熊野への追悼の旅       2024.02.23

私が敬愛していた新宮山彦ぐるーぷの山上皓一郎さんが亡くなってまる3年になります。
コロナ過の真っ最中のため、ご家族だけでの密葬だったため、私たち友人は参列することができなかた
のですが、コロナ過が緩んだら必ず仏前にお参りに行こうと心に決めていました。
そして今年、それが実現したのです。
山上さんのことについては3年前に「サロン便り」に載せた記事をご覧ください。
http://hmpiano.net/riwakino/2020/2020.12.31yamagami_tsuitou/newpage1.html

参加者を募ったところ、15名が参列してくれました。
熊野在住の人以外では和歌山のハナイさん、カツラさん、そして関東からはShibataさん夫妻とMahoさん
が参加。
いずれも26年前からの知り合いで、アルバトロスクラブで知り合い、熊野修験に入ってきて山上さんとは
大変親しい間がらになったのです。
画像は20年前にMahoさんがインドネシア転勤となったときのアルバトロスクラブでの送別会の画像。
座っている私のすぐ後ろ左がMahoさん、アルバトロスクラブのリーダーのエタニさん、その左がSibataさん。
私のすぐ後ろが我が娘ユミコ、その右隣がハナイさん、一人おいてドウタさん。


2月23日、JR和歌山駅に集合。
ハナイさんのワゴン車に便乗して新宮市まで行くのです。
Mahoさんは前日までバングラデシュ出張で、今朝の新幹線で新大阪到着後、私は新大阪駅で彼女と
待ち合わせて一緒に特急くろしおで和歌山へ。
Mahoさんとの和歌山までの1時間半の車中で思いっ切り話ができました。

カツラさんは娘の用事で帰りにMahoさんを伊丹空港まで送るのに便乗できないので、自分の車ですさ
み町まで行きそこに車を置いてハナイさんの車に合流とのことで、私はすさみ町は和歌山を出て海南
市を過ぎたあたりかなと思っていたら何と串本の近く。
新宮市までの往復の大半の時間をカツラさんは一人でのドライブとなり、久しぶりに会う皆と語り合うの
を楽しみにしているはずなのにと本当に気の毒に思いました。
その分、すさみ町からはカツラさんとMahoさん、ハナイさんがよく語り合えるよう、後部座席で私はただ
沈黙を守りました。
串本町でランチ。


午後4時前に新宮市のホテルニューパレスに到着。
同じ頃に関東からShibataさん夫妻が到着。
Shibataさん夫妻とは昨年11月のくえ料理ツアー以来です。

午後4時15分に徒歩で行ける山上さん宅に到着。
息子さんご夫妻と娘さんご夫妻も待っていてくださいました。


法要の先導は熊野修験団を代表するハナイ行者に執り行ってもらいました。
法要前に魔を祓い清めるための塗香(ずこう)を参列者の手に施します。


儀式は熊野修験団の峯中における作法に則ったもので、最初に開経偈を唱え、般若心経、諸仏の真言、
そして懺悔偈で終わります。

【開経偈】
無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)

【懺悔偈】
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)[2]
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

驚いたのが奥駈には4回しか参加していないMahoさんが全部そらんじていたことです。
東大出の才媛ですからお経の暗記なんて簡単なのでしょうかね。

左から山上さんのご長男、山上昌子さん、故・前川勝巳さんのご子息。
右奥は山上さんご長女のご主人、その隣はご長男の奥様。
そのすぐ下がイクマさん。


カツラさんの隣は山上さんの娘さんのミコさん。(←LINEで名のっておられるネーム)
皓一郎さんはミコさんの写真をいつも手帳のビニールシートに潜ませていて私も知り合った当初、見せて
もらったものでした。


右からイクマさん、K.コニシさん、Kunikoさん
イクマさんとK.コニシさんは那智勝浦から駆けつけてくれました。
Kunikoさんは私がもっとも敬愛する兄貴分の松本良さんの奥様です。
いずれの方たちも奥駈修行のサポートを一緒にしてきた仲間たちです。


法要を終えて山上皓一郎さんの思い出を語る花井さん。
花井さんが先導する儀式は実に様になっており見事なものでした。
山上皓一郎さんもさぞかし満足されたことでしょう。
念のために記すと、彼は大企業の研究室に勤めているサラリーマンです。
左からSibataさん夫妻、Mahoさん。


法要を終えたあと、徒歩で行ける近くの料亭に席を移します。
左側一番奥は私が何でも甘えることのできるアニキ分の松本良さん。


良さんは腰を痛めており、長い歩行や長時間腰掛けることが難しく、法要は欠席しました。
かつて熊野修験の奥駈行者であり、サポートで活躍してきた良さんの今の様子に胸が痛みました。



自転車で帰る良さんと記念写真。


料亭での宴会は7時半で終了。
私たちが宿泊するホテルでは和室が取れずにツインばかりだったのでホテルの二次会は難しく、昌子
さんが「仏前で皆さんが談笑してくださる方が主人も喜ぶと思います」と言われたお言葉に甘えてご自
宅に再びお邪魔しました。
ミコさんの右後ろに置いてあるのが、備えるお花の代わりにハナイさんとカツラさんが発案し用意した、
参列していない有志の人たちも含めた名前が記帳されているプリザードフラワーです。
これだと生花と違ってずっと残ります。


御供えの菓子は私が引き受けたのですが、高級な菓子類よりも新宮市では売っていない蓬莱の豚まん
を用意しました。
20数年前、カツラさんが大阪に遊びに来たとき、帰りがけに当時、彼女が住んでいた紀伊田辺には売っ
ていない蓬莱の豚まんの入った大きな包みを両手に持って”くろしお”に乗るのを目撃していたので、銘菓
には馴れている山上家の人たちにはかえってこのほうが喜ばれると判断したのでした。
熊野修験団は合理的精神にあふれているのです

ただ、この写真を見た私の家内が「頭ははげているわ、お腹は出ているわ。かつてはスマートだったあなた
も形無しね」とのたまいました。(トホホ・・・)

料亭よりもこちらのほうが賑わい・・・・


かなり飲んで酔った私は、才媛なのに脳天気な人柄の若き日のMahoさんの滑稽な話を紹介したものでした。


山上家のアルバムを色々撮影させてもらいましたが・・・


その中から見つけた若いときの山上さんご夫妻の画像に「昌子さんは女優みたい!」と皆が言いました。


率直な感想を言うカツラさんは「皓一郎さんは晩年の方がシブイな」と。

確かに・・・

午後10時半でお開きとなりましたが、本当に楽しく、思い出深い山上皓一郎さんの追悼会となり、私は
大満足でホテルに戻ったのでした。