名句ランキング 13位 怪人百面相 投稿日: 2025年06月30日 19:02 No.1765 【返信】

13位・29点(ベスト0人、次点29人)

◯万緑の中や吾子の歯生え初むる
             中村草田男

万緑は草木が生い茂り、見渡す限り緑一色という状態をいう。
その万緑の中に、やっと歯の生え始めた幼いわが子がいる。
その幼い子は立っているのか、それとも親に抱かれているのだろうか。
この句は対比がよく語られてきた。
万緑という背景の中のわが子という近景。
たくさんの草木の中のひとりの幼子。
万緑という緑の中のわが子の歯の白。
たくましい草木の勢いのある生命力のの中に、少しずつ成長し命を育む幼いわが子がいる。
笑っていたのか、それとも泣いていたのだろうか。
開けた口の中に見える生えはじめた歯がかわいらしく、そんなわが子がたまらなく愛しく思えたのだ。
            (解説・柳川彰治) 

ーーーーーーーーー
私の拙句

●万緑につつまれ思わず立ち竦む

私は森が大好きです。
一人で森に出かけます。
誰も来ない森の奥まで進みます。
そこで鬱蒼とした草木に囲まれで仰向けに寝転びます。
木々の枝の隙間から少しだけ青い空が覗いています。
風があれば草木が擦れる音がしますが、そうでなければシーンとしていて全くの静寂の中です。
私は全身が多幸感に包まれます。

周りは緑一色です。
周りは草木が生い茂っています。
地面にも草や喬木がぼうぼうと生えており土などまったく見えません。
しいていえば木の幹や枝が緑でないのですが、それもみっしりと苔がは生えていたり、蔦が絡まっていてほとんど緑色です。

そこに狸か犬のような動物が顔を出しましたが、何とそれも緑一色です。
珍しい動物だなあ、と思って、ふと自分の手を見るとなんと緑一色になってます。
何か草の汁でもついたのかな、と思いながら水を飲もうと、水筒の蓋に水を注ぐとこれも緑一色。
なにか変だな、と思って手鏡で自分の顔を見るとこれまた緑色の顔になっていました。

いや〜あ、これこそ万緑そのものだ。

            (創作です)

●万緑につつまれ思わず立ち竦む

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三日月童子 怪人百面相 投稿日: 2025年06月30日 12:10 No.1764 【返信】

リワさん

三日月童子ですか。
懐かしいですね。
東千代之介の主演でしたね。

私は当時笛吹童子で主演した中村錦之助よりも端正な東千代之介のファンでした。
三日月童子は笛吹童子の大ヒットの二匹目のドジョウを狙って3部作で作られました。
しかし、結果は散々でヒットしませんでした。

次の年の正月映画として封切られた「紅孔雀」はまたまた大ヒットをしました。

これ以降、中村錦之助、東千代之介、大友柳太朗などの主演映画が次々と作られました。
少し遅れて大川橋蔵、里見浩太朗などのスターも出てきて、大御所の片岡千恵蔵、市川右太衛門と並んで東映時代劇王国を築き上げていきました。








Re:俳句と写真・六甲と三日月 リワキーノ 投稿日: 2025年06月30日 09:55 No.1763 【返信】

百面相さん

朝夕に六甲山を見られるとはいいですね。
我が家はマンション群と墓場と擁壁に囲まれて近くの生駒山系の風景を見ることができません。

>写真では三日月がとても小さいですが、実際はしっかり見えていました。

そうでしょうね。画像では限界があることは私もよく経験します。
特に月の画像。
あんなに大きいのに、撮ってみると小さく、ぼやけている、という具合に。

多くの人が満月を好み、賞賛しますが、私は三日月が好きなのです。
上弦、下弦を問いません。
満月に比べて翳りを感じさせるあの形そのものが好きなのですが、小学校低学年のときに馴
染んだ北村寿夫原作の「笛吹童子」に出てくる三日月童子のキャラクターが、同じく登場す
る霧の小次郎と共に好きだったことも影響しています。
戦国時代の武将で三日月を見ると「我に七難八苦を与えたまえ」と祈った山中鹿之介の絵な
ども好んで見てました。
私が児童向けの本で馴染んていたそのかっこいい姿の画像はネットではまったく見られません。




俳句と写真・六甲と三日月 怪人百面相 投稿日: 2025年06月29日 12:00 No.1762 【返信】

尼崎に入居してこれまで月をはっきりと見たことがありませんでした。
昨夜は、鮮明な三日月が六甲山の上空に輝いていました。
やはり月の出ている空はいいですね。

●六甲に三日月かかり梅雨明ける

インパクトを与える言葉を入れてみます。

●六甲と三日月とこれも梅雨明け

557の破調ですが私はこちらのほうが好きですね。

写真では三日月がとても小さいですが、実際はしっかり見えていました。
今回は、写真に俳句を入れると町の夜景を隠すので入れませんでした。




俳句入り写真・梅雨明けの夕日 怪人百面相 投稿日: 2025年06月28日 22:27 No.1761 【返信】

関西は昨日かなり早い梅雨開けでした。

夕方には綺麗な夕焼けが六甲山を染めていました。

しかし、これから例年以上に暑い日が長く続きます。
健康管理に十分留意して過ごさないといけないですね。

●梅雨明けや夕日に染まる六甲山




16年前の毎日新聞「男の気持ち」 リワキーノ 投稿日: 2025年06月27日 07:59 No.1760 【返信】

昨日、必要があって過去のメモ帳をいろいろ調べていたら、下記の記事を見つけました。
以前購読していた毎日新聞に「女の気持ち」という投稿欄が常設されていましたが、時々
「男の気持ち」という欄も設けられていたのです。
強く印象に残ったのでメモ帳に残していたのでしょう。


まさか! 滋賀県守山市・藤高清二(会社員・54歳)  2009.08.07毎日新聞「男の気持ち」

6月末に、めいの結婚式に出席した。兄の長女で、生まれた時から知っている。
20代、30代のころは、毎年宮崎に帰省した。その度に親、きょうだいで宴会が始まる。
子供も集まってくる。好き勝手なことを言ったり、怒ったり、笑ったり、ワイワイガヤガヤ。

子供たちに「結婚する時には、おじちゃんを呼んでな」と言うと、必ず帰ってくる言葉が
「おばちゃんだけでよい、おじちゃんは帰ってこなくてよい」だった。そう笑顔で言ってい
た1人が、このめいだった。

昨年9月、姉の子供の結婚式で久しぶりに会った。いつものように話していると、「私の
結婚式にも来てね」と言われた。そして、とうとうその時がきた。結婚式の招待状が届いた。
当日、滋賀から福岡へ向かった。なぜか前日よりほとんど眠れなかった。

結婚式、披露宴と進む。いつも披露宴では余興を頼まれる私だが、今回はなく、ホッとし
ていた。すると、お色直しのための新婦退場の時、司会者が「新婦がぜひ一緒に退場したい
方がいます」と言い、場内に私の名前が響いた。

「まさか!」。何と私を指名してくれたのだった。招待者の中を2人で歩く。本当の娘の
ような気がして涙が出てきた。私には一生縁のないことだと思っていたので、忘れられない
結婚式になった。

結婚しても子供のいない私へのプレゼントだったのかもしれない。本心は聞いていない。
ありがとう、真由美。



「ミュージッシャン衣川亮輔と三木市」 リワキーノ 投稿日: 2025年06月26日 18:08 No.1759 【返信】

表題のレポートをやっと今日、アップしました。
http://hmpiano.net/2025hp_flamepage.html

6/12には作成していたのですが、ホームページビルダーの不具合でなかなか添付画像が
アップできず、苦心惨憺の末、今日アップできました。

今回のことで痛感したのが利用する多くのアプリのサポートが電話対応をしないことです。
その代表がGoogleとジャストシステム。
チャットでの対応をしていると言いますが、複雑なトラブルへの対応はまったくと言ってい
いほど該当するチャットが見つからないのです。

それに比べ、電話による応対を丁寧にしてくれるのがアップルと私が契約しているサーバー
のワダックス。
この2社のおかげで今日、レポートをアップにこぎつけることができました。



ショックを受けました。 怪人百面相 投稿日: 2025年06月25日 12:37 No.1758 【返信】

リワさん

今回のリワさんの父上のエピソードにショックを受けました。

私はこの度尼崎に転居しました。
27階建ての賃貸マンションの25階の部屋に入りました。
高層に住むのは初めてなので、毎日ベランダからの景色を楽しんでいるところです。

リワさんの父上のエピソードを読み、私ももしかしたら25階のベランダから飛び降りたくなるかもしれない、と思いました。

これからは、ぐっと腹に力を入れ、あまりベランダの端の手すりまで近づかずに夜景を楽しもうと思いました。



キーワード俳句 船長 リワキーノ 投稿日: 2025年06月25日 08:16 No.1757 【返信】

百面相さん

●船焼き捨てし
 船長は

 泳ぐかな

この句と解説を読んで11年前に起きた韓国のセウォル号事件を思い出しました。
船の転覆で乗客305人が犠牲となり、そのうち250名が高校生という何とも痛ましい事故でした。
そのときに衝撃を受けたのが船長がイの一番に逃げ出して救命船に保護される映像でした。
しかも船長は下半身は下着姿だったのです。
船長が沈没しかかった船から一人だけ脱出するなんて、日本では考えられないことです。
当時、親しくしていた韓国の友人が「恥ずかしくて恥ずかしくてみなさんに顔向けができま
せん」とひどく嘆いていたものでした。
まさに解説にある、船長は「船長」ですらなくなり、卑劣な一人の人間になりさがるのであ
る、ですね。

今回この事件を改めて調べてみたら、船長は非常勤勤務で本来の船長の代役として乗船して
いたそうです。
非常勤で代役の船長に”船長の覚悟”を求める方が無理なのかもしれません。
しかしそんなことがまかり通る当時の韓国はかなり問題があったと思いました。

●船長を呼ぶ声のするインド洋

まさに百面相さんらしい筋の展開である短編ですね。
最後の「私は息を引き取ったらインド洋の彼のところにお詫びに行くつもりである」が彼が
終生慚愧の思いで過ごしたことを物語っていて印象深いです。

この百面相さんの句を見たときから私は私の父が私に話してくれたことを思い出したのです。
私の父は若いころ、日本郵船に勤めていて貨客船の事務職員として遠洋航海に何度も出ていました。
太平洋航路の氷川丸ができたとき、最初の乗組員の一人にも選ばれたのです。
その父がインド洋でしたから欧州向け航路のときと思うのですが、夜に看板に出て月明かり
に照らされた洋上を眺めていてふと身を投げ出したくなる衝動に駆られたそうです。
そして手すりを乗り越えようとしたときにやり残した用事をふと思い出し、船室に戻ったこ
とから正気に返ったとのこと。
父は沈着冷静で用心深い性格なのでそんなことがあったのかと話を聞いたときはとても驚い
たものでした。

添付画像は父のアルバムに残っていた日本郵船時代のものです。




俳句入り写真・元気の無い夕日 怪人百面相 投稿日: 2025年06月22日 21:15 No.1755 【返信】

6月というのに真夏のような暑い日が続き、引っ越しの疲れが出はじめています。
ところが夕日を見ていると私と同じように疲れているように見えました。

「おい、太陽君、元気が無いな。
この、猛暑に疲れているのかい。」
「とんでもない。
私は毎日元気に朝から夕方までしっかり働いているよ。
ところがSNSあたりでは、この猛暑は太陽のせいじゃないのか、などと揶揄されている。元気も無くなるさ。」
「そうなのか。
そんな連中の投稿なんか気にせず、元気に頑張ってくれよ」

私も太陽に負けないように元気を出して頑張ろう、と思いました。

●この猛暑俺のせいでは無いと言ふ




キーワード俳句 船長 怪人百面相 投稿日: 2025年06月22日 12:38 No.1754 【返信】

キーワード 船長

プロの作品です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●船焼き捨てし
 船長は

 泳ぐかな
              高柳重信
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
多行俳句ですね。
「船長と亅、「泳ぐかな亅の間もわざと一行の余白が入れてあります。

夏石番矢の解説です。

商法には船長なるものの義務、責任、権限が規定されている。
そこには、一旦港を出た船上では、船長は航海のために必要であれば、一切の裁判上、又は裁判外の行為を為す権限を有す、とある。
船長は海上ではたった一人の裁判官なのである。
高柳重信は重大な責務を放棄した船長を描いている。
自ら船を焼き捨てたのならば、船長は「船長」ですらなくなり、卑劣な一人の人間になりさがるのである。

ーーーーーーーーーー

●高柳 重信(たかやなぎ しげのぶ)
     (1923年〜1983年)
俳人。本名は高柳重信(しげのぶ)、俳人としては「じゅうしん」を自称した。

3行ないし4行書きの多行書きの俳句を提唱・実践し、金子兜太らと共に「前衛俳句」の旗手となった。
俳人の中村苑子と事実婚(内縁関係)にあった。

1958年:総合同人誌『俳句評論』を創刊。
創刊世話人は富沢赤黄男、三橋鷹女、高屋窓秋、永田耕衣、三谷昭、湊楊一郎、折笠美秋ほか6名。
中村苑子を見出す。

1968年:総合誌『俳句研究』の編集長に就任。
同誌を通じて安井浩司、坪内稔典、摂津幸彦らを見出す。

1973年:新人発掘の強化を図るべく、五十句競作を企画し、みずから募集作品の選考にあたる。
宇多喜代子、澤好摩、摂津幸彦、大屋達治、藤原月彦(藤原龍一郎)、林桂、長谷川櫂、夏石番矢らを見出す。

高柳重信といえばなんと行っても多行俳句の創始者です。
分かち書きされた俳句から物語性が立ち昇ってきます。

多くは紹介できませんが、ネットで探索するなりして高柳重信の多行俳句の世界に浸って下さい。

・身をそらす虹の  
  絶巓       
       
  処刑台     

この句の「絶巓」の次には1行空白があります。
「絶景」と「処刑台」の頭も一文字空白があります。


・「月光」旅館
 開けても開けてもドアがある



・たてがみを刈り
 たてがみを刈る
 愛撫の晩年


・まなこ荒れ
 たちまち
 朝の
 終りかな

1行句も多数作っています。

・われら永く悪友たりき春火鉢
・人恋ひてかなしきときを昼寝かな
・友はみな征けりとおもふ懐手
・友よ我は片腕すでに鬼となりぬ
・金魚玉明日は歴史の試験かな

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
1句と1話

●船長を呼ぶ声のするインド洋

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ショートストーリーです。

私は子供の頃から海が大好きであった。
船乗りになるのが夢であった。
そして大人になり夢がかなって船員になることができた。
仕事に精一杯精進して船長にまで出世することができた。
中東から石油を運んでくる巨大タンカーの船長である。
途中で嵐にあったり、中等で戦争が起こったり、いろいろ危ない目にも会ってきたけど、無事に定年まで仕事を全うすることが出来た。

定年後は伊豆の大島への定期便の船長の仕事をした。
これは巨大タンカーでの大海原を航海するほど勇壮な仕事ではなかったが、東京湾から伊豆の大島まで往復の穏やかな楽しい仕事であった。

その仕事も辞めたあと私は隠居の身となった。
時々遊びに来る孫に航海の話をしてやるのが愉しみになった。
孫は目をキラキラさせて食いついてくるように聞いている。
もしかしたらこの子も船乗りになるかもしれない、等と考えるのが楽しかった。

そして私は病魔に侵され余命数ヶ月を言い渡された。
一日中ほとんど寝ているような状態となった。
夢に見るのはタンカー時代のインド洋である。

私には誰にも言ってない墓場まで持っていく秘密が一つあった。
タンカーの時代のことである。
部下の船員同士が喧嘩をして、その一人がインド洋に落ちて亡くなったのである。
相手が突き落としたのか、誤って落ちたのかは分からなかった。
もちろん遺体は上がらなかった。
私はそのことを不慮の事故として処理をした。
本人の家族には保険金の他、会社からの弔慰金など多額の金銭が入った。
喧嘩した相手も何もなかったように船員の仕事を続けた。
事故は穏やかに収束した。

そして今である。
インド洋で亡くなった彼が私を呼んでいる。
私は息を引き取ったらインド洋の彼のところにお詫びに行くつもりである。
                (創作です)
●船長を呼ぶ声のするインド洋


揚羽蝶の俳句 怪人百面相 投稿日: 2025年06月21日 19:09 No.1753 【返信】

リワさん

ありがとうございます。

写真の俳句でなければ、ひとつの想像の俳句として押し通してもいいかもしれません。
しかし、写真にははっきり林檎という文字が写っていますので、林檎ジュースであることは明白ですよね。
私は牛乳パックに揚羽蝶が止まることに面白さを感じたのですが、林檎ジュースであれば当たり前のことですね。
大した発見ではなかった、ということでがっかりしました。
注意力散漫だったことが露呈しました。

勘違い リワキーノ 投稿日: 2025年06月20日 23:04 No.1752 【返信】

百面相さん

勘違いによって二つの句ができたのですから、それはそれでいいのではありませんか。



俳句入り写真・林檎ジュース好きの揚羽蝶 怪人百面相 投稿日: 2025年06月20日 23:02 No.1751 【返信】

大きな勘違いをしていました。
牛乳ではなくて林檎ジュースでした。
それなら揚羽蝶も寄ってくるでしょうね。

●スーパーの林檎ジュースに揚羽蝶



俳句入り写真・牛乳好きの揚羽蝶 怪人百面相 投稿日: 2025年06月20日 22:58 No.1750 【返信】

本日スーパーの牛乳売り場に行くと、揚羽蝶が牛乳パックにしがみつくようにしっかりと止まっていた。
まるで飾りのようである。
翔んでいかないように、近づいてそっと写真を撮ってもまったく逃げる様子もない。
よほど牛乳が好きなんでしょうね。

●牛乳が好きでたまらぬアゲハかな




俳句入り写真・静かな夕日 怪人百面相 投稿日: 2025年06月19日 21:43 No.1749 【返信】

昨日は大変大人しい夕日でした。
真っ赤に焼けるわけでも無く、ダイナミックな雲のデコレーションがあるわけでもなく、深い
ブルーの空に静かに夕日が沈んでいきました。
私は子供の頃から西向きの部屋でずっと夕日が沈むのを見ているのが大好きでした。
80歳近い今も変わらないですね。

●夏空や静かに夕日退場す




俳句入り写真・淡路島 怪人百面相 投稿日: 2025年06月18日 23:30 No.1748 【返信】

昨日はぼんやりとでしたが、やっと淡路島が見えました。
写真の右側にかすかに写っています。

●夏空に浮かぶが如く淡路島




Re:名句ランキング 12位 リワキーノ 投稿日: 2025年06月17日 21:22 No.1747 【返信】

◯閑さや岩にしみ入る蝉の声

俳句に造詣の薄い私でもこの句はとても心に”しみ入り”ます。

芭蕉には「古池や蛙飛び込む水の音」という有名な句がありますね。
この句も同じように心に”しみ入り”ます。
静と動の対比が鮮やかなところに理屈抜きに惹かれるのです。

●わしわしわしわしわしわし うるさーい

警策は確か、背後から打ちますよね?
後頭部に強い打撃を与えるのはかなり危険なのでは。
小学校の養護教諭だった家内がよく言ってました。

「前頭部を強く打ってもあまりダメージは無いが、児童が後頭部を打ったときは脳内出血の
恐れがあるのですぐに病院に連れていく」

ま、警策だったら大丈夫でせうか。



俳句入り写真・穏やかな夏夕焼 怪人百面相 投稿日: 2025年06月16日 15:54 No.1746 【返信】

今日の尼崎は29度近くまで気温が上がりかなり暑くなりました。
しかし、夕焼けはカッと派手な焼け方ではなく、穏やかに少しだけ焼けて終了しました。

●穏やかにそして静かに夏夕焼




名句ランキング 12位 怪人百面相 投稿日: 2025年06月15日 07:51 No.1745 【返信】

12位・30点(ベスト4人、次点18人)

◯閑さや岩にしみ入る蝉の声
           松尾芭蕉


実際に立石寺のこの場所に立ってみて、なるほどと思った。
「佳景寂寞として心すみゆくのおぼゆ」と話している如く、心を無にしている芭蕉の姿がはっきり見える。
なぜならば「岩にしみ入る蝉の声」は油蝉がもっともふさわしいと思う。
「岩にしみ入る」の感覚は、油蝉なればこそ。
芭蕉の格調高い名句と思う所以である。
          (青森県・佐々木蔦芳)

ーーーーーーーー
1句と1話

●わしわしわしわしわしわし うるさーい

私は仕事で行き詰まったり、人間関係がうまくいかなかったときには必ずこの寺に座禅を組みに来る。
もう何十年も来ているので住職ともすっかり友人気分でつきあっている。
今日もちょっとしたことで客を怒らせてしまい大きな仕事を失ってしまった。
むしゃくしゃした気分が治らないので座禅を組みに来た。
とても暑い日で、朝から蝉の声がうるさい。
それでも心頭滅却するために我慢していた。
それでもやはりどうにもうるさい。

わしわしわしわし

       「うるさいなあ亅

わしわしわしわし

       「うるさい、うるさい亅

わしわしわしわしわしわしわしわしわしわし

      「うるさ〜~~〜~い亅

ついに声を出して怒鳴ってしまった。

途端に警策で思い切り頭を叩かれた。

「普通は肩を叩くのだが、今日のお前は蝉の声が気になって、なかなか集中出来てない。
だから、叩かれた痛さで蝉の声を忘れるくらい頭を思いきり叩いたのだぞ」

蝉の声は気にならなくなったけど、あまりの痛さにもっと集中出来なくなってしまった。
           (創作です)

●わしわしわしわしわしわし うるさーい

ーーーーーーーーーーーーーーーーー



熊野に行ってきます。 リワキーノ 投稿日: 2025年06月14日 09:18 No.1744 【返信】

先日もここで紹介した新宮山彦ぐるーぷの創立50周年祝賀会に参加のためです。
関空から車で一緒する仲間たちも含めて、10数年ぶり会う人たちばかりですから懐かしいこ
とこの上もない気分です。
78歳になってもこんなに心躍る日があるのは本当に幸せな人生だと思っています。

下記は40周年記念のときのものです。
http://hmpiano.net/riwakino/2016/16.05.07yamagiko40year/newpage1.html



写真俳句・ほのぼの夕焼 怪人百面相 投稿日: 2025年06月13日 07:36 No.1743 【返信】

今日は梅雨のお休みの一日でした。
カラッとは晴れませんでしたが、雨は降りませんでした。 
夕方には、先日ほど鮮やかではありませんでしたが、ほのぼのとした夕焼けの空になりました。

●ほのぼのと梅雨の合間の夕焼かな




Re:キーワード俳句 戦争 リワキーノ 投稿日: 2025年06月10日 15:47 No.1742 【返信】

○戦争が廊下の奥に立ってゐた

太平洋戦争が勃発する前の日中戦争のさなかに作られた句だそうですが、そんな解説を知ら
ずとも戦争が迫って来る不気味さを感じさせる句ですね。

●戦争がそこまで来ても他人事

>日本のすぐそこまで戦争が近寄っている。
>防衛力増強、憲法改正に対してはアナクロ野党の反対がすぐに連呼される。
>要は日本人は相変わらず戦争が他人事なのである。

近所の革新政党を支持する家のフェンスの党発行らしきポスターに「国際紛争は話し合い
で!」と載ってました。
何とナイーブな、と思うでしょうが、頭の良い人たちがそろった筋金入りの革新政党のこと。
夢空言のキャッチコピーと知ってての掲載と思います。
一般の党員やシンパの人たちは額面どおり受け取っているかもしれませんが。

>特に若者世代が戦争を自分事として捉えられないのである。
>嫌なこと、不安なことから目を逸らし、目の前の享楽にのみ関心を集中させているのである。
>国を存続させるためには若者が現実から目をそらさずに何をやるべきかを真剣に考えなくてはならない。
>しかし日本の若者は立ち上がろうとはしない。

これは若者たちに対して厳しすぎる言葉ではないでしょうか。
彼らはそのようには教育されず、正当防衛のためには民間人でも「目には目を、歯に歯を」
の暴力をふるうことを認められていることも日ごろそんなに認識せずに育ってきているので
すから、肉体的闘争への心構えがまったく身についておらず、祖国防衛のためには命を捧げ
るという覚悟が無いのは仕方無いことであり、それは私たち戦後生まれの後期高齢者でも彼
らと一緒ではと思います。
現役は軍人だったルパンさんは例外ですが。

日本国民の大半が戦場に行く心構えがまったくできていないのですから、もう頼るのは自衛
隊しかありません。
我が国の防衛力を増強し、自衛隊員の待遇を良くし、今より以上の誇りを持たせ、自衛隊員
を目指す若者を作り出すのです。

まず、その手始めとして法整備的には難しいらしいですが、一尉、一佐などの呼称をやめて
大尉、大佐とすべきです。
自衛隊員は我が国が戦争に巻き込まれたら戦場に行って戦闘を余儀なくされるのですから、
まぎれもない軍人です。
軍人である以上、それにふさわしい呼称を与えるべきと私は思います。
称号だけで人間の気分、誇りは変わると私は思います。
いったい一尉、一佐って語彙、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語ではどう訳すので
しょうね?
多分、意訳して大尉、大佐と訳されるのではないでしょうか。

そしてここからが大切な私の言い分なのですが、今年の「サロン便り」の年初に私は下記の
文章を記しています。

「石破内閣によって我が国も国防費の増額が検討されていますが、さらに増やす必要を私は
感じます。
左派系の人たちは、我が国が戦争をする国になったと言いますが、戦争をするではなく、戦
争をできる国にしておかなければ日本の安全保障は守れないのです。
うかつに武力行使で攻め込むと痛い目に遭うという威圧感を持つことが圧倒的軍事力を持つ
隣国に対する安全保障に繋がることを知るべきなのです。」

これでも隣国が攻め込んできたらどうしたらいいでしょうか。
私はある程度の反撃はするにしても、だれもが想定する隣国との戦争に勝ち目はないと思う
ので降伏するしか無いと思っています。
将来の日本国の名誉を守るために、今の時代に生きる我々が家族も犠牲にして祖国防衛の戦
いをすることに私はまったく意義を感じません。

降伏したら日本という国、日本人という誇りは失われるでしょうが、ウクライナ戦争やパレ
スチナ紛争のように多くの命を失うことだけは防げます。

しかしできることならこの事態を避けるためにも精一杯の防衛力強化に励まなければならな
いと私は信じるのです。
そのためには我々国民は金銭的負担も甘んじて受け入れなくてはいけないと思います。



雨ばかり 怪人百面相 投稿日: 2025年06月10日 12:33 No.1741 【返信】

ルパンさん

気楽な日を満喫されてますね。
楽しそうです。

尼崎の方は朝からかなりきつい雨になってます。
明日の午後3時まで降るそうです。
明後日からはまた雨です。
しばらくは夕焼けは望めないですね。



” ●尼崎西は六甲夏夕焼け ” 怪盗ルパンX・P 投稿日: 2025年06月10日 07:38 No.1740 【返信】

可愛い女房は義母孝行で”おいでませ やまぐち ”へ
私は久しぶりの自由を満喫しています。

今朝は小雨です。ジジと散歩し、にったりでシャンプー、シャワー

♪ ゆーやけ こーやけで 陽が暮れてー ♪



写真俳句・尼崎の夕焼け 怪人百面相 投稿日: 2025年06月09日 21:48 No.1739 【返信】

昨日は尼崎に来て初めての夕焼けでした。
ここから西の方角には六甲山があります。
実に美しい夕焼けでした。

尼崎での初の写真俳句です。

●尼崎西は六甲夏夕焼け


 



日本舞踊 リワキーノ 投稿日: 2025年06月07日 20:54 No.1737 【返信】

20数年大阪まで通って習われた奥様の日本舞踊。
一度、拝見したく思います。

舞踊については私は何でも関心を持つのです。



Re:片道切符 リワキーノ 投稿日: 2025年06月07日 20:51 No.1736 【返信】

百面相さん

片道切符は奥様のお言葉でしたか。
それが毎月20数年続いたとは、往復切符が新幹線に乗るための唯一のチケットだったので
しょうね。
それが初めて片道切符を手にしたとき、様々な想いが関西育ちの奥様の脳裏にも到来し、一
瞬切ない気持ちになられたのでしょうか。

散歩がてら歩き回り隅々まで熟知しているという川崎のかつての自宅界隈。
関西に移っても時々、往復切符でご夫婦そろって訪れてみては如何でしょうか。



片道切符 怪人百面相 投稿日: 2025年06月07日 18:55 No.1735 【返信】

リワさん
歓迎して頂き大変ありがとうございます。

関東には46年住んでいました。
最初の6年間は中野区の社宅。
その後の40年間は川崎の自宅マンションでした。
私は車に乗らないので、自宅周りを散歩がてら歩き回り隅々まで熟知していました。
さすがに離れる時には感慨深いものがありました。

妻は大阪の叔母から日本舞踊を20数年間習っていました。
そのため毎月大阪へ通っていました。
その時には必ず往復切符でしたから、今回の転居での片道切符に妻がしみじみと口にした言葉でした。



Re:尼崎へ リワキーノ 投稿日: 2025年06月06日 21:47 No.1734 【返信】

百面相さん

しみじみと片道切符、とは戦艦大和の沖縄出撃のような悲壮感が漂いますが、私たち関西の人間は大歓迎です。

しばらく仮住まいとのこと、落ち着いたら是非、お会いいたしましょう。



尼崎へ 怪人百面相 投稿日: 2025年06月06日 08:35 No.1733 【返信】

6月3日に40年住んでいた関東から尼崎へ転居しました。
移動日からの3日間の1日1句です。


6月3日
●しみじみと片道切符梅雨の雨

6月3日雨の中を午前中に荷物を出して、午後の新幹線で大阪へ向かいました。
46年ぶりの片道切符でした。


6月4日
●梅雨晴れや住めば都か尼崎

尼崎の初めての朝を迎えました。
朝からカッと晴れ渡り、尼崎が歓迎してくれていました。


6月5日
●水無月の陽射しさえぎる段ボール

家の中は段ボールの山の状態です。
日の入る窓も段ボールで遮られている状態です。
しばらくは仮住まいの様相です。



北海道からの便り 訂正 リワキーノ 投稿日: 2025年06月06日 08:33 No.1732 【返信】

談話室を覗かれたマスミさんから「自給自足ではありません。趣味で農業をやっています」と
連絡がありました。
画像の耕運機に乗っているのはマスミさんの息子さん(高校生)で、そばにいるのは近隣の農
家の方です。




プロ野球史上に燦然と輝くアンダースローの名投手 リワキーノ 投稿日: 2025年06月05日 18:25 No.1731 【返信】

長嶋さんの死去に伴い、立教大学時代のチームメイトであり、偉大なアンダースロー投手だ
った杉浦忠投手のことをここで紹介したく思います。

日本シリーズで広岡、長嶋、王を擁する巨人相手に4連投、4連勝して南海ホークスに初の日
本一を達成させたのです。

画像は立教大学時代の長嶋と杉浦。
日本シリーズでの戦績表。
野球殿堂入りを果たしたときに祝いに駆け付けた長嶋と杉浦。

球界一の紳士としても知られ、引退後のその人柄に魅了された私たちの仲間、Y.O嬢さんが杉
浦さんの死の直後『キミよ杉浦を忘れないで』のレポートを残しています。
ご覧ください。
http://hmpiano.net/koharu/friend/yo/newpage1.htm


  



北海道からの便り リワキーノ 投稿日: 2025年06月05日 15:15 No.1730 【返信】

私の所属する新宮山彦ぐるーぷが6月14日に創立50周年祝賀会を那智勝浦のホテルで開催します。
参加予定者は152名。全国から集まってきます。

熊野修験の親しい下記の仲間たち6人も関空に集合して車で勝浦に向かう予定です。
ドウタ、ハナイ、カツラ、マホ、マスミ、リワキーノ


その中のマスミさんは北海道からの参加です。
元は関東に住まいしていたのですが、脱サラをしたご主人と一緒に洞爺湖のそばで自給自足
の生活をしています。
お姉さんのマホさんと同じく、まぎれもない才媛なのですが、そんなものを感じさせない天
真爛漫な明るい女性で、独身時代は熊野修験の大峯奥駈やその他の滝行などにも積極的に参
加し、熊野修験のマスコットガール的存在でした。

今回、近況を画像で送って欲しいと依頼したところ、送ってくれたのが、添付画像です。

広い庭の樹木の向こうに見えるのが洞爺湖。
洞爺湖の冬の景色。
裏庭はボーボー草が茂っているとか。
最初は「庭が広い!」と感激したそうですが、手入れの大変さに苦労されているようです。

9日後に彼女たちと会えるのが本当に楽しみです。


  



長嶋茂雄元巨人監督の訃報 リワキーノ 投稿日: 2025年06月04日 11:59 No.1729 【返信】

プロ野球も見る私は長年、アンチ巨人で通してきましたが、巨人の選手に対してはどちらか
というと好意的に見ていました。
その中でも長嶋さんは別格の存在でしたね。

この人ほど多くの日本人に愛された人はいないのではと思います。
特に男性に。

華麗なプレーとその勝負強さが言われますが、私は長嶋さんのどこか抜けた言動や行動する
姿にスーパースターとの大きな落差を感じることによって多くの人が長嶋さんに強い親しみ
と愛情を感じたのではと思っています。

監督時代に選手にバントを命じるのに手のしぐさでバントのふりをしてしまった姿を人づて
に聞きましたが、如何にも長嶋さんらしいエピソードと思いました。

この長嶋さんの”どこか抜けた言動や行動”へのファンの愛着、これが人間的にも申し分ない
今のスーパースター大谷翔平選手との大きな違いであり、大谷選手はこの点では長嶋さんを
超えることは無いのではと想像しています。

”長嶋 大鵬 焼き”と言われますが、長嶋さんも大鵬さんも脳梗塞で麻痺状態になったのを
凄まじいリハビリで克服した姿が同病の多くの人を勇気づけたこと、この点でも二人はスー
パースターでした。

心より長嶋茂雄さんのご冥福をお祈りします。



無題 怪人百面相 投稿日: 2025年06月02日 18:00 No.1728 【返信】

ルパンさん、リワさん

私の投稿への感想ありがとうございます。
ストーリーは、ほとんどが創作なので、映画や小説でのシーンなどを思い出しながら作ることもあります。

今回の居酒屋の話は、テレビドラマでよく行きつけの居酒屋の親父と親しくなる主人公の話がありますが、それをいろいろ味付けして作りました。
ちゃんと読んで頂ける方がいるだけで、ありがたいことだと思っています。

これからもよろしくお願いします。



●湯豆腐やけふで終わりかこの店も リワキーノ 投稿日: 2025年06月01日 10:12 No.1727 【返信】

まったく畑違いの職業を基にした創作、よくこんなのを思いつくなと感心します。
k.mitikoさん長男のブログでの、閉店していく店への哀歓を連想しました。

それに引き換え、

◯湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

の解説を読んで、私はつくづく俳句が解らない人間だと思いました。
もっとも解説氏は作者のそのときの境遇をよく知っているからこのような解釈ができるので
しょうが。

” ●湯豆腐やけふで終わりかこの店も ”、、、。 怪盗ルパンX・P 投稿日: 2025年06月01日 08:20 No.1726 【返信】

朝から泣かせるね、、、。


、、、。a・l・n

名句ランキング 11位 怪人百面相 投稿日: 2025年06月01日 07:59 No.1725 【返信】

ランキング俳句・11位

◯湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
            久保田万太郎

なんと淋しい一句だろう。
昭和38年作だが、独居老人とか孤独死が報じられる現在にもつながっている。
万太郎は晩年になって長男を亡くし、同棲していた元芸者の三隅一子にも、昭和37年末先に身罷れてしまう。
その直後の心境がこの一句に、小説の一場面のように表現されている。
下五の「うすあかり」が読む側の孤独感の濃淡によって、微妙に心に染みてくるのだ。
           (群馬県・原田要三)

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私の拙句

●湯豆腐やけふで終わりかこの店も

私は学校を卒業してから中小の不動産屋に就職した。
叩き上げの社長は売上中心主義の人だった。
どちらかというと大人しい性格の私とは何かと合わない方が多かった。
それは私の売上がいつも目標未達だったからである。
4、5年程も経った頃、私は辞めようかどうかで悩んでいた。
営業で来た駅裏の飲み屋街の居酒屋にたまたま入った。
そこで出てきた湯豆腐の旨さに驚いた。
そのうち親父にポツリポツリと自分の悩みを話ししていた。
寡黙な親父は何も言わなかったが、最後に、
「俺なら辞めるだろうな」
と一言言ってくれた。
私はその言葉に背中を押され、翌日に辞表を出した。
しばらくは無職が続いたが、営業で縁のあったお客さんの紹介で小さな町の不動産屋に就職出来た。
そこの社長は徹底した顧客志向の人で、例え赤字になってもお客さんのためになりなさい、と指導をされた。
それは私の思いと100%合致していて、その不動産屋で私はメキメキ業績を上げていった。
それから数年、結婚もして子供にも恵まれ幸せな日々を送っていた。
そのとき、ふと湯豆腐を食べた居酒屋をことを思い出し、もう一度食べたくなって店を訪れた。
幸い店は健在で親父もそのままだった。
親父は何故か私のことを覚えていてくれていたので、私は飲みながらその後の人生のことを話しした。
寡黙な親爺は、
「それは良かったな。
せいぜい頑張って家族を幸せにしてやんな」
と言ってくれた。
そして、親爺は初めて自分のことを語ってくれた。
「俺は末期がんで余命は半年と言われているのだよ。
この店も今日で畳もうかと考えいるのだ。
お前さんが来るのがもう1日遅かったらこの店も俺もいなくなっていたなあ」
と語ってくれた。

私は号泣しながら湯豆腐を食べた。
              (創作です)

●湯豆腐やけふで終わりかこの店も
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