6/7 2002掲載

大峯奥駈修行サポートの旅

奥駈2日目・その1

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19日朝目が醒めたのは6時。テントの中は私以外誰もいないのです。
外に出て小屋のところまで行ってみると下北山村の方に雲海が見えます。
鏡面のようなまっ平な雲海のときは晴天が約束されるけれど、今朝の雲海はやや表面
が凸凹。 


私が寝ている間に他の皆さんたちは飯を炊き、良さんは車で水場まで行って大量の水
を汲んできておりました。
小西さんは今日は奥駈に加わって歩くのですからサポートの任から外れてゆっくり寝
ているべきなのに、早くから起きて飯炊きに従事しており、私としては面目が無いと
ころですが、どうせ起こしたところでたいした役にも立たんし、今日は遠くまで車を
運転して帰らなければならないのだから寝かせておこう、という皆さんの有難い配慮
だったようです。






持経宿小屋の朝食は午前7時ですから余裕を持って朝食の準備ができますが、6時出
立の行仙宿小屋ではサポート隊は午前3時に起床して朝食の準備をするのです。


朝食


昨年は朝食が終わった後、行仙宿小屋泊組が到着するまで3時間も無為に待ったため、
一同気分がすっかりだれてしまったそうですが、今年は一仕事が待っておりました。
それはつい先月落慶法要したばかりの千年檜祠の下に岩石を持っていって空間を埋め
る作業です。
千年檜のところには適当な岩石が無いため、この持経宿近辺の岩石を採取して持って
行くわけです。
そして、そこで行仙宿小屋泊組を迎え、一緒に勤行をすることになっております。 


岩石を袋に詰めるとわずかな量でもすぐに10キロや20キロ以上の重さになります。
山上さんが肩に背負っているのでも優に10キロはあるでしょう。


気は心。
一つでも持っていくことに意義があります。
左側に写っているテントが夕べの我々サポート隊のねぐらです。


千年檜は持経宿小屋から尾根を南に10分ほど行ったところにあります。
実際の樹齢は800年ぐらいらしいです。
ここ千年檜の生えている地こそが本当の持経宿跡ではないか、と新宮山彦ぐるーぷの
リーダ・玉岡憲明氏は推測しております。ここに祠を建てることが決まってあたりの
スズタケを刈り払ったところ、かなり広い場所であることが判明しました。
そばに写っている生熊さんは屋久島の縄文杉のところでも同じようなスタイルで写っ
た写真がありますので頼んでそのポーズをとってもらいました。


行仙宿小屋泊組が着くまで1時間以上も待ったため、色々な参加者と話す機会があり
ました。
その中でも東京から来た松木俊幸さん(38歳)の強行スケジュールには感心しました。
彼の勤務するオフィスは都心にあるそうですが、17日朝、登山用具一式を抱えて家を
出、最寄の地下鉄駅のコインロッカーにそれらを預けて出勤。午後5時の退社の時間
になると脱兎のごとく会社を飛び出し、荷物をロッカーから出すとすぐさま東京駅に
向かい、6時の「のぞみ」に飛び乗って名古屋まで行き、そこから紀勢線の特急電車
に乗り換えて新宮に午後11時到着。駅近くのホテル泊。
翌朝は4時に起きて脱いだ背広も仕事鞄も一緒に携えて集合場所の新宮高校正門前ま
で歩いていき、そこから青岸渡寺差し回しのバスに乗って玉置山入り。
奥駈二日目に到着地、前鬼に到着後は同じく青岸渡寺のバスで熊野市まで行き、そこ
から午後8時出発の新宿行き夜行バスに乗車。時間の余裕があれば熊野駅前で風呂に
入り、余裕が無かったら月曜早朝に到着する新宿でシャワーを浴びて背広に着替え
てそのまま出社、というスケジュールだそうです。
つまり、休暇を一日も取らずに1泊2日の奥駈に参加するのですからみんな、立派!
と褒め称えます。


午前6時に行仙宿小屋を出発した行仙宿泊隊が花井先達を先頭に到着。 


次々と到着しますが、4時間の歩行にもかかわらず、皆さんは元気そうです。 


熊野市の松村さん夫妻は奥様は全奥駈を経験していますが、今回は夫婦でと思ったら
既に定員で締め切った後。テントも寝袋も持参しますからどうか加えてください、と
いう奥様の熱心な嘆願に高木師も心を動かされ参加を許可されたとか。
ところが山行用の軽量テントじゃないので、ご夫妻は前もって行仙宿小屋に上がって
テントとシュラーフを置いてきたそうです。
奥駈はこのようにリピーターになる人が多いのです。
どうです?ご夫妻の嬉しそうな顔。


できたばかりの千年檜祠の前で奥駈隊による最初の勤行です。
祠の下に運んできた岩石が積み重なっています。
この下の地中に多くの人(私も一部納めました)が写経された般若心経や現代の紙幣、
コイン等を入れたタイムカプセルが埋められているのです。




勤行を横から見ていて、M.リエさんが錫丈を振りながら誦経しているのを見つけび
っくりしました。いつの間に般若心経を覚えたのだろう、あの錫丈は誰のだろう、し
かし、初めて振るだろうに錫丈の振り方がリズミカルで実に綺麗だな、などと思いな
がら見とれておりました。後で聞くところによると花井さんが錫丈を渡し、振らせた
そうです。


和歌山県に大きく貢献した人を表彰する県が制定した「紀の人賞」を今春、高木亮英
師が受賞されましたので、それを祝して新宮山彦ぐるーぷから修験道の斧作法に使う
斧の贈呈が行われました。


そしてその後、今度は高木亮英師から長年先頭先達を勤めたということで私に記念品と
してパーカーの万年筆を贈っていただきました。
思いもかけないことでしたので大変
光栄に思い、また嬉しかったです。

花井さんが私からデジカメを奪い取り、記念に写してくれました。


勤行を終え、一同、持経宿に向かって出発。
平治宿から持経宿にかけての尾根はツガやブナ、ミズナラ、ヒメシャラなどの街中で
は絶対にお目にかかれない巨木の宝庫でして、全大峯においても最も私が好きな樹林
尾根です。


持経宿に戻ると中世古さんと松本夫人がお茶の接待の用意をして待っております。
「コーヒでもお茶でもお好きな方を」


昨日の歩行で足を痛めた人もおり、救護隊の和田さんが手当てをいたします。
奥駈歩行中でもこのような故障者が出ると、ご本人自身疲れているであろうに献身的
に介護してくださる彼女に深い敬意を抱きます。


午前11時、先発も後発も一緒になった奥駈隊は前鬼に向けて出発していきました。
持経宿小屋すぐそばからアキレス腱が切れそうなほどの急登が続く阿須迦利岳を最初
に、名のあるピークだけでも10もある尾根を上がったり下りたりし、最後に太古ノ
辻から急転直下、下り一方の急坂を降りて前鬼まで行くのです。
途中、逃げる道は無く、どんなにへばっても怪我しても最後までついていかなければ
なりません。


いつも熊野修験団奥駈隊のしんがりを勤めてくださる長尾 林さんと北野勉さんです。
しんがりは常に奥駈隊の最後につき、ピッチの遅くなった人に付き添ったり、ばてた
人の荷物を持ったりと大変な役割を担うのであり、相当な体力のある山の猛者でない
と勤まりません。
彼らが樹林の急坂の尾根に消えた後、しばらく法螺貝の音や「ザーンゲ、ザーンゲ、
ロッコーンショージョー」の掛け声が小屋まで届いておりました。(続く)