桃源郷での避暑  北海道洞爺湖町へ  2026.07.24~26

※この手記をパソコンでご覧になられる方はMicrosoftEdgeではなく、Googlechromeで見られることをお勧めします。
MicrosoftEdgeでは2か所、添付されているYou Tube動画を開くと、見終わったあとに元のこの画面に戻ることができないからです。

マスミさんとはアルバトロスクラブで知り合って親子ほど歳は離れているのですが、彼女が大峯修験道の世界に深く関心を持つようになったことから仲良くなりました。
そして彼女から居住地の北海道の洞爺湖町に遊びに来て欲しいと強く誘われ、それで行くことになったのでした。

飛行機恐怖症の私は新幹線を利用して行こうと思ったのですが、AIで調べたら下記の所要時間と運賃。

所要時間 約8時間45分~9時間15分
片道運賃・料金 約37,000~39,000円

飛行機だと格安便だと片道14.000円。所要時間も2時間。
覚悟を決めて飛行機で行くことにしました。
飛行機は意外と怖くなかったです。
十分に幸せな人生を送ってきたから高齢でもあり、もういつ死んでも悔いはないという思いがあったのでしょうかね。

関西空港から載ったジェットスター(格安便)は定刻12:05きっちりに新千歳空港に着いたので、予定していたよりも早い時間の特急列車に乗ることができたのですが、これが予期しなかったトラブルがあったにもかかわらず、マスミさんが希望されていた娘さん、ミユさんの授業参観に間に合うことができたのでした。
乗り込んだ特急北斗の席は通路側で、窓側の女性はブラインドを下ろして読書にふけているため、沿線の景色が見えません。
曇り空なのになんでブラインドが必要なの、と思いましたが、上げてくれというわけにも行かず、通路を挟んだ逆側の車窓の景色で我慢するしかありません。
初めての北海道の鉄道の旅なのに、がっかりでした。
苫小牧、登別、東室蘭などの馴染みのある名の駅を通るのに沿線の風景はどこでも見かけるようなものでしたが、海岸沿いの広い空き地に馬が放牧されているのが見えたときは北海道に来たことを実感しました。

洞爺駅に着くと多くの外国人が下車するのを見て、洞爺湖はやはり人気があるのだなと思いました。
改札口を出たところにマスミさんが輝くような笑顔で待っていてくれました。
昨年の新宮山彦ぐるーぷ50周年祝賀会以来の再会です。
hmpiano.net/riwakino/2025/test/newpage3.html


マスミさんの3人のお子さんたちが通うシュタイナー学園までは車で10分足らず。
シュタイナー学園の写真は遠慮して撮っていないのでネットからの画像を載せます。
自然に囲まれたとっても素敵な雰囲気です。


マスミさんが私に見せたかったのはオイリュトミーという授業。
オイリュトミーとは、AIで検索すると下記のような解説がされています。
言葉や音楽の響きを身体の動きで目に見えるように表現する、ルドルフ・シュタイナーが考案した運動芸術で、ギリシャ語の「美しいリズム」に由来し、シュタイナー学校の重要な教科や、心身の調和を促す療法としても用いられている
それらについての生徒さんたちの素晴らしいパフォーマンスについての詳しい話はこちらを

学園をあとにしてマスミさん宅に向かいました。
途中のサイロ展望台からの眺めです。
遠く対岸の山の左端に見えている三角形のピークが昭和新山です。




マスミさん宅に到着
正式な住所は虻田郡洞爺湖町洞爺町とのこと。




庭の右側奥にはシャクナゲが。
シャクナゲが庭木とは関西では考えられないことです。


後日、マスミさんから送ってもらったシャクナゲ画像です。


庭の前の道を1分も歩かないところに・・・


洞爺湖が。
カルデラ湖の真ん中に映るのは中島。

動画https://youtu.be/E2DofXtPsA8

子どもさんたちを迎えに行った夫君らが学校から帰宅するまでマスミさんといろいろ語り合いました。
積もる話は山ほどあり、感性豊かなマスミさんとの談笑はとっても楽しいものでした。

途中からマスミさんはソーセージ作りに励みます。
プラスティック製の専用腸詰器の先端に豚の腸皮を圧縮して取り付けて、ラッパ上の挿入口から豚のひき肉を押し込んで作るのです。
聞けば洞爺湖町の中でも洞爺町はスーパーが無く、日用品を求めるのは1軒のコンビニストアだけとか。
食料品でも自作できるものはどんどんアタックするそうです。


ご家族がみんな揃ったところでの夕食。
左からカズアキ君(16歳)、ミサキさん(11歳)、夫君のユタカさん、ミユさん(13歳)、マスミさん。
ユタカさんとは十数年前に熊野で一泊二日の集まりにご一緒いしたことがあるのですが、お子さんたちとは初めての対面でした。
カズアキ君は礼儀正しく語ってくれますが慎重な性分のように見受けられ、ミユさんは積極的な行動力がある少女、ミサキさんは歳のせいもあるのでしょうが、天真爛漫な雰囲気です。


ユタカさんと初めてお会いしたときの記録があります。17年前のものです。
ご覧ください。

hmpiano.net/riwakino/2025/25.07.10nanki_ichinoesaki/newpage1.html

夕食後、ご一家がくつろいでいるときに中二階のミサキさんの部屋でミサキさんがヴァイオリンの練習を始めました。
シュタイナー学園では生徒に楽器の演奏を勧めるのです。

とっても素敵な中二階の部屋なのです。

中二階の隣の部屋です。パソコンが備えてあり、長女のミユさんが何かデスクワークをしています。
窓の向こうはお庭が広がるのです。


ユタカさんといろんな話を長時間にわたってしたのですが、その博覧強記なのには驚きました。
マスミさんの姉のマホさんから聞いた話なのですが、マスミさんは横浜のフェリス女学院中等科に入学時、学年トップの成績だったそうですが、そのマスミさんが夫のユタカさんは自分よりも10倍頭がいい、と断言するのです。
頭がいいだけでは教養が広いとは言えず、その点、ユタカさんは情操を伴う教養の豊かさを感じる方でした。
「トゥーキディディス」、「原始仏典」、「ムスリム」、「モンテ・クリスト伯」の4つのキーワードを共有できる人は私の友人では学者の海上知明さんだけです。
いえ、「ムスリム」については知明さんもユタカさんのような認識を持っているかどうかは疑問です。
「モンテ・クリスト伯」については?の思いを抱く人は多いと思います。
少年少女向きでは「巌窟王」の名で知られるアレクサンドル・デュマの有名な大衆小説という捉え方をされやすいのですが、ユタカさんは最も好きな小説と言い切られるのです。
これらについて私が大変共感した理由にご興味のある方はここを。
ユタカさんとの話は深夜まで続き、やがて私は寝所に行かせてもらいます。
気温20度で窓を閉めて布団を被っても暑くありません。


25日。
6時ころに起きて誰もまだ起きていないようなので1人で散歩に出ました。
マスミさん宅隣は洞爺湖芸術館。
洞爺村役場庁舎を改築した建物だそうです。

ネットで調べた記述。
「洞爺湖芸術館」は2008(平成20)年4月1日に開館いたしました。旧洞爺村役場庁舎を改築した建物で、芸術作品と洞爺湖の両方を満喫できる、湖畔の小さな美術館です。
北海道を代表する彫刻家・砂澤ビッキの作品、小型彫刻公募展「洞爺村国際彫刻ビエンナーレ」の作品や、日本の近・現代文学の初版本、限定本のコレクション、そしてユネスコ世界遺産主席写真家を務めた並河萬里(なみかわ ばんり)の写真等を展示しています。


その洞爺湖博物館と道路を挟んだすぐ向こうに老三樹記念保護樹木公園があります。


ハリギリ、ヤマグワ、エゾヤマザクラの3種類の樹木が根を絡ませ、まるで一株から発生したかのような姿で立っていることから老三樹と名付けられているそうです。




散歩から戻るととマスミさんが起きていました。
今から湖畔を散歩しません?というマスミさんの誘いに私が断るわけがありません。
”財田の水辺の森の小道”と言われる湖畔までちょっと距離があるのでそこまで車で行きます、ということで車でそこまで行きました。


駐車場からのプロムナード散策路は素晴らしいものでした。
樹木が好きな私にとって湖畔の散歩道に連なる樹木には心が癒されます。












駐車場に戻ってきたら道路を隔てた向こうに鳥居が立っているではないですか。
北海道の神社ってどんなだろうと、好奇心の強い私はマスミさんをうながして鳥居に近づいていきました。


石碑には村社洞爺八幡神社と記されています。
村社神社って名称、初めて目にしました。


神社由緒記は画像をクリックすると拡大されます。読みにくいですが。






散歩を終えて朝食をいただいたあと、私の希望だった洞爺湖の中島と有珠山の噴火口群、ならびに昭和新山へマスミさんが車で連れて行ってくれることになりました。
中島への連絡船は洞爺湖温泉から乗るのですが、洞爺湖温泉に到着する直前に連絡船が出たところだったので有珠山の火口群見学を先にすることにしました。

有珠山
ネットから拝借

有珠山西山麓の金比羅山火口。1910年(明治43年)の噴火でできた火口です。
ここまでは車で行けるのです。


ここから眺める洞爺湖と洞爺湖温泉。
マスミさん宅は対岸の中島の左側のあたりです。


お天気がよいと左側後方に蝦夷富士と言われる羊蹄山が見られるそうです。
ネットから拝借

金比羅山火口をあとにして有珠山西山山麓火口散策路に向かいました。
2000年3月に2か所から噴火し、国道230号線が寸断され、民家やアパートが大被害を受けたのです。
駐車場から散策路に入ったところです。
軽い気持ちで踏み込んだ散策路ですが、意外と長く、ちょっとしたハイキングをしてきた感じでした。


散策路。
画像をクリックすると拡大されます。
私たちは破壊されたお菓子工場のところまで行ってきました。
ネットから拝借

寸断された道路。
ネットから拝借

断層図
トンネルのようなところが道路が通っていたのだと思います。
ネットから拝借

第2噴火口。
2000年の噴火が終わった直後はこんな感じだったようですが・・・
ネットから拝借

私たちが訪れた時は樹木や草で覆われ、噴火口という感じがまったく無かったです。
26年でこんなにも変わるものですね。
ネットから拝借

破壊されたお菓子工場


引きちぎられた民家。
手前の灰色の部分は道路の跡か?


民家のそばに放置された自動車


上を覆っていた山の斜面が無くなり、むき出しとなったトンネル。


道路沿いに立ってたと思われる電柱。
電柱の中に色んな配線があることをこの姿で初めて知りました。
交通標識もついたままです。


これだけの被害が出ていながら2000年噴火のときは死者は一人もいないのです。
ウイキペディアによると、有珠山には350年前から噴火の記録があり、そのデータ蓄積の多さから比較的「噴火予知のしやすい火山」であること、噴火を繰り返す周期が短くかつ一定で、地域の住民の多くは前回、前々回、そのさらに前の噴火を経験した人、あるいは年長者から伝え聞いたことのある人もいること、この2000年の噴火も4日前から地震が頻繁におきだしたことからいち早く避難令を発令し、壮瞥町・虻田町(当時)・伊達市の周辺3市町に住む1万人余りを噴火までに避難させたことから死者を出さなかったようです。

「温泉など、有珠山の火山活動による恩恵を受けて暮らしているのだから、30年に1度の噴火は当然受け入れなければいけない」という意識が高く、周辺市町のハザードマップの作成や普段から児童への防災教育がなされており、危険地域を避けた適切な避難誘導を行っていたこともウイキに記されていました。
洞爺湖温泉は1910年の金比羅山の噴火で生じたそうです。

有珠山火山群から離れている万澄さん宅の洞爺町は避難場所に指定されているようで、観光を終えて洞爺湖を東回りで戻るとき、「有珠山噴火避難道路」という標識がありました。
有珠山は20年~30年周期で噴火するため、26年経った今年あたりはそろそろ噴火するのではないかとユタカさんもマスミさんも口にしていました。

洞爺湖の中島
洞爺湖温泉から中島行きの船に乗って中島に行きました。
若い頃に洞爺湖の画像を見た時からこの島に行ってみたいという憧れがあったのです。
洞爺湖温泉をバックに中島に向かいます。
背後は有珠山。いかにも火山という姿ですね。


カモメが何羽も船に乗り込んで「キエー!キエー!」と威嚇するように泣き叫ぶのに、ヒッチコックの映画「鳥」のイメージが湧いてきて気味が悪かったです。


中島に近づいていきます。


中島桟橋


中島博物館です。
入島者はここの一室に設けられたゲートをくぐるには島内探索のための登録をしなければならないのです。
島内散策中に行方不明になる人も出てくるらしく、連絡先をキチっと控えなければならないようです。


私たちは次の船で戻りたかったのでカラマツ林の散策のみで引き返してきました。


原生林の森ですが、新しいカラマツの命が芽生えてきています。


桟橋近くに生えている巨木。
中島のご神木のようです。


中島をあとにして、昭和新山を目指します。
急カーブの連続という道ではなく、なだらかな広い道を走り続けたら、溶岩ドームの側に来たと言う感じでした。


子どものころから強い関心を抱いていた昭和新山に、こんなに簡単に側に来られるのかという意外な思いと、眼の前に見あげる溶岩ドームに圧倒される思いでした。

昭和新山はウイキペディアの記述によると下記のように変化していったようです。
最初、洞爺湖温泉のフカバ集落の湧水の温度が上昇し、20℃だったものが43℃に達し、洞爺湖に巨大な渦巻きが発生。
17回の噴火を繰り返して収まったあとに地中から溶岩ドームが突出してきだす。
1月10日 溶岩ドームの高さ、地表より10 ~ 20m。
2月11日 溶岩ドームは高さ40 ~ 50mに成長。
2月26日 溶岩ドーム主塔の脇に副塔が確認される。
5月 主塔の高さ85mに達する。
9月20日 全活動停止。溶岩ドーム主塔の高さ175m。

昭和新山の見学を終えた私たちの車は洞爺湖を時計の針とは逆方向にマスミさん宅を目指しますが、洞爺湖の湖岸道路を一周したことになります。
湖岸道路の距離は40キロだそうです。

私たちがお家に戻ったらご主人のユタカさんとご長男のカズアキ君が庭でバーベキューの用意をしておられました。
ここの画像を撮っていなかったことには悔いが残りました。
ユタカさんと私が談笑しながら飲み食いをしている間、カズアキ君が黙々と肉や野菜を焼いてくれ、やがて今夕、開催される洞爺祭りの前座を見に行っていた長女のミユさんが帰ってくるなり、カズアキ君に代わって食材を焼く番をされるのです。
一方、次女のミサキさんはテーブルに座ったまま、悠々と兄や姉たちが配膳した料理をゆったりと食するのですが、それに対して当然のようにふるまう兄と姉の態度を見ていると、ミサキさんはまだバーベキューの担当をする年齢ではないという兄妹内の暗黙の了解があるように思え、とっても素敵だな、と思うと同時に、これもシュタイナー学園の教育の賜物なのかなとも思いました。
翌朝、バーベキューの宴のあとが綺麗に片付けられているのを見つけたユタカさんが、カズアキ君がしたのだろうか、と思われたようですが、起きて来たカズアキ君に聞いたらそのとおりだったので、ユタカさんは大変喜んでいました。
ユタカさんは、3人の子どもたちを正しく育て上げることが自分の果たす大きな役目と思っておられることが語る言葉の片鱗から伺われたのです。

添付画像はマスミさん一家の七五三祝いの画像です。
何て素敵なんだろうと思いました。
この雰囲気のままご一家は成長していったのでしょうね。


そして洞爺祭りです。

マスミさんが私を誘ってくださったときの言葉は「洞爺祭りのときに遊びに来てください」というものでした。
日が暮れかかったころ、私たちはすぐ近くに催し会場がある洞爺祭りに向かいました。
福岡で育ち、関西で暮らす私が博多祇園山笠、大阪天神祭り、京都祇園祭りには一度も行ったことがないのですが、それは祭り自体が嫌いではないのにも関わらず、それほど関心が無
いのは、あの人混みが嫌いなのです。
マスミさんのお姉さんのマホさんと京都の四条河原町の居酒屋でお酒を一緒したときは祇園祭の真っただ中だったのですが、会食を終えると私たちは一緒に祇園祭りを見るでもなく、そのまま別れたのです。

ところが洞爺祭りにははまりました。
混雑する人混みが無いのです。
無いどころか、場所によっては観客がまばらなのです。
その中で演じられる夏祭りに私は凄く惹かれました。
洞爺祭りの動画を編集しているときに何度も洞爺音頭を聞くのでもう、頭にこびりついた感じで何とも言えぬ愛おしさを感じました。
その様子のYou Tube動画をご覧になってください。
https://youtu.be/mlKVwy3mAB0

最後の神輿からの餅まきですが、全部、ビニール袋でくるんであるのです。
1つがかなり離れたところに居た私の肩にあたったのです。
ところが気温が14度。
薄い上着を着ていたのですが、風が吹くと寒かったです。

そして26日の朝を迎えました。
朝食をいただいたあと、皆さんにお別れをして私はマスミさんの運転する車で新千歳空港に向かいました。
実質的にはたった2日間の滞在でしたが、ファミリーの皆さんへの惜別の想いは強いものがありました。