大山崎山荘美術館
6月18日(金)にかねてより行きたかった大山崎山荘美術館を家内と共に訪れてきました。
関西の名所旧跡レポートを多くものにしていて、しかもモネの「睡蓮」が大好き、というはなパパ
さん夫妻がここを訪れていないはずがないのだがと思ったのですが、彼のホームページを探し
てもここのレポートが載っていないので、多分、デジカメを手に入れる以前に行かれたのだろう
と思い、私がこの美味しいレポーターの役をさせてもらうことにしました。
「アサヒビール大山崎山荘美術館」(これが正式な名称)は京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町
にあります。
桂川、宇治川、木津川の3つの河川が同じ場所で合流するという世界でも珍しい(らしい)地形
のすぐそばに隆起する天王山の山麓にこの美術館はあります。合流した川は淀川となって大
阪湾に流れていきます。
地図の上から桂川、宇治川、木津川の順です。
天王山と言えば豊臣秀吉と明智光秀が天下を争って戦った古戦場として有名な山です。
阪急大山崎駅近くの町営駐車場に車を置いて、徒歩で坂道を上っていくこと約10分、大山崎
山荘の入り口に達します。
大山崎山荘は元はニッカウヰスキーの創業者、加賀正太郎氏が本格的な英国風建築の山荘
を風光明媚の地、大山崎に建てようと大正4年から着工した個人的所有物でした。
加賀氏の別荘兼迎賓館として外国人を含む多くの著名人がここに招かれ、多くのパーティや晩
餐会が催されたようです。
最晩年の夏目漱石も訪れております。
彼が胃痛の療養をかねて京都にやってきたとき、谷崎潤一郎の『磯田多佳女のこと』のモデル
である京都祇園の女将磯田多佳が大の漱石ファンで、加賀氏との縁をとりもったようです。
加賀氏は山荘の命名を漱石に頼み、漱石は翌年に亡くなるのですが胃痛に悩む中、誠実にそ
れに対応したのに加賀氏は礼状も出さなかったと伝えられています。加賀氏は色々な面を持つ
人物のようです。
吉川英治がこの山荘の蔵書の質の高さに驚いたことなども伝わっています。
しかし日本の過酷な相続税法が同氏の死後、子孫をしてこの邸宅を維持することをできなくし
てしまったのでしょう、昭和40年代に加賀家の手を離れ、所有者が転々と代わっていく中、
山荘は荒廃していったそうです。
そして平成2年、天王山山麓の大規模開発が計画される中、この山荘を取り壊し、マンション
建設の話が持ち上がったとき、地元の大山崎町町民や当時の京都府知事の荒巻禎一氏、
アサヒビール社長の樋口廣太朗氏(現アサヒビール株式会社名誉会長・大山崎山荘美術館
館長)らの熱意によってこの山荘は修復整備されて美術館として残ったのでした。
門を入るとこのような英国風建築物が現れます。
建物左手から庭をのぞき込むとこのように。
山荘の大きさに比べたら意外と狭い玄関から入ります。
入ったところの受付や土産物売り場があるホールにはこのような暖炉が。
ゆるやかなアーチをなす梁は松材だそうです。
ホールの天井はこのように。
ホール右側の広い部屋に入ります。この山荘の中心となる部屋です。
暖炉の上の飾り皿はバーナード・リーチの作品(写真左)。母がバーナード・リーチの兎の図柄
を使って作成したレザークラフトの作品(写真右)に長年馴染んできた私にはバーナード・リーチ
は親しみを感じる存在です。
この部屋の中央にはガラスで覆われた大きな陳列ケースが有り、普段はバーナード・リーチや
河井ェ次郎、濱田庄司などの作品が展示されているらしいのですが、今はマリンバ奏者通崎
睦美さんのアンティーク着物展をやっており、その関連の生地などが展示されてました。
2日後にここを訪れた私の娘はこのアンティーク着物展が大変興味深かったとのこと。
部屋を通り抜けると南に面した部屋に入ります。
アンティーク着物が展示されております。
部屋の隅に大きな塑像があります。近寄って見てもそれが本物なのかレプリカなのか説明書き
プレート(写真右端)に記されたことだけでは判断がつきませんでしたが、多分本物ではないか、
と思います。
ホールの北側の部屋に行ってみましょう。
梁の太さにも驚かされますが柱の異常に太いこと!塩地の木だそうです。
いかにも”重厚”を絵に描いたような部屋です。
家内が腰掛けているソファは建物と一体になっています。
はなパパさんのレポートだったら、ここで「わたし、この部屋に似合う?」となるのでしょうね。
テラスに出ると睡蓮の池に面してます。アーチ型の柱が素敵でした。
再び南側の部屋を抜けて、新館の方に行きます。
新館は建築家安藤忠雄氏の設計によるもので、旧館のたたずまいの雰囲気を損なわないよう
に建物の大半を地中の中に埋めるという建て方となっており、それはこの大山崎山荘と実にう
まく調和しているように私には思えました。
新館の入り口は階段を降りたところにあります。離れたところにはエレベーターもあります。
この新館にはモネの絵が5点展示されており、展示室のコンクリート造りの内装も大変素晴ら
しいのですが、残念ながら新館は撮影禁止のためご紹介できません。
旧館に戻って2階に上がっていきます。ステンドグラスはドイツ製とか。
2階のホールにあるオルゴール時計。決められた時間に音楽を奏でます。
3階への階段は通行止め。
ホールから見る北側の部屋とベランダ。
ベランダから見る庭。奥の塔は最初は白雲楼と命名され、後に栖霞(せいか)楼と改名された
望楼。
淀川の3川合流を見るためか、あるいは、山荘全体の景観を見るため作られたのか、と解説
書に記されています。
ベランダの真下は睡蓮の池。
このベランダに接した格子窓がある壁の向こうは浴場でした。
大正時代の浴場、なかなかに風情があります。
ホールの南側に面した部屋は喫茶ルーム。外のテラスでもお茶を飲めます。
紅茶の味はまあまあでしたが、残念だったのが、ミルクの代わりにコーヒフレッシュを持ってきた
こと。
こんな素晴らしい英国風の建物の中でいただく紅茶なのですから、やはり本物のミルクを用意
して欲しかったです。
それにできたら紅茶もポットに入れてきて欲しかったなぁ。
ま、値段が安すぎましたけれどね。
テラスからの眺めは素晴らしいですが、3川合流の図は見られません。
向こうに見えている山は石清水八幡宮がある男山です。
丘陵の右側に密集している住宅地がありますね。あの真下あたりが3川合流の地点です。
そこから淀川となります。
テラスの隅っこに老いてある陶製のボードはバーナード・リーチと濱田庄司の合作作品です。
山荘内を十分に見学した後、私たちは庭に出ました。
庭の片隅に奇妙な塑像が置いてあります。外国人の手になるもののようです。
すべて見終えて出てきたのは2時間半後のことでした。
大山崎山荘美術館は噂通り、素晴らしいところでした。
取り壊してマンション建設地になろうとしていたのをよくぞ大山崎町民、荒巻禎一京都府知事、
樋口廣太朗アサヒビール社長の方々は防いでくださったものです。
同山荘売店で求めた本「アサヒビール大山崎山荘美術館誕生物語」(中山禎輝・PHP研究所)
の樋口廣太郎氏の手による前書きの一部をここにご紹介いたします。
(前略)
天王山麓の大規模開発が計画され、環境破壊を危惧する地元住民との交渉が困難な
局面を迎えていた平成二年当時、アサヒビールにいた私は、京都府知事の荒巻禎一氏
から再三、この山荘についてのお話をうかがった。私も京都出身であり、会社のお金で
このような美術館を地元につくるということには自分自身としてもかなりの抵抗があった
が、知事並びに地域の住民の方々の天王山周辺地域の景観を保全しょうとする熱意に
打たれ、「これは何とかしなくては」という想いにかられた。
(中略)
何かユニークな方法で、この山荘を後世に残しておきたい、それもできるだけ多くの人
た
ちに喜んでもらえるようなかたちで。それから、京都府や大山崎町に関係する方々の絶
大なご支援をいただき、また京都新開をはじめマスコミの方々のご支援もあり、取り組
んだ結果がこの美術館である。
(中略)
平成七年一月の阪神大震災の時も改築工事をしていたお陰で、山荘が崩壊することも
なく後世に残すことが出来たことは本当に幸せなことだと思う。
展示されている美術品には、アサヒビールの初代社長である山本為三郎氏の陶磁器
コレクションやアサヒビール所有のモネの絵画も含まれているが、その後もたくさんの
方々から寄贈をいただいている。企業として、社会にいかなる還元ができるかを常に念
頭に置かなければならないというのが、私の持論である。ささやかではあるが、お役に
立てたと思っている。
(後略)
ひところ、メセナという言葉が流行りましたが、社益を考えたからではなく、地元民、地元の行
政官の熱意にほだされて取られたこのアサヒビールの元社長の行動こそ、メセナの本当の精
神を具現したものであると思います。
大山崎山荘の敷地内に民家が建っておりました。
「加賀邸につき立ち入りはご遠慮ください」という表札が立っていることから、この山荘を建てた
加賀正太郎氏ゆかりの人たちが住んでいるのだろうと推察されます。
瀟洒ではあるが豪勢とは言い難いそのたたずまいを見るとき、祖父、もしくは曾祖父にあたる人
が建てた大山崎山荘の豪壮さとの対照に心が行きます。
日本の過酷な相続税法が無ければ、もしかしたらこの加賀邸の人たちは今も大山崎山荘の所
有者だったかも知れないのだな、と私は不躾な立ち入ったことまで考えてしまいました。
日本建築にしろ洋館にしろ、明治以降数多くの邸宅、別荘、山荘が造られてきたことでしょうが、
この大山崎山荘のように取り壊しの運命から逃れることができた建築物は少数なのではない
でしょうか。
どんな資産家の家でも3代続いて先祖代々の財産資産をそのままの形で維持することができ
なくしてしまう日本の相続税法は日本の景観を貧弱なものにしていくのではないか、と私は最
近しばしば考えてしまうのです。
アサヒビール大山崎山荘美術館については下記のホームページをご参照ください。
http://www.asahibeer-oyamazaki.com/