三回忌を迎えた辰巳秀一さんの思い出 2025.02.28
2月26日は98歳で亡くなられた近畿修猷会の大先輩である辰巳秀一さんの三回忌になります。
長い年月、近畿修猷会「音楽を楽しむ会」でお付き合いさせていただいた辰巳さんのことをその演奏を
主に記録に残したく、ここに記させてもらいます。
芦屋市のセシリア楽器店での「音楽を楽しむ会」の集まり。 1999年7月
辰巳さんと初めてお会いしたのは1999年に「音楽を楽しむ会」に私が初めて参加したときでしたからもう
25年も前のことです。

当時75歳だった辰巳さんのダンディな姿と軽妙な語り口、そして独特のピアノ演奏に魅了され、それ以来、
辰巳さんとの長い交流が始まりました。

この時の「音楽を楽しむ会」は全員、近畿修猷会のメンバーですが、現在残っている人は私以外いません。
前列左端辰巳さんから3人目の平岡凡人さんは長年、「音楽を楽しむ会」の世話役代表を務めてくださった
のですが、転勤で福岡に転居されたので、そのあと永野洋さんが世話役代表を務めています。

セシリア楽器店から梅田のバー「キング・オブ・キングス」そして西梅田の画廊と場所は移ったのですが、
その頃の画像が一つしか見つからず、交野市の星誕音楽堂に移ってからの画像が主になります。
東梅田の画廊です。名前は覚えておらず、ネットで東梅田の画廊で検索しても出てこないので今はもう無いのかも知れません。

西梅田エルセラーンホテルでの辰巳さんの演奏。 2010年12月22日
これについては私のホームページに載せた記事をご参照ください。

http://hmpiano.net/riwakino/
「音楽を楽しむ会」の世話役永野さんがすべてを企画、実行してくれました。

https://youtu.be/9Ze8VgeJCe0
かんなべ高原の民宿で
https://youtu.be/7ps8DIt_JD4
星誕音楽堂におけ辰巳さんの演奏 2011.12.13
近畿修猷会「音楽を楽しむ会」は星誕音楽堂で年に4回、集まりを持っています
。
「音楽を楽しむ会」には楽譜がなくても伴奏を即興で弾き、移調も自由自在というピアニスト楓花さんが
いるため、ほとんどの参加者は伴奏を楓花さんに依頼されます。
写真右端は平岡さん、楓花さん。

その中で星誕音楽堂のオーナーの奥田啓子さんと娘さんの律さんは辰巳さん誘われて何度
か演奏をしています。
その演奏をお聴きください。

https://youtu.be/gOlOH7L80Ms
https://youtu.be/YGIxrwIDY7U
https://youtu.be/MwMYMjo0aSM
















近畿修猷会総会で 2015.11.07

辰巳さんのダンディさを実感した集まりでした。
特に梅田の地下街を闊歩するときのかっこ良さ。
その動画を見たほとんどの人が90歳なんて信じられない、と言います。
http://hmpiano.net/riwakino/
辰巳さんと井上勝彦さんのロシア民謡「黒い瞳」 2016.06.04
辰巳さんは井上勝彦さんの歌の伴奏をされるときはいつも素晴らしいインタープレイをされます。
この「黒い瞳」の演奏は辰巳さんの伴奏の中でも最良のものと私は思っています。
https://youtu.be/M7CGDKbefSw
芦屋の老人ホームにて。 2016.06.25
辰巳さんのお姉様が入所されていたのですが、そこでも演奏を何度かされています。
辰巳さんの右側の女性がお姉様
http://hmpiano.net/riwakino/
その様子をご覧ください。
newpage01.html へのリンク
辰巳さんの月光ソナタは下記の動画で
https://youtu.be/UBwcGmEbrwQ
下記は別の仲道郁代さんのファンクラブのときの集まりです。
「ブーケの会」における辰巳さん、94歳のお祝い会 2018.09.18
左から玄藤さん、尼子さん、脇谷さん、坂上さん。
のときはまだ玄藤さんも尼子さんも生きておられたのでした。
https://youtu.be/rau6L1AhftE
「音楽を楽しむ会」 2020.09.22
辰巳さんの公の席での最後の演奏です。
この時、御年96歳。
https://youtu.be/ZB3mVTGsxtY
辰巳さんの逝去
2023年2月26日に辰巳さんは逝去されました。
「ちょっと会いたいのだが」と電話してこられたのが2月21日で、翌日の22日に訪ねていったらベッドに寝
ておられ、私の来訪に気づかれると身を起こされ、「家内もいないし、ピーちゃんもいなくてとても淋しい」
と言われるのです。
奥様は施設に入っておられ、辰巳さんが我が子のうように愛したセキセイインコのピーちゃんは辰巳さん
が世話をできなくなったのでブルーマリンのオーナーの川尻さんに引き取ってもらったのです。
声はかなり弱々しくなっていましたが、話す内容はしっかりとしていて認知の気はまったく感じられないも
のでした。
やがて西宮市の職員が医師を伴って来訪しました。
辰巳さんを介護施設に入所させるかの判断をするためのようです。
辰巳さんはその場に私に立ち会って欲しくて私を呼ばれたのかなと思ったものでした。
「ご家族ですか?」と女医さんが私に尋ねるので
友人であることを伝えたら「辰巳さんの寿命は本人の気力の問題にかかっています。あなたからもピアノ
を弾くように勧めてください」と言われます。それは私も望むところですから辰巳さんにお勧めするとうな
づくだけで特に反応はされません。
1時間ほど滞在した後、私は「また来ますね」と辰巳さんに告げて辞去したのですが、それから4日後に
辰巳さんが亡くなられたことを私はその女医さんから電話で知らされたのです。
享年98歳。
不思議なことにあれだけ敬愛した辰巳さんの死に対して喪失感は感じたもの、深い悲しみというものを
私は感じませんでした。
亡くなる4日前まであのように苦痛も訴えず、普通に話をする辰巳さんの死去は大往生だと思い、その
ことを安堵する思いがあったからだと思います。
親交のあったピアニストの仲道郁代さんにマネージャーを通して私が見届けた辰巳さんの死の直前の
様子をメールで伝えたところ、「そんな大往生を遂げられたこと、心より安堵しています」との仲道さんの
メッセージをマネージャーからもらいました。
辰巳秀一さんのご冥福をお祈りし、この手記を読まれる多くの方の脳裏に辰巳さんのことが刻印される
ことを願っています。
近畿修猷会 昭和41年卒 リワキーノこと、森脇久雄