「今、平和を語る:哲学者・鶴見俊輔さん(中) 1905年境に変わった精神(前編)」

私が切り抜きを取っておいた鶴見俊輔氏の記事です。「今、平和を語る」というシリーズで毎日新聞
記者が質問する形でのやりとりです。毎日新聞のネットで記事を見つける事ができましたのでその
ままを青字で引用させてもらいます。緑字は毎日新聞の記者のもので、間合いの黒字のコメントは
私の感想、反論です。

 −−平和を語ることは戦争を語ることでもありますが、人類の歴史は戦争の歴史です。

オオカミでさえも、そこまで殺し合わないでしょ。私はね、戦争を痛みによって定義しています。
戦争をやった側にも、やられた側にも痛みがある。


戦争を痛みによって定義するとは哲学者のわりには感傷的発想ですな。
オオカミさえもとはオオカミが特別残忍凶暴な動物のように思っておられるようですが、肉食動物は
弱肉強食の自然法に従っているだけで、オオカミだけが特別残忍なわけではないと思います。
オオカミは他の動物に比べて知能が高く、家族愛が強いと聞いております。オオカミ少年やオオカミ
少女のように動物に育てられて生育した人間の例はオオカミ以外の動物では聞いたことがありません。
もっとも私の寡聞のせいかもしれませんが。

テロも同じで、計画して実行した側の情熱も痛みからきている。差別される側の痛み、貧しさの痛み、
飢えの痛みだね。戦争を起こす文明には、もうろくの力をもって反対していきたいな。


鶴見氏の論理から言えばニューヨーク同時多発テロも差別されるイスラム過激派の感じた痛みの
結果であり、金賢姫の大韓航空爆破事件もラングーン事件も計画した北朝鮮の差別される側の感
じた痛みゆえの結果、とそういう論法になるようですね。多分日本人拉致を計画したのも差別された
側の痛みゆえなのでしょう。

 −−核兵器は「貧者の武器」とも言われます。

米国はたくさん核兵器を持っているのに、北朝鮮が核兵器を持つのはけしからんから防ごうという、
これはどこかおかしいところがある。寓話(ぐうわ)的にみればこっけいでしょ。


とてもまともな国家とは言えない北朝鮮が核兵器を持つのと、曲がりなりにも民主主義が機能して
いるアメリカが核兵器を持つのとでは意味合いが全然違う事を鶴見氏は判っていらっしゃらないよう
です。いや、判っていないふりをされているのかも。こんなお粗末な屁理屈を哲学者を名乗る人が
堂々と述べられるとは、こっけいなのは鶴見さん、あなたでは?

 −−ところで、日露戦争が終結した1905年が日本の岐路だったというのが持論ですね。

そうなんだ。日露戦争が負けないで終わったからね。あんなにたくさんの人間を殺したもんだから、
政府は、勝った、勝った、大勝利ということにしたんだ。すりかえたんだよ。それまでの日本はまだ良か
った、指導者が偉かったんだな。


じゃ、日露戦争は負けた方が良かったと言うのでしょうか。そうすればその後の大東亜戦争も起き
ず、日本は現在に至るまでの102年もの間、平和を謳歌できる国家となったと言われるのでしょうか。
ロシアは日露戦争で勝利することによって野蛮国日本の野望を押さえたことで満足し、朝鮮半島
に進出しないどころか満州からも手を引いて極東の平和を築く事に熱心になった、というわけで
しょうか。

それまでの指導者が良かったとはどこまでの人達を言うのでしょうか。日露戦争のときの日本の
指導者層には明治天皇をはじめとする維新を成し遂げた人達の生き残りがまだ多くいたのです。
この人達は偉くなかったというわけでしょうか。
多分、鶴見氏の脳裡には高杉晋作、坂本龍馬、木戸孝允、西郷隆盛らしか存在しないのでしょう。
みんな長生きしなかったので、ときには自らの手を汚さなければならない辛い義務から免れてました
からね。坂口安吾の堕落論で言われていることから見事に免れてますもんね。

それと「すりかえたんだよ」という鶴見氏の言葉も聞き捨てになりません。
日露戦争を遂行した明治政府がまるで国民を騙したかのような表現ではありませんか。
日露戦争では軍部を含む政府の要人たちは清水の舞台から飛び降りるような思いで開戦し、また
これ以上の戦争の継続は不可能だという状況の中、薄氷を踏む思いで休戦に持ち込んだのです。
政府が休戦時にもっとも神経を尖らせたのは日本国民の感情の暴発を如何に抑えるかということで、
これ以上の戦争の継続は不可能、とにかく有利な戦況のなかで休戦に持ち込み、朝鮮半島への
ロシアの野望を思い止めさせる事ができたらそれだけで充分、という日本国政府の思いをまったく
理解しない国民は戦果の華々しさに酔ってしまって、もっと過大な要求をつきつける国民感情のうね
りとなったのを抑えるのに明治政府がどれだけの神経をとがらしたかを鶴見氏はご存じなのでしょうか。
このとき国民の感情を煽動したのがマスコミなのです。(まったく百年前からろくでもない資質は
ちゃんと持っていた)

ポーツマスでの講和条約を結んできた当時の全権大使小村寿太郎は国民の怨嗟を一身に引き受
ける事となり、東京の自宅に石つぶてが投げられる事態を危惧した伊藤博文は横浜港まで小村を
迎えに行き、東京駅に着いた小村を桂太郎首相と山本権兵衛海軍大臣が両脇にピタッと寄り添って
暴漢の狙撃から小村の身を守ったのです。
こんな明治政府の要人たちの必死の思い、行動を知っていて鶴見氏は「すりかえたんだよ」と言う
のでしょうか。祖国のために命を張った政治家のことをこけにするような人間を私はその人がたとえ
どんな業績をあげていようと認めたくありません。

 −−偉大なリーダーはなぜ出てこないのでしょうか。

大学の成績で就職が決まるようになったからです。1番の人間は1番になりたいだけなんだ、私の
親父(おやじ)がそうだったからよくわかる。あの大東亜戦争に負けることは3歳の童子でもわかる
のに、1番のやつにはわからなかった。


「大学の成績で就職が決まるようになった、1番の人間は1番になりたいだけ」とは何という粗雑な
決めつけ。これが哲学者の言葉かと開いた口がふさがりません。
大学を一番で出た人間はそれなりに際立った資質を持っている確率が高いと思うのが自然な考え
方ではないでしょうか。
大東亜戦争に負けることは3歳の童子でもわかるとは正気の沙汰とも思えぬ言辞ですが、鶴見氏
の論法でいけばあの当時の日本の指導者たちは皆3歳の童子に劣る者ばかりで、もちろん、その
中には昭和帝もおられるというわけですね。
それに自分の父親のことをこのように悪し様に己の論法の証としてあげるとは私にはまったく理解不
可能です。
親は親たらずとも子は子たれ、という東洋のモラル感をこの哲学者は持ち合わせていないらしい。
ついでに言うが鶴見氏の父親、鶴見祐輔が著した「ビスマルク伝」は私に言わせれば最良のビス
マルクの伝記であり、1番になりたいだけの人間が著したとはとても思えぬ力作です。
それを確かめるために実に久しぶりに終章を読んだのですがあらためて感動しました。

 −−今の日本をどうみますか。

生物学的にみて頭脳が変わったとは思いません。200年前も今も同じですよ。精神の姿勢が1905
年を境に変わった。40年間ずっと気づかずにきて戦争をやった。では1945年の終戦で改まったかと
いうと、そうではない、むしろ加速しましたよ。今の日本のカーブは、だいたい戦前と同じようだね。


ほう。1905年を境に日本人の精神の姿勢がガラッと変わったと言うわけですな?まるで年が明け
たら干支が変わるように。祖国への誇りと自国の伝統に自信を失った戦後の日本が1905年以来
の流れの加速と仰るとはね。どんな思考回路をお持ちなのだろうか。

 −−問われるのは政治家ですか。

日本では、平和の側に立っている人が少なかったし、もう死んでいますね。意外な人がいるなと思っ
たのは、兵庫県の貧しい農家に生まれた政治家、斎藤隆夫だな。2・26事件(1936年)の後に2度
も粛軍演説をやって国会を追放されている。今の国会にはいないね、彼のようなすばらしい政治家は。


平和の側に立っている政治家が少なかった、とはいったいどういう了簡で言っている発言でしょうね。
平和の側に立っているという以上は国際政治における政治家の立場というものでしょうが、国際政
治の常識として平和云々を論ずる前に自国の利益を最優先して外交を画策するのが責任ある一国
の政治家のあるべき姿ではないでしょうか。自国の利益よりも世界平和を優先するというのはそれは
理想論です。洋の古今東西を問わず、今までにそれを貫き成功した国家があったのでしょうか、政治
家がいたのでしょうか。あったのなら、いたのならその例を挙げていただきたい。

斉藤隆夫は議会民主主義者として戦前の軍部の横暴に対して不撓不屈の政治姿勢を貫いた点で
は確かに鶴見氏の言うようにすばらしい政治家です。しかし、彼は鶴見氏らの願うような理想的平
和主義者の側に立っただけの政治家では決してなかった。
戦後のマッカーサー司令部の占領下、吉田内閣の閣僚として彼が言い残した言葉があります。
「戦争は終わりを告げたが、さてこれから日本はどうなるか。・・・・軍備の撤廃である。陸海空軍は
悉く撤廃せられ、将来一人の軍人、一隻の軍艦、一台の飛行機も存置することは許されない。国を
護る武力を有せざる国は独立国ではないが、此の関係において日本はもはや独立国ではない」
斉藤隆夫は軍国主義の打倒と軍備の撤廃つまり「武力の不保持」とは、まったく別のことである、と
認識していた、と「評伝・斉藤隆夫〜孤高のパトリオット」(松本健一著・東洋経済新報社)に記されて
ます。
日米安保条約反対に熱心だった左翼思想家の鶴見氏とは全然立脚点を異なる人と私は見ましたが。

鶴見氏だけでなく、この私の書き込みをご覧になる方は、できたら反軍演説として有名な彼の昭和
15年2月2日の帝国議会における演説を読んでいただきたいです。かなりの長文ですが。
http://homepage2.nifty.com/Bokujin/shiryou1/hangun.html

全部を読む暇が無い方は私が抜粋した下記のところを是非、読んでいただきたいです。
反軍演説の抜粋

彼が戦争というものを、国際政治というものをどのような冷徹な目で見ていたか、安直な理想主義を
掲げる左翼思想家とは如何に異質な考え方を持っていたかがが解ると思います。

最後に平和、平和側、と平和を叫びたてるのがお好きな鶴見氏に質問。
戦争では常にたくさんの人が死にます。しかしそれでも戦争は起きます。斉藤隆夫氏も反軍演説の中
で言及しているように人類の歴史で半世紀でも戦争が絶えたためしがない。ヨーロッパだけに限れば
最も平和が続いた年数は43年間。

鶴見さん、この43年間の平和の年月はいつの時代か判りますか?
普仏戦争から第一次世界大戦までの間(1871〜1914)です。
そこで第二の質問。この半世紀近くの平和を築くのに大きく貢献した人は誰だと思います?
プロイセン、後のドイツ第二帝国の宰相ビスマルクです。鉄血宰相と言われ、軍国主義の権化みたい
に今の日本では取られかねない人なのです。このビスマルクが心血を注いで作り上げたバランス・オブ・
パワーの上にヨーロッパは史上最長の平和の時代を保ったのです。賢帝の誉れ高いヴィルヘルム1世
の後継者カイゼル・ヴィルヘルム2世が聡明な帝王だったらこの43年の平和はもっと延長したかも知れ
なかったのです。
理想主義者よりも現実主義者の方が平和への貢献の実績はあるのです。
ビスマルクの功績については私はいつかもっとキチッとした形で書こうと思ってます。

最後に言いますが、鶴見氏も限られた時間内のインタビュー中の断片の記事でこんなにボロクソにこき
下ろされてさぞかし不本意だろうと思います。私も私のやり口がフェアでないこと、その点は認めます。
しかし鶴見氏は有名人です。多くの人が尊敬の目で見ている人です。そんな立場の人はやはり平和や
政治を語るとき、責任を持って頂きたいのです。安易なマスコミの下心ある誘導質問に乗っていただき
たくないのです。

それに引き替え、毎日新聞はこんなしょうもない内容の対談を仰々しく「今、平和を語る」という標語を
掲げて掲載するなんて、その見識を疑います。

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