よっころりんさんとの再会  11年ぶりの帰郷・その4

”このよっころりん。”さんとの再会レポートには10年前まで所属していたアルバトロスクラブにおける
様々な交流のことを盛りだくさんに詰め込んでますので、関心の無い方は別ページにリンクする所は
クリックせず、飛ばしていってください。
再会後のよっころりんさんの写真は文末の2枚のみです。

よっころりんさんとはアルバトロスクラブで知り合いました。今から17年前のことです。(写真前列左端)

後列中央は海洋民俗学の第一人者で秋篠宮殿下の師匠にもあたる秋道氏。その左二人目がアル
バトロスクラブ代表(当時)E.ヒロシ氏。
私の右横は皆さんにいつか詳しく紹介したいクラブ事務局長の巫女のぶさん。ある意味で私の人生
に大きな転換をもたらした女性です。一人置いて右端は某総合商社ソウル所長のパクさん。日本語
が大変上手で、まだ韓流ブームもなかった当時、日韓の親善のことにとても心を砕いた女性でもあり、
韓国の歴史に詳しい私を、こんな日本人もいると韓国の人たちに紹介したいから是非、一度韓国に
お連れしたいと言われていたのですが、実現しないまま今に至ります。
よっころりんさん右横の少女と秋道氏の右横の少女は電車の中で中国語で喋っているのを見かけ、
声をかけたら日本に戻ってきた中国残留孤児の娘たちだそうで、中国語が堪能な女性もいるから、
とこの集まりに誘ったら、当日、三裕の館にやってきたのです。
このような多士済々のいるアルバトロスクラブの中でも天性明るく、聡明で、笑顔の素敵なよっころ
りんさんはクラブメンバーの男女全員から愛され、頼りにされた女性です。
かく言う私も彼女が大好きで山や河川や街中の居酒屋と一緒に行動したことは数知らず。

同クラブのたまり場であった「三裕の館」。
左からよっころりんさん、巫女のぶさん、そして右端の男性はいずれも某総合商社の社員たち。


三裕の館で。

同じアルバトロスクラブの仲間R-Juneさんとはもっぱら夜のおつきあい(決して変な関係ではありま
せん。京都のあちこちのリーズナブルで美味しい店を彼女に案内してもらっての会食)が多かったの
に比べ、よっころりんさんは野山への行楽に本当によく一緒したものでした。


大峯・持経宿小屋で。


南紀放浪の旅で。


台高山系・木ノ実矢塚で。


大峯・上多古渓谷で。


六甲山で。


そしてリワキーノ家で。我が息子と息子の親友のムラヤマ君もよっころりんさんが大好きで、3人でも会っていたようです。

そのよっころりんさんが教師になりたい夢をかなえるために会社を辞めて中国の瀋陽(旧・奉天)に渡ったのは1998年。
得意な中国語を生かして中国の高等学校の日本語教師となったのです。
上多古渓谷を一緒した友人のツイイさんの郷里が瀋陽なのでそれで瀋陽に決めたのだと思います。
ツイイさんの一家はとてもよっころりんさんを歓待してくれたそうです。右、ツイイさん。

瀋陽滞在中、メールをやりとりしていて一番印象に残っているのが、彼女に高校生たちに一番尊敬す
る政治家の名をアンケートしてもらうよう頼んだとき、彼女が実施して得た結果がクラスの8割の生徒
が周恩来元首相の名を挙げたこと。
周恩来は1976年に亡くなっておりますから、高校生たちが生前の周恩来を知るわけがなく、自分の
親を始めとする周囲の大人たちの話を聞いて周恩来への尊敬の念を深めたと思うので、周恩来が
今でも中国の民衆の尊敬を得ていることに私は深い喜びを感じたものでした。

そして1年間の契約を終えたよっころりんさんは高等学校の教師を辞め、某航空会社の青島支社に
勤務するようになりました。2000年問題を控えての作業に従事するためです。

彼女が一時帰国したとき、エイジさんと息子の3人で彼女と会った時。

やがて彼女は青島でライバルの航空会社の社員と知り合い、結婚するのです。
そして長男を妊娠したころにこのホームページの談話室に彼女が登場するようになります。
http://hmpiano.net/sub6sub2004_5.html
ユーモアと機知に富んだ彼女の投稿にk.mitikoさんや駄才さん、手打ち庵さん等、談話室の多くのメン
バーが魅了されたものでした。
そのときに彼女が名乗ったハンドルネームが”よっころりん。」”
「友人によっこと呼ばれていたのと、表情がクルクル、コロコロと変わると言われるのでそれで転がっ
ておこう、とよっころりんに決め、最後に「。」をつけたのは、『モーニング娘。』
を真似て、少し可愛らしさを演出してみた、とのこと。この命名を彼女は後で後悔したらしいですが、
いかにも彼女らしいHNなので、ここでは「。」だけ省いてそのまま使わせてもらいました。

しかし、長男が生まれ、育児で多忙になった彼女は2005年5月を最後に談話室には登場されなくな
りました。

それからはメールのやりとりも少なくなり、夫君の転勤とともに日本に帰国してからは年賀状のやりと
りだけとなったのです。
そして彼女の夫君の勤務する航空会社が経営危機に陥って大きな社会問題になったころから突如、
彼女への年賀状が戻って来、メールを送ってもエラーで戻ってくることになったのです。
夫君の境遇が大きく変わって今、彼女は難儀しているのではと不安感を抱きながらも彼女の行方を
知る人がアルバトロスクラブ仲間のうちにいなかったので、そのまま4年の歳月が流れたのです。

そしたら昨年の秋にアルバトロスクラブ仲間であり、熊野修験の仲間でもある、Shibataさんが「フェイス
ブックでよっころりんさんを見つけましたよ!」と知らせてきてくれたのです。
何と、現在福岡に住んでいるそうで「彼女もリワキーノさんと連絡を取りたがっていますので、連絡して
やってください」とのこと。
もう、よっころりんさんとは二度と会うことはないのだろうかと思っていた私は飛び上がるほどに嬉しか
ったですね。すぐさまフェイスブックを利用して彼女に連絡をとったことは言うまでもありません。
彼女も感激の想いがひしひしと伝わってくる熱いメールをくれました。夫君は経営破綻に陥った航空会
社に残り、その再建に尽力してきたそうで、福岡には10月に転勤してき、よっころりんさん一家は何と
福岡市城南区鳥飼に住んでいるのです。
自宅の住所を地図で調べたら私が高校時代、学校に通った樋井川沿いの道のすぐそばではありませ
んか。
すぐ近くの鳥飼バプテスト教会は私が子供のころから福岡を離れるまでずっと通った教会でもあり、私
はよっころりんさんとの縁の深さを思いました。

彼女には二人目の坊やもおり、現在2歳だそうで、私は早速小児科医のむっしゅわのんのことを紹介し
ました。
そしたら10月29日に談話室にわのんさんの投稿があったのです。

リワキ―ノさん
ご紹介のよっころりんさん来院されました。
男のお子さんで、予防接種を無事終了いたしました。
お母さんとの会話で、リワキ―ノさんからの紹介と判明しました。
非常に、感じのいいお母さんでしたので、どうして鳥飼から神松寺まで
来られたのですかとお尋ねしたら、リワキ―ノさんからのご紹介と判明致しました。
私は時間外、休日、平日は午前零時くらいまでは起きていますので、
救急の折はお電話ください、と申し遅れましたので何かの機会がありましたら
宜しく、お伝えください。

初対面の小児科医が「非常に、感じのいいお母さん」と感想を述べるのですから如何によっころりん
さんが誰にも好印象を与える女性であることがお判りだと思います。

そして私が福岡に行く日が決まった時、すぐさまよっころりんさんに連絡したところ、2月11日に会い
ましょうということになったのです。
このことを知ったk.mitikoさんも談話室で親しく語り合ったよっころりんさんに是非会いたいと言うの
で2番目の坊や、あゆむちゃんも入れて4人でのランチとなりました。
店は10日に舞鶴幼稚園ミニ同窓会をした「三四郎」の姉妹店「鳥いち」。
料理が5人前あるのは、私が長男も参加と思いこんでいたためで、考えてみれば私の孫娘と同じ歳
の長男のかいと君は小学生ですから、平日の今日は学校があるのでした。
しかしあゆむちゃんは大食漢だそうでお兄ちゃんの分も相当食べてくれたので無駄にはなりませんでした。

よっころりんさんは娘時代と全然変わっておらず、透明で明るい声音で語る彼女の口調も昔のまま
で懐かしく、心地よく聞かせてもらったものです。
小児科医むっしゅわのんの話題になると、「素晴らしいお医者さんを紹介してくださり有り難かったで
す」と言われます。
あゆむちゃんは予防接種を嫌がり、いつも泣いて難儀するそうですが、わのん先生はあゆむちゃんの
手のひらに筆ペンでアニメのキャラクター画をさらさらと描き、あゆむちゃんがそれに見入っている
すきに、素早く注射をするとのこと。あゆむちゃんも泣かず、その手慣れた早業と絵の上手なことに
よっころりんさんは驚嘆したそうです。
わのん先生は星乃あんり、春妃うららの両タカラジェンヌなどにもその早業を使われていたのでしょうね。
私も一度見てみたいなと思いました。

アルバトロスクラブの仲間のことが話題になり、持参したアルバムでShibataさんやKO-BUNさん、マス
ミさん、R-Juneさんの写真を見せると歓声を上げながら懐かしがります。
尽きぬ話があとからあとから出てくるのですが、かいと君が学校から帰ってくる午後3時までには帰宅
しなければならないので午後2時半に「鳥いち」を後にしました。
よっころりんさんとの再会は期待を裏切らない素晴らしいものでした。これはひとえに、年月が経って
も変わらぬ彼女の人柄のおかげだと思いました。


よっころりんさん親子をタクシーで自宅まで送ったあと、西新のk.mitikoさん宅に戻るのに、鳥飼バプ
テスト教会近くのある路地を通るよう運転手さんに指示しました。
高校時代、鳥飼教会で親しくさせてもらった1年先輩の女性S.かずこさんに私は憧れていたのです
が、そのお家が昔のままか見たかったのです。
アルバトロスクラブのメーリングリストで犬を共通のキーワードにするリレー小説というのが試みられ
たとき、私が記した「モーツアルト」に出てくる女性はこの片思いのS.かずこさんがモデルでした。
そして行ってみてびっくり。
彼女の家のあったところはマンションが建っているのです。
同じ並びにあった西南学院大学の瀟洒な宣教師宿舎も無くなってマンションに。
この宣教師宿舎でミス・キャンベル先生にお茶とクッキーをご馳走になったことがあるのです。
半世紀近くも前の話ですから当然なのでしょうが、何とも言えぬ悲哀感を感じました。
通らなければ良かったと思いました。
そこを通り抜けて城南線の通りに出てすぐに渡る橋から左を見ると、二つの川が合流する地点に建っ
ていた素敵な邸宅が無くなってここもマンションになっています。
修猷館高校に通う時、いつも「あの素敵な邸宅にはどんな人が住んでいるのかな」と思いめぐらして
いたその建物が無い。
今回、11年ぶりに福岡に戻って強く感じたことは、私の知る懐かしい福岡の町の景色はほとんど無く
なっているというものでした。
(了)