視したらしいですが、この独白が秋
ソナ物語の今までのロマンティックな雰囲気をぶちこわし、一挙に認知症の世界をかいま見せる
というスリリングな展開となったのです。
デリカシーに欠けるのはどちらか、読者の判断に任せましょう。

若草山の中腹で、トイレがないか探すんですが見当たりません。
"あら、さっき行ったんじゃないの"Y・O嬢が言うんです。
車を置いてきた能舞台のある「奈良県立何たら会館」の便所で、
登山前に用をたしたんです。
'昨日話したでしょ、早めに行ってしくじらないようにするの'
と、申しましたら納得してくれたようです。
一月前のこと3時間ちょいの仕事を終えやれやれと緊張感が抜けたところ
チイを催したんであります。
下腹部に力を入れ我慢してたら尿意の波は過ぎました。
防護服を脱ぎ褌1丁になってトイレににいって気が付いたんであります。
チョロ滲み出てたんであります。筋肉が緩んじまってるんです。
ショックでした。まもなく62歳、、、。
その話を聴いたリワさんフォローしてくれたのか自慢したかったのか
存じませんが、
< 私は、屁をしようとして、中身を出しました ! >
楽しい会食中の出来事です。
まったくデリカシーのないリワさんです。
よしのちゃんごめんなさい。


円成寺は国宝の大日如来像(運慶作)などがあり、庭も綺麗ななかなかの名刹なのですが、時
間の余裕が無いので見学はカット。
Y.O嬢さんは多少未練があったのでしょうか、知らない間に門の写真を撮っておられました。

余談ですが前に訪れたときに門横の受付にいた年輩の女性は大変ろうたけた気品のある美し
いご婦人でした。
境内の様子はすっかり忘れているのにそのご婦人のイメージだけはきっちり覚えております。
だから私はみんなから女好きって言われるのですね。

柳生は家老屋敷や芳徳寺、柳生家の墓所など、見るべき名所が色々あるのですが、時間の
都合ですべてカット。
訪れるのは天岩立神社のみにしました。
巨石群を祭ったこの神社は何とも言えぬ静寂さと厳かさがあるのです。
車はずっと下の方に駐めて細い坂道を登っていくのですが少しでも時間を節約したい私はその
狭い道に乗り入れました。
左側は道に向かって少し傾斜している石垣の壁、右側は崖でもちろんガードレールは無し。
下からの高さは4メートルはあるでしょう。
「えー!リワさん、こんな道を行くのですか?」
後ろの座席に座っていたルパンさんが叫びます。
「左側は大丈夫、オーライ、オーライ」
と助手席のY.O嬢さんは窓から下を見ながら壁との距離を見ていてくれます。バンジージャンプを
したり、氷のぷかぷか浮かぶ北極海にダイバーしたりするY.O嬢さんですから肝っ玉が据わって
ます。
確か上で方向転換するスペースはあったはず、と思いながらも、無かったらこの狭い坂道をバッ
クで降りるのはちょっと厄介だな、と少し後悔めいた気持ちも生じましたが、無事、鳥居の前に着
いたらそこにはぎりぎり方向転換できるスペースがありました。

「怖くてずっと目をつぶってました」
と車を降りたルパンさんが言います。
「あんた、それでも元軍人?」と私は内心つぶやきましたね。
しかし私も人のことは言えません。
雷が怖いですし、飛行機が怖いですし、歯医者さんの椅子の上に座るのが怖いのです。
歯石を取り除く処置くらいでもあのキーンという音を聴いたら生きた心地がしないのです。
歯科医のY.O嬢さんが治療してくれたとしても多分それは変わらないと思います。



この岩石は凄い存在感があります。

横から見るとこんな感じです。(過去に行ったときの画像)
これが自然の造形物に見えますか?


後ろから見るとこんな感じです。


そして有名な一刀石

柳生宗厳(むねよし=石舟斎)。この神社の境内で剣の修行を行なっているときに天狗と決闘を
するが、一刀のもとに切り捨てたところ、巨岩に変わっていたという伝説の岩。

向こう側から見るとこんな感じ。(過去行ったときの画像)

柳生をあとにして一路、笠置を目指します。
笠置の集落までは時間にして15分くらいの距離でしょうか。
ただし、笠置から笠置山頂上へのドライブウエイがとても急で狭い道なのです。
カペラで前に来たときはさほど感じなかったのですが一回り大きいプレマシーで来ると道の狭さ
をひしひしと感じます。
「怖い、怖い」とルパンさんがつぶやきますので目をつぶってるのかと振り返ると、背もたれに両
手をかけて悠然とふんぞり返っております。
全然怖がっていないじゃないか、と私は彼のことを心配するのを辞めました。アホクサ。

笠置山は南北朝騒乱の発端となった戦の舞台となったところです。
鎌倉時代の末期に幕府追討の陰謀が発覚して後醍醐天皇を奉じて京都を落ち延びた朝廷軍が
この笠置山に山城を築いて立て籠もり、攻める幕府軍と1ヶ月に及ぶ攻城戦を繰り広げましたが
幕府軍の奇襲に遭い、結局は落城して後醍醐天皇は捕らえられて隠岐の島へ遠島となります。
笠置山は直下を流れる木津川河畔から見上げると北側が急峻な崖坂となっているのが見て取れ
るのですが、激しい風雨と闇夜に乗じて見張りを手薄にしているこの崖坂を幕府方の50名の決
死隊は登りつめ、城内になだれ込んで各所に火を放って朝廷軍を大混乱に陥れてついてに落城
させるのです。
このあたりの「太平記」の描写は実に写実的で崖坂を登るところなんか登山家だったら誰もがう
なるような描写なのです。
その登攀のところは下記のページを参照ください。
太平記巻3「笠置軍事付陶山小見山夜討事」から抜粋

笠置山の裏行場は巨石群の巣窟という感じでした。






ルパンさんが指さす右側の巨岩が虚空像摩崖仏です。


虚空像摩崖仏


その真下を悠々とY.O嬢さんは歩きます。


修験道の行場でお馴染みの胎内くぐりの岩。
柳生の天岩立神社の巨岩といい、本当に自然の造形物なのだろうかと疑いたくなるような構造
です。


薄暗い裏行場を抜けて明るい頂上に着きました。


眼下には木津川が流れています。写真では判りにくいかも知れませんがまさに崖下はるかな
ところを流れている感じです。
この直下を幕府軍の決死隊はよじ登ってきたのです。


木津川下流の方角です。


リワに劣らず人見知りしないルパンさんは頂上にたどり着いた老夫婦に優しい言葉をかけます。





昔、城館があったのではないかと思われる広いところを眼下に見ます。
紅葉公園の名の通り、紅葉が鮮やかでした。






私とルパンさんが立っていたところからさらに上に行ったところに後醍醐天皇の行在所があった
ようです。
この天皇さんにはまったく親近感を覚えないリワは訪ねることもせず、通り過ぎました。

笠置山を後にして一路、寝屋川を目指し、香里園駅にY.O嬢さんとルパンさんを降ろして私は車
を家にまで置きにいき、今度は自転車で香里園駅に駆けつけて3人は梅田に向かいます。
新梅田食堂街の一角の飲み屋で手打ち庵さんが待っているからです。
時間通り、新梅田食堂街に着き、4人は楽しく飲んで食べたのでありますが、JR東海道線のガー
ドの下、電車が通過するたびに音がしてかすかに揺れるのであります。
まさに大阪らしい食べ処でした。
客がカウンターにぎっしり座っているのでさすがに写真は撮れず、画像は無しです。

そのかわり、その後に行ったワインバーではゆったりと落ち着け、バーテンさんにシャッターを押
して貰うことができました。


その日のうちに関東に帰らなければならないルパンさんを大阪駅で送り、そして心斎橋のワイ
ンバーに行きました。
ルパンさん、本当にお疲れ様でした。はるばるやってきて下さって深謝です。


心斎橋のワインバーで私と手打ち庵さんが帰ったあとも秋ソナ物語は終わらなかったようです。
それを知っていたらワインを好まない私だってもう少し残ったのにな、と思ったのですが、長距
離運転してきたことを考えるとやはりそのまま帰って良かったのかなとも思いました。
以下はY.O嬢さんの独白です。

*それは手打ち庵さん、リワキーノさんと別れた後じゃった。

 ルパンくんを大阪駅で見送った後に行った心斎橋のワインバー。
 お二人がお帰りになった後、6人お客さんが入ってきたのですが、
 そのうちの二人は、モデル並みの容姿の若い 女性で 、
  思わずチラチラと横に目がいきました。

  ルパンくんがいたらお喜びの光景だったとさ。 


秋ソナ物語(完)