リワキーノ一家のおのぼり旅行 (初日と二日目)   by リワキーノ  2011.02.16

建国記念日の連休を利用して家族で関東に行ってきました。
娘が関東の友人たちに会いにいくのに東京をほとんど知らない家内が一緒に行きたがったので、それでは
親子三人で行こうということになったのです。

ところが家族で上京することを決めた直後の1月8日、私は私の不注意で車を電信柱にバックでぶっつけ
てしまい、修理代38万円という予測もしなかった出費が生じたのです。
家族旅行なんて滅多にしないのだからあまりけちくさい旅行はすまいと家内も言っていたのですが、38万
円は主婦感覚としてはかなりの痛手。節約できるところは極力節約しようということになりました。

そこで東京については生き字引のようなCapt.Senohに相談したところ、泊まるホテルから娘と別行動のとき
にが私ら夫婦が出かける場所など、いろいろアドバイスしてくれました。
地の利を考えると永田町界隈がどこに行くにも一番交通の便が良いからと彼が探してくれたのが千代田区
平河町の都市センターホテルで、JR東日本のホテルとセットのプランで行くと大変な割安(ホテル代が
¥6.000)でした。

そして私の好みや家内のことを考えて彼が薦めてくれた観光地はまずホテル周辺の散策、そして銀座や
明治神宮。
帰りは娘の都合で新横浜から乗るのでそれなら元町中華街と山下公園というものでした。

ホテルと新幹線の予約も済んだあとになって新幹線に乗ったことのない二人の孫も連れて行きたくなり、
息子の嫁に話すと嫁は大喜び。
そこで幼児が二人増えたが一緒に泊まれるだろうかとホテルに電話で尋ねるとトリプルの部屋なの大人の
ベッドで十分添い寝でき、料金は無料です、との嬉しい返事。
かくしてリワファミリーのおのぼり旅行が実現したのです。

ところが出発の2月11日朝は寒波が到来し、寝屋川でも積雪するような雪の天気となり、


予報も東京は12日にかなりの降雪があるとのことなので急遽、スノーシューズを履いていくことにしました。

若い頃、金沢などの北陸出張に頻繁に行っていたおりに雪道にそなえて購入していたもので、雪道には
抜群の威力を発揮するのですが、なにしろ30年以上も経っている代物なのでゴムの経年変化で途中で
破れてしまう可能性もあり、普通の革靴も持って行くことにしました。
かさばる荷物類は先に宅急便で送っておいたのは大正解でした。
旅行なれしていない私ですが、らんらん&りんりんさん等と旅行をしていたのでこんな知惠も得てました。
旅行なれした皆さんからすれば常識でしょうが。

乗った新幹線は豪雪になりやすい関ヶ原もたいした支障もなく通過し、定刻に13分遅れるだけで午後1時
40分に東京駅に着きました。
友人と会う娘とは東京駅で別れ、私たちはそこから浦和に向かいました。
え?なぜ浦和なんかにと思われるでしょうね。
家内の用事で行くのですが、それについてはここでは触れないことにします。

浦和からは直接、永田町に行き、娘と娘の友人と待ち合わせの赤坂四川飯店に行きました。
この店もホテルから近いからとCapt.Senohの薦めにより予約したのでした。
通常は¥8.000からのコースなのですが、¥5.000の休日スペシャルコースという有り難いコースがあり
まして私たちはこれにしました。
グルメ通のCapt.Senohお薦めだけあって美味しい料理で特にフカヒレの煮込みは絶品でしたね。
(画像を撮っていないのでネットから借用)




娘の友人のM子さんです。


M子さんとタマちゃん(今はオーストラリア在住)と娘は同じ趣味を共有することからネット上で知り合った
のですが、そらから8年以上にもなるのに大変仲がよく、M子さんが仕事で関西に来る折に一度我が家
にも泊まってもらったこともあり、家族ぐるみで親しいのです。
特に私にとって忘れがたい思い出は7年前に朝霧高原でのヒップホップフェスティバルに娘に頼まれて野
営道具一式を車に載せて参加し、3人で野営したときのことでした。もの凄い数のテントと真西から見る
富士山の姿が印象的でした。

午後8時半にお開きです。M子さんとのまたの再会を約束して私たちは別れました。


二日目
12日は東京はかなりの積雪という予報だったのですが、朝起きたときは青空も見えているような天気で
した。


朝食は都市センターホテルのプリンス通りを隔てて斜め前の赤坂プリンスホテルでしました。
都市センターよりも¥500安かったことと、赤坂プリンスも3月でもって閉館となるので記念に飲食ぐらい
ここでしておきたかったのです。

朝食を取ったあと、李王家邸だった旧館を見学しました。
朝鮮李王朝最後の皇太子夫妻のために建てられたこの館はかねてから見たかったものだったので、つい
撮影にも力が入ります。


半円形の出窓を持つ部屋で私たちは記念撮影をしました。(後の方で掲載)


日韓併合をした明治政府は当時11歳だったという李王朝の最後の皇太子、李垠(りこん)殿下を日本の皇
族扱いではありますが、実質的人質として日本に連れてき、後に皇族の梨本宮家の王女である方子(まさ
こ)様と政略結婚をさせます。


しかし政略結婚とは言いながらも垠殿下と方子妃殿下のお二人は仲睦まじい夫婦となられ、生涯を全う
されます。大東亜戦争が終わるまではお二人はこの館で過ごされたのです。




玄関です。中に入ってみましょう。






結婚式場に使われている部屋のようで、この日もその準備が別室でされておりました。

日韓併合時代に朝鮮の女学校の生徒達(国籍としては当時日本人だった)が修学旅行で日本にやって
きたとき、両殿下に面会を許されたそうですが、大勢の人数が入れた広い部屋は現在結婚式場に使わ
れているこの部屋だったのではないでしょうか。
両殿下の拝謁を賜った女学生たちはお二人の前で号泣したそうです。
それは李王朝の皇太子殿下だった人にお会いできた嬉しさだったのか、それとも亡国の殿下の前で祖
国を失った朝鮮人としての悲しみを新たに募らせたのか・・・
きっと両方の想いが複雑に錯綜したのでしょうね。

外から見たら半円形になっている出窓のある部屋です。


同じ部屋の反対側です。

ペ・ヨンジュンさんの渾身の力作「韓国の美をたどる旅」の本に景福宮についての下記の記述があります。

私はここから消えた王朝の悲運を思い浮かべる。
そして、その文化の痕跡をあまりにたやすくなくしてしまった姿が残念でならない。
他国で王室とその子孫が受けている尊敬と愛を、韓国人は失ってしまった。
王室文化が頭ごなしに権威的で、民の膏血を絞ってきたわけではないだろう。
経筵という類例のない民主的な政治討論の場を見てもそうだし、
そして人を大切にし、尊重する文化もあった。
王室文化は悲劇と神聖さが交差する、
韓国のもう一つの宝庫だとおもう。


ここの箇所を目にしたとき、私がペ・ヨンジュンさんに深く惹かれる様々な要因のすべてが見当違いではない
ことを裏付けられるような想いがしました。
ペ・ヨンジュンさんは李王朝を韓国人が失ったままでいることを深く悲しんでいるのだろうなと私は感じました。
女子高校生たちの慟哭とペ・ヨンジュンさんの悲しみ、それに我が国は深く関与しているのです。
私は韓国併合については当時の国際情勢と朝鮮半島の不安定な政治状況においても仕方がないものがあ
ったと思う人間ですが、それでも深い胸の痛みは感じます。
私にとって旧李王朝邸は特別な思い入れがある建築物です。

李王朝の皇太子に嫁がれた方子妃殿下について興味のお有りのかたは下記のサイトをご覧ください。
朝鮮李王朝最後の皇太子妃となった日本人女性

友人との約束がある娘とは永田町の駅で別れ、私たちは孫たちが見たいという東京スカイツリーを観に行くこ
とにしました。
スカイツリーはまだ完成していませんが、その工事現場は多くの人が訪れる観光スポットになっていることを
友人のshibataさんに聞いていたので、それなら孫たちも期待はずれになることはあるまいと思って連れて行
ったのです。

永田町から地下鉄半蔵門線で最寄り駅の押上まで乗り換え無しで25分。
今度の上京では予測される限りの路線乗り換えを”駅探”で調べ、各乗換駅の構内図までプリントアウトしてき
たのでした。それでなければ複雑怪奇に入り組んだ東京の地下鉄はとても利用することはできません。
押上駅では地上に出るとすぐ真後ろに大変な高層ではあるが普通のビルディングが立ちはだかり、え、これが
スカイツリー?と思ってさらに人の多くたむろする歩道を行くと高層ビルの隣にそれよりも遙かに高く、明らかな
タワーであるスカイツリーがそびえているのが見えたのでした。

それは凄い迫力でした。
上の方が雲でかすんでいるところなどはバベルの塔のイメージでしたね。

見物客が次々とやってきます。


工事現場


この後、家内の用事のある町田市まで行き、そこでの用事を済ませたあと、銀座にやってきました。
冷たい氷雨が降る中でしたが、午後4時過ぎから5時にかけての時間帯はネオンが点灯しだし、過
去に昼間しか訪れたことの無い私は”灯ともし頃”の歌詞で表現された銀座の夕暮れ時の美しさを初
めて知ったのでした。



時間的にYokoさんレポートで紹介されたスポットまで探しに行く余裕もないので、とにかく銀座の高級感
を味わえる場所として選んだのはすぐに視界に入ってきたシャネルビルと三越百貨店でした。

k.mitikoさんのレポートで大変興味を抱いていたココ・シャネルの店。
「こんな小さい子を連れて入ってもいいの?」と危惧する家内に
「な〜に、行儀良く振る舞わせたら店の人も迷惑には感じないさ」
と私は堂々とシャネルの店に入っていきました。
素晴らしい内装、見事なディスプレイ、丁重な店員たちの応対。まさに”これぞ一流の店”という印象でした。
孫娘はその日に書いたママへの手紙に下記のように記しておりました。
「銀座のシャネルに行ってきた。バッグと財布がとっても綺麗だったよ」

次ぎに三越百貨店です。
バレンタインデーの影響もあるのでしょうか、凄い人でしたね。
初めて銀座を訪れた家内の印象は「実際に来てみないとこの銀座の雰囲気は解りようがない」というもの
でかなり魅了されたようでした。

この日は特に冷え込みが厳しく、心身とも冷え切った私たちは三越を出ると地下鉄に乗り、一路、都市セン
ターホテルを目指しました。
夜の旧李王家邸です。


今日はCapt.Senohから薦められた永田町の蕎麦の店「黒澤」に行く予定だったのですが、都市センターホ
テルはとても居心地のよいところなので、そこに着いたらもう外出する気になれず、ホテルのレストランで食
事をすることにしました。
そして嬉しい誤算というのでしょうか、都市センターホテルの和食の店の料理は値段も安く、とても美味しか
ったのです。
何よりも日本酒の種類が豊富なのが私にとっては大変有り難かったですね。
私たちの食事が終わる頃に友人との会食を終えた娘がホテルに戻ってきました。
(続く)