リワさん
俳句が面白くないということはよく分かります。 人の好みは様々だと思います。
私は逆に和歌、短歌が面白くないのです。 理由は恋愛小説を読んでいるようなものが多いからです。 私は小説ではミステリーやホラーは好きですが恋愛小説や青春小説は苦手です。
私は小中学校の頃、授業で出てきた俳句には全く興味が湧きませんでした。 その後も詩歌には全く関心がありませんでした。 40代半ばの頃に、たまたまNHKテレビでプロの俳人たちの句会の中継を何気なく見ていました。 すると学校で習ったような俳句ではなく、何を言っているか分からないような句が次々と出てきました。 それで、俳句は自分が思っているイメージとはかなり違うものかも知れないと思いました。 そこで俳句の解説書を数冊読んでいくと、自由律俳句というものがあることを知りました。 そこで出会ったのが、 尾崎放哉の「咳をしても一人」という俳句でした。 これでも俳句なのかとびっくりしました。 そこから俳句にのめり込みました。 私が高校生の時に読んだ岡本太郎の本の中に、「芸術は驚きである」という言葉があり自分の感覚とぴったりでした。 これが私の芸術に向き合う姿勢になりました。 これにぴったりフィットしたのが尾崎放哉の句でした。 昔、マグリットや若冲の絵画と出会った時も驚きから入りました。
リワさんが池田澄子の句を読んで、「何を言っているのか分からない」と表現してました。 まさにそのとおりなのです。 俳句は説明、理屈を言ってはいけない、と言われてます。 モノやコトをゴロンと提示するだけに留めるわけです。 作者が自分が感動したことも言いません。
すべて読み手の想像に任せるわけです。 作者がどう思って作ったのだろう、ということから離れて自分が何を感じるかだけなのです。 理解することではなくて何を感じるかだけなのです。
そういうことが面白くないという人も多数います。 私の友人で九大電子工学を首席で卒業した秀才がいます。 彼にも4、5年前から毎日俳句メールを送っています。 彼は毎日気分転換になると言って楽しみに読んでくれています。 しかし、ほとんどのプロの句に対して、この句は何を言おうとしているが全く分からない、と言ってきます。 要は理解しようとしているのです。 とても頭が良くて、通産省主催のプロのビジネスマンのための英語スクールの講師や、高校生のITスクールの講師などをしている人です。 文章を読んだ時に、単に感じるだけではなくて、必ず理解しようとするのです。
リワさん 私の投稿で俳句が面白くなければ読む必要は全くありません。 ストーリーだけ読んでいただけるだけで十分です。 私が以前から俳句メールを送っているメンバーの中でもストーリーしか読んでいない人はたくさんいます。
俳句は本当に人によって好き好きがある分野だと思っています。
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