5/31 2002掲載

大峯奥駈修行サポートの旅            by 森脇久雄

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B奥駈初日・その2
花折塚で奥駈隊を見送ったのが9時前。
このまま新宮から来るメンバーたちとの待ち合わせ場所に行っても3時間は待たなけ
ればならないのです。
その間、寝るか読書でもするか、とそんなことを考えながら車を十津川村から下北山
村に通ずる国道425号線に出てしばらく走ったら左手に森林公園の標識があるのが目
に入り、そうだ、今まで何度と無くここを走りながら一度としてここに寄った事がな
いのだ、ということに気がつき、そのまま十津川村村営森林公園に入って行ったので
した。



そこはシャクナゲなどの<ツツジ科植物の宝庫>でした。
一週間前にシャクナゲ祭りがあった様子が事務所兼展示館の中の広報蘭に掲載されて
おりました。開花期が早かった今年ですが、祭りのあった一週間後でも満開の花だけ
でなくつぼみをもった石楠花などがたくさんあり、公園の中を隅々まで徘徊しました。
私以外、公園内には誰もおらず、公園と言っても大峯山中の深いところに位置してお

りますので周囲の山の風景も素晴らしく、こんな風に大峯をのんびりと過ごすのもい
いなぁ、とサポーターとしての恩恵を感じたのでした。
空にも晴れ間が見えてき、たいそう良い気分なのでベンチに横になってぼんやりとし
ていたら、突如、法螺貝の音が聞こえます。先発隊が目の前の山の上を通りかかった
のです。そしてその後に錫杖を振る音と読経の声がかすかに伝わってきます。どこか
の行場に着いたのだな、と思って急いで地図で調べると如意宝珠岳の行場でありまし
た。
如意宝珠岳は熊野の五大尊岳から吉野の青葉ヶ峯にかけての大峯山中、最も標高
の低いピークで、ここからも標高差わずか150メートルのところです。勤行が終わっ
たころを見計らって「ヤッホー!」と大声で呼びかけるとそれはあちこちの山々に幾
重にもこだましていきました。これなら届いただろう、と思ったのですが、後で聞い
たら誰も気がつかなかったとのこと。
その後も公園内でのんびりしていたら再び法螺貝の音に続いて読経の声が聞こえてき
ました。後発隊が着いたのです。先発隊からちょうど1時間後でした。
奥駈隊の行く手には大峯一の難所と言われる地蔵岳が控えております。彼らの無事を
祈りながら、私も公園をあとにしました。


紀伊半島の背骨のようにして南北90キロに連なる大峯山脈を東西に横切る数少ない
ルートの国道425号線です。
滅多に無いですが、もしこの国道が通行止めになったらはるか北の吉野を経由するか、
熊野の海岸線を経由するしかなく、貴重な道なのです。


長大な芦廼瀬(あしのせ)川渓谷沿いにクネクネ走るこの国道をうんざりするほど走
った後に、行仙岳が見えてきたころやっと白谷林道の分岐に着きます。時間は11半。
ここで青岸渡寺で用意してくれた弁当を食べ、食後はワゴン車の後部座席でうとうと
して新宮の皆さんが来るのを待ちました。


午後1時ころ、持経宿接待組が3台の車で到着。
右側から三重県海山町の中世古二生さん、新宮市の山上皓一郎さん、小西陽子さん、
そして松本良さん、邦子さん夫妻。
中世古さんは海山町役場に勤務。山上さんはカメラ店を経営。小西さんは新宮市役所
観光課勤務(新宮駅に降りる機会がある方は是非、駅の観光窓口に彼女を訪ねてやっ
てください)。松本良さんは今年串本の郵便局長を退職したばかり。
みんな気の置けない身内同様の仲間ばかりなのでつい冗談や笑顔がこぼれます。


白谷林道は一般車は入れず、十津川村役場で借りてきた鍵でゲートを開け、入った後
にも施錠します。向こうの方に停まっている車は渓流釣りに来た人のもののようです。


舗装していないので所々、道路が深くえぐられていたり、落石がゴロゴロしていたり
して平均30キロのスピードでないと走れず、持経宿小屋までの全長15キロの距離が
1時間近くもかかりました。


持経宿小屋は白谷林道が奥駈尾根に達したところにあり、道路そばに立つ小屋なので
物資を運び込むにはたいへん便利な小屋です。
運んできた物資を小屋の前に並べ、この頭上にシートを張りめぐらして雨が振ったと
きの場合に備えます。


肩を痛めて力仕事ができない私は松本邦子さんを手伝って小屋の中の掃除をし、それ
が終わると山上さんが中心となって明日の弁当作りのためにご飯をたく作業に入りま
す。2年ほど前までは夕食もここで用意していたのですが、新宮山彦ぐるーぷの老齢
化でサポーターの人数も減ってき、今では市販の弁当を運び込んでいます。


ご飯が炊き上がると、さっそくおにぎり作り。

サポーターの分も含めて全部で60名分のおにぎり、180個を握らなければなりません。
一人
30個を握る計算です。


こういったことについての山上さんと松本邦子さんの采配はもう超熟練の域に達して
おり、残り4人はその指図に従うだけです。
ところが、一斉に握りだして判明したのですが、私がブキッチョで三角形に結びきれ
ない。
「もりさん、あんたはいいわ、かまどの世話をしてな」と美意識の高い山上さんから
いともあっさりとお役御免をくらい、 


ぼそぼそとかまどの方に行って吹き口を吹くことになったのです。


しかし、かまど守なんて閑職と馬鹿にしたら大間違いなのです。
囲炉裏の焚き火だったら薪木が燃え出すと後は絶えないように追加の薪木をくべるだ
けでいいのですが、かまどは放っておくと燃えている丸木もいつの間にかに炭火のよ
うにくすんでき、やがては消えてしまうのでしょっちゅう吹き口で吹き付けてやらな
ければならないのです。
お茶や味噌汁や食器の煮沸消毒など、常にお湯を必要とするので常時熱いお湯が保た
れていることは大切なことであり、夜の就寝時までこのかまどの火は消えることなく
燃え続けだのです。
 

2度目のご飯炊きをしてやっと結びあげたおむすびのパック詰めです。


日が暮れて薄暗くなったころに最初の法螺貝の音が聞こえ、それから15分後に暗闇
の林道を奥駈先発隊がやってきました。午後650分着でした。
前半の飛ばし過ぎが祟って行仙宿小屋を出てから全体的にバテ気味になったそうです
が、それでも玉置山から持経宿までの11時間は立派なものです。


用意したコーヒや熱いお茶を飲んでもらってしばしの休息をとってもらって全員がそ
ろったところでお堂で今日最後の勤行をしてもらいます。


夕食をとってもらいます。


食後、すぐに夜具を敷きだし、すぐさまもぐりこんでスヤスヤしてしまう人もいれば、
横になって歓談する人もありますが、9時ころには大方の人が眠ってしまいました。
11時間の山行も疲れたでしょうが、酒も飲めず、テレビも見れずじゃ、起きている意
欲がわかないのでしょうね。


そして行者たちが寝入った後、私たちサポーターは楽しい、いえ、厳粛な反省会をや
りに色々ものをもって200メートルほど離れたところに張ったテントに向かいます。


そう、ワインはあるわ、クーラーで冷やした缶ビールはあるわ、新宮の銘酒「太平洋」
の原酒はあるわ、カマンベールチーズはあるわ、真空パックの鰹のたたきはあるわ(こ
れは美味だった!)で、何とも嬉し、楽し、の反省会でした。


宴会途中から降り出した雨の中を傘をさして女性たちはワゴン車に行って寝、我々男
性陣はこの6人用テントで雨音も心地よく聴きながらゆっくりと眠ったのでした。

(続く)