南紀・市江崎荘での宴   2009.05.30

新宮山彦ぐるーぷ創立50周年祝賀会に熊野修験の親しい仲間たちと行ったおりに、同じメンバーで16年前
に南紀の旅館で宴をしたことを思い出し、その写真集を引っ張り出してきて編集したものです。

16年前の写真を見ながらの編集につき、詳しいことは覚えておりません。
この市江崎荘での熊野修験団仲間との宴会も誰が企画したのか不明なのですが、多分、当時田辺市
に住んでいたカツラさんではないかと思います。

最初は、写真の簡単な説明にとどめようかと思ったのですが、写真を見ながら編集していると仲間たちの様々
なことが思い起こされ、それらを書き留めました。

前から熊野修験団のことに関心を持っていたロンドの会仲間のトモコさん(左)とナオコさん(右)を誘って
私たち3人は大阪から十津川村経由で市江崎を目指しました。
ロンドの会については後ろのほうで説明します。

谷瀬の吊り橋です。


旧・本宮大社跡。
熊野川の河原のすぐそばです。
いつ来ても静寂な雰囲気を漂わせています。


市江崎に着きました。


山上さん、エツコさん、カツラさん、良さんらが既に着いていて渡し舟に乗ったところです。


船頭さんは市江崎荘の息子さんで、なかなかのイケメンです。


市江崎荘側に着くと年配の女性たちはゴルフカートに乗り、


それ以外の者たちは歩いて市江崎荘に向かいます。


途中からの景色はこのように。風光明媚な所です。


市江崎壮に着きました。


部屋からの眺めです。


良さんが持ってこられたのでしょうか、熊野三山の日本酒。
二次会まで取っておくことにし、入浴を済ませたあとの食事の時間まではビールを飲みました。
良さんは禁酒をしているので飲みません。


カツラさんはとてもお酒が強く、私は彼女が酔っぱらった姿を見たことがありません。
彼女の結婚式のとき、披露宴、二次会、三次会と全部飲み続けたのにケロっとしていたのです。


兄弟がいない私にとって唯一甘えられる兄貴分の良さん。
エツコさんはカツラさんの姉貴分です。




さあ、宴会です。


海の幸がたくさん! 
なにしろ海のすぐそばにある旅館ですから。


しかしこんな豪勢な料理を目の前にして二人はキョトンとした表情。


懐かしい今は亡き山上さん。
セクハラ行為が無きにしも非ずの、私を含む山彦グループの中でまったくそのようなことが無かった、
とカツラさんが証言する紳士です。


おっ、カツラさん、キリっとしたいい表情をしていますね。

私、彼女の結婚式のときのスピーチで後藤伸先生のエピソードを交えて「新婦のことを一言で表現す
れば武家の女です」と言ったのです。
普段はにこやかな笑顔なのですが、己が尊敬し、大切に思う人のことを侮辱されると烈しい目つきで
相手を睨むのです。
そう、彼女の敬愛してやまない後藤伸先生の奈良女子大での講演会で、後藤先生に反感を持つ学者
たちが意地悪な質問をするのを見て振り返って見つめるカツラさんの険しい表情。
私の脳裏から消えることは無いのです。
なにしろ、アセチレンガス燈を持って深夜の山林に入って昆虫探しを一緒にやるくらい慕っていた学者
ですからね。
後藤先生が亡くなったとき、遺骨の一部を持ち帰り、串本の自分の部屋に大切に保管しているのを見て
私は唖然としながらも彼女の真情に深く感動したものでした。

この私のスピーチを喜んでくださったのでしょうか、カツラさんのご両親がわざわざ私のところまで挨拶
に来られました。

しかし座る姿も武家の女のようではないですか。
いや、任侠の世界の女かな?


在りし日の後藤伸氏


エツコさんは何をしているのですか?
この人、お茶目ですからね。
カツラさんが姉のように頼り、何かあれば相談する女性です。
老境に入った作家の宇江敏勝さん夫妻のことを常に気にかけ、見守っています。


そしてマスミさん夫妻が到着しました。
同じ関東に住むShibataさんが二人をジープに乗せて来てくれたのです。
夫君は会社を立ち上げたばかりの新進実業家で、そこでマスミさんも働いているのです。


改めて乾杯!
左奥がShibataさん。
良さんが私の兄貴分、カツラさんが私の妹分ならShibataさんは弟分ですね。
このときは禁酒の良アニキもビールを飲んだみたいです。


私は立って何をしているのでしょうか。


ナオコさんは私の顧客のピアノ教師のお母さま。
書道に優れ、洋裁に優れ、短歌を詠まれるご婦人で、意気投合してロンドの会にも入ってもらったのです。

亡きご主人がデーサービスに行くとき、明らかに認知症の老人たちが多い送迎の車にご主人が入るのが
耐えられない思いになり、職員の反対を押し切ってご自身が車で送迎したのでした。
Shibataさんはこの時が初対面ですが、Shibataさんが関西に来るときにロンドの会その他で大阪で二度ほど
会っています。
ko-bunさんともロンドの会で親しくなり、ko-bunさんは彼女の自宅に招かれたこともありました。


左手前の女性、マスミさんのお姉さんのマホさんかと一瞬錯覚しましたが、カツラさんでした。


話ははずむのですが・・・


ほら、いつものごとく私は寝てしまいました。
この画像、Shibataさんが撮ったに違いない・・・


ま、セクハラするのに比べれば罪は無いですよね。


部屋での二次会です。


包丁やハサミを手にしていったい何をしているのでしょうね。






マスミさんのトレードマークのこの笑顔!
本当に素敵です。
マスミさんのことを思い出すとき、いつも条件反射的にこの笑顔が脳裏に浮かびます。


以下は私のホームページの記事からの転載です。

彼女は2年前に初めて奥駈に参加して以来魅了され、昨年は女人禁制の山上ヶ岳を除
くすべての奥駈道を走破し、立志神社柴灯護摩にも2年連続参加して神社近くの山中
での滝行にも男達の中の紅一点として参加、そして私が紹介した小田原の役行者のお
寺も訪ねていって役師の指導で足柄山での滝行、小田原市内での托鉢行などもやると
いう今どきちょっといないお嬢さんです。
母親と姉が奥駈に参加したのも彼女のあまりの思い入れの強さに惹かれたとのこと。
天真爛漫で性格が良く、底抜けに明るいマスミさんは今や、熊野、吉野、近江、小田
原の修験者たちの間で絶大なる愛情と支持を受けております。私にとっても自慢の大
切な娘の一人でございます。

2001年春の奥駈のときの熊野川河畔で。
左からカツラさん、マホさん、マスミさん、リワ、I.リエさん
私が先頭先達を務めた最後の奥駈修行です。


滋賀県の立志神社近辺の山における滝行。

翌朝の旅館の裏山への散策。
マスミさん夫妻は寝坊しているのか一緒ではありません。


山の風景も素晴らしいです。


ぬかるみを避けて通るShibataさんとカツラさん。


頂上に着きました。


崖側はこんな風。














いよいよ市江崎荘とお別れです。
女将さんと一緒に。
息子さんは終始笑顔を絶やさない好青年でした。


ゴルフカートにはエツコさんも加わりました。


船着き場


Shibataさんが飛び込みます。
海でも川でも気に入るとすぐさま飛び込みます。
もうこれは彼の習性と言ってもいいでしょう。


マスミさんもすごく飛び込みたかったそうですが、夫君がいるので我慢したとか。


市江崎でカツラさん、エツコさんらと別れてマスミさん夫婦はShibataさんのジープに乗り、トモコさんとナオコさんは私の車に乗り、東に向かいます。


大峯の有名な谷、立合川(たちあごう)峡谷に架かる橋の上で。


桃源郷のような奥瀞峡の北山村で。


トモコさんは私が公団住宅に住んでいたころに自治会の役員をしたときに知り合い、もう45年の付き合いです。
トモコさんについては友人たちからよく尋ねられます。
「こんな美人とそんなに長い年月付き合っていて何事も無かったのか?」と。
期待に沿えずに申し訳ないのですが、何事も無かったのです。
それでなければこんなに長く続きません。
3歳年上の彼女は私のことを心許せる弟分と思って、何でも相談してくれるのですがどうも私を男性としては
認識していないようで、人畜無害の気のいいおっさんと思っているのでしょう。
まあ、私の周りには兄貴分、姉貴分、弟分、妹分が多いことと我ながら思います。

この画像は昨年10月のロンドの会のときのものです。
トモコさんの右隣は彼女の娘のミキさん。私は小学生の時から知っているのです。
そのミキさんももう56歳とは年月の重みを感じます。


ロンドの会はShibataさんやko-bunさん、I、リエさん、ルーメイさんもメンバーです。
Shibataさんの参加は遠方ゆえに滅多に無いですが。
左端、ko-bunさん、右からルーメイさん、Shibataさん


ロンドの会はその都度、集まる人が変わりますが、最近はだいたい8人前後です。

左端はI.リエさん


ロンドの会についえは下記のページもご参照ください。
http://hmpiano.net/riwakino/2019/19.09.20history_rondo/newpage1.html

話を元に戻して南紀の話です。
背後は絶壁の大丹倉(おおにぐら)
ここまで来ていたら絶対に大丹倉の上まで行ったはずなのに画像がまったく無いのです。
トモコさんに尋ねたら上まで行った記憶は無いとのこと。


大丹倉の絶壁。(ネットからの転載)


この絶壁で「ファイト一発!」を演じる加奈陀隼人君。
加奈陀撫子さんの夫君です。
今は、カナダのバンクーバーで有名な日本庭園師となっており、「ポツンと一軒家」で取り上げられた
こともあります。


このあと、Shibataさんたちとはどこで別れたか記憶に無いのですが多分、私たちは国道169を北上し、
Shibataさんたちは熊野市に出て国道42を尾鷲経由、名古屋方面に抜けたことと思います。

この画像集を編集していて、またみんなで市江崎荘に行きたいなと思いました。