リワキーノ一家のおのぼり旅行 (三日目・その1)      by リワキーノ  2011.02.18

ホテルの部屋からの眺め

13日の朝は雲一つ無い素晴らしい快晴です。
ホテル・ニューオータニの二つのビルの間に東宮御所のある赤坂御用地が見えます。

右手方向には新宿の街が。(望遠で撮影)


そしてこれらの景観の向こうに雪を抱いた山々が見え、何と、左端に富士山の裾野の一部が見えるのです。
富士山が東京からこんなに大きく見えるとは知りませんでしたので感激です。


富士山の全景が見える場所はないかと思っていたらエレベーター横の小さな灯り取りの窓が分厚いガラスなの
ですが、なんとか景色は映っているのでそこにデジカメを押し当て、撮ったのが下記の写真です。

実は私は今朝、5時半に目が覚め、皆がまだ寝ている6時ごろから散歩に出かけました。
今日は天気が良いのでこの永田町界隈を皆で回ろうと思い、その下調べなのです。
ホテルを出てプリンス通りを北に向かうとすぐに右手にこの建物が。

文藝春秋社のビルです。
この社の月刊誌や出版書籍で私は多くのことを学んできたのでやはりその会社を見ると感慨が沸いてきます。


文藝春秋社を過ぎて新宿通りより二つ手前の通りを東に向かいます。


休日の早朝ですからほとんど通行人がおらず、都会の静寂が実に気持ち良かったですね。
この通りは皇居の方に向かう路ですが、縦の通りも横の通りも本当にきれい。


皇居の半蔵門前から大通りを霞ヶ関方向に向かって歩き、三宅坂から右折します。
最高裁判所の建物が印象深かったですね。


青山通りに沿って歩き、永田町駅の入り口があるところから右折してすぐに左折するともうホテルは目と鼻の先。
正面にはプリンスホテルが建っています。

あんな立派なビル、閉館したらいったい何の用途に使うのだろうと気になります。

ホテルに戻ってきました。

所要時間は30分。
家内を除いて皆、まだ寝ています。
「さあ、朝食を食べに出かけ、そのまま散歩に行くぞ」
と皆を無理矢理起こします。
皆が着替え終わるのを待って要らない荷物を宅急便で送るために荷造りし、フロントに持って行きます。
戻ってきてからスノーシューズを入れるのを忘れていたことに気付きますが後の祭り。バッグに入れて持って帰る
ことにします。

プリンス通りの喫茶店で朝食をとり(低価格なのにサンドイッチもコーヒーも紅茶も平均並の味でした)、私が散歩
で通ったコースに家族を案内します。

家内は東京に来て以来、ビル街の広がりの広いこと、高層建築がにょきにょき建っているさまに圧倒されっぱな
しで、どこを見ても興味津々という感じです。
大阪、神戸を知ってのこの驚きようですから、小さな地方都市から東京に来たらそのカルチャーショックは如何ば
かりだろうかと思います。

半蔵門前で。
二重橋近辺まで連れて行きたかったのですが、午前中に新横浜まで行かなければならないので皇居はここだけ
しか見られませんでした。
「江戸城ってもの凄く広いんだね。大阪城なんかより遙かに広いんじゃない」と娘が言うので「いや、江戸城はその
まま全部が皇居として残ったのに較べ、現代の大阪城は秀吉の時代のままではないから簡単には比較できない。
石垣なんかは大阪城の方が立派だしね」と私は応えます。

国立劇場がありました。


三種の梅の花が咲いている前で記念撮影。
後で朝の散歩でどこが一番良かった?と尋ねたところ、孫娘が「梅の花」と言うのです。
「りさちゃん、しぶ〜い!」と娘が笑いました。


国立劇場を横から見ます。
私たち一家は舞台芸術が好きなのでどうしてもこういった施設に目が向いてしまいます。


最高裁判所の建物が大変綺麗なので最近建て替えられたのかと思ったのですが、調べたら昭和49年竣工なの
ですね。驚きました。


国会議事堂の見えるところに来ました。

一家全員、実物を見るのは初めて。

「大きいねぇ!」
「すごい迫力ねぇ!」
「テレビや写真じゃこの迫力判んないよねぇ!」
「あのなかに総理大臣とか偉い人たちが一杯いるのよねぇ!」
「いや、今日はいないと思うけれど・・・」

警備の警察官以外誰もいませんからおのぼり丸出しで我が一家は歓声をあげます。

通りを隔てたこちらは国会図書館本館が。


議事堂と国会図書館のあいだの大通りを私たちはホテルの方角に向かって行きます。
通りのあちこちに若い機動隊員が待機しており、その前を通るとき「寒い中、お疲れ様です」と挨拶するとどの隊
員も笑顔で応対してくれます。


10時前にホテルにもどり、チェックアウトをして地下鉄永田町駅に向かいます。
永田町駅は赤坂見附駅とも繋がっており、有楽町線、半蔵門線、南北線 (永田町駅)、
銀座線、丸ノ内線(赤坂見附駅)の5本が合流する駅で、構内図をプリントアウトしてあらかじめ行く方角を調べて
おかないとうろうろしてしまうような大きなターミナルです。
しかも関西の人間から言わせてもらうと案内の標識が判りにくく、初日に浦和から戻ってくるとき、有楽町線で永
田町に着いたのですが、都市センターホテル最寄りの9B出口にたどり着くのにどんなに苦労したことか。
有楽町線のプラットフォームを端から端まで歩いて、次ぎに売店の人に聞いて移動した南北線のプラットフォーム
を端から端まで歩いて、やっと改札口を出たと思ったらそこから先がまた地下の通路で、9Bの出口の標識が見え
にくい角度に表示されているため、違う方向の地下通路に迷い込み、行き着くところまで行って間違いに気付きユ
ータウン、やっと9Bの出口から地上に出るのに何と15分も費やしたのです。
四川飯店に着いたときは汗だくの有様でした。

この日は四ッ谷で降りるので南北線のフォームです。


四ッ谷で降りたのはここに行くためでした。


そうです。迎賓館、旧赤坂離宮です。
如何にもリワキーノの行きそうなところと思われたでしょう?
二日目の朝にホテルから歩いて行こうと思ったのですが、赤坂御用地の敷地前までは着いたのですが正面玄関
は遠すぎて途中で断念したのです。


修猷館高校を卒業して浜松での修業に入る前に母と東京の親戚に挨拶に行ったおりに、一緒に行った思い出の
ある場所なのです。
日本で唯一のヨーロッパ風宮殿。家族にも見せておきたかったのですが孫達はイマイチの反応でした。


この迎賓館のある赤坂御用地の奥に皇太子殿下ご一家の住まわれる東宮御所や秋篠宮ご一家の邸宅がある
のです。


四ッ谷から電車に乗り、一路、新横浜を目指します。
(続く)